「マ、マダム・ダルジュレは?」
「マダムは郊外にお出かけでございます」と門番が答えた。「今夜までお戻りになりません……もしお名刺を頂けましたら……」
「ああ、いや! また来るからいい……」
これはド・コラルト氏から特に注意を受けていたことだった。自分の名前を名乗るな、と。そしてダルジュレ邸を訪れるのは出来るだけ思いがけぬ頃合いを見計らうべし、とりわけ彼女に心の準備をする時間を与えないよう、身分を明かすことを控えるように、と……。それが成功に導く道なのだということを彼も最終的に納得したのだった。
しかしこの最初の躓きに彼はことのほか苛立った。これから丸々午後いっぱいのこの時間をどうやって潰すべきか。不安とじれったさで頭がごちゃごちゃになった彼はじっとしていられなくなった。一台の馬車が通りかかったので、それに乗り込み、ブーローニュの森に向かわせた。それからまた大通りに戻り、『ナントの火消し号』の共同所有者の一人を捕まえてビリヤードに興じ、カフェ・リッシュで可能な限り長々と夕食を取った。
八時の鐘が鳴ったとき、彼はようやくコーヒーを飲み終えた。素早く帽子を被り、手袋を嵌めると、マダム・ダルジュレの舘へと走って行った。
「マダムはまだお帰りではございません」と門番が告げた。女主人がたった今起きたばかりだということを知っていたが、彼はこう言った。「でも間もなく戻られると思います……もしお差支えがなければ……」
「いや結構だ!」とぶっきらぼうにウィルキー氏は答えた。
今回は心底腹を立て、引き返しながら何気なく通りを横切り顔を上げたとき、館の二階のサロンに灯りが灯るのが見えた。三階の窓の二つは煌々と火が灯されていた。
「ああ、なんて女だ!」とこの利口な若者は不平を洩らした。「今度は騙されないぞ! ちゃんと居るんじゃないか!」
マダム・ダルジュレが自分のことを召使いたちに知らせておいたのではなかろうか、という考えがふと彼の頭に浮かんだ。だから自分は門前払いを喰らったのだ、と。
「確かめてやろうじゃないか」と彼は考えた。「明日の朝までここで監視することになったとしても!」2.3