エミール・ガボリオ ライブラリ

名探偵ルコックを生んだ19世紀フランスの作家ガボリオの(主に)未邦訳作品をフランス語から翻訳。

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2023-12-27 10:31:20 | 地獄の生活
「ここにはしょっちゅう来るの?」
「うん、毎晩。いつもポケットに美味しい物を持ってて、ママと僕にくれるんだ」
「どうしておじさんはあの部屋にいるの? 明かりも点けないで……」
「それはね、お客さんに姿を見られちゃいけないからだって」
このような尋問を続けることは、何も知らぬままこの子を母親の告発者にしてしまうことになる。それはおぞましい行為ではなかろうか……。シュパンは自分がもう既に入ってはならない領域にまで足を踏み入れていると感じた。そこで彼はその子の顔の一番汚れていない場所にキスをし、床に降ろすと言った。
「それじゃ遊びに戻りな」
その子は残酷なまでに正確に母親の性格を暴いたのであった。母親から自分の父親のことをどう聞かされているかというと……彼はお金持ちで、いつか戻ってくるときにはたくさんのお金と綺麗な洋服を持ってきてくれる……まるっきり若い娘の思い描く夢だ。
シュパンは自分の眼力の鋭さに気を良くしても良かったろう。彼の推測はすべて当たっていたことが分かったのだから。ムションとかいう御仁については、一目で正体を見抜いた。こういう輩はよく知っていた。けちで下司な年寄、自分の暇を淫蕩のために費やすことしか考えぬ、人の貧乏を食い物にすることにかけては根気強い偽善者、惜しみなく与えるのは忠告だけ、という。
「間違いない」とシュパンは考えていた。「あいつはマダム・ポールに言い寄っているんだ……なんという恥さらし! 年寄の業突く張りめが! 少なくとも彼女に十分食べさせてやれ、ってんだ……」
彼は考え事に気を取られ、勧められた酒のグラスと葉巻のことを今まで忘れていた。そこでリキュールの方は一息に飲み干したが、葉巻の方は簡単には行かなかった。
 「おい、いい加減にしろよ」と彼はぶつぶつ呟いた。「どうしても火が点かないじゃないか!おいらが十スーのハバナを吸うことになっても、この店に買いに来ることはないな……」
彼がふんだんにマッチを使い、肺が潰れるほど強く息を吸ってその葉巻に火を点けようとしていたそのとき、奥のドアが開いてマダム・ポールが出て来た。手にはしっかり封をした手紙を持っている……。彼女はひどく取り乱しており、不安がはっきり顔に顕れていた。12.27
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2023-12-22 14:21:08 | 地獄の生活
しかし性格はおとなしそうで、人を寄せつけないような態度ではあったが、利発そうであった。金髪で顔立ちはびっくりするほどド・コラルト氏に似ていた。
シュパンは子供を膝に抱き上げ、隣室に続くドアがきちんと閉まっていることを確かめてから尋ねた。
 「名前は何ていうんだい?」
 「ポール」
 「パパのこと、知ってる?」
 「ううん」
 「ママはパパのこと何も言わないの?」
 「ああ、言うよ!」
 「どんなことを言ったの?」
 「パパはお金持ちだって、すっごくお金持ちだって!」
 「それから?」
その子は返事をしなかった。母親がそれ以外のことは何も言わないのか、夜が明けはじめる前の曙光のように、分別に先立つ本能が見知らぬ人間の前で喋ることを制止しているのか、どちらとも分からなかった。
「パパは君に会いに来たりしないの?」とシュパンは尚も尋ねた。
「ううん、全然」
「どうして?」
「ママがとても貧乏だから!」
「君はパパに会いに行きたいと思わないの?」
「わかんない……でもパパはいつかやって来て、僕たちを大きなおうちに連れていってくれるんだ……いつかきっとそうなるってママは言ってる。ママにどっさりお金と綺麗なお洋服をいっぱいくれるんだって。僕は玩具をたっくさん貰えるんだ……」
 話を現実に戻そうと、シュパンは続けて尋ねた。
 「あの年寄のおじさん、今あっちの部屋で君のママと一緒にいる人、あの人が誰か知ってる?」
 「知ってるよ! ムションのおじさん」
 「ムションのおじさんって?」
 「綺麗なお庭を持ってる人、ほら、あのリケ通りの角っこに。すごく美味しいブドウがなるんだ。僕、おじさんと一緒に食べに行くんだ……」12.22
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2-X-6

2023-12-18 10:15:23 | 地獄の生活
自分の妻が姿を現し、自分の本当の名前と過去を世間に言い触らそうものなら、自分は終りだということが分かり過ぎるほど分かっているからだ。しかし彼には金がない……。ド・コラルト子爵のようにお気楽な人生を送っている若い男は節約とか貯金をするという考えは持たないものだ。それが、絶え間ない消費欲にがんじがらめになっている彼らのような生き方に付いて回る宿命というものである。
 さて、このように言わば喉元にナイフを突きつけられた状況に追いこまれたド・コラルト氏は妻に待ってくれ、と手紙を書き、男爵夫人には懇願あるいは命令---それは彼らの関係によって決まるだろうが---の手紙を書いて要求されている金額の金を貸してくれるよう頼んだのだ。
 それにしてもシュパンには一つ腑に落ちないことがあった。
 かつてフラヴィ嬢ほど気位の高い女はいない、と聞いたことがあった。その彼女が気も狂うほどに夫を崇拝している、と。その愛情は消え失せたのか! 貧苦が彼女の心をここまで弱らせ、挫けさせてしまったので、このような恥ずべき譲歩に身を任せる気になったのか。
 もし彼女が夫の暮らしぶりを知ったのなら、彼に助けを求めるよりは、飢え死、救貧院、共同墓地の方がましだと思わなかったのは何故であろう? 一時の激情に駆られ、迷わず彼の面前まで押しかけて行き、立派な友人たちの前で彼のおぞましい過去をぶちまける、というのならまだ分かる……。彼の信用を失墜させ、破滅させ、汚辱にまみれさせることで復讐を果たす、というのであればシュパンも理解できた。しかし、こんな年若い女性が、自分がかつて愛した男の恥ずべき過去を利用し、卑劣極まりない恐喝に手を染めようとしているとは……シュパンには到底納得できなかった。
 「この計画は彼女自身が考えついたものじゃないな」とシュパンはしばし考えに耽った後、ひとりごちた。「この筋書きはあの頭の禿げた親爺が考えたものに違いない……」
いずれにせよ、すべてはまるで証明されたかのように明白だった。自分は何も見落としてはいないと自信を持ち、自分の首を賭けたっていいとさえ思った。
おまけに、彼の推測が正しいかどうか確かめる方法が一つあるではないか……。
マダム・ポールは隣室に引き上げる際、幼い息子を連れて行くのを忘れていた。その子供は埃っぽい店の床に座ったまま、騒ぐこともなく、ずうっと厚紙製の馬で遊んでいた。邪険に扱われることに馴れている様子であった。
 シュパンは彼に声を掛けた。
 「ここへおいで、おちびさん……」
 その子供は立ち上がり、恐る恐る近づいてきた。その大きな目には、この見知らぬ相手に対する驚きと警戒が溢れていた。この男の子の不潔さはぞっとするほどであり、それはそのまま母親の怠慢を激しく告発するものであった。……では彼女は子供を愛してはいないのか? 投げやりにもほどがある。この子の顔と手を最後に洗ってやってからどれぐらい時間が経っているのか? 彼の服はいたるところシミにまみれ、ボロボロになっていた。12.18
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2-X-5

2023-12-13 09:32:06 | 地獄の生活
そして彼女は老紳士の後に従って奥の部屋に入り、ドアを閉めた。
 「そういうことか、結構だね!」とシュパンは思ったが、内心ではちっとも嬉しくなかった。「これからいよいよ佳境に近づく、お楽しみが始まるってわけだ……」
 シュパンはその波乱に富んだ人生経験のためか、若さに似合わぬ洞察力を持っていたが、たとえそんなものがなくとも、マダム・ポールの十語足らずの言葉と老紳士の諺だらけのもの言いだけで、この場の状況を理解するには十分だった。彼は今や、自分が届けた手紙の中味を、自分の目で読んだのと同様にはっきり知ることができた。これでド・コラルト氏の怒りに満ちた態度の理由が呑み込めた。彼が何故急ぎの命令を下したのかも……。シュパンは最初漠然と、男爵夫人への手紙と彼の正式な妻への手紙の間にはなんとなく繋がりがあるような、そして一方は他方の結果書かれたものではないかという気がしていたが、ついにそれをはっきりと理解した。これらの状況は互いに絡み合っているに違いない、そうでなければ理屈に合わない、と彼は考えた。
夫に見棄てられたマダム・ポールは貧しさと惨めさに疲れ果ててしまった……。そしてある朝、彼女は卑怯者の夫を探すことにし、居所を突き止め、彼に手紙を書いたのだ。
 『あなたに迷惑を掛けない、と私は同意しました。しかしそれはあなたが、あなたの妻である私と、あなたの息子でもある私の息子が生きて行くのに必要な生活費を送ってくれれば、の話です。この御時勢ですから、お金はたくさん必要です。もしあなたが拒否すれば、私はあなたの前に姿を現します。そうすれば私をあなたを失うことになるでしょう。世に悪い評判が立ったとしても、大して私のためにはならないでしょう。でも少なくとも、あなたが贅の限りを尽くした生活をしているのに、私は餓死寸前であるという残酷な事実を知る苦しみにはこれ以上耐えることはできません……』
 そうだ、彼女はこのような内容の手紙を書き送ったに違いない。もちろん文面自体はこんな風ではないだろうが、要するにそういう趣旨の内容であったことは確実だ。そしてコラルトの方は、手紙を受け取って、今彼女がそう言ったように、恐くなったに違いない。12.14
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2-X-4

2023-12-08 10:24:48 | 地獄の生活
現れたのは、五十ぐらいの腹の出た、頭が扁平で禿げた男だった。愚鈍そうで、だらしない、それでいて腹黒そうな男で、帽子を手におずおずと出て来た。
 「そうだろう、そうだろう」と彼は猫なで声で言った。「私が言ったとおりだろう。果報は寝て待てって」
 彼女は既に封を破っていた。一息に読み終えると、途端に嬉しそうに手を叩いて叫んだ。
 「あの人は同意したわ! 恐くなったのよ、だから私に少しだけ待ってくれ、って頼んでいるわ。ほら、読んでみて頂戴!」
 しかしムション氏は眼鏡なしでは読めなかった。ポケットを探って眼鏡を見つけるのにたっぷり二分は掛かった。それから更に、眼鏡を掛けてからも光が弱すぎたため、文面を解読するのに三分かかった。その時間を利用してシュパンは彼をじっくり観察し、鑑定していた。
「この年寄りは一体何者なんだ?」と彼は考えていた。「あのシャツを見れば年金生活者だと分かる。そこそこ裕福な暮らしをしているが、眼鏡は金縁じゃない……女房持ちだ、指に結婚指輪をしているから……娘がいるな、ネクタイの縁に刺繡がしてあるから……住まいはこの近くだ、身なりはきちんしているのにハンチングを被っているから……しかしカウンターの奥の部屋で何をしてたんだろう、灯りもつけずに?……」
ムション氏は読み終えた。
「私の言っていたとおりになっただろう?」と彼ははっきりした口調で言った。「私の助言が適だったから、すぐに結果が出た……」
「ええ、本当に、貴方の仰ったとおりですわ!」
彼女は手紙を受け取り、喜びで目を輝かせながら再び読み直した。これが現実であることを嚙みしめるように。
「それで、これから何をすればよろしいの? しばらく待つんですわね?」
老紳士は身体をびくっと震わせた。
 「とんでもない!」と彼は断じた。「鉄は熱いうちに打たなくては」
 「でも、あの人は約束をしましたわ」
 「約束するのとそれを実行するのとは大違いなのだよ。それに手の内の鳥一羽は藪の中の二羽にまさるとも言うだろう……」
 「返事が欲しいと書いてありますけど……」
 「こう返事を書きなさい。借りをきちんと返す正直者に幸宿る、と。そうすれば向こうも考えるだろう……」
 彼はここでぴたりと口をつぐみ、メッセンジャーの方を指さして彼女に注意を促した。シュパンの目ははち切れそうな好奇心でぎらぎらしていたのだ。彼女は理解した。きびきびした動作で小さなグラスにリキュールを満たし、シュパンの前に置いた。更に葉巻を一本差し出し、こう言った。
 「お掛け下さいまし。これを召し上がってしばらくお待ちくださいな」12.8
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