エミール・ガボリオ ライブラリ

名探偵ルコックを生んだ19世紀フランスの作家ガボリオの(主に)未邦訳作品をフランス語から翻訳。

2-VIII-5

2023-06-27 09:51:40 | 地獄の生活
マダム・レオンがこの手紙が来るのを知っていたこと、じりじりしながらそれを待っていたことは、彼女が急いでベッドから飛び起き---彼女はまだベッドで寝ていた---素早くドアを開けに行った様子によって疑いの余地はなかった。そしてすぐに彼女の飛び切りの猫なで声が仕切り壁越しに聞こえた。
「まぁご親切に、本当に有難う! ああ、おかげさまで心配が吹き飛ばされましたわ。義理の兄が様子を知らせてくれたのよ……これは彼の筆跡よ……」
この後でドアが再び閉められた。マルグリット嬢は部屋の真ん中に立ち、顔は蒼白、額には汗がじっとり浮かんでいた。不安が彼女を駆り立て、あらん限りの力を振り絞って聞き耳を立てた。手紙の封を開ける音が聞こえた。内なる声があらゆる分別をしのぐ強さで彼女に語っていた。彼女の名誉、未来、そして命さえもこの手紙に掛かっているのだということを!
しかしこの不思議な虫の知らせが現実のものかどうか、どのようにして知ることが出来るだろうか? もし彼女が自分の自然な衝動に従ったなら、今すぐレオンの部屋に押し入り、有無を言わさず手紙をひったくったことであろう。しかし、そんなことをすれば騙されやすい娘を演じてきた自分の真の姿を暴露することになる。このことだけが彼女の唯一の武器であり、救いへの道であったのに。
マダム・レオンの姿を少しでも見ることができれば、彼女の表情や体の動きから何か有用なヒントを得ることが出来るかもしれないのに。しかし、鍵穴は向こう側から鍵が差し込まれたままになっていたので、それは出来なかった。途方に暮れたが、そのとき仕切り壁に亀裂があるのに彼女は気づいた。もしかして、このひび割れが壁の向こう側まで突き抜けていたら……。向こう側の様子を窺い知ることができるかもしれない。音を立てないようにそおっと爪先立ちで、息を殺し、彼女はその亀裂に近づき、屈みこんだ。そして見た。
マダム・レオンは手紙の中味を早く知りたくて堪らなかったのか、ベッドに戻らず、いそいで封蝋を破り捨て、シャツ姿で素足のまま、壁の亀裂のちょうど前の床の上に立って読んでいた……。彼女は一行一行、一語一語読んでいったが、眉の顰め具合、唇の歪み具合からして真剣に読み取ろうとしながらも、ある程度の不満が見て取れた。
ついに、彼女は肩をすくめ、二言三言呟いたがそれは隔壁のために聞き取れなかった。やがて手紙を開いた状態のまま、みすぼらしい化粧箪笥の上に置くと服を着替え始めた。椅子二脚とベッドを除けば、それがこの部屋の家具のすべてであった。
「ああ、どうか……」とマルグリット嬢は祈る思いだった。「彼女が手紙を置き忘れてくれますように……」
マダム・レオンは忘れなかった。
身支度をすっかり整えると、彼女はもう一度手紙を読み返した。それから大事そうに化粧箪笥の二番目の引き出しにそれをしまい、鍵を二重に掛けた後、ポケットに鍵を入れた。
「それでは何が書いてあったか、分からないのね」 とマルグリット嬢は思った。「分からない! そんなことがあってたまるものですか。どうしても知らなければ。何とかしてみせるわ!」6.27
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2-VIII-4

2023-06-24 14:48:09 | 地獄の生活
料理女も首が挿げ替えられたのだろうか? この点はマルグリット嬢には確かめる術がなかった。ただ日曜の晩餐が前日のものとは全く様相を異にしていたのは事実だった。量よりも質が重んじられ、細心さが感じられ、豊富でもあった。シャトー・ラローズを取りに貯蔵室まで降りて行かせる必要もなかった。ワインはちょうど良いタイミングで、適度に温められた状態で出され、マダム・レオンの好みにぴったり合ったようであった。
この二十四時間でフォンデージ夫妻は本物の豊かさの中に身を置くようになった。辛くも外面だけを取り繕い裕福さを演じることは現実の貧苦より千倍も悲惨なことである筈だが、そのようなことなど経験したこともない、といった様子であった。
「私は思い違いをしていたのかしら。そんなことってある?」と彼女は自分の部屋に戻って一人になったときそう思った。彼女を混乱させたのは、いつもなら何事にもよく気の付くマダム・レオンが何にも気づかない様子だったことである。マルグリット嬢の目から見れば自ら白状しているも同然のバレバレの不用心さと思えることがマダム・レオンの目には止まらなかったようだ。『将軍夫妻』はとても素敵な方々で、と彼女は言った。お嬢様がこのお邸へのご招待をお受けになったのは、とてもよろしゅうございましたこと、と繰り返した。
「ここではまるで自分の家に居るようにくつろげますわ」と彼女は言うのだった。「それはまぁ私の部屋は多少狭くはございますけれど、きちんと調度品が入れられさえすれば、もう何も申すことはございませんわ」
その夜マルグリット嬢はよく眠れなかった。心がしっかり思い定まったと思った瞬間、もっと大きな疑念が浮かぶのだった。自分は一時の盲目的な感情でことを判断したのではなかろうか? フォンデージ夫妻は本当に自分が思ったように破産同然だったのだろうか?
ずっと不幸の中で生きてきた人間ならばそうであるように、彼女は人の目を欺くあやかしには強い拒否感を持っていた。自分の願いや希望を叶えてくれそうな状況には極端な警戒心を抱いた。今の彼女を支えているものは、彼女の唯一の味方であるあの老治安判事のもとへ相談に行くという計画、そしてド・シャルース伯爵が雇っていた便利屋がパスカル・フェライユールを探し当ててくれるであろうという思いだった。今ならもうフォルチュナ氏は彼女の手紙を受け取っているに違いない。火曜日には彼女の来訪を待ち受けている筈だ。後は誰にも怪しまれないように、二時間ほど留守にする口実を考えれば良いだけだ。
朝早く起きた彼女は身支度を整えていたとき、マダム・レオンの部屋の廊下に面したドアをそっと叩く音が聞こえた。
「どなた?」とマダム・レオンの声がした。
フォンデージ夫人の小間使いである、あのつんけんした女中の声が聞こえた。
「手紙が来ております。門番がたった今持って参りました。マダム・レオン宛となっております。あなた様のことですよね?」
マルグリット嬢の心臓は射抜かれたようにズキンとした。
「まぁ……あれはド・ヴァロルセイ侯爵からの手紙に違いないわ!」と彼女は思った。6.24
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2-VIII-3

2023-06-18 09:04:25 | 地獄の生活
四千フラン近い金額の請求書をポケットの中に持っていたその男は、どのように反撃するか思い巡らしているような様子で聞いていた。が、彼女は相手に答える暇を与えなかった。
 「自分が雇った人間が気に入らなければ」と彼女は続けて言った。「文句を言ってる間にさっさと首にして代わりを雇えばいいことだわ……これはそのケースね。無礼な態度を私は大目に見たりはしません。さぁあなたの請求書をお出しなさい」
男はまさかという疑いと不安そして希望をありありと見せながら、ポケットから長い長い計算書を取り出した。しかし札束を目の当たりにし、明細が改められもせず、文句もつけられず、言い争いにもならず、すんなり支払いが行われると、仰天しながらも敬意を込めた態度に豹変し、蜜のように甘い声音になった。焦げ付きそうな借金が回収されるときというのは、堅実な支払いを受ける場合の五十倍の喜びをもたらすと言われるが、この場合がそれに当て嵌まるようであった。
見ていたマルグリット嬢は、この貸し馬車屋が『伯爵夫人様』にこの『ちょっとした支払い』をもう少し後までお待ちしてもよござんす、と言い出すだろうと思ったほどだった。パリの商売人というのはこのようにできている。相手の懐具合が苦しそうだと見れば情け容赦ないが、相手の状態が順調と見るや、請求書を引っ込め、もったいをつけるのである。そういうわけであるから、往々にして金は相手の手に渡すまでもなく、見せるだけで十分なのだ。今の場合はそこまでは行かなかったが、貸し馬車屋は平身低頭、このちょっとした行き違いのために契約打ち切りなどはなさいませんように、と嘆願した。誓って申しますが、このことは本当に誤解でございまして、と彼は言った。その問題の御者は馬鹿で粗野な人間で、ろくに教育も受けていない飲んだくれであり、これから帰ったら即刻首にいたします、と彼は言った。
が、『将軍夫人』は頑として態度を変えなかった。彼女はこう言ってこの男を厄介払いした。
「私に対し礼を失するようなことを二度した者は許しません」
 昨夜彼女に対しひどく無礼な態度を取った生意気なエヴァリストが今朝追い出されたのは、おそらくこの理由からであろう。マルグリット嬢は彼の姿をもう見なくなった。夕食は新入りの召使いにより給仕された。これは職業斡旋所から紹介され、エヴァリストの制服がぴたりと合うという理由により他の点は目を瞑って採用することにした男であった。6.18

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2-VIII-2

2023-06-14 15:40:28 | 地獄の生活

そもそも、彼女を自分たちの家に引き取るとは何たる大胆さというか、軽率さであろうか。かの大金のたとえ一部でも着服したのが真実ならば、その金を使うことにより彼らの犯罪が明るみに出てしまう危険があるというのに……。

 「あの人たちは完全に頭がおかしいんだわ」と彼女は考えた。「そうでなければ、私は目が見えず、耳も聞こえず、この地上で生きている誰よりも騙されやすい人間だと思っているのよ」

 次に、何故彼らはあれほどまでに息子のギュスターブ中尉と彼女を結婚させたいのだろうか?

 「一件が露見した場合に備えて防御方法を準備しているのかしら?」

 フォンデージ夫妻に警戒心を起こさせてはならない、と彼女は心配していた。抜け目ない人間であれば、負債をそっと目立たないように返済してしまうことなど何でもない。そして殆ど目につかぬようなやり方で出費を増やして行くことも容易なことであろう。

 しかし、やがて起きた出来事で、彼女の不安は雲散霧消することとなった。この日、日曜日であるにも関わらず、金を孕んだ雲が『将軍』邸の上ではじけたのであった。午後いっぱい、マダム・レオンの言葉を借りると、玄関の呼び鈴は鳴りっぱなしで冷める暇もないぐらいであった。あらゆる種類の業者が引きも切らず押しかけてきた。あたかもフォンデージ氏が彼の債権者全員に召集命令を出したかのようだった。やって来たときの彼らは怒りも露わに傲慢な態度で、帽子を脱ごうともせず、突慳貪で、自分の貸金は返って来ないものと半ば諦めているが、それでも支払いを無作法に求める人間のそれであった。彼らはサロンに居る『将軍夫人』の面前に案内され、五分か十分そこに留まり、帰るときは晴れやかな顔で口元には卑屈な笑みを浮かべ、背中は輪のように丸くし、帽子は床を掃くほどに低く持った姿勢であった。つまり、彼らは支払いを受けたのだ……。そしてまさにマルグリット嬢に確証を与えるかのように、貸し馬車の経営者に支払いを済ませる際、彼女はその場に立ち会ったのだった。フォンデージ夫人が彼を迎えたときの高慢な様子はちょっとした見ものであった。

 「ああ、あなたね!」彼が現れた途端、彼女はこの上なく無礼な調子で叫んだ。「あなたのところの御者たちにお客を侮辱するようにと教育しているのは! まぁほんとに、上得意を開拓するにはもってこいのやり方だこと! 私どもでは一頭立ての馬車を月極めで契約していたわね。ある日、私が二頭立ての馬車に乗るからって、差額を要求するってどうなの!そんなに信用できないんなら、前払いにしたらいいじゃないの!」

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2-VIII-1

2023-06-12 15:58:54 | 地獄の生活

VIII

 

 少なくともマルグリット嬢の側では、調べられることはそう多くはなかった。常識的に見て、今後の彼女の仕事としては、フォンデージ夫妻の生活をたゆまず観察し続けること、そして夫妻の支出を正確に記録しておくこと、だけだった。これは注意力と数字の問題だった。

 ここまでの成果で自信を持ってもよかったのだが、彼女は自分の力の及ぶ範囲を過信することはなかった。これは大きな意味を持つものなのかもしれないし、あるいは何でもないのかもしれない。

『将軍』がド・シャルース伯爵の書き物机から消えていた二百万フランを盗んだという心証が得られたとしても、それで全てが終わるわけではないということを彼女はよく理解していた。その瞬間から真の困難が始まるのだ。一体どのような方法でフォンデージ氏がその大金をくすねることが出来たのか、それを彼女は探さねばならない。果たして彼女に発見出来るであろうか? その金を横領することは---横領が本当にあったとして---奇跡に近いということをよく頭に叩き込んでおかねばならない。紛失した金をめぐる謎は、これで終わりなのか? いや、断じてそうではあるまい。はっきりと衆人の面前で犯罪を告発する権利を持つためには、十分な証拠を集めねばならない。『将軍』の犯罪を。物的証拠、議論の余地のない証拠があって初めてこう言えるのだ。 『盗みが行われました。私がやったと非難されましたが、私は無実です。犯人はここにいます!』 と。そこに辿り着くまでにどれほどの苦難が待ち構えていることか! しかしやらねばならぬ!

 現実的で確固とした出発点に立った今、彼女は力強いエネルギーが身体に満ちるのを感じた。それが遅々たる歩みであろうと、何年掛かろうと、自分に課されたこの仕事を根気よく続けて行くに十分なエネルギーを。

 彼女を不安にさせているのは、敵たちの行動---フォンデージ夫人が息子と結婚してくれるようにと彼女に頼んだときから現在に至るまでの---を論理的に説明できないことだった。6.12

 

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