エミール・ガボリオ ライブラリ

名探偵ルコックを生んだ19世紀フランスの作家ガボリオの(主に)未邦訳作品をフランス語から翻訳。

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2020-09-23 08:19:29 | 地獄の生活

「もう八カ月もの間」侯爵は続けた。「この頭がおかしくなるような生活が続いた。八カ月、その一瞬一瞬が激しい責め苦だった。ああ、貧乏の方がずっとましだ。徒刑や名誉刑の方が!やっと目的に手が届いたと思ったら、何の気まぐれか裏切りか分からぬが、あんたは私の苦労をすべて無に帰そうとする。港に着いたというのに、そこで私を難破させようとする。駄目だ、駄目だ!神の名にかけて、そうはさせぬぞ!このゴロツキめ、その前にこっちが貴様を毒蛇のように踏みつぶしてくれる!」

彼の声音は、最後の方になるとサロンの窓ガラスを震わせるほどの声域に達し、台所にいたドードラン夫人をぎくっとさせた。

「きっと近いうちに旦那様は危害を加えられることになるわ」と彼女は思っていた。

確かに、フォルチュナ氏が血の気の多い顧客に詰め寄られたことは、これが初めてではなかった。しかし、彼は常にこのような対決を無事に切り抜けてきた。それに、彼はそう見えるほどには内心恐れおののいてはいなかった。その証拠に、彼にはまだ考え、計算する思考力が残っていた。

『四十八時間以内には伯爵の情報を掴んでいるだろう……死んだか、回復に向かっているか……だから、あさってならこの怒り猛っている男に何でも思い通りのものをやる、と約束しても危険はあるまい』と彼は考えた。そしてヴァロルセイ侯爵が息を整えるために間を置いた隙を利用して彼は言った。

「正直申して、侯爵、あなた様のお怒りが私は腑に落ちません……」

「何と申すか、この……」

「お待ちください。私を痛めつける前に、釈明をさせていただきたい……」

「釈明など要らぬ。欲しいのは五百ルイだ!」

「お願いでございますから、最後まで喋らせてください。確かに、緊急に金がお要りようなのは分かります。一日たりとも待てぬ、ということですね。しかし、今日私はそれを調達することが出来なかったのです。明日なら、とはっきりお約束も出来ません。しかし、明後日なら、十七日土曜日には必ずご用意できます……」

公爵は相手の腹の底まで見抜けると思っているかのように、じっと見つめた。

「確かだな?」と彼は尋ねた。「お互い、嘘はなしだ。もしも、金の工面が出来ぬということであれば、正直に申せ」

「侯爵閣下、お忘れなきよう願います。あなた様のご成功は私の成功でもあるわけではございませんか?それが私の忠誠の証ではございませんか……」

「では、当てにしてよいのだな?」

「もちろんでございます」

相手の目の中に疑いの色がまだ残っているのを見て、フォルチュナ氏は付け加えた。

「しかとお約束いたします」

三時の鐘が鳴り、ヴァロルセイ侯爵は帽子を取り、少し足を引き摺り気味にしながら---というのは激しい感情の爆発が気候の変化と同じ効果をもたらしていた---ドアの方に向かった。フォルチュナ氏の方は、まだ『ゴロツキ』と呼ばれたことが心にわだかまっていたので、彼を呼び止めた。

「侯爵、例の女性…なんという名前でしたか、ああ、マダム・ダルジュレでしたか……のところへいらっしゃるおつもりですか? マルグリット嬢の思われ人の喉を掻き切らせるために?」

ヴァロルセイ侯爵はムッとした。

「私を誰だと思っているのかね、二十パーセント親方?」彼は荒っぽい口調で聞き返した。「そんなことは高貴な生まれの人間が自ら手を下すような事ではないことが分かっておろう。パリでは、金さえ出せば、どんな仕事でも引き受けてくれる者たちがいるのだ……」

「それでは、その結果はどのようにして分かるのですか?」

「事が終われば二十分後に、ド・コラルト氏が私を訪ねてくることになっている。もう既に来ているかもしれん……」

この話題は言いようもないほど彼を不快にさせたらしく、彼は言い足した。

「それでは、もう寝るんだな、親愛なるアラブ君、お休み……必ず約束を守ってくれたまえ」

「失礼いたします、侯爵」

しかしドアが閉められた途端、フォルチュナ氏の顔つきが急変した。

「ああ、よくもこの俺を侮辱しやがったな」彼は低い声で呟いた。「俺から金を残らず巻き上げておきながら、俺のことをゴロツキと呼んだな。ただで済むと思うなよ、おっさん、何があろうと……」9.23

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2020-09-22 08:32:14 | 地獄の生活

彼は言いさした。ヴァロルセイ侯爵の恐ろしく鋭い視線に射すくめられ、先を続けられなかったのだ。彼は自分自身にひどく腹を立てていた。『俺は馬鹿なことを言ってる』と彼は思っていた。

「次なるもっと賢明な御忠告は」と、ヴァロルセイ侯爵は皮肉な口調で言った。「馬と馬車を売れ、アムロー通りの安宿に引っ越せ、中庭に面した屋根裏部屋に、ですかな……。それはごく自然ななりゆきですな。ド・シャルース伯爵の全幅の信頼を得るに恰好の……」

「そこまでは行かなくとも……」

「ええい、黙れ!」侯爵が激しく遮った。「おぬしは他の誰よりもよく知っておるだろう、私が贅沢を辞められぬのを……見栄を張るのを辞められぬのも、よく分かっておる筈だ。たとえ現実がそれを許さなくとも……。私はそうでなくては生きていけぬ。これまで私の人生は、賭け事、夜の遊び、競馬……それは続けねばならぬ。ニネット・サンプロンのために馬鹿な真似をさんざんしてきたが、彼女にはもうつくづくうんざりだ。だが、まだ彼女を囲っている。あれは私の旗印なのだ。窓から千フランもの札を投げ捨てて来た。今さらそれを辞めるわけに行かんのだ……だが、実際はもう出来ぬ。もし私が辞めたら、人がどう言う?『ヴァロルセイは落ち目になった』と言うだろう。そうなれば、持参金持ちの金持ち娘ともおさらばだ……。だから私は常に陽気で笑っていなければならない。それが私の役割だからな。私が浮かぬ顔をしていたら、召使たちはどう思うだろう? 私が雇っている二十人のスパイたちは?

知っているか、フォルチュナ君、私は社交界のクラブでツケで食事をさせて貰うところまで逼迫している。午前中に私の馬の飼い葉代を支払ったからだ……。そりゃ確かに、私の家には値の張る物がごろごろしている……が、それらを処分することは出来ぬ。そんなことをすればすぐにばれてしまうし、それらは言わば私の商売道具だ。旅回りの役者は食えないからと言って自分の衣装を売ったりしない……そんなことをするぐらいなら、食事を抜く。そして演じる機会が訪れれば、すきっ腹に天鵞絨やサテンの衣装を身に着け、美味しい肉や古い葡萄酒について歌い上げるのだ……。私も同じようにするという訳さ。ロベール・ダルボン、ド・ヴァロルセイ侯爵である私は……。二週間前、ヴァンセンヌの競馬で、私はドーモンに馬を繋がせ、私の四頭の馬は大通りを闊歩する際、羨望の嵐を巻き起こしたものだ……。一人の労働者がこう言うのを私は聞いた。『あんな金持ちだったら、さぞ幸福だろうな!』と。幸福、この私がか!私こそ、その男を羨ましいと思った。彼ならば、次の日も前日と同じような日が訪れる、と確信を持っている……。私は、といえば、その日ポケットに幸運にも一ルイを持っていた。前の日バカラで稼いだ金の残りだ。競馬場の騎手の検量所で、イザベルが薔薇を一輪ボタンホールに差し込んでくれた……私は彼女にその一ルイを与えた……彼女を絞め殺してやりたかった……」

彼は言葉を止めた。怒りのあまり狂ったようになり、イジドール・フォルチュナ氏につかつかと歩み寄ると、フォルチュナ氏は窓のくぼみのところまで後ずさりした。9.22

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2020-09-21 07:58:08 | 地獄の生活

しかし、ヴァロルセイ侯爵も馬鹿ではなかった。彼の持って生まれた洞察力は、日常的に金欠と格闘するようになってから、そして彼の陳腐だが実感の伴った表現を借りると、糊口をしのぐ苦労を味わうようになってから非常に研ぎ澄まされていた。フォルチュナ氏の困惑が彼の目に留まらぬ筈はなかった。これを見て彼の心にたくさんの疑いが生まれた。

「なんと!」彼は不審の色をありありと見せながら、ゆっくりと言った。「二十パーセント親方、君が私にそんな忠告をするとは! あり得ないことだ! いつから君の意見はこれほどまでの変貌を遂げたのだ?」

「私の意見?」

「ああそうだとも!我々の最初の会見のとき、こう言ったのは君ではなかったかね? 『あなたの強みは、あなたがこれまでの人生でお友達から一ルイの借金もしなかった、ということです。普通の債権者なら高い利子を取りますが、一旦支払いが終われば何も言いません。ところが友人は、彼が親切心からあなたに金を貸してやったということを世間の人が皆知るまでは満足しないものです……高利貸しから借りた方がずっとまし、というものです』とな。私はその忠告が非常に的を得たものだと思った!今でも君と同意見だ。君がこう言ったときだ。『ですから侯爵、友人からはいかなる理由があれ、金を借りないことです、あなたが結婚するまでは。そんなことをするくらいなら、食事をお抜きなさい。あなたはまだ世間では信用がある。しかしそこは地雷が仕掛けられている。ご友人が一言不用意な発言『ヴァロルセイは金に困っている』をしようものなら、地雷に火が付き、あなたは吹っ飛ばされます』とな」

実際、フォルチュナ氏の狼狽ぶりは見るも哀れなほどだった。通常なら彼は大胆さに欠けることはないのだが、いろんな事があった今夜は彼のいつもの落ち着きが揺らいでいた。他人の利害を手中に握っているときの彼はどっしりと落ち着いていたが、自分自身の利害を扱う段になるとすっかり調子が狂うのだった。利益を得られるかもしれぬ希望と、失うかもしれぬ心配が彼から明晰さを奪っていた。彼はゲームの指南役みたいなものだった。理論上では水も漏らさぬ冷徹さで、向こう見ずなプレイヤーに素晴らしい忠告を与える。が、実際に自分でゲームをやるとなると、すっかり冷静さを失い、俗に言うところのオタオタしてしまうのである。

自分がたった今大失敗をしてしまったことに気づいたフォルチュナ氏は、なんとか事態を修復せんと頭をひねったものの、良い考えが浮かばなかったので、更に混迷は深まるばかりだった。

「君はそう言ったな。そうではないか?」とヴァロルセイ侯爵は執拗に迫った。「おい、何か言うことはないのか?」

「事情が……」

「どんな?」

「つ、つまり、緊急の事態です……例外のない規則などありません……あなたがあんなに素早く、その、遣い果たしてしまわれるとは……あなたにご用立てした四万フランがあるでしょう……大金です……私があなたでしたら、もう少し慎重に、その、もう少し考えて節約したでしょう……」9.21

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2020-09-20 08:02:06 | 地獄の生活

いずれにせよ、フォルチュナ氏がおぞましい行為と呼んだものに対し、真に不快感を示したことは正当に評価すべきあろう。まず第一に、それは残虐で暴力的な行為であり、彼は穏やかな方法を好む男であった。第二に、それは侯爵のみの術策から生まれた行為であった。であるからこそ彼は侯爵を軽蔑し、自分を侯爵より優れた人間と看做したのである。このようなことは毎日のように起きており、悪党たちがお互いを非難し合うのを聞くのは、世間の人々の慰み事にさえなっている。相場で人々の財産を身ぐるみ奪う者が、大道で追いはぎを働く者をこきおろすやり方はなかなかの見ものである。またその逆も。

そうこうするうちに、意志の力を総動員して、ヴァロルセイ侯爵は普段の高飛車な態度を取り戻し、慣れた手つきで頭の禿げた部分を残っている髪の毛で隠した。やがて彼は立ち上がった。

「それはまことに結構な話だ」彼は言った。「しかし、それでもなお、私は自分の術策が上手く行ったかどうか、結果が知りたいのだ。しかるが故に、フォルチュナ君、君が渡してくれると約束した五百ルイを貰おうか。そうしたら、私は失礼する」

この催促を受けるであろうことを、フォルチュナ氏は予期していた。が、それでも彼はハッとした。

「私の意気消沈した顔をご覧になりましたね」彼は情けなさそうな微笑と共に答えた。「まさに、そのことで私は普段の自分の習慣に反し、こんなに遅くなってしまったのです。以前私の力になってくれた銀行家を当てにしていました。プロスペル・ベルトミー氏ですよ。あのアンドレ・フォヴェル氏の姪と結婚した……」

「結論を言ってくれ」

「そうですね。一万フランを用立てることは無理でした」

蒼ざめていた侯爵は、今度は真っ赤になった。

「そ、そんな、冗談だろう……」と彼は言った。

「いえ、残念ながら、本当のことです」

一分ほどの沈黙があった。その間、侯爵はこの沈黙の意味を推し量っていたが、深刻なものと見たのであろう。彼の次の言葉は殆ど威嚇に近いものであった。

「しかしその金が今日必要だということを、あんたは分かっている筈だ……どうしても必要なのだ」                                                                               

明らかにフォルチュナ氏は、その金額を差し出すよりは自分の身体から肉片を切り取られた方がましという気分であった。が、他方では、十分な情報を得るまでは、侯爵との関係を良好に保っておきたい、とも思っていた。シャルース伯爵は死に瀕している、ということではあった……が、今外から帰ってきたばかりである。その間に伯爵が持ち直している可能性もある。そうなるとヴァロルセイ侯爵は再び最優先の顧客となる。自分の懐を傷めることなく、顧客も失わないようにしたいが、あちらを立てればこちらが立たずというジレンマに、フォルチュナ氏の困惑は限りなく大きくなった。

「ああ間の悪いことでございますねえ」と彼は言った。「金が入ることを当てにしていたのですが……」

突然、彼は額を叩いた。

「しかし、そういうことであれば、侯爵、こうなさってはどうでしょう」と彼は叫んだ。「あなた様のお友達のどなたかに借りられては? シャンドース公爵か、コマラン伯爵に。それがようございましょう」9.20

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2020-09-19 09:18:50 | 地獄の生活

だが不幸なことに、こういう御大層な感情は法外に金が掛かる。ところが私は一文無しだ。それに、言っておくが、騎士道精神を映す鏡なんてものは壊れちまってる。私は聖人じゃない。人生を楽しみたいし、人生を素晴らしくするもの、安楽にしてくれるものが好きだ。女たち、賭け事、贅沢、馬……そういったものすべてを手に入れるためには、私が今そうしているように、今の時代に沿った武器で戦うのだ……。清廉の士であることは素晴らしい。しかし、どうせそうはなれないのだから、ちまちまと二十スーの金を巻き上げるケチなペテンより、十万リーブルの年利が入ってくるような悪事の方を私は好む。あの若造は目障りだ。だから抹殺する……お気の毒様だ。だが、なんでわざわざ私の邪魔をする? もしあいつを正々堂々と白日のもとにちゃんと証人を立てて、法の範囲内で片付けることができたなら……、しかしそんなことをすれば、マルグリット嬢の名誉を踏みにじることになる……。だから私は別の道を探らねばならなかったのだ。私には他に選択の余地はなかったのだ。そうではないか?溺れかけている人間は、目の前にある板切れが汚いからといって押しやったりはしない……」

彼はこれらの言葉よりもっと粗暴な身振りを一つすると、ソファに倒れ込み、顔を両手で覆った。そうでもしないと爆発してしまうかのように。彼は怒りで息が詰まっていた。しかし怒り以上に、彼が敢えて口に出さないもの、良心が胸の中で大きくうねり、正義感が最後の抵抗を見せていた。確かに彼は束縛されない男であり、世間でいう道義的な規律などは、長らく彼流の愚鈍なやり方で無視してきた。しかし、少なくとも今までは、良識ある人々が守る規範を明白に破ったことはなかった。だが、今回は……。

「あなたが犯したのはおぞましい行為です、侯爵」と冷たい口調でフォルチュナ氏が言った。

「ああ説教はよしてくれ」

「教訓は何度聞いても良いものです」

侯爵は肩をすくめ、苦々しい口調で嘲った。

「それじゃなにかね、フォルチュナ君、君は私に前貸ししてくれたあの四万フランを、どうあっても返して欲しくないと言うつもりかね? なら、簡単なことだ。ダルジュレ夫人のところへ行くんだな。コラルト氏に私からの命令の取り消しを求めればいい。そうすれば、あの男は救われる。そしてマルグリット嬢と結婚して百万長者になるのだ」

フォルチュナ氏は黙っていた。侯爵に次のようには言えなかったのだ。

「ふん。私の四万フランが帰ってこないことなんか、とうの昔に分かってますよ。マルグリット嬢には何百万もの持参金はつかない。あなたは無意味な犯罪を犯したんだ……」

しかしこの確信があったればこそ、良心を説く彼の口調が冴えわたったのだ。彼は失った金と引き換えにちょっとした美徳を持つという贅沢を自分に許したのだ。もし彼にまだ希望がたっぷり残されていたなら、今したような話し方をしたであろうか?それは大いに疑わしい。9.19

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