エミール・ガボリオ ライブラリ

名探偵ルコックを生んだ19世紀フランスの作家ガボリオの(主に)未邦訳作品をフランス語から翻訳。

1-XI-5

2021-05-29 10:07:58 | 地獄の生活

マルグリット嬢は新聞を手に取り、驚きと訝りの表情を宿しながら、ゆっくりと新聞を広げた。まず彼女をハッとさせたのは、第一面の二十行ほどが赤鉛筆で囲まれていたことだった。彼女は読んだ。

 『かつての社交界の綺羅星マダムD邸において大スキャンダル発生……』

それはパスカルが名誉を剥奪されたカードゲームでの事件を報じる驚くべき記事だった。そしてマルグリット嬢が疑いを持ち得ないように、この記事を送りつけてきた卑怯者は記事に出ているイニシャルの横に鉛筆で人物名を書き添えていた。すなわち、ダルジュレ、パスカル・フェライユール、フェルナン・ド・コラルト、ロシュコート、と。

かくの如き卑劣な念押しにも拘わらず、マルグリット嬢は最初何のことか分からず、事の重大さも認識しなかったので記事を何度も、ついには四度も読み返した。しかしついに恐ろしい真相が彼女の中で破裂し、新聞を取り落とすと、顔は死人のように真っ青になった。彼女は息も絶え絶えに茫然となり、棍棒で殴られたかのようにぐったり壁に寄り掛かった。そのただならぬ様子に判事は椅子から跳び上がるように立ち上がった。

「今度は何事です?」

彼女は答えようとしたが言葉が出てこなかったので、震える指で新聞を指さし、締め付けられるような声を出した。

「あ、あそこ……」

一読した判事は了解した。これまでの人生で多くの悲惨さを目にし、不幸に遭った見知らぬ人々の打ち明け話を聞いてきた彼だったが、マルグリット嬢を執拗に痛めつける運命の苛酷さに愕然としていた。判事は今にも卒倒しそうな彼女に近づき、肘掛け椅子まで彼女を支えて連れて来た。彼女は椅子に倒れ込んだ。

「可哀想に!」と彼は呟いた。「貴女が心に選んだ青年、その人のために貴女はひたすら我慢をしてきたのに……その青年がパスカル・フェライユールなのですね?」

「そうです」

「その人は弁護士なのですね?」

「はい、申したとおりです」

「住所はウルム通りで間違いはないのですか?」

「はい」

老判事は悲し気に首を振った。

「それでは、間違いなく彼ですね」彼は言った。「私も彼を知っているのですよ。良い青年です。立派な人間だと私は思っていました。ほんの昨日だったら、『彼なら貴女にふさわしい青年だ』と言ったでしょう。彼の一つの汚点もない名声は羨望を覚えるほどでしたよ……それが今はこんなことになって。ゲームに夢中になったあまり……不正をするとは!」5.29

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1-XI-4

2021-05-28 10:27:51 | 地獄の生活

ド・シャルース伯爵が死に際に書いた文言及び彼が発した最後の言葉を吟味することにより、伯爵の意図が読み取れる筈ではないか? 治安判事には経験によって研ぎ澄まされた叡智があるので、それが闇を照らす一条の光を見出す力となるのではなかろうか!

彼はマルグリット嬢に、伯爵がその考えを書き残そうとした紙を持って来るよう頼んだ。それから瀕死の伯爵が口にした最後の言葉をそのとおりの順に彼女自身その場で書きつけた紙も持って来させた。すべてを寄せ集めた結果、得られたものは以下であった。

『私の全財産……与える……友人たち……に備え……マルグリット……一文無しになる……お前の母親……用心せよ……』

単語で数えると十二個になるこの意味不明の文言はド・シャルース伯爵の頭を占めていた懸念の一端を表していたのだ。彼の財産及びマルグリット嬢の将来への心配、そしてまたマルグリット嬢の母親に対する嫌悪と恐怖を表しているようだった。が、それだけのことだ。それでは何の手がかりにもならない!

『与える』という言葉の意味は明らかである。彼は『私は私の全財産を与える……』と書きたかったのであろう。『一文無しになる』というのもまた自明である。彼は自分の娘とも思うマルグリット嬢が自分の財産から金貨一枚受け取ることが出来ないことを考えて胸の張り裂ける思いをしていたのであろう。『用心せよ』は説明の必要もない。

しかし判事にとって全く意味の分からない二つの言葉があった。彼はそれら二つを結びつけようとしたが上手く行かなかった。意味の通るような解釈を考えつくことが出来なかった。『友人たち』と『に備え』の二つである。それらは紙の上で二つ続いており、最もはっきり読み取れる言葉であった。もう三十回ほども判事は小声で繰り返していたがそのとき、ドアをそっと叩く音がして、殆どすぐマダム・レオンが姿を現した。

「どうしたの?」とマルグリット嬢が尋ねた。

家政婦のマダム・レオンはデスクの上にド・シャルース伯爵宛ての手紙の束を置き、こう言った。

「お亡くなりになったご主人様への郵便物ですわ。神よ魂を導き給え!」

それから新聞をマルグリット嬢に差し出し、飛び切りの猫なで声で付け加えた。

「それからこれはたった今、お嬢様にと届けられたものでございますよ」

「この新聞が、私に? お前勘違いをしているのでしょう……」

「いいえ、どういたしまして。私自身、ちょうど門番小屋におりましたときに業者が届けに来ましてね、これはマルグリット嬢にと、はっきり申したのでございます。友人の一人から、ということでございました」

そう言うと彼女は一番丁寧なお辞儀をして出て行った。5.28

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1-XI-3

2021-05-27 09:56:13 | 地獄の生活

「なんでも便利屋のところへ。伯爵が破ってしまった手紙に書かれていた住所を見つけてくれる人だということです」

「で、その男の名前は?」

「フォルチュナとかいう人です」

判事はその名前を手帳に書き、質問を続けた。

「その手紙のことですが、ド・シャルース伯爵の死の原因となったと貴女が考えておられるこの手紙には何が書かれてありましたか?」

「私は知らないのです、判事様。確かに私は千切られた紙片を拾い集めるのを手伝いはしましたが、読んではいませんので」

「ふむ、それは大した問題ではありません。問題は、誰がその手紙を書いたかです。三十年前に失踪した伯爵の妹さんかもしれない、と貴女は仰いましたね。あるいは貴女のお母さまか……」

「はい。そのときもそう思いましたし、今でも同じ考えでございます」

老判事は微笑みながら、指輪をいじくり回した。

「それでは」彼は明言した。「五分以内に、その手紙が貴女のお母上から来たものかどうか、言ってさしあげましょう。ああ、やり方は至って簡単です。書き物机の中にしまわれている手紙の筆跡と直接較べてみるのですよ……」

マルグリット嬢は半分立ち上がりながら叫んだ。

「まぁ、なんて素晴らしい考えでしょう!」

しかし判事は彼女の驚きには気づかぬ風で、短く尋ねた。

「その手紙はどこです?」

「伯爵はポケットの中にお入れになった筈です」

「なら、まだそこにある筈ですな。伯爵の下男を呼んで探させてください」

マルグリット嬢は呼んだが、カジミール氏は主人の葬式の準備や何かで忙しいのか邸内にいなかった。それで二番目の下男とマダム・レオンが代わりにその仕事を買って出た。彼らは甲斐甲斐しく捜し回ったが、問題の手紙は出てこなかった。

「なんと上手く行かぬことか!」伯爵の服のすべてのポケットが裏返されるのを見ていた判事は小さく呟いた。「暗礁に乗り上げたな。見つかれば謎を解く鍵になり得たのに」

しかし彼は意志の力でこの失望を受け止め、伯爵の書斎に戻り再び椅子に腰を下ろした。見るからに落胆の様子を見せていたが、指輪の石をぐるぐる回していた。これは彼がその問題が解決不能なものと見なしていないことを物語っていた。彼は全くめげてはいなかったが、真実に辿り着くためには、多くの時間と彼以外のところから力を借りて捜査をしなければならないことを認識した。差し当たって、希望は一つだけであった……。5.27

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1-XI-2

2021-05-25 09:54:24 | 地獄の生活

 「さて、今回の事件のことです」と彼は言った。「貴女の立場は貴女が思っておられるほどには悪くないということを証明いたしますよ。ですが、これからのことを語る前に、今まで起きたことを少し尋ねますよ……よろしいかな?」

マルグリット嬢は承知したという印に頷いた。

「ではまず最初に、消えた何百万フランという金です。ド・シャルース伯爵が薬壜を書き物机の中に戻したときは確かにあったものが、今はもうない……ということは、伯爵が自分で持って出たに違いない……」

「私もそう思います」

「その金包みというのは嵩の大きなものでしたか?」

「かなり大きなものでした……でもド・シャルース伯爵が着ていらした外套の下に楽々と隠せるぐらいのものです」

「なるほど!で、伯爵は何時ごろ外出なさいましたか?」

「五時ごろです」

「で、彼が運び込まれて来たのは?」

「六時半ぐらいでした」

「伯爵は馬車をどこで拾ったのでしょうか?」

「御者の言うところでは、ノートルダム・ド・ロレットの辺りだそうです」

「その馬車の番号は控えてありますか?」

「カジミールがそうしたと思います」

どうしてこんなことまで根掘り葉掘り聞くのか、ともし誰かが尋ねたとしたら、治安判事はマルグリット嬢の利益のため以外にはないと答えたであろう。事実、そのとおりであった。しかしおそらく自分でも気づかぬうちに、別の理由が彼を駆り立て職権外の質問をさせていたのだろう。この事件の不可解で説明し難い側面が彼の興味を惹いていた。この謎の部分が誰の心にも潜んでいる真実を突き止めたいという欲求を刺激し、鋭い洞察力を行使する機会が目の前にあったため彼はその魅力に抗えなかったのである。マルグリット嬢の返答を聞いて彼はじっと思いに耽っていたが、しばらくして口を開いた。

「しからば、捜査の出発点は、そもそも捜査が行われるならばですが、こういうことになりますな。ド・シャルース伯爵は二百万フランを持って出かけた。彼が外に出ている二時間ほどの間に、彼はこの大金をどこかに預けた……か、もしくは奪われた」

マルグリット嬢はハッと身体を震わせた。

「まぁ、奪われた、ですか」と彼女は呟いた。

「ああそうですとも、お嬢さん、いろんなことがあり得ます……。すべてを想定しなければなりません。ですが、先を続けましょう。ド・シャルース伯爵はどちらに行かれたのですか?」5.25

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1-XI-1

2021-05-24 10:01:45 | 地獄の生活

XI

 

四時半の鐘が鳴った。そっと歩く足音が踊り場から聞こえ、ドアに沿って衣擦れの音がした。治安判事とマルグリット嬢が閉じこもっている部屋の外をド・シャルース邸の召使たちが歩き回っていたのである。二人がなかなか出てこないことを不審に思い、こんなに長時間何を話し合うことがあるのかと訝しく思っていたのだった。この間に書記の仕事は相当進捗している筈であった。

「目録作成がどこまで進んでいるか、見に行って来なくては」と老判事はマルグリット嬢に言った。「ちょっと失礼しますよ。すぐ戻ってきます」 そう言って彼は出て行った。

しかしこれは口実であった。実のところ、彼は自分の感情を隠したかったのだ。この不幸な娘の身の上話を聞いて彼は深く心を動かされたので、冷静になっていつもの慧眼を取り戻したいと思った。ド・シャルース伯爵の生活を毒していた見知らぬ遺産相続人たち、あるいは敵たちの話を聞けば事態は複雑な様相を帯びてきたので、実際判事には冷静になる時間が必要だった。遺産を奪い合うこれらの人々が、書き物机の中の何百万という金がどうなったのか知りたがるのは必定である。彼らは誰にその金を返せと求めるか?マルグリット嬢に、であることは間違いない。そうなればどのような悶着が起きることか……!

治安判事は書記の報告を聞きながら、そのことを考えていた。それだけではない。マルグリット嬢の信頼を得た今は、苦しい状況からいかに彼女を救い出すかの方策を考えねばならなかった。彼女に助言を与え、導くための方策を……。

再びド・シャルース伯爵の書斎に帰ってきたときの彼は元の無表情な男に戻っていた。そしてマルグリット嬢が少し平静を取り戻した様子なのを見て喜んだ。

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