エミール・ガボリオ ライブラリ

名探偵ルコックを生んだ19世紀フランスの作家ガボリオの(主に)未邦訳作品をフランス語から翻訳。

2-XIV13

2025-03-19 10:27:34 | 地獄の生活
自分が被っていたかもしれない危険を思っただけで、ウィルキー氏は身震いした。
「ブルル……、ああ、よくそこで躊躇してくれたもんです」と彼は呻った。
マダム・ダルジュレは聞いていなかった。
「もうこれでおしまいにするのだ、と私は苦労して立ち上がり、橋の欄干につかまって身を支えました。そのときすぐ近くでぶっきらぼうな声がしたのです。
『そこで何をしている?』と。
私は振りむきました。街の巡査が声を掛けてきたのかと思って……。でもそうではありませんでした。ガス灯の光で見えたのは三十歳ぐらいの男で、顔つきはいかついけれど、正直そうでした。
どうしてこの見ず知らずの他人が、無限の信頼を置ける人だと咄嗟に思ったのか、私には分かりません。おそらく死の恐怖が、自分でも無意識に、誰かの憐憫の情に縋りつかせたのでしょう……。
とにもかくにも私はその人にすべてを打ち明けました。名前は全部変え、詳細部分はちょっと違ったものにはしましたが……。
その人はベンチの上に私と並んで座り、消え入りそうな声で語る私の話を聞いていましたが、その頬に大粒の涙が転がり落ちるのが見えました。
『そうです、そういうことなのですね』と彼は呟いていました。『愛するということは、殉教の先触れなのです……。あらゆる不実や裏切りに対し無防備なまま自分を差し出すこと……短刀を前に自分の心臓を露わにすること……』
こんな風に御自分のことを語ったその人は、トリゴー男爵でした。彼は私に最後まで言わせず、突然叫びました。
『もうよろしい! 私に着いておいでなさい!』 と。
一台の辻馬車が通りかかりました。彼は私たちをそれに乗り込ませ、一時間後に私たちは暖かい部屋の中にいました。有難い暖炉のそばで、たっぷりの食べ物を乗せたテーブルがありました。翌日から私たちは快適なアパルトマンに住み着くことになったのです。
ああ、何故男爵は最後まで親切な心を持っていてくださらなかったのか?
あなたは救われたのよ、ウィルキー……、でもなんという代償を払わなければならなかったことか!」
彼女は火のように顔を紅潮させたが、すぐに自制して話を続けた。
「でも男爵と私の間に意見の相違があったのです。ウィルキー、あなたのことで。私はあなたに良家の子息としての教育を受けさせたいと主張しました。が、彼はあなたには厳しい、しっかりした教育が必要だと言いました。自分の地位、運命、自分の名前に至るまで、すべてを自分の手で手に入れて行く為に必要なものだからと……。
ああ彼が言ったことの方が何倍も正しかった。その後の出来事がそのことを痛いほど証明してくれたのだけれど、私は母性愛に目が眩んでいました。その後激しい論争になり、私がもっと理性的にならない限り、もう会わないと言って私から遠ざかって行きました……。
彼はそうやって私の強情さが和らぐのを待とうとしたのだけれど、彼にはド・シャルース一族の頑固さがどのようなものか、分かっていなかったのです……。3.19

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2-XIV-12

2025-03-13 13:56:54 | 地獄の生活
 私は自分に言い聞かせました。自分は生きていく、働いて、ウィルキー、あなたを育てるのだ、と。裁縫のような女がする仕事の全般において、私はとても上手だったのです。楽器の演奏も得意だったので、あなたと私が生きていくのに最低限必要なお金、日に四、五フランはたやすく稼げるだろう、と思っていました。でもすぐに、自分が馬鹿な幻想を抱いていたことに気づいたのです。
 音楽のレッスンをするには生徒を探さねばなりません。どこで見つけることができるか? 私には伝手もないし、あなたの父親が飽くことなき執念で私たちを探し回っていることは間違いないので、通りに出て自分の姿を人目に曝すことさえ怖くて体が震えるというのに。
 それで私はお針子の仕事へと方針を変え、おずおずと何軒かのお店を訪ねました。ああ、一軒ずつ店を回って仕事が貰えないかと尋ね歩くのがどれほど辛いことか、この経験をしたことのない人には知り得ないことです……。施しを求めて歩くのと殆ど変わらない屈辱。人々は鼻でせせら笑い、返事もしてくれないか、してくれても 『景気が悪いんでねぇ』 とか、『今のところ手は足りてるから』という言葉が返ってくるばかりでした。私に経験のないことや、いかにも不器用なやり方が、こんな風に断られる理由だったのでしょうが、それ以外にも私の身なりという問題がありました。私はまだ金持ち女性の服装をしていたのです。どんな素性の人間と見られていたことやら……。
 でも、あなたの存在が、ウィルキー、それが私の支えになり、私は挫けませんでした。そのうち私はモスリンの帯に刺繍をしたり、タピストリーの縁かがりをする仕事を得るようになりました。報いの少ない仕事……。というのは、綺麗な仕上がりより速さが優先される手仕事というものに私は慣れていなかったからです。夜明けとともに起き、夜が更けるまで働いても、得られるのは二十スー(20スー=1フラン)あるかなきか、でした。
 しかし、このちっぽけで取るに足りない賃金では間に合う筈もなく、すぐに冬と寒さがやって来ました。ある朝、私は最後の五フラン金貨を崩しました。それで一週間持つ筈でした。それから、絶対必要な物以外は一つずつ手放して行ったのです。最後に残ったのは継ぎ接ぎだらけのドレスとペチコート一枚だけ……。
 そしてついに何もなくなりました。本当に何も……。ついにある日の夕方、私たちが住んでいたみすぼらしい家の家主が、家賃を払えなくなった私たちを外に追い出したのです。
これがとどめの一撃でした。私はよろよろと壁に寄りかかりながら歩いて行きました。あなたを腕に抱きかかえる力が残っていなかったのです。細かい雨が降っていて、骨の髄まで凍えました。あなたは泣いていました……。
その夜一晩中、それから次の日一日中、どこへ行く当てもなく、希望もなく、私たちは彷徨っていました。もう後は死ぬか、あなたの父親のもとに戻るか、しか道はありませんでした。私は死ぬことを選びました……。
夕方になり、本能が私をセーヌ川の方に引き寄せていったのです。疲れと空腹で精も根も尽き果てていました。私はポン・ヌフのベンチの上に座りました。あなたを膝の上に乗せて。川の水が渦を巻きながら流れて行くのを眺めていると、黒い水面が私にこっちへおいでと誘っているようでした……。自分一人だったら躊躇などしなかったでしょう。でも、あなたがいたので、私は迷いました……」3.13
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2-XIV-11

2025-03-08 10:32:16 | 地獄の生活
私が自分の権利を行使しない決心をしたと彼に伝えた時、彼は理解が出来ない様子でした。あれほど屈従させられてきた奴隷が反逆するなどとは、彼には考えられないことだったのです。でも私の決心が動かないと知ったとき、彼は怒りに悶絶するのではないかと思うほどでした。
 彼の生涯の夢だった莫大な財産が、私の一言で手の届かないものになってしまう、それなのに私にその一言を言わせることが彼には出来ない、それが彼の憤怒に火をつけたのです。
 それからというもの彼と私の間の争いは、彼の持ち金が少なくなっていくほど凄惨さを帯びて行きました。でも彼がいくら私を痛めつけようが無駄でした。私は殴られ、命を脅かされるような目に遭い、血まみれで意識を失った状態で髪を掴んで引きずり回された……。でも、自分が復讐を果たしているという思い、私と同じ苦しみを彼にも与えているのだという思いが私の勇気を百倍にし、肉体に与えられる苦痛を感じなくさせていました。
 彼の方が先に音を上げたことでしょう。でもあるとき、悪魔の考えが彼に閃いたのです。
 妻である私に言うことを聞かせることはできなくとも、母親としての私になら話は別であろう、と。そして自分の怒りの矛先をウィルキー、あなたに向ける、と脅してきたのです。
彼はどんなことでもしてのける男だということが分かっていたので、あなたを救うため、私は気が弱まった振りをしました。そして考える時間を二十四時間くれ、と言いました。彼は承諾しました。
でも次の日の朝、私は家を出ました。もう二度と彼には会わない、と決心して、あなたを腕に抱きかかえ、逃げたのです」
 ウィルキー氏の顔は最初蒼ざめていたのが、次第に硬直した形相に変わっていった。何か冷やりとしたものが彼の痩せた背筋を走った。これは母親の苦しみへの同情でも、父親の卑劣な行為を恥ずかしく思う気持ちでもなく、この恐ろしい男がド・シャルースの莫大な財産という獲物を奪いにやって来る図が今まで以上に鮮明に脳裏に浮かび、彼を怯え上がらせたからだった。ド・コラルト氏やド・ヴァロルセイ侯爵の助けを借りたとしても、この男を追い払うことなど出来るものであろうか?
 質したい疑問が山のように頭に浮かび、口から出かかった。具体的な事実を知りたくて堪らなかったからである。しかし、マダム・ダルジュレは急いで話の先を続けていた。まるで早くしないと話が終わる前に彼女の力が先に尽きてしまうのではないか、と怖れているかのように。
 「そんなわけで、私はあなたと二人きりになったのよ、ウィルキー、所持金と言えばほんの百フランほど、このパリという巨大な街のただ中で……。
 最初にすべきことは私たち二人の隠れ場を見つけることでした。私はフォブール・サンマルタン通りに小さくてみすぼらしい部屋を見つけました。通気は悪く、殆ど日も差さないような部屋で、一カ月分十七フランを前金で支払わされたけれど、ついに得た避難場所でした!3.8
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2-XIV-10

2025-03-04 11:03:01 | 地獄の生活
この瞬間からはっきりと、彼は大きく動揺し、命の危険に四六時中脅かされている男の苦しみを見せるようになりました。
それからほどなくして、彼は私に言いました。
『こうしてはいられない!明日トランクの準備ができたらすぐ、俺たちは南へ出発する……もうゴルドンという名前は名乗らない……グラントという名前で旅をするんだ』
私は問いただしたりしませんでした。残酷な暴君のような彼のやり方に慣らされていたので、何も聞かずに彼に従うことが当たり前のことになっていたのです。鞭の恐怖に怯える奴隷のように……。
 しかしこの長い旅の間に、この逃避行の理由と何故名前を替えねばならなかったか、を彼の口から聞くことになったのです。
 『これは呪いだ』と彼は言いました。『お前の兄、あんな奴くたばってしまうがいい! そいつが俺を何としても探し出せ、と言っているらしい。俺を殺すか、裁判に掛けさせるか、どちらか知らないが、それがあいつの望みらしい。俺があいつを殺そうとした、と主張している……』
 奇妙なことでした。アルチュール・ゴルドンは豪胆さの塊みたいな男だと私は思っていました。どんな危険にも真正面から立ち向かって行くのを私は見ていたのに、その男が私の兄を死ぬほど怖れている……訳が分かりませんでした。
 おそらく彼は裁きに掛けられることを怖れていたのでしょう。彼が決闘と呼んでいたものが実際は何であったか、よく分かっていたのです。そしてこの怖れこそが、足手まといになるのは分かっていながら私を道連れにした理由だったのでしょう。もし私をあそこに兄の死体の傍に残しておいたら、私はありのままを話したでしょうし、そうなれば私は自分ではそうと知らぬまま彼に有罪宣告することになるので……。
 ウィルキー、私があなたを生んだのはリッチモンドでした。その当時私はあなたの父親には一カ月近く会っていませんでした。彼は裕福な農園主たちと一緒に、夜は賭け事と酒宴、昼は狩猟に明け暮れていました。でも不幸なことに、こんな調子では五万ドルなど長くは持ちませんでした。彼がいかにカードゲームでに巧みに損失を補ったとしても、ある朝私のもとに一文無しの状態で戻ってきました……。
 二週間後、彼は家具類をすべて売り払い、借りられる限りのお金を借りて、私たちは再びフランス行きの船に乗ったのです。
 何故そんな決心をしたか、私がその理由を知ったのはパリに着いてからでした。彼は私の父と母の死を知ったのです。それで私に両親の遺産を要求せよ、と命じました。彼自身は、私の兄の手前、表に現れることは避けたいと……。
 やっと私の復讐のときを知らせる鐘が鳴ったのです。私は固く心を決めていました。私の人生を破滅させたこの卑劣な男に、親の遺産を渡してなるものか、と。そもそもこの男のおぞましい誘惑の理由だったその遺産を。
 どんなに恐ろしい拷問を受けようとその苦しみに最後まで耐え、ド・シャルースの財産をびた一文も彼に与えまい、と心に誓ったのです。
 そして私はその誓いを守りました。3.4
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2-XIV-9

2025-02-28 10:34:53 | 地獄の生活
『俺一人だけでも、何とかやっていくのにどれだけ苦労したか分からないのに』と彼は呻くように言いました。『今は一体どうすりゃいいんだ! 一文無しの女というお荷物を抱えて!何という馬鹿げた羽目に陥ったことか!……だが俺には他にどうしようもなかった……こうなるしかなかったんだ!』
 どうして他のやり方が出来なかったのでしょう? 私は何度も何度もその問いを自分に投げかけていたけれど、答えは分かりませんでした。そのうち彼自ら私に明かすときが来るのだろう、と考えていました。
 でも、彼が心配していた貧困に喘ぐ暗い未来は現実のものとはなりませんでした。思いがけない幸運がニューヨークで彼を待っていたのです。彼の親戚の一人が亡くなり、彼に遺産を遺したのです。五万ドル---つまり二十五万フラン、ひと財産です。
 これで彼の恥知らずな泣き言を聞かずに済むようになるであろう、と私は期待しました。確かに泣き言はなくなったけれど、この遺産が入ったことで、今度はこの上なく横柄な非難が始まったのです。
 『運命とは皮肉なものだ』と彼は繰り返し言い続けました。『この金があれば、十万ドルの持参金を持つ娘を見つけることなど簡単に出来たろうに。そしたら結局俺は金持ちになれた筈だ!』
 その後、当然私は捨てられるだろうと思っていました。ところがそうではなかった。到着してすぐ、その月に彼は私と結婚しました。あの国では結婚するのも簡単だったのです。一度口にした約束は守るという最低の誠実さは持っていたのだ、と私は思いました。ところが、そんなことでは全くなかったのです!彼にとって結婚は単なる計算でしかありませんでした。他のことと同じように。
 私たちはニューヨークに留まっていましたが、ある夜、帰ってきたときの彼の顔は真っ青で、すっかり動転していました。その手にはフランスの新聞が握られていました。
 『さぁこれを読んでみろ』 と彼は私にそれを投げてよこしました。
そこには私の兄が命を落としたのではないことが書かれてありました。彼は回復の途上にあり、全快することは確実であると……。
 私は床に頽れ、跪いて涙にくれながら神に感謝しました。私を苦しめていた重い悔恨の鎖から解放されたことを……。
 『ああ、そうだな!』と彼は叫びました。『せいぜい喜ぶがいいだろう……だが、これで俺たちはにっちもさっちも行かなくなってしまった!』2.28
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