エミール・ガボリオ ライブラリ

名探偵ルコックを生んだ19世紀フランスの作家ガボリオの(主に)未邦訳作品をフランス語から翻訳。

2-XIV-12

2025-03-13 13:56:54 | 地獄の生活
 私は自分に言い聞かせました。自分は生きていく、働いて、ウィルキー、あなたを育てるのだ、と。裁縫のような女がする仕事の全般において、私はとても上手だったのです。楽器の演奏も得意だったので、あなたと私が生きていくのに最低限必要なお金、日に四、五フランはたやすく稼げるだろう、と思っていました。でもすぐに、自分が馬鹿な幻想を抱いていたことに気づいたのです。
 音楽のレッスンをするには生徒を探さねばなりません。どこで見つけることができるか? 私には伝手もないし、あなたの父親が飽くことなき執念で私たちを探し回っていることは間違いないので、通りに出て自分の姿を人目に曝すことさえ怖くて体が震えるというのに。
 それで私はお針子の仕事へと方針を変え、おずおずと何軒かのお店を訪ねました。ああ、一軒ずつ店を回って仕事が貰えないかと尋ね歩くのがどれほど辛いことか、この経験をしたことのない人には知り得ないことです……。施しを求めて歩くのと殆ど変わらない屈辱。人々は鼻でせせら笑い、返事もしてくれないか、してくれても 『景気が悪いんでねぇ』 とか、『今のところ手は足りてるから』という言葉が返ってくるばかりでした。私に経験のないことや、いかにも不器用なやり方が、こんな風に断られる理由だったのでしょうが、それ以外にも私の身なりという問題がありました。私はまだ金持ち女性の服装をしていたのです。どんな素性の人間と見られていたことやら……。
 でも、あなたの存在が、ウィルキー、それが私の支えになり、私は挫けませんでした。そのうち私はモスリンの帯に刺繍をしたり、タピストリーの縁かがりをする仕事を得るようになりました。報いの少ない仕事……。というのは、綺麗な仕上がりより速さが優先される手仕事というものに私は慣れていなかったからです。夜明けとともに起き、夜が更けるまで働いても、得られるのは二十スー(20スー=1フラン)あるかなきか、でした。
 しかし、このちっぽけで取るに足りない賃金では間に合う筈もなく、すぐに冬と寒さがやって来ました。ある朝、私は最後の五フラン金貨を崩しました。それで一週間持つ筈でした。それから、絶対必要な物以外は一つずつ手放して行ったのです。最後に残ったのは継ぎ接ぎだらけのドレスとペチコート一枚だけ……。
 そしてついに何もなくなりました。本当に何も……。ついにある日の夕方、私たちが住んでいたみすぼらしい家の家主が、家賃を払えなくなった私たちを外に追い出したのです。
これがとどめの一撃でした。私はよろよろと壁に寄りかかりながら歩いて行きました。あなたを腕に抱きかかえる力が残っていなかったのです。細かい雨が降っていて、骨の髄まで凍えました。あなたは泣いていました……。
その夜一晩中、それから次の日一日中、どこへ行く当てもなく、希望もなく、私たちは彷徨っていました。もう後は死ぬか、あなたの父親のもとに戻るか、しか道はありませんでした。私は死ぬことを選びました……。
夕方になり、本能が私をセーヌ川の方に引き寄せていったのです。疲れと空腹で精も根も尽き果てていました。私はポン・ヌフのベンチの上に座りました。あなたを膝の上に乗せて。川の水が渦を巻きながら流れて行くのを眺めていると、黒い水面が私にこっちへおいでと誘っているようでした……。自分一人だったら躊躇などしなかったでしょう。でも、あなたがいたので、私は迷いました……」3.13
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