エミール・ガボリオ ライブラリ

名探偵ルコックを生んだ19世紀フランスの作家ガボリオの(主に)未邦訳作品をフランス語から翻訳。

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2022-05-30 10:08:23 | 地獄の生活

彼女の考えでは、この扉のところまで来てマダム・レオンと話をする人間といえば、ド・フォンデージ氏かド・ヴァロルセイ侯爵のどちらかしかあり得ない……つまりマダム・レオンはスパイとして雇われ、自分の言動を事細かに報告する命令を受けているのだ……。

最初に浮かんだ感情は怒りであった。そしてあの性悪女の計画を挫き、追い出してしまおう、と思った。しかしド・シャルース伯爵の寝室まで戻る間に、ある考えが浮かんだ。狡猾な外交官も顔負けの策である。マダム・レオンの素性が明らかになった今、もはや彼女は恐れるに足りぬ存在であると考えた。然らば、彼女を手放す要などないではないか! こちらは見破っているが自分では何も気づいていないスパイは、役に立つ道具として使えるだろう。

「あの性悪女を利用することが出来ない筈ないわ」とマルグリット嬢は思っていた。「知られたくないことは隠しておけばいい。それにちょっとした手練手管を使えば、なんらかの私の計画に沿った情報を彼女から雇い主に伝わるようにもできる筈だわ。彼女をよく監視していれば、敵が私から何を得ようとしているのかが分かるでしょうし。それに、ことによったら、私に付き纏うこの不幸の真相が突き止められるかもしれない……」

ド・シャルース伯爵の寝室に戻ったときには、彼女はすっかり冷静になり、固く心を決めていた。マダム・レオンを遠ざけないばかりか、かつてなかったほど彼女に信頼を置いている風を装うことに決めた。このような芝居をするのは、彼女の持って生まれたまっすぐな気質とは相容れないもので、嫌悪を感じないではいられなかったが、理性の声がこうささやいた。悪人相手の戦いには彼らの武器を使うことも役に立つので、そうすることは自分の名誉と自分の未来を護ることになるのだ、と。

 一旦行動計画を立ててしまうと、彼女はそれを厳密に忍耐強く守る人間だった。何ものも道を逸らせたり思い留まらせたりすることはなかった。それは時の経過とともに弱まるのではなく、却って強まっていった。毎朝、昨日と同じ意志を持って目覚めることを何年もの間続けられる人間だった。

それに、ある奇妙なもやもやとした疑いが彼女の心を捕らえており、ともすれば弱りそうになる彼女の気持ちを奮い立たせ、躊躇いを払いのけていた。今夜初めて、パスカルの身に起きた惨事と彼女の身の上との間に何か不可思議な関係があるのではないかという考えが浮かんだのである。このように二人の身に同時に同じようなやり方で不幸が生じたのは偶然であろうか?

彼女はただ一人熟考を重ねることで、かの運命的な箴言に行き当たったのである。多くの司法上の誤りの原因ともなったものだが、それは『その犯罪によって利益を得る者が犯人である』というものであった。5.30

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2022-05-28 10:21:36 | 地獄の生活

口先ばかりのマダム・レオンが、何らかの方法で自分を陥れようとしていることを彼女は疑わなかった。彼女に分からなかったのは、マダム・レオンがどのように自分に害を及ぼすことが出来るのか、ということだった。彼女は長いことあれこれと推測を重ねていたが、突然あることを思いついてハッと身体を震わせた。庭にある小さなくぐり戸のことを思い出したのだ。

「あの嘘つき女はあそこから外に出たに違いないわ」と彼女は考えた。

確かめてみるのは簡単なことだった。庭の小さな扉は締め切りになっていたというわけでもないが、最後に使われてから何か月も、あるいは何年も経っていると思われた。ごく最近その扉が使われたかどうか調べてみるのは造作もないことだ。

「一時間以内に確かめてみせるわ!」と彼女は自分自身に言い聞かせた。こう決心すると彼女はうとうとしている振りをし、長い睫毛の間からマダム・レオンを観察していた。この家政婦は肘掛椅子の上で何度も姿勢を変えてからついに目を閉じた。すぐに彼女が深い眠りについたことが明らかになった。その後マルグリット嬢はそっと身を起こし、抜き足差し足で部屋から出た。そしてマッチと短い蝋燭を携え、庭に出た。

一目見るだけで、彼女は自分の推測が正しかったことを知った。庭のくぐり戸は新しく開け閉めされたことが一目瞭然だった。差し錠にはまるで封蝋で固めたように蜘蛛の巣が張っていたのだが、それが引きちぎられていた。錆が錠を覆い、まるでハンダ付けでもしたようになっていたのだが、その錆が取り除かれていた。更に決定的だったのは、取っ手に積もっていた埃の上に手の跡がはっきりと見えたことである……。

「それなのに私は、あの性悪女に自分の一番大事な秘密を打ち明けてたんだわ!」と彼女は思った。「なんという馬鹿なの、私は! 軽はずみにもほどがある!」

今後のことについて思いを固めると、彼女は蝋燭を消した。しかし、ここまで探索をしたからには、この際最後まで見届けたいと思い、その小さな扉を開けた。すぐ前の道端はかなりの広さに亘り、最近の雨で出来たぬかるみがまだすっかり乾ききってはいなかった。近くに一本だけある街灯に照らされ、この部分の地面の上に足踏みのような跡がはっきり見えた。このような足跡の配置だけを見ても、観察力の優れた者なら何か争いのようなものがあったことが分かったであろう。しかしマルグリット嬢にはそのような判断は出来なかった。彼女に分かったのは、子供でも分かること、つまり二人の人間がそこに居た、ということだけであった。しかもかなり長い間……。

可愛そうなマルグリット嬢! ほんの数時間前、彼女はパスカルがド・シャルース邸の前に座っていたのに、彼に気づくことが出来なかった。今は自分の見ている足跡がパスカルのものだと知らせてくれる虫の知らせも何も感じなかった。5.28

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1-XX-9

2022-05-27 10:22:58 | 地獄の生活

マルグリット嬢は騙されなかった。彼女はこう思っていた。

「何か言語道断な振る舞いの証拠がここにあるわ」

しかし、彼女は疑心を外に表さない自制心を保っていた。この家政婦がでっち上げた嘘を見破ってはいたが、彼女はそれを信じたふりをした。

「まぁ、そうだったの、可哀想なレオン」彼女はあっさりと言った。「貴女ったら怖がり屋さんね。恥ずかしいわ」

マダム・レオンは首を振った。

「恥ずかしいところをお見せしたことはよく分かっておりますの」と彼女は答えた。「でも、どうしようもないでしょ、お嬢様、やってしまったことは取り返しがつきませんもの。怖いって思ったら、理屈じゃないんですよ。何か白い物が確かに見えたんです。今ここでお嬢様の顔を見るぐらいはっきりと。あれは一体何だったんでしょう?」

自分の吐いた嘘がまんまとまかり通ったと思った彼女は話を潤色しようと、更に付け加えて言った。

「こうなったら私、一晩中震えて眠れませんわ。何者かが庭に侵入しているんじゃないかと思うと。ねぇ、お願いですから、召使いたちに庭の巡回を命じてくださいませな……。パリには大勢の良からぬ連中がいるんですもの!」

マルグリット嬢は他の場合ならば、このような馬鹿げた要求は一蹴したであろうが、今は自分を欺こうとしているこの偽善者に乗せられることにした。

「そうね、それがいいわ!」と彼女は答えた。そしてカジミール氏と門番のブリジョー氏を呼び、角灯を持って隈なく捜索するよう命じた。勇敢さを自任していない彼らは、見るからに不承不承だったが、最終的には命令に従ったが、当然のこととして何も発見しなかった。

「何はともあれ」とマダム・レオンは言った。「これでほっとしましたわ!」

彼女は実際、ほっとしていた。もう少しで秘密を知られそうになったのであるから。彼女の言葉を借りると『大冷や汗』をかいた後だったのだ。

「うまく追及を逃れたわ」と彼女は思っていた。「ああ神様、一時はどうなることかと思った。一方にはマルグリット嬢、もう一方にあの男、と二人に挟まれて、もしほんとのことが知られたら、どうなっていたことやら……でもあたし、抜け目なく立ち回ったから、何も怪しまれずに済んだわ……」

しかしマダム・レオンが勝利宣言するのはちょっと早すぎた。マルグリット嬢は何かが怪しいと睨んでいただけでなく、何としてもその証拠を手に入れようと固く心に決めていたからである。

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1-XX-8

2022-05-26 09:30:35 | 地獄の生活

「こんな時間に?」

「ええ、ええ、そうですとも! でも好き好んでじゃありませんですよ。そんなことがある訳ございませんでしょ! あ、あの、わたくし、ちゃんと目が見えなくなって、その、困ってしまったんですのよ……」

言い訳をしなければならないのだが、彼女はまだ何も思いつくことが出来ず、必死に探していた。時間稼ぎをしようと意味不明の言葉を呟きながら、何か知恵を授けてくれと天に祈っていた。

「さぁ、どういうことなの?」じれったそうな口調でマルグリット嬢は詰め寄った。「何故外に出ていたの?」

「そ、それはですね、こういうことでございますのよ。つまり、その、ミルザが庭で吠えている声を聞いたように思ったんでございます……ほら、家の中は上を下への大騒ぎになっていますでしょう、皆があの子のことを忘れてしまったんだと思ったんですの。それでもってわたくし、勇気を振り絞って身を危険にさらしたんでございますわ……」

ミルザとはド・シャルース伯爵が可愛がっていたスパニエル犬で、邸の者たちは皆この犬の好き勝手な振る舞いを大目に見ていた。

「それは妙ね」とマルグリット嬢は異議を唱えた。「貴女が三十分前に部屋を出て行ったときミルザは貴女の足元で寝ていたわよ」

「えっ! 本当ですの! ……まさかそんなことがある筈ございませんわ」

「確かなことよ!」

しかしこの頃には、このしたたかな家政婦は落ち着きを取り戻しており、同時にいつものだらだらしたお喋り癖も戻ってきていた。

「まぁお嬢様!」 彼女は厚かましくも言い返した。「わたくし、悲しみのために頭がどうかしていたんですわ。わたくしが庭に飛び出して行ったのは、良かれと思ってのことでございます。出て行くや否や、目の前を何か白いものが走って行くのが見えたんです。ミルザみたいに見えました。で、わたくしその後を追って駆け出したんですわ。でも……追いつけませんでした。ミルザ、ミルザって呼びました……やっぱり見えません。木立の下を調べてみました……やっぱり駄目です。竈の中みたいに真っ暗だったんで、わたくし怖くなりました。あんまり怖かったんで、助けて、と叫んだと思いますわ。で、死に物狂いで走って戻ってきたんです……」

彼女の話ぶりを聞く限りでは、誰しも彼女が本当のことを話していると思ったことであろう。しかし彼女にとって不幸なことに、最初に見せてしまった態度が嘘を告白しているようなものであった。

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1-XX-7

2022-05-24 08:15:05 | 地獄の生活

もう真夜中近かった。部屋の中で人の動く気配がし、衣擦れの音が聞こえたので彼女は振り返った。マダム・レオンが部屋から出て行ったのだった。そして一分も経たないうちに玄関から庭に通じる大きなガラス扉がガタンと閉まる音がした。それはごく当たり前の何でもないことのようにも思えたが、マルグリット嬢は漠然とした胸騒ぎを覚えた。何故だか、その理由は自分でも分からなかったであろう。しかし、それまで大して気にも留めて来なかった些細な出来事が突然脳裏に蘇り、何か不吉なことを意味しているように感じられた。そして彼女は、マダム・レオンが今夜中ずっと、ひどく気に掛かることがあるかのようにそわそわと落ち着きがなかったことを思い出した。普段の彼女は殆ど動くことがなく、何時間も肘掛け椅子にぐったり座っていることが多かったのに、今日は階段を上がったり下りたりを少なくとも十回は繰り返していた。その間中ずっと掛け時計や懐中時計をひっきりなしに見ていた。あまつさえ、誰か彼女を訪ねてきた者がいる、と二度も門番が知らせにきていた。

「またしてもどこへ行ったのかしら?」と彼女は思った。「もう真夜中だというのに……あんなに怖がりの彼女が……」

このように疑問がはっきり形になると、どうしても答えが知りたくなった。しかしマルグリット嬢は最初それを抑えつけようとした。馬鹿げた疑問に思えたからだ。それに誰かをスパイするなどとは思っただけでぞっとした。それでも彼女は耳を澄まし、マダム・レオンが帰ってきたら必ず立てるであろう物音を聞き逃すまいとした。しかしたっぷり十五分以上、扉はまた開かれることはなかった。マダム・レオンはそもそも外に出ていないか、あるいはまだ外にいるか、のどちらかであった。

「これは確かに奇妙なことだわ!」と彼女は思った。「私、思い違いをしたのかしら? はっきりさせなくては!」

奇妙な衝動が意志の力を撥ね退け、彼女はすぐに部屋を出て階段を早足に降りて行った……。玄関ホールまで来たとき、ガラスの嵌った大扉が突然開き、マダム・レオンが入ってきた。

ド・シャルース邸では皆が寝ずに起きていた。階段の大燭台には火が灯されたままだったので、マダム・レオンの姿は日中の光の中で見るようにはっきりと見えた。彼女は全速力で走ってきたかのように息を切らしていた。顔は蒼ざめ、服装は乱れ切っていた。ボンネットの顎紐までも解け、頭からずり落ちて背中の真ん中に引っかかっていた。

「一体どうしたの?」 マルグリット嬢は叫んだ。「どこに行っていたの?」

マルグリット嬢の姿を認めたマダム・レオンはぎょっとして一歩後ろに飛び退いた。ここから逃げ出そうか、それとも留まるべきか? 彼女は一瞬躊躇したようであった。そのことは彼女の目に顕れていた。結局彼女はその場に留まり、作り笑いを浮かべ、不自然な声でこう答えた。

「まぁお嬢様、なんでそのようなことをお尋ねになりますの! まるで怒っていらっしゃるような口調ですこと! わたくし、外に出ておりましたのよ、お分りでしょ」5.24

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