エミール・ガボリオ ライブラリ

名探偵ルコックを生んだ19世紀フランスの作家ガボリオの(主に)未邦訳作品をフランス語から翻訳。

1-IV-9

2020-10-31 09:01:52 | 地獄の生活

彼は自分の振る舞い、喋る内容などを自分で十分意識していたであろうか? 後に彼は、そうではなかったと語った。このときの彼は一種の幻覚の世界にいるような感じで、まるで亜酸化窒素を吸い込んだときのような状態に近かった。

夜食の時間はすぐ終わった。

「さぁバカラに戻ろう!」とゲームの休止を決めた先ほどの紳士が叫んだ。「貴重な時間をここで無駄にしたぞ!」

パスカルも他の全員と一緒に立ち上がった。部屋から部屋を抜けてサロンに急ぐ際、彼はドア近くで二人の青年の間に挟まれた。

「じゃ、そういうことで決まりだな」と片方の青年が言った。

「そうそう。僕に任せておけ。処刑は僕がやるから」

パスカルの全身の血が心臓に押し寄せた。

「処刑って誰のだ? もちろん俺の、に決まっている。一体どういう意味なんだろう?」

緑のクロスの周りにはプレーヤーが全員場所を替えて座っていた---ツキの流れを変えるため、ということだった---それでパスカルはフェルナンの右隣りではなく、正面に座り、二人の同年配の青年に挟まれる格好になった。そのうちの一人は先ほど処刑という言葉を口にした者であった。

パスカルに親が回ってきたとき、全員の目は彼にくぎ付けになっていた。彼は二百ルイと宣言し、負けた。テーブルの周りにはせせら笑いのようなものが広がり、最も負けの込んでいた一人が小声で言った。

「あの紳士をあんまりじろじろ見るんじゃないよ……ツキを失っちまうから」

この皮肉な言葉は、平手打ちのように気持ちを傷つける口調で発されたため、パスカルの頭の中で稲妻のように鳴り響いた。彼はついにある疑いを、不正直な人間ならとうの昔に感じていたであろうあの疑いを持つに至った。しかしそれは、立派な男の理解の中には入り得ないような中傷であった。立ち上がって、それはどういう意味かと詰問してやろうか、という考えが浮かんだが、彼は自分の置かれた状況に押しつぶされそうになっており、茫然としていた。耳の奥で鐘が鳴り響いているようで、心臓が鼓動を止め、みぞおちには赤く燃えた鉄があるかのようだった。

ゲームは続いていたが、波乱はなかった。賭け金の増減は僅かだった。勝つにしても負けるにしても、叫び声が上がることはなかった。

パスカルには全注目が集まっていた。彼は熱に浮かされたように息を切らし、目に苦悶の色を浮かべながら、カードの動きを追っていた。次々と親が入れ替わり、やがて彼のもとに親の番がやってくる……。

ついに彼が親になったとき、重い沈黙が支配した。なにやら脅迫に満ちた不吉な沈黙だった。女性たちやゲームに参加しない人々が近づいて来て、明らかな不安の色を浮かべながらテーブルの上に屈みこんだ。10.31

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1-IV-8

2020-10-29 08:30:09 | 地獄の生活

「おそらくご存じないのですね、奥様」彼は言った。「私は今夜三千フラン以上も儲けたのですよ」

「存じておりますとも。ですから猶のこと、おそらくやって来るツキの揺れ戻しに備えて儲けをお守りなさいな。この館ではシャルルマーニュを決め込む(勝ち逃げする、の意)のは許されておりますのよ。先だっての夜もダンタス伯爵が軽やかにそっと帽子も被らず抜け出られました。千ルイを獲得なさって、ご自身の帽子を身代わりに残されてお帰りになりました。伯爵は気の利いた方ですもの、誰もあの方を非難するどころか、翌日には皆さん笑っておられました……。さあ、貴方は断固とした方ですわね、見れば分かります。いらして下さい。安全を確保するために、召使用の階段をお使いくださいな。誰の目にもとまりませんから……」

実際のところ、パスカルは迷っていた。が、召使用の階段を使うことで人目を避けるというのは、彼のプライドを傷つけた。

「それは同意できかねます!」と彼はきっぱり撥ねつけた。「人は私のことを何と思うでしょう? リターンマッチをするのが当然です。私はそうしますよ」

マダム・ダルジュレもパスカルもド・コラルト氏が足音を立てないように近づいているのに気付かなかった。彼はカーテンの後ろに隠れて聞いていた。この瞬間、彼は突然姿を現した。

「驚いたなぁ!親愛なる弁護士殿」彼はこの上なく屈託ない調子で言った。「君の細やかな気配りは素晴らしいと思うよ!……でもマダムの仰ることの方がずっと正しい。さっさと金を持ち逃げするんだ。もし僕が君の立場だったら、千エキュ損する代わりにあんな風に勝ち続けて儲けたら、僕だったら愚図愚図しないね。他の連中には何とでも言わせておけばいい。君は現に金を持ってる。それが一番大事なことさ……」

再び、子爵の言葉はパスカルに決定的な影響を与えた。

「僕は残る!」彼は断固たる調子で繰り返した。

しかしマダム・ダルジュレは懸命に説得しようとした。

「どうかお願いですわ、貴方」と彼女は言った。「どうか立ち去ってください。まだ間に合います……」

「そうだよ!」と子爵も加勢した。「挨拶なんかより現金が大事だ」

この最後の言葉が、いわば最後の一滴となってコップから水が溢れたのだった。パスカルは顔を紅潮させ、興奮し、心をかき乱され、自分でも分からぬ奇妙な感情に捕らえられ、こわばった足取りでマダム・ダルジュレから離れ、食堂へ向かった。

彼が入っていくと、会話がぴたりと止まった。皆の話題になっていたのは自分のことだと、分からないでいるのは不可能だった。本能的に彼は、ここに居るすべての男たちが、理由は定かでないながら、彼の敵に回っていること、何かを企んでいること、が分かった。また、自分の一挙手一投足が監視され、注目されていることにも気がついた。しかし彼は勇敢な男だった。良心に恥じることは何もしていない。それに、彼は座して危険を待つよりは、挑発して危険を招き寄せるタイプの男だった。従って、彼は挑戦的な態度でピンクのチュールのドレスを着た若い女の隣に座り、大変礼儀正しく、あらゆる種類の冗談を言い始めた。彼はウィットに富み、しかも非常にセンス良く会話を盛り上げる習慣を持っていたので、十五分ほど周囲を彼の才気煥発さで魅了していた。シャンパンが出されていたので、彼は立て続けに四、五杯を飲み干した。10.29

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1-IV-7

2020-10-28 09:38:06 | 地獄の生活

このようなひそひそ声でなされる内緒話、疑念、推測、下品な仄めかしの質問やそれに対する無礼な反応など、悪意に満ちた呟きが耳鳴りのようにパスカルを襲い、彼を悩ませた。明らかに彼は平静さを失っていた。そのとき、マダム・ダルジュレがそのテーブルに近づいてきた。

「皆さま、もう三回目ですのよ、夜食の用意が出来ておりますとお知らせして。どなたが私に腕を貸して下さいますの?」

やや気まずい間があったが、大いに負けが込んでいた年配の紳士が立ち上がった。

「そうですな、夜食を頂きましょう!」と彼は大声で言った。「それでツキも変わるだろう」

この配慮は決定的なものであった。サロンから、まるで魔法のように人々が消え去り、緑のクロスを敷いたテーブルの前にはパスカル一人が残された。彼は目の前に積み上げられた金をどうしたら良いのか分からなかった。それでもどうにか自分のポケットに分散して押し込み、他の客たちに合流するため、食堂へ急いだ。が、そのときマダム・ダルジュレが彼の前に立ちふさがった。

「あのね、貴方、一言申し上げたいことがございますの」と彼女は言った。

彼女の顔はいつもの謎の無表情のままで、例の永遠の微笑が唇に漂っていた。それにも拘わらず彼女に何か思うところがあることがはっきりと表れており、パスカルはどぎまぎしていたものの、そのことに気がつき、驚いた。

「慎んでお伺いします、奥様」と彼はもごもごと呟き、お辞儀をした。

彼女はすぐに彼の腕を取り、窓枠で囲まれた空間に彼を連れていった。

「貴方は私をご存じではありませんけれど」彼女は大変低く、大変早口で言った。「貴方にお願いがありますの。貴方にやって頂きたいことが」

「仰ってください、奥様」

彼女は口ごもった。自分の考えをどうやったら上手く伝えられるか言葉を探すかのように。それから、ズバリとした口調で言い始めた。

「今すぐここからお引き取り願いたいんです……誰にも一言も言わずに……他の方々が食事を取っていらっしゃる間に」

パスカルの驚きは仰天に変わった。

「何故帰らなければならないのです?」と彼は聞いた。

「それは……いいえ、それは言えないのです。どうか、気まぐれだとお思いになって。それは単なる……どうかお願いです、嫌と仰らないで。私のためにお願いします。その代わり、私、貴方には未来永劫感謝をいたしますわ」

彼女の声や態度には切羽詰まった懇願が感じられ、パスカルは心を打たれた。彼は身震いし、自分の内に何か恐ろしく、取り返しのつかぬ不幸の予感のようなものを強く感じた。しかし彼は悲し気に頭を振り、苦々しい口調で言った。10.28

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1-IV-6

2020-10-27 13:42:54 | 地獄の生活

 パスカルがバカラの進行やメカニズムを理解するのに一分と掛からなかった。すぐに親の番がパスカルに巡ってきた。ド・コラルト氏が百フランと宣言し、カードを配り、負けたので、カードをすべてパスカルに渡したのだった。最初のうちは、運を試しながらやらなければいけないので、慎重に進行していたが、徐々にゲームは活気づいてきた。何人かのプレイヤーの前には金が山のように積まれていたが、やがて大砲---高額の紙幣のことである---が出回り始めた。しかしパスカルは無駄な虚勢を張る男ではなかった。

 「一ルイ!」と彼は言った。

 その金額のみみっちさは注目を浴びた。が、すぐに彼の周囲の二、三人から声が上がった。

 「受けた!」

 彼はカードを配り、彼が勝った。

 「今度は二ルイだ!」彼がまた言った。

 同じように承認され、彼が勝った。彼の手札が非常に好都合だったため、あっという間に彼の前には六百フランが集められた。

 「親を回せよ」とフェルナンが囁いた。

 パスカルは忠告に従った。

 「僕は自分の勝ちに執着してるんじゃなく」と彼はド・コラルト氏に耳打ちした。「危険を冒さず、おしまいまでゲームを続けられる元手を持っておきたいのさ」

 しかし、この配慮は無用だった。また彼に親が回って来て、最初の時より更にツキが彼に味方した。百フランから始め、二倍、二倍を繰り返し、六回目には三千フラン以上を稼いでいた。

 「なんということだ!……こちらさんはツキまくっておられる!」

 「やれやれ!……彼にとって生まれて初めてのゲームなんですよ」

 「そういうことか、無邪気の頭に神宿る、ってわけだな」

 こういった言葉が飛び交っていたので、それらがパスカルの耳に入らない筈はなかった。彼の頬が紅潮し始め、彼は自分でもそれを意識した。するとこういうときの常で、彼の顔はますます赤くなるのだった。彼は自分が勝ち続けることに当惑し始め、それは見た目にも明らかだった。いまや彼はやけくそ気味にゲームを続けていた。しかし、ツキはいつかな彼を離れようとせず、彼の手札の良さは神がかり的で、彼が何をしようと勝ち続けた。ツキが執拗に彼を追いかけ回しているという風だった。

 明け方の四時には、彼の前に三万五千フランが積み上がっていた。もう随分前から人々は彼のことを不思議なものを見るような目で眺めていた。辛辣な言葉も声高に飛び交い、口から口へ内緒話が伝わるように人々が集まってきていた。

 「あの紳士が誰か知っているか?」

 「いいや、コラルトが連れてきたんだ」

 「聞くところによると、弁護士だとか」10.27

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1-IV-5

2020-10-25 08:58:11 | 地獄の生活

「で、それが悪いことかい?」

「そうなんだ。というのは、この最初の勝利の味というのは忘れられないものでね、それで人はゲームを辞められなくなる……またゲームをやる、負ける、負けを取り返したいと思う……そうなったらもうおしまい、病みつきになるのさ」

パスカル・フェライユールは口元にほほえみを浮かべていた。自分に自信のある者の微笑だ。

「僕の頭はそう簡単に正気を忘れないよ」と彼は答えた。「僕は自分の名前を大事にしなくちゃいけないし、これから一財産作らなくちゃならないから、軽はずみなことは出来ない……」

「頼むから」と子爵は強調した。「僕の言うことを信じて! 君にはこれがどういうものか分かっていない。どんなに強靭な意志の持ち主でも、どんなに冷静な人でもこれに執りつかれることがあるんだ……賭け事なんかしないで、帰ろう」

彼は声を大きくしていた。まるで、そのときソファに近づいてきた二人の客にわざと聞かせようとしているかのようだった。彼らは彼の言葉を聞きつけた。

「これはこれは、我が目と耳を疑うところです!」二人のうちの一方、年配の男が叫んだ。「これは本当にフェルナン君なのかい?スペードのクイーンの愛好者をゲームから引き離しにかかろうとしているのが?」

ド・コラルト氏はさっと振り向いた。

「ええ、ええ、僕ですよ」彼は答えた。「僕は自分の財産を注ぎ込んで、うぶな我が友にこう教えてあげる権利を買ったんですよ。『用心せよ。僕のようにならないように』とね」

最上の忠告というのは、あるやり方で与えられると、まさに真逆の効果を必ず引き起こすものだ。ド・コラルト氏のしつこさ、愚かな言い回しに込められた尤もらしさは、どんなに辛抱強い男をも苛立たせずにおかなかったであろう。彼の保護者ぶった態度はパスカルの神経に障った。

「君は何を言おうと自由だよ、だが僕は……」

 「どうしてもやるのかい?」とド・コラルト子爵が遮って尋ねた。

 「ああ、どうあっても」

 「なら、仕方がないな。君はもう子供じゃないんだし。慎重にと、僕は十分に君を諫めたわけだからね……それじゃやろうか」

 彼らはテーブルに近づいて行った。席を指定され、パスカルはフェルナン・ド・コラルトの右手に座った。ゲームはバカラで、子供でもできる単純なルールながら情け容赦のないものだった。技術も作戦も必要なく、知識や計算も無意味なゲームである。偶然のみが支配し、しかも恐ろしい速さで決定されて行く。愛好者たちは、冷静さと長い経験があれば、ある程度ツキの悪さに対抗できると主張する。そうなのかもしれない。確かなことは、このゲームは二人、三人、あるいは四人のプレイヤーで行われるということである。順繰りに親になった者が適当と判断した額を決め、それが通れば、カードが配られる。親が勝てばそのまま続けるか、親を譲るか、自由に決められる。もし負ければ、次のプレーヤーが親になる。10.25

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