エミール・ガボリオ ライブラリ

名探偵ルコックを生んだ19世紀フランスの作家ガボリオの(主に)未邦訳作品をフランス語から翻訳。

2-XII-6

2024-07-31 07:44:42 | 地獄の生活
「とうとう見つけたぞ!」と彼は男爵が入ってきたとき叫んだ。「わしは心配しとったんじゃ……」
「何を御心配なすったのですか、大公?」
カミ・ベイは大公と呼ばれていたが、誰もその理由は知らなかった。彼自身もそうだったであろう。おそらく彼がルグラン・ホテルに到着した際、従僕が彼の馬車のドアを開けたとき、この呼称を使ったからであろう……。
「何を、とは遺憾千万!」と彼は答えた。「貴公は現時点で三十万フラン以上わしから勝っておる。シャルルマーニュを決め込む(勝ち逃げする)つもりではあるまいな、と思っておった!」
男爵は眉を顰め、その結果、大公という呼称を引っ込めることにした。
「私の記憶では、貴方様と私との間で合意が成っていると思っておりましたが。我々の一方が相手より五十万フラン勝ち越すまでゲームを続ける、という」
「そのとおりだ。そのために毎日ゲームをすることになっておる……」
「そうかもしれませんが、私は忙しい身です。そのことは申し上げたではありませんか? もしも不安をお持ちなら、ゲームの結果を記録した台帳を破棄してしまいましょう。で、これ以上試合はしない、と。そうすれば貴方様は十万エキュを手にすることになりますよ」
カミ・ベイは男爵が自分の傲慢さをおとなしく受け入れはしないようだ、ということがよく分かったらしく、今までよりずっと遜った調子で言った。
「私は警戒心が強くなりましてな。と言うのも、しょっちゅう人からカモにされるからですよ。私が外国人でおそろしく金持ちだというんで、何かというと私の懐を狙ってくる……。男も女も、貴族であろうが商人であろうが、皆が私をちょろまかそうとする。絵を買おうとすれば、へぼ絵描きの絵を売りつける。馬を買おうとすれば駄馬に法外な値を吹っ掛ける。バカラゲームのテーブルに着けば、ギリシャ人(いかさま師という意味で使われた)がそこにいる、というわけだ。誰も彼も私に金を借りに来るが、誰も返すことはしない……おしまいには私もむかっ腹を立てますよ……」
彼は座り込んだ。男爵はすぐに彼を厄介払いすることは出来まいと判断した。で、パスカルに近づくと、そっと耳打ちした。
「貴方はもうお行きなさい。でないとヴァロルセイを捕まえられなくなってしまう……油断なく、心して。敵は海千山千です。では、しっかり、幸運を祈ります……。勇気を持って!」
勇気を持って? パスカルにその言葉は不要だった。あの辱めを受けたとき、マルグリット嬢が自分を軽蔑すべき男と見なし、自分を見捨てたかもしれないという絶望に打ち勝ってきたそんな男に勇気が不足している筈はなかった。7.31
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2-XII-5

2024-07-24 10:59:56 | 地獄の生活
そう、この私、トリゴーは大事にされ、甘やかされ、ちやほやされる、でなければ、残念ながら金は出さぬ。このやり方を教えてくれたのは、私の古い友人でしてな、私と同じ成り上がり者で、彼の幸福な家庭を私は長年羨ましく思っておったのです……。この友人が私にこう言いました。『友よ、聞いてくれ。わしは妻や子供たち、それに娘婿たちに囲まれて暮らしておる。居酒屋に居座った貴族みたいに。わしは一か月につきこれこれの値で自分に最高級の幸福を注文する。注文どおりの品が出てくれば、金を払う。そうでなければ、わしは現金窓口をピシャっと閉めるというわけだ。ときに何かちょっとした追加のサービスをつけてくれたりすれば、そのときは別途で払う。値切ったりはしない。ギブアンドテークだよ……。わしのやり方を見習うんだ、そしたら上手く行く。料金だと思うのだ。それ以上のものだと思っちゃいかん』とね。
で、私は彼の真似をすることにしましたよ、フェライユールさん。それは良いやり方だし、実際的で、いわゆる『ご時勢』にも合っていますしね。ここに至るまでには、私もいろいろと考えましたよ。今までさんざん言いなりのお人好しを演じてきましたがね、余生は家長としての生き方をしようと。でなければ、神かけて申しますが、自分の家族が飢え死にするなら勝手にそうさせておきます!」
彼の顔は紅潮し、額の血管は膨張していた。が、それは怒りのためか、声を低めて話さねばならぬ、と自分を抑えていたためか、どちらとも分からなかった。彼はふうっと長い息を吐き出し、今までより落ち着いた声で続けた。
「しかし貴方は事を成功させねばなりません、フェライユールさん。しかも素早く。そして貴方の愛する……その、娘さんが父親の遺産を受け取れるように……。ド・シャルース伯爵の遺産がいかに悪辣な者の手中に今まさに落ちようとしているか、貴方はご存じない……」
男爵は、マダム・ダルジュレとその破廉恥な息子ウィルキー氏の話をパスカルに話して聞かせようとしていた。そのとき、玄関の方から騒々しく言い争う声が聞こえてきたので、それは遮られてしまった。
「おや! 私の家に勝手に上がり込んできたのは一体誰なんだ……」と彼は呟いた。
彼の書斎のドアが開けられる音が聞こえ、その後すぐに甲高いしわがれ声が聞こえた。
「なんだ! ここにも居ないのか、何ということだ!」
男爵は怒りの身振りをした。
「カミ・ベイだ」と彼は言った。「あのトルコ人と私はくだらぬ賭けをしたのです……悪魔にでも攫われてしまえ! だが、彼は今にもここまで来て我々を捕まえる気です……こちらから会いに行きましょう、フェライユールさん」
書斎に戻ると、貧弱な髭をした太った男がパスカルの目に入った。鼻は平たく、真っ赤で、ひどく小さい目が斜めについており、肉感的というより動物的な分厚い唇をしていた。一種の黒いチュニック・コートのようなものを着てきちんとボタンをかけ、トルコ帽(赤い円錐台形で黒い房が付いている)を被っていた。その様子は赤い蝋で封をされた中央の膨らんだ瓶を思わせた。
これがカミ・ベイだった。外国からの金を一杯に載せて運ぶガリオン船のような男。パリに惹きつけられはするものの、それはこの街の煌めきや栄光にではなく、その退廃や恥ずべき面に引き寄せられる野蛮人であり、文明に触発されることは殆どなく、何でも金で買えると思い込んでやって来ては、また同じ思いを抱いて帰って行く男である。ただ、このような奇怪な男たちの中でも、このカミ・ベイという男は更に恥知らずで冷笑的かつ傲慢であった。大層金持ちであるということで、彼は常に人々に取り巻かれ、もてはやされ、へつらわれ、ちやほやされていた。また彼は様々な策を弄する下衆どもや高級娼婦たちによって、大いにぼったくられるカモでもあった。彼はまぁまぁのフランス語を話したが、それはむしろ特殊な私室や怪しげな溜まり場で使われる隠語の類であり、いずれにせよ酷い訛りがあった。7.24
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2-XII-4

2024-07-17 07:11:53 | 地獄の生活
「恐縮の至りです」と彼は言った。
「結構、結構」
「私がここに参りましたのは、まさに貴方の仰るとおりのことをお願いするためでした」
「でしょう! これで良い、これがベストです」
「ですが、私が何を意図しているか、それだけでも話させてください……」
「それには及びませんよ、君」
「どうか、お願いです! 私の計画を推し進めるうち、貴方の御意向、お気持ち、言葉、それに行動までも引き合いに出さねばならぬ事態が生じて来るでしょう。それらを貴方は後で撤回なさることも出来ます。私を安心させるために……」
男爵は、そんなことはどうでもいいことだ、という身振りをし、指をパチンと鳴らして、彼の言葉を遮った。
「何も心配せず、やりたいようにやってください」と彼は言った。「かの侯爵と忠実な手下であるコラルトの正体を暴くという目的を果たすのであれば、万事良しです。私のことなら、お好きなように利用して下さって結構、私は何も気にしませんよ……。ヴァロルセイの目に貴方はどう映るか? モーメジャン氏、私の代理人の一人、じゃありませんか? 私はいつでも貴方の行為を取り消すことが出来る」
それから彼の『若き友人』であるパスカルの計画は隅々までお見通しだ、ということを納得させねばならないと心に決めているかのように、付け加えた。
「それに、貴方が金満家の実務処理を任されている人間だということは誰しも承知するところです。ということはつまり、金ぴかのメダルのくすんだ裏側ということです。金満家というのは愚か者でない限り、金子の用立てを頼まれれば、いつでも微笑を湛えて「ようございますとも、喜んで!」と答えるものです。ただ、その後に続けて言う。「実務担当をしている私の代理人と話をしてください」とね。そしてこの代理人がいろいろと異議を差し挟み、最終的に自分の依頼人は現在自由になるお金がありませんので、と言って『ノン』を突き付ける……」
パスカルは尚も主張しようとしたが、男爵は取り合わなかった。
「もう、いい加減にしましょう」と彼は言った。「こんな無益な話で貴重な時間を無駄にするのはやめましょう……一日は二十四時間しかない。お分かりのように私はあまりに忙しくて丸一日カードに触る暇もなかった……実は、私はマダム・トリゴーと娘と娘婿のために、ちょっとした思いがけない贈り物を考えておるのですが、どうやら上手く行きそうです」
この不幸な男は笑い声をあげたが、それはなんとも耳障りな笑いであった!
「つまりですな」と彼は言葉を続けた。「毎年毎年、私は何十万フランという金を与えているが、その見返りとして妻には騙され、娘からは嘲弄され、娘婿からは間抜け扱いされ、この三人から揃って陰口を叩かれておるのです。ですが、私はまだそれを続けてもいい、婿殿言うところの『金蔓』であり続けても良いと思っている。但し、その金に対し、彼らが本物のとは言わぬまでも、せめて見せかけの愛情、献身、尊敬、そういったものを見せて私を喜ばせてくれたら、です! 内容の伴わぬ見せかけ、結構!7.17
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2-XII-3

2024-07-11 10:04:37 | 地獄の生活
「ああ、確かに、仰るとおりです。それは確実に戻って来ない、と言うべきでした。で、そこから私にとっての問題が生じるわけで……貴方がこの大金を私に託してくださるのはひとえに私のためですね? 私自身を始め、世の多くの人にとってひと財産とも言えるこのお金を? もちろんそうですよね……そこでなんです。このような犠牲を貴方にしていただく資格が果たして私にあるのでしょうか? 私はその御親切に報いることが出来るどうか分からないのに……十万フランというお金を私は貴方に返すことが出来るのか?……そう思うわけなんです」
「しかしこの金は貴方がド・ヴァロルセイの懐に飛び込み、信頼を得るために欠かせないものではないですか……」
「確かにそのとおりです。もしこのお金が自分のものであれば、私は躊躇などしないのですが……」
トリゴー男爵は元からパスカルの性格を非常に高く評価していたが、これほどまでの誠実さから来る配慮を見せられ、心を動かされた。大富豪は誰でもそんなものだが、自分の貧乏を恥とせず威厳を持って振る舞う人間を彼は殆ど見たことがなかった。彼の知る貧乏人とは、二十フラン金貨が落ちていれば、それがどぶの中でも、這いつくばってでも喜んで取りに行く人間たちだった。
「いいですか、親愛なるフェライユール君」 と彼ははっきりした口調で言った。「ご安心なさい。私がこの犠牲を払うのは、あなたの為ではありません」
「え?」
「私の名誉を賭けて申し上げる。もし貴方という人がいなくとも、私はどっちみち十万フランをヴァロルセイに貸すでしょう。もし貴方がそれを彼に持って行きたくないと言うのであれば、別の者にやらせるだけですよ……」
このように言われては、これ以上議論するのは気まずくなるだけであろう……。パスカルは差し出された男爵の手をぐっと握りしめ、ただ一言だけを発した。だがその口調にはあらゆる誓いと同じ価値があった。
「感謝します」
男爵の方は礼儀正しく肩をすくめた。こんなことは何でもありませんよ、お礼には及びませんと言う代わりに……。それから、彼のいかつい身体つきによく似合う、ややぶっきらぼうな調子で言った。
「よろしいかな。この金子はいかようにも貴方の好きなように使ってくだされば良いのですぞ。それが貴方のために最上の働きをすれば、それはそのまま私のためにもなる。いつどのようにド・ヴァロルセイ氏の手に渡すかは、貴方の判断に委ねます。一時間後であろうと、一か月後であろうと、一度にであろうと五十回に分割してであろうと、またいかなる条件をつけようと、意のままに……。この十万フランは犬を溺れさせるために首に巻き付ける紐だと思ってください……」
男爵は野卑な親爺風を装いながら、抜け目のない洞察力を隠していた。パスカルはそれを理解し、自分の胸中が見透かされていると感じた。7.11
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2-XII-2

2024-07-04 08:52:35 | 地獄の生活
男爵夫人が自然のままでいることを選んでいれば、今頃どんな姿でいることだろう! というのは、もともとの彼女の髪はマルグリット嬢のものと同じく黒であり、三十五歳まではそうしていた。それから赤毛が疫病のように爆発的に流行したときは赤毛に染め、廃れるとやめた。このようにして今でも四日に一度は美容師が彼女の頭に特殊な液を塗りにやって来る。その後太陽光を浴びながら乾かすため、数時間はじっとしていなければならない。そうすることで髪により金色の光沢を与えることになるという……。
そんなことはどうでもよい!パスカルがまだこの出会いに気が動転していたとき、召使が男爵の書斎のドアを開けた。それは巨大な部屋で、この一間だけで家賃三千フランのアパルトマンがすっぽり収まるかと思われた。調度品は、気に入った物はなんでも即座に買うことの出来る金持ちが集めるような特別に豪華なものばかりだった。その中に男爵が居て、山のように積まれた書類の整理に没頭している数人の男たちの中で非常に忙しそうにしていたが、パスカルの姿を見るや、勢いよく立ち上がり、手を大きく差し出しながら彼の方に近づいてきた。
「ああ、いらっしゃいましたね、モーメジャンさん!」と彼は叫んだ。
彼はちゃんとパスカルの別の名前を覚えておいてくれた! これは些細なことではあるが、この上ない吉兆であるように思われた。
「はい、参りました……」とパスカルは言い始めた。
「ああ、もちろん、もちろん」と男爵は彼の言葉を遮って言った。「さぁこちらへ。二人でお話をしましょう……」
そしてパスカルの腕を取り、書斎から二重ドアで隔てられている寝室へと彼を導いた。ただ、この二重ドアの扉は取り払われ仕切り幕で隔てられていた。寝室に入ると、男爵は話し声が隣の部屋に聞こえる可能性があるので低い声で話さねばならない、と身振りで示した。
「いらしたのは、私があのヴァロルセイ侯爵に用立てると約束した十万フランをお受け取りになるためですね……」
「確かに、男爵……」
「結構、今お渡ししますよ。いらっしゃることが分かっておりましたので、ちゃんと用意してあります。ほら、ここに……」
男爵はライティングテーブルの蓋を開けると、千フラン札三十枚の束と六万フランのフランス銀行手形を取り上げ、パスカルに手渡しながらこう言った。
「さぁ、これだ。ちゃんと額面を確かめてください……」
しかしパスカルは突然顔を真っ赤に染めたまま、黙っていた。というのは、この大金を実際目の前にしたとき、ふとある考えが頭に浮かんだのだ。ごく自然な考えではあるが、今まで思いつかなかったものである。
「え? 何です?」彼の突然のあきらかな躊躇を見て驚いた男爵が尋ねた。「どうかしましたか?」
「いえ、男爵、何でもないんです。ただ、ふと思ったのです……どう言ったらいいか……私はこのお金を受け取るべきなのか、受け取っていいものかと……」
「なんと!何故そんなことを仰る?」
「つまりその、もし貴方がこのお金をド・ヴァロルセイ侯爵にお貸しになれば、それはおそらく戻っては来ないでしょう」
「おそらく、ですと? 貴方は控え目な言い方をなさる!」7.4
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