エミール・ガボリオ ライブラリ

名探偵ルコックを生んだ19世紀フランスの作家ガボリオの(主に)未邦訳作品をフランス語から翻訳。

江戸川乱歩のガボリオ評

2017-12-27 02:15:32 | ガボリオ評
 
江戸川乱歩は「海外探偵小説 作家と作品」早川書房(1957)の中で、他の作家と同様、ガボリオに4ページを宛て解説を書いている。以下引用。
 
……(ガボリオは)十四編の連載長篇を書いた。そのうち探偵小説と云いうるものは次の四篇であった。「書類百十三」 Le Dossier 113(1867) 「オルシヴァルの罪」 Le Crime d’Orcival(1868) 「ルコック氏」 Monsieur Lecoq (1869) 「パリの奴隷」 Les Esclaves de Paris(1969)。(以上、ヘイクラフト「娯楽としての殺人」による)
 ヘイクラフトは「ルルージュ事件」を加えて、都合五篇をあげているが、このほかに涙香が翻訳した探偵小説が二つある。「有罪無罪」Le Corde au Cou(1873)と「他人の銭」L’Argent des Antres(ママ) (1874死後の出版)である。前者は昭和五年の春陽堂探偵小説全集(藍色表紙の小型本)に私名義の訳で「首の綱」が出ている。

中略

私は少年期から青年期にかけて、涙香と丸亭素人の訳で四篇読んでいた。非常に怖くて面白かった。西洋銅版画をまねた明治初期の木版挿絵が、異様に不気味で印象的だった。しかし原作はヘイクラフトも云つているように、探偵小説的な部分よりも、家庭のスキャンダルというような人情小説的な部分が多く、ポーやドイルの短編やヴァン・ダインの長篇のように、真に論理的な興味を満足させるものではなかった。それをあれだけ読ませたのには、原文よりも涙香の一種異様の文体があずかって力があったのではないかと思う。 引用終わり

後はガボリオの生年が1832年なのか1835年が正しいのか、という超どうでもいい話が続く。

 どうやら、江戸川乱歩がガボリオを気に入っていたというのは眉唾ですな。第一、ガボリオの作品が「怖い」??? とは異なお言葉。どこをどう読んだら、そんな感想が出てくるのやら。推測できるのは、涙香の翻訳というのはフランス語の原文を英語訳したものを基に、更に潤色を加えたものだとのことなので、原作から大きく隔たっていただろうということ。昔の英語訳というのは、何せ原文の少なくとも三分の一はカットしてあり、それだけではなく自分の記述がよく流れるように原文にないことまで加筆してある。そんな英訳を基に、更にアレンジを加えれば、原作の雰囲気が全く残っていなくても不思議はない。

尚、乱歩が「私名義の訳で」と書いているとおり、実際の翻訳は別の人がして乱歩は名前を貸しただけ、というのは周知の事実。
 
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芥川のガボリオ評

2017-11-10 14:54:37 | ガボリオ評
芥川龍之介 「一人一語」文芸春秋 1925 4月号


僕は探偵小説では最も古いガボリオに最も親しみを持っている。ガボリオの名探偵ルコックはシャァロック・ホオムズやアルセエヌ・リュパンのように人間離れのしたところを持っていない。のみならずガボリオの描いた巴里は近代の探偵小説家の描いた都会---たとえばマッカレエの紐育などよりも余程風流に出来上がっている。ガボリオは僕にはポオよりも好い。勿論評判のルヴェエルよりも好い。因に言う。名探偵中ではルコックのほかにポオのデュパンも嫌いではない。が、ソオンダイクやケネデイイになると、---殊にケネデイイの莫迦さ加減は殆ど神聖に達している。あんな主人公は描こうとしても、到底人間業には描けるものではない。

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コナン・ドイルのガボリオ評

2017-11-10 14:45:02 | ガボリオ評

以下は「ファイルナンバー113:ルコックの恋」の「訳者あとがき」の一部。

「緋色の研究」の中で、ワトソンがホームズと探偵談義をする箇所がある。
「君を見ているとエドガー・アラン・ポーのデュパンを思い出すよ」と言われ、ホームズは「それは僕のことを褒めて言っているつもりなんだろうが、僕に言わせりゃデュパンなんて大した人間じゃないね。十五分も黙っていた挙句、うがった言葉で連れの思考の中に割り込んでくるなんて、これ見よがしで薄っぺらだ」とにべもない。
 「ガボリオの小説に出てくるルコックは君の思い描く探偵像に合うかい?」と尋ねられるとホームズは、「ルコックはどうしようもないドジだね。彼の良いところはただ一つ、馬力があることだけさ」とバッサリ斬り捨てる。更に、ホームズなら二十四時間でやってのけることにルコックは六カ月もかかっている、探偵とはこうあってはならない、という反面教師の見本みたいなもの、とまで言う。
 しかしその後で、語り手であるワトソンは、自分のお気に入りの名探偵二人をこのようにこきおろされて憤然とした、と述べている。コナン・ドイル自身、そうした両方の気持ちを抱いていたと想像される。
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