自分が被っていたかもしれない危険を思っただけで、ウィルキー氏は身震いした。
「ブルル……、ああ、よくそこで躊躇してくれたもんです」と彼は呻った。
マダム・ダルジュレは聞いていなかった。
「もうこれでおしまいにするのだ、と私は苦労して立ち上がり、橋の欄干につかまって身を支えました。そのときすぐ近くでぶっきらぼうな声がしたのです。
『そこで何をしている?』と。
私は振りむきました。街の巡査が声を掛けてきたのかと思って……。でもそうではありませんでした。ガス灯の光で見えたのは三十歳ぐらいの男で、顔つきはいかついけれど、正直そうでした。
どうしてこの見ず知らずの他人が、無限の信頼を置ける人だと咄嗟に思ったのか、私には分かりません。おそらく死の恐怖が、自分でも無意識に、誰かの憐憫の情に縋りつかせたのでしょう……。
とにもかくにも私はその人にすべてを打ち明けました。名前は全部変え、詳細部分はちょっと違ったものにはしましたが……。
その人はベンチの上に私と並んで座り、消え入りそうな声で語る私の話を聞いていましたが、その頬に大粒の涙が転がり落ちるのが見えました。
『そうです、そういうことなのですね』と彼は呟いていました。『愛するということは、殉教の先触れなのです……。あらゆる不実や裏切りに対し無防備なまま自分を差し出すこと……短刀を前に自分の心臓を露わにすること……』
こんな風に御自分のことを語ったその人は、トリゴー男爵でした。彼は私に最後まで言わせず、突然叫びました。
『もうよろしい! 私に着いておいでなさい!』 と。
一台の辻馬車が通りかかりました。彼は私たちをそれに乗り込ませ、一時間後に私たちは暖かい部屋の中にいました。有難い暖炉のそばで、たっぷりの食べ物を乗せたテーブルがありました。翌日から私たちは快適なアパルトマンに住み着くことになったのです。
ああ、何故男爵は最後まで親切な心を持っていてくださらなかったのか?
あなたは救われたのよ、ウィルキー……、でもなんという代償を払わなければならなかったことか!」
彼女は火のように顔を紅潮させたが、すぐに自制して話を続けた。
「でも男爵と私の間に意見の相違があったのです。ウィルキー、あなたのことで。私はあなたに良家の子息としての教育を受けさせたいと主張しました。が、彼はあなたには厳しい、しっかりした教育が必要だと言いました。自分の地位、運命、自分の名前に至るまで、すべてを自分の手で手に入れて行く為に必要なものだからと……。
ああ彼が言ったことの方が何倍も正しかった。その後の出来事がそのことを痛いほど証明してくれたのだけれど、私は母性愛に目が眩んでいました。その後激しい論争になり、私がもっと理性的にならない限り、もう会わないと言って私から遠ざかって行きました……。
彼はそうやって私の強情さが和らぐのを待とうとしたのだけれど、彼にはド・シャルース一族の頑固さがどのようなものか、分かっていなかったのです……。3.19
「ブルル……、ああ、よくそこで躊躇してくれたもんです」と彼は呻った。
マダム・ダルジュレは聞いていなかった。
「もうこれでおしまいにするのだ、と私は苦労して立ち上がり、橋の欄干につかまって身を支えました。そのときすぐ近くでぶっきらぼうな声がしたのです。
『そこで何をしている?』と。
私は振りむきました。街の巡査が声を掛けてきたのかと思って……。でもそうではありませんでした。ガス灯の光で見えたのは三十歳ぐらいの男で、顔つきはいかついけれど、正直そうでした。
どうしてこの見ず知らずの他人が、無限の信頼を置ける人だと咄嗟に思ったのか、私には分かりません。おそらく死の恐怖が、自分でも無意識に、誰かの憐憫の情に縋りつかせたのでしょう……。
とにもかくにも私はその人にすべてを打ち明けました。名前は全部変え、詳細部分はちょっと違ったものにはしましたが……。
その人はベンチの上に私と並んで座り、消え入りそうな声で語る私の話を聞いていましたが、その頬に大粒の涙が転がり落ちるのが見えました。
『そうです、そういうことなのですね』と彼は呟いていました。『愛するということは、殉教の先触れなのです……。あらゆる不実や裏切りに対し無防備なまま自分を差し出すこと……短刀を前に自分の心臓を露わにすること……』
こんな風に御自分のことを語ったその人は、トリゴー男爵でした。彼は私に最後まで言わせず、突然叫びました。
『もうよろしい! 私に着いておいでなさい!』 と。
一台の辻馬車が通りかかりました。彼は私たちをそれに乗り込ませ、一時間後に私たちは暖かい部屋の中にいました。有難い暖炉のそばで、たっぷりの食べ物を乗せたテーブルがありました。翌日から私たちは快適なアパルトマンに住み着くことになったのです。
ああ、何故男爵は最後まで親切な心を持っていてくださらなかったのか?
あなたは救われたのよ、ウィルキー……、でもなんという代償を払わなければならなかったことか!」
彼女は火のように顔を紅潮させたが、すぐに自制して話を続けた。
「でも男爵と私の間に意見の相違があったのです。ウィルキー、あなたのことで。私はあなたに良家の子息としての教育を受けさせたいと主張しました。が、彼はあなたには厳しい、しっかりした教育が必要だと言いました。自分の地位、運命、自分の名前に至るまで、すべてを自分の手で手に入れて行く為に必要なものだからと……。
ああ彼が言ったことの方が何倍も正しかった。その後の出来事がそのことを痛いほど証明してくれたのだけれど、私は母性愛に目が眩んでいました。その後激しい論争になり、私がもっと理性的にならない限り、もう会わないと言って私から遠ざかって行きました……。
彼はそうやって私の強情さが和らぐのを待とうとしたのだけれど、彼にはド・シャルース一族の頑固さがどのようなものか、分かっていなかったのです……。3.19