エミール・ガボリオ ライブラリ

名探偵ルコックを生んだ19世紀フランスの作家ガボリオの(主に)未邦訳作品をフランス語から翻訳。

2-III-15

2022-09-30 07:08:41 | 地獄の生活

十年以上も彼は自分の娘を探そうとは全くしませんでした。それぐらい敵を恐れていたのです。が、そういう時期を過ぎ、例の夫がどうやら捜索を諦めたらしいと確信を持つようになってようやく彼の方で捜索を始めました。長い時間が掛かり困難な仕事でしたが、ついに見つけ出すことに成功し、その子のもとに辿り着きました。一種の民間人のスパイみたいな怪しげな男の力を借りたのです。フォルチュナという名前の」

男爵は激しく興味を惹かれた様子だったが、すぐにそれを圧し止めて言った。

「それは……奇妙な名前の男ですな」

「姓もそうですが、名もイジドールというのですからね! ああ、この男はさも優しそうに猫を被っていますが、危険な悪党でね。最悪の種類のならず者です。どう見たって徒刑場送りがふさわしい男で……こいつがどういう事情でそういういかがわしい仕事をするようになったか、それは私にも分からないのですがね。確かなことは、この男がパリの街中で白昼堂々とブルス広場で仕事を行っていることです」

この姓名、住所を男爵は忘れないようにしかと頭に刻み付けた。その間にも相手は話を続けていた。

「しかし、あのお気の毒な伯爵はついていませんでした。夫の方はいつかな手を緩めようとしない、伯爵は息をひそめるように生きていた。と、そこへ今度は妻の方が攻撃を始めたのです。この女というのは、私の知る限りではどうしようもなく神経に障る女で、それを聞けば世の女全体を憎悪したくなるような女だったようです。彼女は自分が道に外れる行為をすることになったのは伯爵の所為であり、そのために自分の人生と幸福が破壊されたと言って、どんな野蛮人でも考え付かないような残虐の極みで彼を痛めつけたのでした……。伯爵が決して自分の娘を手元に置かないこと、養女にするなどとは努々考えてはならぬ、と言い張ったのです。そんな軽はずみをすれば、自分の夫が遅かれ早かれ嗅ぎつけるであろうからと。そして伯爵が無視するそぶりを見せると、そんなことをすれば夫にすべてを告白する、と宣言したのです」

「ド・シャルース伯爵という方は辛抱強い方と見えますな」と男爵はせせら笑った。

ド・ヴァロルセイ氏は小さく皮肉な口笛を吹いた。

「貴殿が思われるほどでもないですよ」と彼は言った。「伯爵がそれに従ったのは、何か彼の明かしたがらない秘密の理由があったようです。何か大きな不名誉が背後にあったとしても私は驚きませんね。とにかく、伯爵はこの恐ろしい女から逃れるため、ありとあらゆることをしました。9.30

 

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2-III-14

2022-09-27 06:25:51 | 地獄の生活

ド・ヴァロルセイ侯爵が男爵の取り乱すさまを見ながら、それが自分の話が原因なのだと全く気付かなかったのはさほど不思議ではない。この金満家の男爵と一攫千金を夢見てアメリカに渡った貧しい男を結ぶものは何もなかった! 片や、カミ・ベイのパートナーであり、マダム・リア・ダルジュレの友人であり、賭け事なしには夜も日も明けぬ男、そして片や、愛に狂い、自分の妻を奪った男、そしてまた彼の人生のすべての幸福を破壊した相手を十年もの間追求してやまない男、この両者につながりがあるとは誰が思うだろうか。それにド・ヴァロルセイがたとえ疑いを持ったにしてもすぐにそれが消えてしまったのは、彼が到着したときトリゴー男爵がかなり動転した様子であったこともある。やがて彼は少しずつ平静さを取り戻していったのであったが……。

というわけで、侯爵はいつもの軽い、あざ笑うような口調で話を続けた。というのは、驚くべきこと、心を打たれるようなことは何もないからだ。すべてを馬鹿にし、下々の庶民どもなら心を悩ませるような感情には深い軽蔑を表明すること、それが上流階級の人間のすることだからだ。それこそが『洗練』というものだ。

「この話には、どうしても省略がたくさんありますが、男爵、それはド・シャルース氏ご自身が具体的なことは仰いませんでしたのでね。特に、我が不幸とあの方が名付けられた時期に話が及んだときには口が堅かったのです。それでも、ためらいがちな言葉の端に、彼自身詐欺に遭ったり、書類が盗まれたり、それに正直とは決して言えない債権者から証券を買い戻したりしたことなどを窺い知ることが出来ました……。はっきり言えるのは、ド・シャルース氏の人生はどこまでもあの愛人の夫の影に脅かされていたということです。激怒した夫の手に掛かって死ぬのではないか、という思いが彼の心に常にあったようです。どこに行ってもその男に付きまとわれているような気がしたのです。夜一人で歩いて外出するときなど、そんなことはごくごく稀なことだったのですが、角を曲がるときには細心の注意を払っていました。闇の中にはナイフの切っ先かピストルの銃口が光っているように思えたのです……。

彼自身の口から聞いたのでなければ、普段はあんなに冷静沈着な男がこんなにも恐れることがあるとはとても信じられませんでしたよ」9.27

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2-III-13

2022-09-24 09:19:46 | 地獄の生活

それから四ヵ月経ったある朝一通の手紙が伯爵の愛人から届き、こう書いてあったのです。『私たち、もうおしまいです。今、夫はマルセイユにいて、明日ここに帰って来ます。もう二度と私に会おうとなさらないで。とにかく夫を避けてください。さようなら』 この手紙を受け取るや否や、ド・シャルース氏は駅馬車を雇い、大急ぎでパリに戻ったのです。娘を引き取りたい、引き取らねば、どうあっても、という気持ちで。ところが遅すぎた。夫の帰還の知らせを聞くや否や、若い妻は気が動転してしまったのです。何としてでも自分の過ちを隠さねば、というただそのことしか頭になかった。そして夜、変装をし用心に用心を重ねて出かけ、小さなマルグリットをどこかの家の門の下に置いてきたのです。レ・アール近くに……」

 彼は突然言葉を止め、急いで尋ねた。

 「男爵、どうなさったのです、気分でも悪いのですか? 一体どうしましたか? 呼び鈴を押しましょうか?」

 男爵は身体中の血をすべて抜かれたかのように真っ青になっていた。目の周りは赤黒い痣のようなものに囲まれていた。こう呼びかけられ、彼はなんとか努力して声を振り絞った。

 「なんでも……ああ、何でもないんです……ちょっと眩暈が……すぐに元に戻ります……もう大丈夫!」

 しかし彼は足がへなへなとなるのを感じ、椅子に座りこう呟いた。

 「どうか、侯爵……話を続けてください。非常に興味をそそられる話だ。非常に……」

 ヴァロルセイ氏は先を続けた。

 「この夫というのはどう見ても世間知らずのお人よしでしたが、それだけでなく恐るべき精神力の持ち主でもあったようです。自分の不在中に妻が子供を産んだということを聞き知ると、何としてでも子供とその父親を見つけ出し、二人とも殺すと誓ったのだそうです。そのためにギロチンで処刑されようと歯牙にもかけないというような男だったようで……。彼の意志の強さを表すエピソードというのがこれです。妻に対してはそのことを一言も漏らさず、非難もせず、自分がアメリカに旅立つ前と全く同じ態度で接していたというのです……。しかし彼は妻を昼も夜も監視させました。いつかは彼女が不注意からしっぽを出すであろうと考えて。ところが彼女は鋭い女性でした、幸いにも。夫がすべてを知ったことを悟るとド・シャルース氏に警告をしたのです。それによって彼の命を救ったのでした……」9.24

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2-III-12

2022-09-22 10:53:18 | 地獄の生活

男爵はハッとした。

 「え! ド・シャルース氏というのは途方もない大金持ちだったということではないですか。彼は独身だった筈です。その娘さんが、非嫡出の娘さんだったにせよ、一文も貰えないとはどういうことですか?」

 「運命ですよ! ド・シャルース氏は突然死したのです。彼女に財産を遺贈することも認知することも出来なかったのですよ」

 「予防措置をなにも講じなかったというのは何故でしょう?」

 「ああ、そうしたものですよ。認知に際してはあらゆる困難がつきまとうものです。危険も存在する。マルグリット嬢は捨て子だったのです。母親の手から離されたと言うべきでしょうか。生後五、六か月のときです。それからド・シャルース氏が八方手を尽くして彼女を探し出すのに何年も掛かったのです」

 これはもはやパスカルに聞かせるための話ではなくなっていた。トリゴー男爵自身、一心に注意を集中して聞いていた。

 「実に不思議なお話ですな」彼は外に言うべき言葉が見つからなかったので繰り返して言った。「実に不思議な……」

 「でしょう? まるで作り事のような」

 「でその、こんなことをお聞きしては失礼かと……」

 「事の真偽を? もちろん失礼などではありませんよ。ド・シャルース氏ご自身から聞いたことです。ただごく漠然とした話でしたのでね、詳細は分かりません……。若いころ、ド・シャルース氏は魅力的な若い婦人にぞっこん惚れこまれたようで、彼女には夫がおり、その夫というのが人品卑しからぬ素朴な男だったようですが、運を求めてアメリカに渡ったそうです。彼女の方でも貞淑な妻として一応抵抗はしたようですが、弱弱しい抵抗で……というのも夫が旅立ったその年に、彼女は女の赤ちゃんを産み落としました。それがマルグリット嬢です……。そもそも夫の方は何故アメリカに行ったんでしょうね?」

 「ああ、そ、そうですな」男爵は口ごもった。「何故でしょう……」

 「すべて順調だったある日、今度はド・シャルース氏の方がドイツに行かざるを得ないことになりました。その地で彼の妹さんの姿を見たと知らせる手紙を受け取ったからです。その妹さんは両親の家から駆け落ちをしたらしいのですが、その相手というのが誰にも分らぬという……。9.21

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2-III-11

2022-09-21 10:30:01 | 地獄の生活

確かなことは、私は虜になってしまったということです。長らく生きて疲弊し、しなびて色褪せ、何事にも無感動になり、もう終わりの人間だと自分では思っていたので、傷つくことなどもうあり得ないと高をくくっていたのですよ。ええそうですとも! ところがある朝目覚めたら、二十歳の若者の心になっていたのです。彼女をちらりと見かけるだけで心臓は早鐘のように打ち、顔には血が上って真っ赤になる始末。もちろん、自分にブレーキをかけようとしましたよ。自分が恥ずかしくなって……。でもどうにも制御が効かないのです。自分の愚かさをいくら自分に言い聞かせても、心はますます依怙地になるばかり……。しかし、私の愚かさの所為だけではなかったようで。というのは、あれほどの純潔な美しさ、高貴さ、情熱、正直さ、そして溌溂たる知性を持った女性と出逢うことは二度とはないでしょうから。私はパリを離れようと思っています。妻と私はまずイタリアを旅行し、それからヴァロルセイに戻ってひと番いのキジバトのように暮らすつもりです。そこでの穏やかな生活を夢見ているようなわけでして。私のような老いぼれには身に過ぎた幸福です。つくづく私は幸運な星の下に生まれたものですよ!」

 彼がこれほど自分の語りに夢中になっていなかったら、ドアの向こう側に押し殺した罵り声が聞こえた筈であった。侯爵の言う幸運な星を覆い隠すほどの怒りがそこでは溜まっていた。彼が役割を演じることにこれほど熱中していなかったら、話し相手の顔に浮かんだ奇妙な表情を見逃さなかったであろう。それは彼にとって危険を示していたのに。

 つまるところトリゴー男爵は観察眼を持っていた。侯爵の情熱的な感情の吐露に真実の響きを感じていなかったのだ。

 「貴殿の言われることがよく分かりましたよ、侯爵」と彼は言った。「貴殿は高名な大貴族の後裔の娘さんと出逢われたのですな。今は零落している家系の……」

 「貴殿は分かっておられない……私の未来の妻はマルグリット以外のいかなる名前も持っていないのですよ」

 「まるで小説に出てくるような話というわけですか!」

 「そのとおり。まさに小説に出てくるような。貴殿もご存じでしょう、先ごろ亡くなったド・シャルース伯爵を?」

 「いえ、面識はありませんでしたが、お噂はよく耳にしていましたよ」

 「そうですか!私が結婚しようとしているのは、その方の私生児なのです」9.21

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