エミール・ガボリオ ライブラリ

名探偵ルコックを生んだ19世紀フランスの作家ガボリオの(主に)未邦訳作品をフランス語から翻訳。

2-XIII-4

2024-11-27 13:20:51 | 地獄の生活
それで彼は立ち上がり、用心のためにランプを持ち、扉を開けに行った。こんな夜更けのこの時間に彼を訪ねてくるのは、コスタール氏でなければド・セルピオン子爵、あるいは二人揃ってであろう。
『俺が探しているってことをどこかで聞いたんだろうな、気の良い奴らだから』と彼は思いながら小走りに門を開けに行った。
違っていた。訪問者は二人のどちらでもなく、フェルナン・ド・コラルトその人であった。彼は怪しまれぬようにマダム・ダルジュレのサロンに最後まで残り、そこを出るとその足でド・ヴァロルセイ侯爵邸に向かい、侯爵と打ち合わせをした後、ようやく自由の身になったと考えて、ここまでやって来たのだった。しかし誰かが自分の後をつけてきており、この瞬間も外で見張りを続けているとは夢にも思わなかった。パスカル・フェライユールとマルグリット嬢の味方についている、身分は低いが決して侮れぬ敵、あのヴィクトール・シュパンである。
ウィルキー氏にとってコラルト氏は長い間自分のお手本として憧れていた友であり、その忠告に乗ったことを今や彼は『へま』と呼んでいたわけだが、その当人が表れたのを見て大いに驚き、危うくランプを取り落すところだった。次いで、怒りがどっとこみ上げてきた。
「ああ、君か!」彼はぶっきらぼうに叫んだ。「ちょうど良いところへ来たもんだな!」
しかしド・コラルト氏の方でも相当神経が昂っていたので、ウィルキーの応対が奇妙なことに気がつかなかった。彼はウィルキー氏の腕を乱暴に掴むと、足で蹴って扉を閉め、サロンまで彼を後ろ向きに押し込んだ。そしてサロンに入るや、高圧的な声で短く叫んだ。
「そうだ、私だ!お前は昨日から気でも狂ったか、それとも馬鹿なのか、それを確かめに来た」
「おいおい、子爵!」
「お前の振る舞いをそれ以外にどう言い表せばいいのか、どうしても分からないんだ! いいか! 選りによってマダム・ダルジュレが百五十人もの客を迎えるその日、その時間に、お前は彼女に会いに行った。何ということだ!」
「ああ、それはつまり、こういうことさ……俺って人間は、人に偉そうにされるのが我慢ならないのさ。彼女の家へは既に二度行ったよ。そのたびに門前払いを喰わされた……」
「何度でも行くべきだったんだ、十回でも、百回でも、千回でも。その方がずっとましだ。あんな風に愚の骨頂を晒すよりは……」
「ちょ、ちょっと、その言い方はないだろ……」
「俺はお前に何と忠告した? 慎重に、これ以上ないほど慎重にやれ、と言っただろう。そして冷静に、節度を心得よと言った筈だ。あくまでも優しく、感情濃やかに、相手の心を溶かすようにしろ、そして涙だ、たっぷりの涙を浴びせるんだ、と……」
「ま、そうかもしれないけど……」11.27
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2-XIII-3

2024-11-23 08:24:29 | 地獄の生活
そんなウィルキー氏が自身の収支対照表のことを考えて冷や汗を流すとすれば、それは彼が手中にしたと思ったのに、手からスルリと抜け落ちてしまった莫大な相続財産の為であった。ド・シャルース伯爵の遺産と強欲な彼の間に脅威として冷笑的に立ちはだかるのは彼の父の存在であった。彼が会ったこともない父親。マダム・ダルジュレが身震いすることなしには、その名を口にすることも出来ない男……。
その男は手強い敵に違いない。元船乗りのアメリカ人であり、賭博場その他のいかがわしい溜まり場を闊歩する遊び人であるその男は、もう二十年以上も前から自分が誑し込んだ女から得られる財産を虎視眈々と狙っているのだ……。
現在の自分の状況を吟味すると、ウィルキー氏は激しい不安に襲われた。自分は一体どうなるのだろう……? マダム・ダルジュレが今後、自分にびた一文もくれないだろうということは確かであった。彼女にはもうその力がないであろう、ということぐらいは彼にも分かった。
もしもド・シャルース伯爵の遺産のほんの一部でも受け取ることが出来るとして、そのこと自体かなり望み薄ではあるが、そのためには長い間待たされることになるだろう……確かにありそうなことだ。その間、自分はどうやって生きて行けばいいのか? どうやって食っていく?
彼は痛切に苦しみを感じたので、目に涙が滲んできた。自分の行為を思い、殆ど嘆きたい気持ちになっていた……。そう、このとき彼は自分の過去を悔いる境地に達していた。自分の運命を苦々しく思って不平を言っていた年月を……。
確かに大金持ちとは言えなかったが、少なくとも何にも不自由はしなかった。三か月毎にかなりな額のお小遣いがきちんと送られてきたし、何か大金が必要なときには、謹厳なパターソン氏がいた。パターソン氏は言いなりというわけではなかったが、取り付く島のないほど厳しくもなかった。
あの頃は良かった、と彼は思わずにいられなかった。ああ、自分が恵まれていたということにちゃんと気づけていたら! 仲間内では一番羽振りの良い男の一人だった自分。ちやほやされて光り輝いていたのに。愛され、称賛され、持ち上げられて……。それにあの『ナントの火消し号』、あれには大いなる愛情を注いでいたのに!
ところが今の自分に残されているものと言えば? 何もない。あるものと言えば、迷い、将来への不安、あらゆる種類の不確かさ、そして恐怖だ!
「何たるへま!」と彼は繰り返していた。「何というしくじりをやっちまったんだ! ああもう一度やり直せたらなぁ! あのド・コラルト子爵の奴、悪魔に喰われちまえばいいんだ……」
絶望の中で、彼が憤懣をぶつける相手はかの子爵であった。あいつの所為だ、と彼は相手を呪った。この恩知らずの怒りが爆発し最高潮に達していたとき、門のベルを鳴らす音が突然、荒々しく響いた。召使の部屋は屋根裏にあり、アパルトマンに居るのは彼一人だった。11.23
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2-XIII-2

2024-11-18 14:54:23 | 地獄の生活
新聞というものが共同洗濯場のようになった今の時代にあっては、これぞ悪名を広めるためのもってこいの場だ。誰もが汚れたシャツを洗いに来ては宣伝という偉大な太陽のもとに晒す、つまり何千もの読者に知って貰うことを夢見るのである。
ウィルキー氏の脳裏にはすでに有名人になった自分自身の姿が浮かんでいた。人々の口の端に上ることで自分に箔が着き、歩くたびに人が自分のことを噂しあうその声が聞こえるようだった。『ほら、あの青年だよ、見てごらん……あの有名な事件の中心人物だよ……』
そして彼は、二人の介添え人がフィガロ紙に掲載をするよう求めるであろう記事について、同じようにセンセーショナルな二つの書き出しのうちどちらが良いか、頭の中で転がして決めかねていた。『特筆すべき世紀の決闘……』か『昨日、世間を大いに騒がせた事件の後、不可避の事態が生じ……』
残念ながら彼はコスタール氏ともド・セルピオン子爵とも出会わなかった。奇妙にも、二人の姿は大通りのカフェで夜の九時から深夜一時まで行われるどのパーティでも見ることができなかった。そこは黄色い髪を結った粋な女性たちを伴い、フランスの男たちが若さの盛りを見せびらかす場所なのであるが。
この不都合はウィルキー氏を残念がらせるものではあったが、彼のその日の『冒険』により、ちょっとした特典も得られた。彼が足を踏み入れた店ではどこでも、いつも身ぎれいにしている彼が乱れた服装をしているのを見て誰もが驚いて目を見張った……。
「どこへ行ってきたんです?」と皆が聞いた。「一体何があったんだ?」
それに対して、彼は秘密めかして答えた。
「ああ、その話はやめてくれ……ちょっと驚くようなことがあってね。このことが世間に知られなければいいんだが……。そうなったら俺は困ったことになっちまう……」
そうこうするうちカフェは一軒また一軒と閉店して行き、騒音も静かになって外を歩く人の数も少なくなった。ウィルキー氏は無念だったが家に帰ろうと決心した。帰宅して門を閉め、部屋着に着替えた後、ようやく彼はその日の出来事を頭の中できちんと整理しようとした。やや手前勝手なやり方で……。
彼が不安に思い、頭を悩ませたのは、後に残してきた母親であるマダム・ダルジュレの状態についてではなかった。彼女は自身の生き甲斐である息子に殴られ、今のこの瞬間にも死にかけているかもしれないのに。この哀れな母親が息子への盲目的な母性愛のためにした驚くべき犠牲についてでもなかった。更に言えば、彼が長い間湯水のように浪費してきた金がどこから来たものであるか、についてでもなかった。ウィルキー氏はそんなしみったれた考えに煩わされる男ではなかった。そんなものは巷の取るに足りない、時代遅れの人間の考えることだ。彼はそんな軟な男ではなかった。『ああ、そうとも、間違いなく!』 豪胆で『時流に乗っている』男なのだ。11.18
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2-XIII-1

2024-11-13 11:36:13 | 地獄の生活
XIII

ウィルキー氏がマダム・ダルジュレ邸を出たのは、真夜中を過ぎるか過ぎないか、という頃であった。彼がすべてを暴露した後、痛ましくも悲惨な諍いが繰り広げられたのだった。玄関のところに固まっていた使用人たちは最初、彼が乱れた服装のまま、血走った眼で唇まで蒼白になって出て行くのを見て、賭けに負けて一文無しとなりやけくそになった客の一人だと思った。彼は過去に何度かそういうことがあったので。
 「またツキに見放された一人だな!」と彼らはお互いに言い合って笑っていた。
 「ああ、いいざまだ……こんなとこに来るからそうなるんだ!」
 しかし数分後、上のサロンで働いていた召使たちから、彼らは事の一部を知ることになった。召使たちは階段を駆け下りながら叫んでいた。マダム・ダルジュレが死にそうになっているから、すぐに医者を呼びに行かねばならない、と。
 しかしこのとき既にウィルキー氏はもう遠くに行っていた。彼は速足で大通りまで出ていた。他の人間ならば、自分の為した恥ずべき所業に恐しくなり、どこでどうやれば自分の卑劣さを隠せるか、考えもまとめられない状態であったろう……が、彼はそうではなかった。
 たった今起きた驚愕すべき事件の中で彼の頭から去らないのはただ一つのことであった。彼が腕を振り上げ、母親であるマダム・ダルジュレを殴ろうとしたそのとき、一人の太った男がまるで警笛のように飛び込んできて、彼の喉を締め上げ、力づくで膝まづかせ、無理やり謝罪をさせたことである……。
 この自分、ウィルキーが辱めを受けるとは! これはどうにも我慢のならないことだった。自分が子供扱いされたように思った。彼の考えでは、これは許されざる侮辱であり、必ず報復せねばならず、しかも相手の血を見る決闘(相手に出血をさせた瞬間報復が果たされたとする決闘=『最初の出血』ルールもあった)が必要だ!
 「必ず思い知らせてやる、あの無礼な田舎者に」と彼は歯ぎしりしながら繰り返した。「この俺様にあんなことをして、只で済むと思うなよ!」
 彼がそんなにも急いで大通りまで出たのは、彼の二人の仲間、あの『ナントの火消し号』を共同所有しているコスタール氏とド・セルピオン子爵に出会えないかと期待していたからだった。酷く傷つけられた彼の名誉回復のため、彼の『親友たち』に一仕事して貰いたいと思っていたのだ。つまり二人には介添え人になって貰い、彼を侮辱したあの田吾作に力づくで謝罪を要求して貰おうという腹なのだ。尤も相手の住所を手に入れてから、ではあるが。
 居ても立ってもいられないほどのこの怒りを多少とも鎮め、傷つけられた彼の高貴な自尊心を癒すためには、きちんとした決闘以外には考えられない。
 それだけではない。下品なスキャンダルの種もそこに潜んでいるではないか。その主人公は彼だ。新聞は二日間はそのことを書きたてるだろう……。11.13
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2-XII-24

2024-11-08 15:19:30 | 地獄の生活
躊躇している時間もないので、彼は心を決めた。危険は承知の上だ。彼はパスカルの前まで来ると、ぴたりと立ち止まった。
「君は私に二万四千フランを都合してくれたのだから、どうだろう、残りの金子も用立ててはくれぬか?」
パスカルは首を振った。
 「貴方のような地位にあられる方に二万四千フランをご用立てするのは、何ら危険はございません。仮に大船が沈没しても、残滓を集めればそれぐらいの金額にはなりましょう。ですが、その二倍、三倍の金額ということになりますと、話が違ってまいります。じっくり検討することが必要になります。貴方様がどういう状況でいらっしゃるのか、それを把握する必要がございます」
「それでは私がこう言ったとしたらどうだ……私はほぼ破産状態にある、と?」
「さほど驚きはいたしません……」
こうなるとド・ヴァロルセイ侯爵はもう後へは退けなかった。
「そうか。実を言うと、私の財政状態は相当酷い状態になっておって……」
「なんとなんと! それはもっと早く仰ってくださるべきでした……」
「ああ、いやいや、ちょっと待ってくれ……これを元通りに回復させることは出来ると思っている。それどころか、今まで以上に富を増やすことも可能だと……。私はある方との結婚を考えている。それが成立すれば、私はパリで最も裕福な男の一人になる……。が、そこまで漕ぎつけるには時間が掛かるし、金も要る。しかも私の債権者たちは毎日のように私を責め立ててくる……。君は言っておったな、かつて私のような状況にある男を救ったことがあると。どうだ、私を救ってくれぬか? 報酬額については、君自身が決めてくれて結構だ……」
苦しみを堪えるより喜びを堪える方が難しいものだ。パスカルはもう少しで本心を漏らしそうになった。目的を達した、と彼は思った……。しかし自制心を取り戻し、落ち着いた明確な口調で彼は答えた。
「具体的な計画を理解いたしませんと、私には何も申し上げられません。お話くださいますか、侯爵、伺いますよ……」11.8

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