エミール・ガボリオ ライブラリ

名探偵ルコックを生んだ19世紀フランスの作家ガボリオの(主に)未邦訳作品をフランス語から翻訳。

1-XIII-16

2021-08-29 09:57:46 | 地獄の生活

相手を見定めたと思ったのか、最初に口を開いたのは侯爵だった。

「つまるところ」この問題から解放されたいと思い、やや威嚇的な口調で彼は言った。「もうすっかり腹は決まっておる、というわけか。拒絶は最終的なものか?」

「さい…しゅう…てき、です!」

「私の説明を聞くまでもない、と?」

「時間の無駄です」

この辛辣な返答を聞くと、ド・ヴァロルセイ氏は拳骨を固め思い切りデスク殴りつけたので、上に載っていた書類が三、四枚床に落ちた。彼の怒りはもはや見せかけではなかった……。

「何を画策しておるのだ!」彼は怒鳴った。「一体何が出来ると思っている? 誰のためにこのわしを裏切るのだ? どれだけの金のためだ? どんな計略だ? ……用心するがいい……わしは自分の身を守ってみせる、神の名にかけて! おお、そうとも……しくじれば脳天をぶち抜く覚悟の出来ている男は危険なものだ……。わしがド・シャルースの金を手にするのをもし邪魔だてすれば、お前に不幸が起きることになるぞ……」

フォルチュナ氏の顔からさっと血の気が引いたが、彼は威厳のある表情を変えなかった。

「私を威嚇なさるのは間違っておられます」と彼は言い返した。「私を怖がらせることはできません……。もし私が貴方様と敵対する気があるなら、お貸しした四万フランの返還請求をすればよいことです。金は戻っては来ないでしょうが、貴方様の嘘で固めた財政状態がたちまち明るみに出ます……。それに貴方様はお忘れかもしれませんが、貴方の手で署名された契約書の写しを私は所有しております。それをマルグリット嬢の手に渡るようにすることなどわけはありません。そうすれば、貴方様の金への執着度がどれぐらいのものか、はっきり見せられますね……。では、私たちの関係はこれまでといたしましょう。お互い、それぞれの道を歩んでお互いのことはもう忘れると……。もし貴方様が成功なさるようなことがあれば、私に金を返してくださいませ」

勝利は、遺産という掘り出し物を誰がうまく手中に収めるかにかかっていた。フォルチュナ氏は遠ざかる客を眺めながら自尊心を内に感じていた。身分の高い客の方は辱められ、怒りに顔を蒼白にしていた……。

「なんという悪党だ、あの侯爵は」と彼は独り言ちた。「あの気の毒なマルグリット嬢に教えてやりたいものだ……あの悪党がこんなに怖くなければ……」8.29

 

 

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1-XIII-15

2021-08-28 08:45:04 | 地獄の生活

彼は博打打ちがカードを見ることを恐れるが如く、またアル中が強いリキュールの匂いを嗅ぐことを恐れるが如く、運を天に任せる勝負の誘惑を恐れていた。つまるところ彼は侯爵の巧みな弁舌を恐れていたのだ。もう既に当初の心積もりを超えるところまで深入りさせられてしまったではないか? それに、疑義を差し挟んだりするのは半分言い負かされたようなものだということも彼はよく知っていた。言い負かされるよりは何も聞かない方がましだった。

「もう何も仰いますな、侯爵」と彼は急いで答えた。「無駄でございます。私には金がありません。昨夜貴方様に一万フランご用立てしようと思えば、プロスペル・ベルトミー氏から借用するしかなかったでしょう。本当でございますよ! それに、仮に金があったとしましても、私の返事は同じです。『出来ませぬ』と。人は誰しも、自分の主義に従ってやっていくものではございませんか? 私の主義は、なくした金は追いかけるな、ということです。取り戻そうとすれば破産します。私にとっては、失ったものは失ったもの、もう考えないようにして、別のことを考えます。というわけで、貴方様に御用立てした四万フランは損益勘定に入れ、損失と諦めました。とは申せ、貴方様が私にそれを返却しようとお思いになれば簡単なことでございます。もし私の忠告をお聞き入れになり、おとなしく財産の処分をなされば……」

「そんなこと誰がするものか!」とド・ヴァロルセイ氏は遮った。「絶対せぬ!」

そして彼の脳裏に一瞬稲妻に照らし出されるように破産し零落した男の幻滅と屈辱が浮かび……

「落ちぶれたりなどしないぞ」と彼は叫んだ。「何もかも護り通す、外見も内実も。でなければ、一切を失うのみだ……あんたが断るというのなら、他を当たる。探し回る……我が良き友人たちは私を激しく憎んでおるが、私も御同様に彼らが嫌いだ。彼らにド・ヴァロルセイ侯爵が転落に転落を重ね、安物のズボンに底を張り替えた靴を履き一ルイの借金を頼む姿を見て楽しがらせることなど決してせんからな……。長年自分の優位を見せつけてきたというのに、そんな奴らの服の埃を払ってやったりなどするものか……。そうとも、絶対、そんなことはせん。そんなことをするぐらいなら死んだ方がましだ……それか飛び切り派手な犯罪でもしでかす方が……」

彼は自分の言ったことに自分でも多少驚いたのか、急に口を閉じた。そしてしばらくの間、フォルチュナ氏と彼は黙ったまま互いの目を見つめ合っていた。双方とも相手の心の奥の秘密を見抜こうとしていた。決闘場で戦う者同士が再開の前の休止の時間にそうするように。8.28

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1-XIII-14

2021-08-26 13:31:16 | 地獄の生活

「無駄なお喋りはよそうではないか」彼は言った。「お互い、そんなことに費やす時間はない筈だ。私は貴殿を騙そうとしたことなど一度もない。だから頼む。私が貴殿と同じぐらいの切れ者だと認めては貰えぬだろうか」

相手の反応を待たず、彼は先を続けた。

「私が今日ここへ来たのは、勝負はまだ貴殿が思うほど絶望的状況ではないからだ……。確かに最初は茫然とした。が、その後つらつら考えてみるに、私にはまだ最後の手段が残されておるのだ。あんたも知らぬ手段が。あんたも、ほかの誰もがマルグリット嬢は無一文だと思っておる。そうだろ? ところが私には、彼女は少なく見積もっても三百万の価値があるのだ」

「マルグリット嬢に?」

「そうとも、二十パーセントの親方。彼女が私の妻になったら、その翌日私は十五万リーブルの年利収入を手にすることになるのだ……しかしそれにはまず、彼女と結婚せねばならぬ。ところがあの高慢ちきな女は、私が彼女を愛していて彼女の金には興味がないことに納得しない限り、首を縦に振らんのだ」

「しかし、例の男は?」

「例の男など、もはや存在せぬ。フィガロ紙の夕刊を読んだら納得がいくだろう。そうとも、これで私には競争相手などいない。私の破産をあともう少し隠し続けておれば、彼女は私のものだ。家族も味方もいない若い娘がパリの真ん中で長いこと身を守れる筈がない。とりわけマダム・レオンのような相談相手が間近にいれば尚更だ! ああ、彼女を勝ち取ってみせる。何がなんでもそうせねばならぬ!見ているがいい、今日にも彼女を我が物にする手がある……。今私から手を引くのが賢いやり方かどうか、よく考えてみるがよい。貴殿に頼むのは何も大したことではない。後二か月か三か月私を支援して貰えぬか……なに、三万フランほどの金だ。それぐらい私のために調達して貰えるだろう? これで貴殿からは七万フランを借りることになるが、然るべきときには二十五万フランをお返しする……なにがしかのリスクを負う場合の報酬としてはかなりなものではないか。よく考えて、決心をして貰いたい。逃げ口上や引き延ばしは困る。ウィかノン、そのどちらかで頼む」

一秒も躊躇わずフォルチュナ氏は答えた。

「それなら答えは、ノンです」

侯爵は更に顔を紅潮させ、声は更に荒々しさの度を加えたが、それ以上にはならなかった。

「それでは、私を破滅させる決心が貴殿の中にあるというのだな、はっきりと。私が最後まで言い終わらぬうちに貴殿はノンと言った。少なくとも私の計画がいかに信頼のおける確かな事実に基づいたものか、最後まで聞いてからにすべきではないのか……」

実際のところ、フォルチュナ氏の中にはっきりとあったのは、もう何も聞かないという決心であった。彼は説明など聞きたくなかった。聞けば自分の冒険好きな性格が目覚め、危険はあるが僅かな投資で莫大な利益を上げられるかもしれぬ投機へと誘われることを恐れたからである。8.26

 

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1-XIII-13

2021-08-24 09:30:35 | 地獄の生活

ド・ヴァロルセイ侯爵は、顔を紅潮させ、眉に皺を寄せ、拳を握りしめながら聞いていた。今にも爆発しそうに見えたが、実のところは冷静だった。その証拠に、彼はフォルチュナ氏の無意味なお喋りの下に潜んでいる真意を見抜こうとして、その態度を必死に観察していた。道すがら彼は『親愛なるアラブの親方』と自分が呼んでいる男がこの損失に我を忘れるほど絶望し、喚き散らし、冒涜の言葉を吐き散らしていることだろうと思っていた。ところが全然違い、相手はこの上なく穏やかに落ち着き冷静で、澄ました顔で不幸の甘受を説くではないか。

『これは一体どういうことだ?』と彼は不安に胸を締め付けられながら考えていた。『こやつめ、何を考えてやがる? 俺を倒すための思いがけぬ攻撃を準備していると千対一で賭けてもいいぞ』

それから高慢な冷ややかな態度で口を開いた。それは彼の表現の陳腐さをさらに際立たせた。

「一言で言うなら、私とはこれでちょんということか」

相手は抗議の優雅な身振りをし、思わず心情を吐露せずにいられない、とでもいうような口調で叫んだ。

「この私が貴方様を見捨てると仰るのですか、侯爵!それは心外でございます。貴方様にそのように思わせるようなことを何か私がいたしましたか? ああ、予想外の事態が起きたということでございますよ。貴方様の気持ちを挫くようなことは申したくはございませんが、ここだけの話、抵抗するだけ無駄というものです。まだ希望を捨てきれませんか? 貴方様の贅を好む生活様式を今日まで続けるため、この上なく危険を伴う金策を用いてきましたが、それももう限界ではありませんか? 貴方様がひと月以内にマルグリット嬢と結婚するのでなければ、破産は免れない、というところまで来ているのです……ド・シャルース伯爵の何百万という金は貴方の手には入らず、貴方の身代は崩れ去ります……よろしいですか、もし私が貴方様に御忠告申し上げる失礼をお許しくださるのでしたら、こう申し上げます。この船が沈没することは必定です。こうなったら漂流物につかまるしかありません。密かにかつ迅速に一切合切財産の清算をなさることです。そうすれば貴方の政権者たちの鼻先でいくらか財産を救うことができます……清算するのです、それが今のやり方です! もし私でお役に立てるのでしたら、どうかご用命ください。ニースへでもお発ちになり、私に委任状をお残しください。貴方様のかつての栄華の名残りの中から幾ばくかを救い出します。まだ十分に今後に希望をつなぐほどの額を……」

既に先ほどから、侯爵はせせら笑いを浮かべていた。

「完璧な筋書きだな!」と彼は言い返した。「私を遠ざけておいて、自分は四万フランを取り返そうという腹だな? 全く巧妙な立ち回り方だ……」

 フォルチュナ氏はどうも見透かされてしまったな、と感じたが、だからと言ってどうということもない。

「誓って申しますが……」と彼は言い始めた。

 しかし相手は軽蔑的な身振りで彼を押しとどめた。8.24

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1-XIII-12

2021-08-22 12:08:08 | 地獄の生活

「面倒を見なきゃいけない? お前がか?」

「そうっすよ!俺だって、やるときゃやるんで! うちのお袋、身体が弱って一年前から働くことが出来ないんすよ。俺がいなけりゃ誰がお袋におまんまを食わせるんで? あのろくでなしの親父じゃないっす。セルムーズ公爵から貰ったお金を俺たちには一文も渡さず全部自分で食っちまった親父ですぜ!それに、おいらも皆と同じで金持ちになりたいし、楽しくやりたいっす……将来は立派な馬車を持ったりなんかして……以前のおいらみたいな小僧が馬車のドアを開けてくれる……そしたら必ずその手に百スー握らせてやって……」

ここで家政婦のドードラン夫人が入ってきたので彼は遮られた。彼女はすっかり動転した様子でノックもせずに飛び込んできたのである。

「旦那様!」と彼女は叫んだ。『火事だ!』と叫ぶのと同じ語調である。「ド・ヴァロルセイ様がいらっしゃいました!」

フォルチュナ氏は立ち上がった。真っ青になっている。

「くそ、一体何の用で来やがったんだ!」彼は口ごもりながら言った。「わ、私はいない、と言うんだ。その、なんだ……」

もう手遅れであった。ド・ヴァロルセイ侯爵が入って来ていた。

「あんたたち、席を外してくれないか」とフォルチュナ氏は家政婦とシュパンに向かって言った。

ド・ヴァロルセイ氏が非常に立腹していることは明らかであったが、また自制しなければと念じている様子なのも見て取れた。フォルチュナ氏と二人きりになるやいなや彼は切り出した。

「こういうことか、二十パーセントの親方、あんたは友達を裏切るんだな。昨夜、あんたが私に用立ててくれる筈だった一万フランのことで、私に本当のことを言わず私を騙したのはどういう訳だ? ……ド・シャルース伯爵の件については昨日から知っていたんだろう! 私は知らなかった。つい一時間前にマダム・レオンからの手紙を受け取るまでは!」

フォルチュナ氏は一瞬ためらった。彼は暴力を嫌う穏やかな性格で、最後の最後まで力に頼るようなことは避けたかった。が、ド・ヴァロルセイがステッキを扱う様子はどうも剣呑に見えた。

「誓って申し上げますが侯爵」と彼はついに言った。我々二人にとって恐ろしい不幸をもたらすことになる不吉な知らせをお伝えする勇気が出なかったのです」

「我々二人にとはどういう意味だ?」

「残念でございます。もし貴方様が何千フランかをふいになさったとすれば、私は……貴方様にご用立てしました四万フラン、私の全財産でございます、を失いました……。ですが、御覧のとおり私は事実を受け入れ諦めております。貴方様も同じようになさいますよう……。もうどうにもならぬのですから。負け戦です」8.22

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