エミール・ガボリオ ライブラリ

名探偵ルコックを生んだ19世紀フランスの作家ガボリオの(主に)未邦訳作品をフランス語から翻訳。

1-XIX-18

2022-04-17 13:26:48 | 地獄の生活

彼はすぐさま歩道に飛び降り、フォルチュナ氏を手助けして馬車の中に座らせ、その後自分も乗り込んだ。

「ラ・ブルス広場二十七番地へ!」と御者に一声掛けると、馬車は走り出した。

あんなにも喜びに満ち自信満々だったフォルチュナ氏がかくも絶望に打ちひしがれている様子を見るのは実に痛ましい限りであった。

 「ああ何もかも終わりだ……」と彼は呻いた。「金を奪われ、身ぐるみ剥がれ、破滅だ……確実な案件だったのに……不幸は俺だけにやって来る……誰か他の奴に出し抜かれた……他の奴がお宝をそっくり手にする……ああ、そいつが誰か分かっておれば、くそ、分かってさえおれば!」

「ち、ちょっと待ってくださいよ、ボス」とシュパンが遮った。「あっしが知ってます、そいつを!」

フォルチュナ氏は身体をびくっと震わせた。

「そんな馬鹿な!」

「いや、そうなんすよ、ボス。性質の悪い男で、ド・コラルト子爵と呼ばせている野郎です……」

フォルチュナ氏の口から洩れたのは叫び声というよりは咆哮に近かった。彼ほどの事情通であれば、一条の光ですべてを見通すことが出来るのだ。

「そうか、そういうことだったのか、分かったぞ!……そうだ、お前の言うとおりだ、ヴィクトール。あの男、コラルトに間違いない。ヴァロルセイに悪い考えを吹き込んだ張本人……ヴァロルセイの命を受け、卑劣な策略を使ってマルグリット嬢の恋人に濡れ衣を着せた下劣漢……あのゲームが行われたのはマダム・ダルジュレの館だった……してみるとコラルトはあの男を知っていたんだ、彼の秘密を知り……俺の先回りをしたんだ」

彼はしばらく瞑想していたが、さっきとは打って変わった調子で言った。

「私がこの目でシャルースの富を見ることは決してないであろう。私の四万フランは炎に包まれている。だが、見ておれ!燃え尽きる前に、もう一仕事させてみせる! ……ああ、コラルトとヴァロルセイが結託して私を破滅させようというのだな。だが待て!そういうことであれば、私はマルグリット嬢の側に回ろう。それから将来をふいにされたあの気の毒な男の……。ああ彼らはまだ私を知らぬ、フォルチュナを!……今や私は無実の彼らの側に立つのだから、あの悪党どもが彼らを打ち負かさないようにしなければならぬ。悪党どもに見破られないようにせねばならぬ。私はこれからは善をなすのだ、そういうめぐり合わせになったからには。しかも報酬は求めぬ!」

シュパンはうっとりとして聞いていた。彼の復讐がこれから始まろうとしているのだ。

「ボス、実はですね」と彼は言った。「俺、コラルトに関して面白いことを知ってるんです。まず、あいつは結婚してます。妻はどっかでタバコ屋をやっている筈です。アニエール通りの近くで。突き止めますよ、見ててください……」

馬車が突然停まったので、彼はここで言葉を切った。ラ・ブルス広場に着いたのだ。フォルチュナ氏はシュパンに馬車代を払うよう命じ、自分は階段を二段飛ばしで駆け上がっていった。早く作戦を練らんとして急いでいたのだ。

彼の留守中に伝令が一通の手紙を持ってきたとのことで、ドードラン夫人が彼にその手紙を手渡した。彼は封を切り、読んだ。

『私は故ド・シャルース伯爵の庇護を受けていた者です……あなた様にお会いしてお話したいことがあります……明後日、火曜日、三時から四時の間に伺いますので、その間御在宅下さるようお願いいたします。取り急ぎ、マルグリット』4.17

 

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1-XIX-17

2022-04-15 11:46:17 | 地獄の生活

もし天井が崩れてフォルチュナ氏の頭の上に降りかかってきたとしても、これほど悲惨な状態に彼を陥れることはなかったであろう。彼は口をぽかんと開け、目には激しい狼狽の色が浮かび、茫然自失の態であまりにぺしゃんこになっていたので、ウィルキー氏はどっと笑いだした。それでもフォオルチュナ氏は必死に態勢を立て直そうとした。しかし溺れる人間と同じで、無闇に水を飲んで流されるばかりだった……。

「い、いや、私に説明させて下さい」と彼はもごもごと言った。「ど、どうか……」

 「ああ、もう無駄ですよ……僕は自分の権利を知ってます。いいですか、もう既に口頭での交渉は終えて、明日か明後日、合意書に署名することになっているんです……」 

 「誰との合意書ですか?」

 「ああ、それは、個人的な事柄なんでね」

 彼はココアを飲み終え、コップに冷水を注ぐと、それを飲み、口を拭ってテーブルから立ち上がった。

 「あなたをドアまでお送りしませんけど、御勘弁願います……さっきも言いましたが、ヴァンセンヌで人を待たせているので。僕の馬、『ナンテールの火消』って言うんですが、それに千ルイ賭けてるんで。友だちはその十倍も賭けてますがね……出走時に僕がいなかったら、どんな騒ぎになることやら……」

そう言うと、もうフォルチュナ氏などそこに居ないかのように、大声で呼び立てた。

「トビー! おい、間抜けのろくでなし! どこに行っちまったんだ! 馬車の用意は出来てんだろうな? ステッキを早く! それと手袋、競技用双眼鏡! シャンパンも忘れるなよ……アリュメット(オードブル用のパイ)も! ちゃんと新品の制服を着るんだぞ……ぐずぐずするなよ、この馬鹿、遅刻しちまうじゃないか……」

フォルチュナ氏はこの場を後にした……。

呆けたような茫然自失の後には凄まじい怒りが続き、今まで経験したことのないような勢いで頭に血が上った。目の前に赤い雲が垂れ込め、耳鳴りがしていた……。脈を打つ度にハンマーで殴られたように頭がぐらぐらした。その程度があまりに酷かったので彼は恐くなった。

「これは脳卒中を起こす前触れだろうか」と彼は思った。そして周囲の物がすべてグルグル回り出し、床が足の下で崩れそうに感じたので、彼は階段の真ん中に座り込み、この危険な眩暈が通り過ぎるのを待った。意志の力で怒りを抑制し、古今の知恵の助けを借りて精神のバランスを取ろうと努力した。再び階段を降り始めようと決心するまでにたっぷり五分は掛かった。ついに通りに出たとき彼の表情は引き攣り面変わりしていたので、シュパンはそれを見て震えあがった。

「なんてぇこった!」彼は呟いた。「ボスは酷い目に遭わされたんだ」4.15

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1-XIX-16

2022-04-14 09:22:40 | 地獄の生活

壁には額絵は一枚もなく、あるのは立派な馬の写真ばかりで、それらは所有者の紳士が競馬で第八位に入ったことを物語るものであった。それらを見たフォルチュナ氏の顔に微笑が浮かんだ。

「ははぁ、君は」と彼は思っていた。「いわゆる贅沢趣味の御仁の一人のようだな。私の手に掛かればいちころだ……」

少年の召使いが戻って来て言った。

「主人は食堂にいます。どうぞこちらへ……」

フォルチュナ氏はそちらへ向かった。するとたちまちウィルキー氏と顔をつき合わせる格好になった。相手は朝食のココアを飲んでいた。ウィルキー氏は起床していたばかりでなく、頭のてっぺんから足のつま先まできちんと服装を整えていた。それはもう見事ないでたちで、どこかの大家の馬丁と見紛うほどだった。

ほんの数時間眠っただけで彼はすっかり元気になっていた。彼の性格のもっとも顕著な側面であり、懐が豊かな印である傲慢さも戻ってきていた。見知らぬ男が入ってきたのを見て、彼は目を細めながら相手を眺めまわし、最低の礼儀だけは守って尋ねた。

 「どんな御用件でしょうか?」

 「失礼ながら、あなた様の財産に関することでお話しがありまして……」

 「ああ、それは、生憎ですが、タイミングが悪いですな……ヴァンセンヌの競馬場で人を待たせてるんですよ。僕は馬を一頭持っていて、それが出走するんで……というわけでお分りでしょう?」

 フォルチュナ氏は内心ウィルキー氏の自信過剰ぶりを面白がっていた。

 「この若造」と彼は思っていた。「俺がなんでここへ来たかを知ったら、これほど急ぎはしないだろうに」 声に出しては、こう言った。

 「用件といいますのは、ほんの一分で済みますので……」

 「なら、言ってください!」

 フォルチュナ氏はまず半開きになっているドアを閉めに行った。あの召使いの少年がある目的を持ってドアをそうしておいたのだ。それからウィルキー氏のすぐそばまで戻って来ると、ひどく秘密めかした口調で言い始めた。

「ある情報通の男がある日突然やってきてこう言ったら、あなたはどうなさいますか。あなたには巨万の富を所有する権利があります、百万、いや二百万かもしれな……」

フォルチュナ氏は自分の言葉の効果を計算していた。彼には確信があった。ウィルキー氏が自分の前に跪くと。だが全然違った。目の前の青年は眉一つ動かさず、この上なく落ち着き払い、口の中に食べ物を含んだまま言った。

「皆まで言わなくていいですよ! あなたは僕にある秘密を売りに来たんでしょ。相続人不在の遺産があって、それが実は僕のものだっていう。残念! あなたは最初の人間じゃなかった」

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1-XIX-15

2022-04-13 09:55:30 | 地獄の生活

彼は満足のあまり、思わず次のような思い上がった独り言を口にした。

 「そうとも、成功しない筈があるか? これほど簡単でかつ素晴らしい結果をもたらすものが他にあるかってんだ……俺は好きなだけ搾り取ることができる。十万、二十万、いや三十万フランも可能だ! ああド・シャルース伯爵はよくぞ死んでくれた……こうなりゃヴァロルセイも許してやろうじゃないか……俺の四万フランはくれてやる……マルグリット嬢と結婚でも何でもするがいい、子宝に恵まれることを祈るよ……マダム・ダルジュレに幸いあれ、だ!」

 彼は自分の先行きが上々だとすっかり思い込んだので、正午になるとシュパンと共に辻馬車に乗り込み、ウィルキー氏に知らせなければならぬ、と宣言して彼の家へ向かった。エルダー通りに到着すると、彼は今一度シュパンに馬車の中で待つようにと命じ、家に入ると尋ねた。

 「ウィルキーさんを訪ねてきたのですが」

「三階ですよ」と女管理人は答えた。「左側のドアです」

フォルチュナ氏はゆっくりと階段を上った。普段の自分を取り戻し、冷静沈着な態度を取ることが絶対に必要だと感じていたので、一時的に表情を取り繕ってからようやく呼び鈴を鳴らした。少年の召使いが現れた。ウィルキー氏の哀れな奴隷である彼はふんだんに主人から盗みを働くことで仕返しをしている少年であったが、主人は留守である旨、ぺらぺらとまくし立て始めた。

が、フォルチュナ氏はこういう場合の扱いは手慣れていた。彼は言葉巧みにこの少年を攪乱し、訳が分からなくなった彼はフォルチュナ氏を小さな客間に入れてしまった。

「それでは掛けてお待ちください。主人に知らせて参ります」と彼は言った。

「どうぞ」とフォルチュナ氏は答えた。

しかし座ることはせず、自分のいる部屋と半開きになっているドアの向こうの隣の部屋を観察し始めた。住まいを見ればそこに住む人の性格が分かる、貝殻を見ればその中に住む生き物の形状が分かるように、いうのが彼の持論であった。

ウィルキー氏は豊かな暮らしをしていた。が、そこにふんだんにある装飾品はこれ見よがしで、趣味を疑うようなものばかりであった。本はほんの少ししかなかった。がその代わり、あらゆる種類の鞭、乗馬用鞭、拍車、銃、猟の獲物袋、ベルトにつける薬弾盒、等、スポーツ愛好家ならばなしでは済まされぬ道具が所狭しと並んでいた。4.13

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1-XIX-14

2022-04-11 08:37:14 | 地獄の生活

 彼が急いでいたには理由がある。今日は日曜だったからで、フォルチュナ氏は殆ど毎日曜田舎に出かける習慣があり、彼に会えないかもしれないと怖れたからだ。ラ・ブルス広場までずっと走りながら、シュパンは頭の中で話すべき内容を考えていた。そして『真実をすべて話すことは必ずしも得策ではない』という格言の意味をよくよく吟味した。あのレストランでの場面のことを報告すべきだろうか? コラルトの名前を出して、ウィルキー氏には何も教える必要はないのだということを言うべきか? 熟考の末、やめておくことにした。もし言えば、フォルチュナ氏はこの件から手を引く決心をするかもしれない。彼の不利益を自分自身で発見させ、後ですべてを明かした方が良かろう。そうすることで彼の怒りを利用して復讐の機会が得られるのではないか……。

好都合にもこの日曜、フォルチュナ氏は田舎に行かないと決めていた。彼はのんびりと朝寝坊をした後で、シュパンが着いたときにはまだ部屋着を着ていた。シュパンの顔を見ると彼は喜びの声を上げた。こんなに早く姿を見せたということは吉報を持ってきたに違いないと思ったからだ。

 「うまく行ったんだな?」と彼は叫んだ。

 「はい」

 「ダルジュレ夫人の息子を見つけたか?」

 「ええ、捕まえましたとも!」

 「そうかそうか、お前は目端の利く若者だと思っていたよ。それじゃ、早速聞こうか……ああそうだ、こうした方がいいな。ちょっと待ってくれ!」

 彼が呼び鈴を鳴らすと、家政婦のドードラン夫人が急いでやって来た。

 「ナイフとフォークをもう一組持ってきてくれないか。シュパン君が私と一緒に朝食を取るのでね……彼の分も頼む。構わないね、ヴィクトール? もう十時だから私はお腹がすいている……白ワインを飲みながらの方が落ち着いて話せる」

 これは破格のもてなしだった。そのことでシュパンは自分のした仕事がどれほど評価されているかを知ることができた。だからと言って舞い上がりはしなかったが、来る前に食べてこなければよかった、と後悔した。

 フォルチュナ氏の方では、このもてなしを後悔はしなかった。テーブルに着き、自分の空腹も忘れてシュパンの報告に聞き入っていた。

 「よくやった!」と彼は何度も叫んでは話を遮った。「でかしたぞ! お前ほど気の利くやつはいない! 私がやったとしても、そこまでは出来まいよ! お前には十分に礼をする、この件が上首尾に終わったらな」4.11

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