エミール・ガボリオ ライブラリ

名探偵ルコックを生んだ19世紀フランスの作家ガボリオの(主に)未邦訳作品をフランス語から翻訳。

1-XXI-8

2022-06-26 08:52:36 | 地獄の生活

「まぁ、そうですわ!」と彼女は叫んだ。「私って何て馬鹿だったんでしょう! そんなこと、考え付きませんでした。あぁ、なんという悪辣な女でしょう! それなのに問いただして白状させることも出来ないなんて!真実を突き止めた後でも、以前と同じように彼女に接しなければならないなんて、なんと呪われた状況でしょう!」

治安判事は自分の任務から気を逸らされるようなことはなかった。

「ド・フォンデージ夫人のことに話を戻しましょう。そのやり取りの内容をまとめてみると、こういうことですかな。夫人は貴女が世間に出て行くのを極端に恐れている。それは愛情のためか? いや、そうではない。では何故か? それを探らねばなりません。次に、貴女が彼女の家に行くか、あるいは修道院に入るか、どちらでも良いと考えているようだ」

「どちらかというと修道院に入れたがっているようです……」

「ということですか! ではそこから得られる結論は? フォンデージ夫妻は何がなんでも貴女の身柄を抑えて息子と結婚させようというのではなさそうだ。ということは、彼らには確信があるということですな。消えた大金を盗んだのは貴女ではない、という揺るがぬ確信が……。では貴女に聞きますが、その確信はどこから来たものだと思いますか? 彼らがその金の在処を知っているか、あるいは……」

「ああ、判事様!お金を盗んだのはあの人たちだということですわ!」

治安判事は黙っていた。指輪の宝石を内側に回した---ただでは済まない気配だ、と彼の書記官なら言うところであろう---。彼は表情を外に表さない精神力の持ち主であったが、内心激しい感情が渦巻いていることは誰の目にも明らかであった。

「さて、そうですね、お嬢さん」と彼は言った。「そう、私もそう確信していますよ。ド・フォンデージ夫妻は貴女がド・シャルース氏の書き物机の中に見た何百万フランかを手中にした、と。その金を私たちは二度と目にすることはないでしょう。彼らがいかなる悪辣さと驚くべき業を用いて、それをやりおおせたものか? それは私には分かりません。確かなことは、彼らがそれを手にしているということです。さもなくば、論理は論理でなくなる」

彼はしばらく考え込んでいた。深く寄せられた眉が彼の思考の深さを物語っていた。それから彼はゆっくりと口を開いた。

「貴女に私の考えをすべて明かしているということは、お嬢さん、貴女は殆ど子供と言っていいほどの若い娘さんですが、貴女には私の敬意と信頼の証をさしあげているということです。これまでそれに値すると私が思った人間はほんの僅かでしたが。言いたいことはつまり、私が間違っていることもあり得るということ、そして司法官も三度確かめた後、確証を得ない限り、何人にも有罪宣告は出来ないということです。私がたった今貴女に言ったことを、マルグリットさん、貴女は忘れなければなりません」6.26

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1-XXI-7

2022-06-24 08:50:46 | 地獄の生活

彼はゆっくりと部屋に入ってきた。いつものように温厚な笑みを浮かべていたが、彼の鋭い目はじっとド・フォンデージ夫人に注がれていた。彼は挨拶をし、礼儀正しい言葉を口にした後、マルグリット嬢に向かって言った。

「お嬢さん、貴女と今すぐお話しせねばなりません。ですが、十五分ほどで済みます。その後こちらの奥様のもとに戻られると仰ればよろしいでしょう」

マルグリット嬢は判事の後に従い、故ド・シャルース氏の書斎に入った。ドアが閉められると老判事が言った。

「貴女のことを随分考えていましたよ、そう、たっぷりと。で、貴女にいくつかの点を説明せねばなりません。しかしその前に聞かせてください。わたしが帰ってから何がありました?」

「ああ、判事様、とても多くのことが起こりました」

それから彼女は簡潔にではあるが非常な正確さで、この二十四時間に次から次へと起こったこと、取るに足りぬ、それでいて重要な意味を持つように思われる出来事を話し始めた。ユルム通りまで行ったが無駄に終わったこと、マダム・レオンの不審な外出とド・ヴァロルセイ侯爵との密談、ド・フォンデージ夫人からの手紙、そして彼女の不快な訪問と彼女が言った内容、などをすべて。彼は自分の指輪の宝石に視線を落としてじっと聞いていた。これは、困難と思われる情況に置かれたときの彼の癖であった。

「事態は深刻です」と彼は断じた。「少しずつ光が当てられてきてはいる……。おそらく貴女の言うとおりでしょう。フェライユール氏は無実の罪を着せられている可能性がある。しかし、それなら何故逃亡するのです? 何故外国へ?」

「ああ、判事様! パスカルが逃亡したのは見せかけに過ぎませんわ。彼はパリにいます。どこかに身を隠しているんです。私にははっきりそう感じられるのです。それに、彼を探し出してくれる人を私は知っています。ただ一つのことだけが不可解なのです。彼から何の知らせもないということが……。私に一言もなく、彼が生きているという印さえも残してくれないなんて……」

治安判事は、ある身振りで彼女を遮った。

「それは驚くべきことではありませんね」と彼は言った。「貴女付きの家政婦がド・ヴァロルセイ侯爵のスパイである以上、彼女が手紙を途中で奪い、握り潰してしまったことがないと言えますか?」

マルグリット嬢は青くなり、黒い瞳がきらりと光った。6.24

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1-XXI-6

2022-06-22 09:35:03 | 地獄の生活

マルグリット嬢は頭を垂れたまま何も言わなかった。『将軍夫人』の本心をさぐるには、相手に大いに喋らせておくのが唯一の方法であろうと考えたのだ。

沈黙はド・フォンデージ夫人を不安がらせたようであった。彼女は再び口を開いた。

「人生にはいろんな困難や危険が付き物ですよ。そんなものに一人で立ち向かうなんてこと考えられて? ああ、私にはそんなこと考えられない! そんなこと、狂気の沙汰だわ。いいこと、貴女みたいに若くて、綺麗で魅力的で、素晴らしく才能のある娘さんが、一人で自立して生きていくなんてこと不可能よ。清く正しく生き抜いて行くだけの強さが貴女にあるかしら? 世の中は貴女の高潔さを認めてはくれないものよ。たった一人で生きている女の子の身持ちが良いとは誰も思ってくれないわ。そんなの偏見だ、と貴女は言うでしょうけれど……そういうものなのよ……勇ましい考えを持つ娘は堕落した娘だというのは、やっぱり当たっているのよ……」

 『将軍夫人』の熱弁の狙いは明らかだった。彼女が何より恐れているのはマルグリット嬢が自分の自由を行使することだった。

「ではどうすればよいと仰るのですか?」とマルグリット嬢は聞いた。

「今言ったではありませんか。修道院というものがあるのです。どうしてそこに行かないのです?」

「私は現世を生きたいと思います……」

「それならば、どこか尊敬すべき家の門を叩くのです」

「誰かの負担になって生きていくなんて嫌です」

言いたいことは明白なのに、ド・フォンデージ夫人はこれに対し異を唱えなかったし、自分の家に来るようにとも言わなかった。彼女はあまりにもプライドが高かったのである。それに、一度勧めて受け入れられなかったものを更にしつこく促すのは警戒心を抱かせることにもなろう……。それで彼女は今挙げた二つの選択肢しかないということを納得させるための理由を数え上げるだけに留めておくことにした。それらをこれからも折に触れて繰り返せばよい、と……。

「決めるのは貴女よ!……でも最後の最後まで結論を引き延ばすのはおやめなさいね!」

マルグリット嬢の心は決まっていた。ただ、それをはっきり口にする前に、この世でただ一人の彼女の味方に相談をしたかった。あの治安判事である。

昨夜、彼は「ではまた明日」と言った。封印貼付の作業がまだ終わっていないことを彼女は知っていたので、まだ彼が姿を現していないことが意外だった。今か今かと彼女は待ち続け、その間にやってきた儀礼的な訪問の応対はうまく断り続けた。やがてついに召使が来て言った。

「治安判事様でございます」6.22

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1-XXI-5

2022-06-19 15:07:24 | 地獄の生活

彼が自分でその号令を掛けることを口にし始めたとき、ド・フォンデージ氏が現れた。それから棺覆いの紐を持つ役目の故ド・シャルース氏の友人たちが進み出、豪華な葬儀馬車が動き出した。ちょっとした混乱があったが、いよいよ葬列が進み始めた。しいんと鎮まり返った中に、舘の門がひとりでに閉まる際のギイッという音が陰気に響いた。

「さぁ行きましょう」フォンデージ夫人が呻くように言った。「すべては成し遂げられました(十字架上でキリストが最後に言ったとされる言葉)」

マルグリット嬢は言葉では答えず、悲しみに沈んだ身振りを示しただけだった。声を出すことさえ出来なかった……涙で喉が塞がっていたのだ。彼女は一人になりたくて堪らなかった。そうすれば身を切るようなこの感情に身を任せることができるのに。だが、こんなときでも慎み深さが彼女を縛り、陰気な演技を強いていた。礼を失してはならないという気づかいと将来への不安から、彼女は感情を読み取られないよう無表情でいることを自らに課し、口先だけの慰めの言葉に耐えていた。自分にとって最も危険な敵と分かっている女からの。

この『将軍夫人』の慰撫の言葉は留まるところを知らなかった。たくましく力強い胸の下に素晴らしい思い遣りの心を隠している肝っ玉おっ母の役割を演じさせれば彼女の右に出る者はいなかった。そして人生の儚さ、不安定さについて長々と講釈を垂れた後ようやく彼女は昨夜の手紙で触れていた話題へと話を持ってきた。

「結局のところ、現実的な問題に立ち返らなくてはね」と彼女は続けた。「人生には卑俗でうんざりするような現実に直面することが必要なのよ。現実は愛する人を失った悲しみにいつまでも配慮してはくれないものよ。今のところ貴女は平和な涙に暮れることに悲しい喜びを感じているかもしれないけれど、そのうち貴女の将来のことを考えなくてはいけないのよ……ド・シャルース様は相続人をお決めにならなかった。そうすると法律上、貴女はこの家にいられなくなるのよ……もはやここに留まることは出来なくなります」

「ええ、分かっています」

「それじゃ、どこへいらっしゃるの?」

「ああ、それは!」

ド・フォンデージ夫人はハンカチを目に持って行き、あたかも涙を拭うかのような仕草をした。それから出し抜けに言った。

「貴女には本当のことを言わなくてはなりません、大事なマルグリット、聞いて頂戴。貴女の取るべき道は二つしかない。ちゃんとした家庭に保護を求めるか、修道院に入るか、のどちらかよ。それ以外に救われる道はないわ」6.19

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1-XXI-4

2022-06-17 09:56:00 | 地獄の生活

マダム・レオンが予め侯爵に、ド・シャルース氏の葬列参加者の第一陣の一人として来てくれるよう頼んでいたことは明白であった。それでいま彼にド・フォンデージ夫人の存在を警告しに行ったのだ。こういったことは実に些細なことであった。しかし人生を決定することになるのは往々にしてこのような些事である。そしてマルグリット嬢にとっては、闇の中に見出す光のようなものであった。か細い手がかりではあっても、それを手繰っていけば真実に辿り着くことが可能かもしれない。今の出来事はフォンデージ夫妻とド・ヴァロルセイ侯爵の利害が対立していることを彼女に教えた。従って彼らは互いに激しく憎み合っているに違いない。辛抱強く機会を窺っていれば彼らが互いに攻撃しあうようにもって行けるかもしれない……。

それに、マダム・レオンがスパイとして仕えているのはド・ヴァロルセイ侯爵であることも分かった。ということは、侯爵はかなり前からパスカル・フェライユールの存在を知っていたことになる……。しかしマルグリット嬢には今知ったこれらの事柄から何らかの結論を引き出している時間はなかった。彼女が姿を消したことでフォンデージ夫妻がなにか怪しんでいるかもしれない。今の彼女に出来ることは騙された振りをしていること、それが上手くいくか否かに彼女の将来が掛かっている……。それで彼女は急いで戻り、もっともらしい言い訳をした。しかし彼女は嘘を吐くことの出来ない性質だったので、しどろもどろになった。もし幸運にも将軍が彼女の言葉を遮らなかったら、嘘を見破られていたかもしれなかった。

「ああいやいや、わしの方でももう行かねばならぬ」と彼は言った。「お前はマダム・フォンデージのそばに居なさい。わしには大事な務めがあるのだ。葬送の儀式を取り仕切らねばならん。人が待っておる。遅刻などというのはわしの人生で初めてのことじゃ」

将軍は大慌てで階段を降りて行った。邸の壮大な大広間では少なくとも百五十人の人間が集まり、ド・シャルース氏の棺を見送ろうと待っていたが、こんなに待たされるのは変だとざわつき始めていた。しかし好奇心を刺激する噂が退屈な待ち時間を多少和らげていたかもしれない。伯爵の死には何か謎めいたものがある、ということが口から口へと伝えられ、情報通の者たちは、相当な大金がまだ年若い娘であるマルグリット嬢によって横領されたと話していた。人々はこの大金隠しを犯罪とは考えておらず、それをやってのけた娘は現実的でしっかり者であるとし、その美貌の娘と大金を手にすることが確実と噂されているド・ヴァロルセイ侯爵という男になり代わりたいものだと言い募る者もいた。

この遅延に一番じりじりしていたのは葬儀屋の執行責任者であった。最高の礼服に身を固め、痩せた向こう脛に絹のストッキングを履き、光沢のある繻子織のコートを羽織り、シルクハットを脇に挟んだ彼は、そこら中を駆け回り、故人の家族や親族、友人など、「それでは只今より……」と葬送の行進の合図をしてくれる誰かを探していた。6.16

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