思い出したように、前号(3月25日)の続きです。
ライン河にはマインツからコブレンツまで約80kmに渡って、
全く橋の架かっていない区間がある、
というのが前回の内容でした。
その結びで触れた『幻の橋』が今回のお話です。
橋の名は『ヒンデンブルク・ブリュッケ』(Hindenburgbruecke)。
1913年から2年の歳月を掛けて造られた、鉄道専用の橋でした。
名前は、時の宰相ヒンデンブルクから。
建設当時はラインに掛かる橋の中でも2番目に大きな規模を誇っていました。
この橋が結んでいたのは私達のリューデスハイムと、対岸の町ビンゲン。
河川敷も含めた川幅が優に1kmを超えるライン河に、当時の土木技術の粋を集めて建設された、
当代随一の鉄道橋だったのです。
折りしも完成時(1915)は第一次世界大戦(1914~1918)の只中。
兵士を乗せた列車が何本もこの橋を通り、彼らを前線へと運んでいきました。
それからもこのヒンデンブルク橋はライン河に掛かる貴重な橋として、
人々の往来を支えてきました。
しかし、転機が訪れます。
第二次世界大戦(1939~1945)の勃発です。
戦争では工場や港、そして橋といった重要な施設が狙われます。
ヒンデンブルク橋も例外ではなく、いく度かの攻撃にさらされるようになります。
そして迎えた1945年。
敗色の濃厚なドイツ軍は、敵がライン河を渡ってドイツ領内にこれ以上攻め込まないよう、
ヒンデンブルク橋の破壊を決定します。
破壊を担当するのは、当然ながらドイツ軍です。
彼らの中には、この地域出身の者もいたかも知れません。
かつて祖父や父が築いた立派な橋を、
今は自分たちの手で壊さなければならない。
そんな彼らの胸中に去来するものは何だったのでしょう。
それとも、任務として淡々とこなしていったのでしょうか。
1945年3月15日、橋は破壊され、瓦礫と化します。
結局、その効果も定かではないまま、
ほどなくドイツは敗戦を迎えます。
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/e8/ba0d0f09e70fe2b938acdcca015f76b6.jpg
戦後、橋脚の大部分は船舶の通行の障害になるという理由で取り除かれます。
また、同じ場所にもう一度橋を掛けるべきか否かの話し合いでは、
「メリットがない」として議題そのものが否認されてしまいます。
以来、この地では渡し船がライン河を行き来する唯一の手段となりました。
かつての橋の痕跡は、リューデスハイムの東の町外れに僅かに残るのみ。
それでも、巨大な石の折り重なる姿には在りし日の橋の威容が伺えます。
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/0b/eb746080ba4b02c77bfdba35b597c6aa.jpg
今日、その辺りは水鳥の大切な住処(すみか)となっています。
川の中にはポツンと取り残された橋脚がひとつ。
それはどこか、長い時間を掛けてライン河に混ざりゆく日を
待っているかのようです。
文責 とり
ライン河にはマインツからコブレンツまで約80kmに渡って、
全く橋の架かっていない区間がある、
というのが前回の内容でした。
その結びで触れた『幻の橋』が今回のお話です。
橋の名は『ヒンデンブルク・ブリュッケ』(Hindenburgbruecke)。
1913年から2年の歳月を掛けて造られた、鉄道専用の橋でした。
名前は、時の宰相ヒンデンブルクから。
建設当時はラインに掛かる橋の中でも2番目に大きな規模を誇っていました。
この橋が結んでいたのは私達のリューデスハイムと、対岸の町ビンゲン。
河川敷も含めた川幅が優に1kmを超えるライン河に、当時の土木技術の粋を集めて建設された、
当代随一の鉄道橋だったのです。
折りしも完成時(1915)は第一次世界大戦(1914~1918)の只中。
兵士を乗せた列車が何本もこの橋を通り、彼らを前線へと運んでいきました。
それからもこのヒンデンブルク橋はライン河に掛かる貴重な橋として、
人々の往来を支えてきました。
しかし、転機が訪れます。
第二次世界大戦(1939~1945)の勃発です。
戦争では工場や港、そして橋といった重要な施設が狙われます。
ヒンデンブルク橋も例外ではなく、いく度かの攻撃にさらされるようになります。
そして迎えた1945年。
敗色の濃厚なドイツ軍は、敵がライン河を渡ってドイツ領内にこれ以上攻め込まないよう、
ヒンデンブルク橋の破壊を決定します。
破壊を担当するのは、当然ながらドイツ軍です。
彼らの中には、この地域出身の者もいたかも知れません。
かつて祖父や父が築いた立派な橋を、
今は自分たちの手で壊さなければならない。
そんな彼らの胸中に去来するものは何だったのでしょう。
それとも、任務として淡々とこなしていったのでしょうか。
1945年3月15日、橋は破壊され、瓦礫と化します。
結局、その効果も定かではないまま、
ほどなくドイツは敗戦を迎えます。
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/e8/ba0d0f09e70fe2b938acdcca015f76b6.jpg
戦後、橋脚の大部分は船舶の通行の障害になるという理由で取り除かれます。
また、同じ場所にもう一度橋を掛けるべきか否かの話し合いでは、
「メリットがない」として議題そのものが否認されてしまいます。
以来、この地では渡し船がライン河を行き来する唯一の手段となりました。
かつての橋の痕跡は、リューデスハイムの東の町外れに僅かに残るのみ。
それでも、巨大な石の折り重なる姿には在りし日の橋の威容が伺えます。
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/0b/eb746080ba4b02c77bfdba35b597c6aa.jpg
今日、その辺りは水鳥の大切な住処(すみか)となっています。
川の中にはポツンと取り残された橋脚がひとつ。
それはどこか、長い時間を掛けてライン河に混ざりゆく日を
待っているかのようです。
文責 とり