この名前を聞いたとき、パスカルと母はハッと身体が震えるのを抑えることが出来なかった。しかし、フェライユール夫人は懸命に無関心を装って聞いた。
「ド・シャルース様、ですって?」
「ええ、ええ、そうでございますよ、伯爵の。あまりにもお金持ちなもんで、ご自分の財産がどれくらいか把握することも出来ないぐらいで……。もしあの方が御存命でしたら、あたしも人様の家で家事労働をするところまで身を落とすこともなかったでしょう……でもあの方は亡くなられ、今日埋葬が行われる筈です……」
彼女は仄めかしたっぷりの笑みを浮かべ、それから秘密めかした調子で言った。
「昨日ド・シャルース屋敷に行ったんですよ、金銭的援助をお願いしにね、そのとき伯爵が亡くなったことを知らされたんです。ヴァントラッソンが、あたしの亭主ですがね、一緒に行ったんですが、あたし達が喋っているそのときに、玄関を横切って行く娘さんを見て、あの人に見覚えがあるってんですよ。ま、あたしにゃ関係のないことですけど。綺麗なお嬢さんでね、今じゃ雲の上の人みたいな身分で、亡くなった伯爵はご自分の娘として待遇しておられたてことです。世の中には不思議なことがあるもんですね……」
パスカルの顔は石膏のように真っ白になり、目が光を帯びた。フェライユール夫人は身体を震わせた。
「よろしい!」と彼女は言った。「貴女の要求どおり二十五フランということにしましょう……。それと、ときには午後にも来て貰うことがあると思いますが、そのときは文句を言わないで来て貰うという条件で。その際には夕食もお出ししますから」
そしてポケットから五フランを取出し、ヴァントラッソン夫人の手に握らせ、付け加えて言った。
「これは貴女への心づけです」
相手はすばやくその金をしまった。この突然の態度の変化にすっかり仰天していた。こんなことは期待もしていなかったし、どういう理由なのか全く見当も付かなかった。しかし、そんなことは構うものか! この急展開にヴァントラッソン夫人はすっかり有頂天になり、いますぐにも仕事に取り掛かりたいと言い出したので、フェライユール夫人は彼女をこの場から厄介払いするため、昼食に必要なものを買い出しに行かせなければならなかった。
息子と二人だけになるや否や彼女は言った。
「さぁしっかりするのよ、パスカル!」7.31