エミール・ガボリオ ライブラリ

名探偵ルコックを生んだ19世紀フランスの作家ガボリオの(主に)未邦訳作品をフランス語から翻訳。

2-VI-3

2023-02-03 09:32:58 | ソーンダイク博士

 「マ、マダム・ダルジュレは?」

 「マダムは郊外にお出かけでございます」と門番が答えた。「今夜までお戻りになりません……もしお名刺を頂けましたら……」

 「ああ、いや! また来るからいい……」

 これはド・コラルト氏から特に注意を受けていたことだった。自分の名前を名乗るな、と。そしてダルジュレ邸を訪れるのは出来るだけ思いがけぬ頃合いを見計らうべし、とりわけ彼女に心の準備をする時間を与えないよう、身分を明かすことを控えるように、と……。それが成功に導く道なのだということを彼も最終的に納得したのだった。

 しかしこの最初の躓きに彼はことのほか苛立った。これから丸々午後いっぱいのこの時間をどうやって潰すべきか。不安とじれったさで頭がごちゃごちゃになった彼はじっとしていられなくなった。一台の馬車が通りかかったので、それに乗り込み、ブーローニュの森に向かわせた。それからまた大通りに戻り、『ナントの火消し号』の共同所有者の一人を捕まえてビリヤードに興じ、カフェ・リッシュで可能な限り長々と夕食を取った。

 八時の鐘が鳴ったとき、彼はようやくコーヒーを飲み終えた。素早く帽子を被り、手袋を嵌めると、マダム・ダルジュレの舘へと走って行った。

 「マダムはまだお帰りではございません」と門番が告げた。女主人がたった今起きたばかりだということを知っていたが、彼はこう言った。「でも間もなく戻られると思います……もしお差支えがなければ……」

 「いや結構だ!」とぶっきらぼうにウィルキー氏は答えた。

今回は心底腹を立て、引き返しながら何気なく通りを横切り顔を上げたとき、館の二階のサロンに灯りが灯るのが見えた。三階の窓の二つは煌々と火が灯されていた。

 「ああ、なんて女だ!」とこの利口な若者は不平を洩らした。「今度は騙されないぞ! ちゃんと居るんじゃないか!」

 マダム・ダルジュレが自分のことを召使いたちに知らせておいたのではなかろうか、という考えがふと彼の頭に浮かんだ。だから自分は門前払いを喰らったのだ、と。

 「確かめてやろうじゃないか」と彼は考えた。「明日の朝までここで監視することになったとしても!」2.3

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「もの言わぬ証人」出版

2021-03-03 10:05:14 | ソーンダイク博士

長い時間が掛かり、その間にいろいろなことがありましたが、

オースティン・フリーマン作「A Silent Witness」をようやく訳し終えました。

アマゾンで見てみたら「もの言えぬ証人」というアガサ・クリスティ作品があるようです。原題は”Dumb Witness" 、口がききたくても言葉を喋れない犬が唯一の目撃者、という設定。こちら、フリーマンの場合は死体。まぁ素朴なタイトルです。

以下のごとく、出版開始いたしました。

「もの言わぬ証人 前編」はこちらから

「もの言わぬ証人 後編」はこちらから

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ポルトン言行録(Mr.Polton Explains)

2020-03-07 09:54:31 | ソーンダイク博士

「物言わぬ死体」もそのうち再開するつもりですが、ソーンダイク博士の家に住み込みで働いているポルトン---小さな大司教みたいな人、とジャーディーンに言われていた人物---が語り手となっている中編があるので、それを先に訳していくことにします。幼いとき両親を失い、おばさんに引き取られた少年ポルトンは天性の時計職人、ところが・・・。100年ちょっと前のイギリスの労働者階級の暮らしが描写され、ディッケンズを髣髴とさせます。軽妙さが売り、と本人は思っているようですが、ときに受けを狙ってすべるところなど、「物言わぬ」と似た雰囲気もあり。本邦初訳(多分)なのが訳者としては楽しいところ。

 いずれにせよ、作者自身、大いに楽しみながら書いているということは強く感じます。それが訳出できれば、と念じつつ・・・。

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