エミール・ガボリオ ライブラリ

名探偵ルコックを生んだ19世紀フランスの作家ガボリオの(主に)未邦訳作品をフランス語から翻訳。

2-XIV-3

2025-01-30 11:54:59 | 地獄の生活
そのときこそ、私が許されぬ罪を犯したときでした……。このような秘密の手紙のやり取りをすることは過ち以上のものだと分かっていたから。貴族でない男に私を嫁がせるなんてこと、私の家族が許す筈がないということはよく分かっていたし、このような関係を続けていれば絶望的な結果に繋がることは間違いのないことでした。自分の純潔や、これまで汚点のなかった一族の名誉、私の幸福と人生が危機に瀕していた。一言で言うなら、私は自分を見失いつつあったのです。
でも、どんなことがあっても私は頑として決心を変えなかった。説明できないようなある種の酩酊状態に捉われ、全てを犠牲にしても、鋭い破滅的な喜びを味わうのだ、という……。
とにかく彼は私にものを考える暇も、息を吐く間も与えなかった。どこにいようと、絶え間なく自分の存在を私に感じさせ続けた……。超人的な巧みさと大胆さ、そして誘惑のテクニックで、彼は私の生活の中に入り込んでくる術を持っていた。父の邸の中にさえ……。朝目が覚めると、自分の部屋のマントルピースの上に珍しい花で一杯の花瓶が置いてある、ということが何度も何度もあった。誰がいつ、どのようにしてそこに置いたのか、私はどうしても分からなかった。だって前の晩寝る前に私は自分の部屋のドアに二重に鍵をかけておいたのに。
ああ、自分の周囲に絶え間なくある情熱が息づいているのを感じずに済む方法なんてあるかしら。自分の呼吸しているその空気の中にさえ入り込んでくる、そんな情熱を!それに身を任せずにどうしていられるでしょう……。
アルチュール・ゴルドンの目的を知ったときはもう遅かったのです……。
彼がパリにやって来たのは、どこかの裕福な女相続人を誘惑するという固い決意を持っていたからでした。そしてたっぷりの持参金と共に彼と結婚することを家族に無理やり同意させる。そのためにはその家の名誉を汚すようなスキャンダルを惹き起こし、どうしても結婚させることが必要なようにする……。
世の中には、そうやって一山当てようとする以外の方法を知らない、という男たちがいるものです。
彼は、私以外にもう二人、非常に裕福な家の令嬢に言い寄っていました。三人のうち一人は攻略できるだろうと目論んだのです。
で、最初に降伏したのが私でした。天によって定められたとしか思えない、予期せざる偶然の出来事が私の運命を決めたのです……。
うちの庭園の真ん中にはあずまやがあり、そこには玉突き室とフェンシングの練習に使える大きな部屋があって、私の兄は先生や友人たちと練習する場所として使っていました。私はアルチュールにどうしてもと哀願され、夜、そこで既に数回彼と会っていました。
そこでは私たち二人だけだと信じ込んでいたので、私は自由に振る舞える嬉しさで大胆になり、蝋燭を灯すことさえしていたのです……。
ある夜、アルチュールとそこで落ち合ったとき、何か背後で荒々しい息遣いが聞こえたように思ったのです。驚いて振り向くと……入口のところに兄が立っていました。
ああ、そのとき私は自分がいかに罪深いかを悟りました。私の兄と私の恋人、二人のうちどちらかは、ここから生きて出ることは出来ないだろうと……。1.30
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2-XIV-2

2025-01-25 16:08:23 | 地獄の生活
それだけでなく、私の周りで話されているのは、いかにして全ての財産を兄に継がせ、誉ある家名を維持するか、それに、いかにして持参金なしで私との結婚を受け入れてくれるどこかの老貴族を見つけるか、あるいは、修道院に入りたいと私の口から言わせるか、ということばかりだった。そういう修道院は哀れな貴族の娘にとっての避難場所でもあり、牢獄でもありました……。
私は自分の許されざる過ちを弁解しようとしているのではありません。ただ経緯を述べているのです……。
私は自分が世の中で一番惨めな存在だと思っていました。実際、そうだったと思います、自分でもそう信じていたのですから。そんなとき私はアルチュール・ゴルドンに出会ったのです。あなたの父の……。
彼を初めて見かけたのは、ド・コマラン伯爵家で催された宴でのことでした。一介の遊び人である彼がどのようにして、あのような特権に固執する閉鎖的な集まりに入り込むことができたのか、私には今もって分かりません……。
ただ一つあまりにもはっきりしているのは、私たちの目が合ったその瞬間、私の心は底の底まで掻き乱され、私はもう自分が自分でなくなったように感じてしまったのです。
ああ、神様はどうして人間の顔にその魂が映し出されるようにお作りにならなかったのでしょう!
心の底まで腐りきっていて、どうしようもない偽善者だった彼の顔からは高貴さと正直さしか感じられなかった。悲しげな重々しさがあり、運命を甘んじて受け入れることをしない人間の魅力があった。それにどこか謎めいて悲劇的な雰囲気が全身から漂っていた。
それというのも、そのとき既に彼は荒れ狂う嵐のような経験を経て人間が変わってしまっていたからだった……。彼はまだ二十六歳にもなっていなかったけれど、奴隷船の船長をして、メキシコで戦い、政治の名のもとに略奪や殺人を犯すならず者集団の頭だったのです。
彼を一目見て私がどんな強い印象を受けたか、彼はすべてお見通しだった。それから二度、社交界の集まりで彼を見かけたけれど、彼は私と話そうとはしなかった。私を避けるような素振りも見せたけれど、離れたところに立って燃えるような目で私をじっと観察し、彼の欲望と意志の力で私の心の中に入り込もうとしているかのようだった……やがて彼は私に手紙を寄こしたのよ。ある日召使から見慣れぬ筆跡の手紙をこっそり手渡されたとき、それが彼からのものだと私はすぐに分かったわ。私は怖くなって、最初に浮かんだ考えは、それを誰かに見て貰うことだった。けれど、母のことは敵だと思っていたから、母ではなく父のところへ持っていった。でも父はいなかった。それで私はその手紙を取っておくことにしたけれど、それを読んでしまい、返事を書いた……そして彼は更に返事をくれた……。1.25
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2-XIV-1

2025-01-19 13:06:23 | 地獄の生活
XIV

不意を突かれ、頭の中は混乱しきっていたが、ド・コラルト氏とド・ヴァロルセイ侯爵のことはずっとウィルキー氏の頭を離れなかった。彼らが自分の立場だったらどうするだろう? 『上流階級』のお手本のようなあの二人なら取るであろう態度を真似るには、どういう風な物腰で行けば良い? そうだ、あの物に動じない冷ややかな表情、そしていかにも退屈だというような横柄な態度、あれこそが洗練された最高のものではないか。
 この考えで頭が一杯になり、彼らに負けてなるものかという競争心に燃え、彼はスーツケースの一つに腰を下ろし、脚を組み、あくびをかみ殺している風を装い、密かに呟いていた。
「はいはい、そうですか!またぞろ長台詞とメロドラマか……面白くもないことになりそうだ」
 マダム・ダルジュレの方はこれから思い起こそうとする記憶にすっかり気を取られていたので、ウィルキー氏の無礼な態度に気がつかなかった。
 「そう、あなたに言っておかねば」 と彼女は喘ぎながら再び口を開いた。「あなたにというより私自身のために。私は自分が何者であるか、そしてどんな苦しみを経て現在の状況に辿り着いたか話しましょう。現在のこの状況……私にとってすべての終わり……。
 私の家系を知っていますか……教えてあげましょう、あなたは知らない筈だから。私たちの家系はフランスで最もよく知られた名門の一つです。その家柄の古さにおいても、姻戚関係の煌びやかさにおいても、財産においても……。
私がまだ少女だった頃、両親はフォブール・サン・ジェルマンに住んでいました。ド・シャルースの古い館は本物の立派なお城で、今のパリではもう見られなくなった広大な庭に周囲を囲まれていました。数世紀を経た自然な木々が影を作っている本物の庭園……。
確かに、お金で買えるものは全て手に入ったし、我儘のしたい放題だったけれど、私の青春は惨めなものだった……。
私の父は私にとって殆ど見知らぬ人同然だった。というのは、父は政治的野心に執りつかれ、目まぐるしい政争の渦の中に巻き込まれていたから……。母はと言えば、私を愛していなかったからか、愛情を見せるのは地位にふさわしくないことだと思っていたからなのか分からないけれど、自分と私の間にガラスの壁のようなものを築いていた……。兄は自分の楽しみにあまりに夢中になっていて、取るに足りぬ妹のことなど眼中になかった……。
というわけで私は一人ぼっちで放っておかれ、孤独が生み出す危険な空想に浸るしかなかった。あまりにもプライドが高くて、地位の下の者たちから親切にされても受け付けなかった。慰めといえば本だけで、それも母の相談役によって厳しく選別されたものばかり。でもそれらは私の精神を妄想の世界に導き、あり得ない人物たちのことを思い描くよう計画されていたかのようだった。1.19

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2-XIII-15

2025-01-15 11:06:08 | 地獄の生活
「ああ、そのとおりさ!何百万という金のためならばね!」
「あなたがその危険な性向を抑えられないのを見て、私はよく考えてみました。大金を手にするまで何もあなたを止められない……。毎日のパンを稼がねばならないような貧しい生活を強いられたら、働くことが大嫌いで、おそらく働く能力もないあなたは、どのような泥沼に転落して行くことか?贅沢や物笑いの種になることや不品行が大好きなあなたは、お金を得るためにはどんな卑劣な手段にでも訴えるでしょう。遠からずあなたは刑務所に入れられるか、それと同じような運命を辿ることになるでしょう。あなたについての消息を知るとしたら、あなたが不名誉刑(市民権剥奪などの)を宣告されたときでしょう。でも金持ちになれば、あなたはおそらく正直に生きられる。何も不自由がなければ、恐ろしい物欲に曝されることもない。安易な誠実。そんなものは称賛に値しないけれど……。人間の美徳というものは誘惑と戦い、勝利することにあるのだから……」
 あまりよく理解出来なかったものの、ウィルキー氏は異議を差し挟みたいと思った。が、既にマダム・ダルジュレは先を続けていた。
「なので、私は早速今朝、私の公証人のところへ行って、全てを話しました。今この時間にはもう、ド・シャルース伯爵の遺産を私が相続放棄する旨の文書は、裁判所に提出されている筈です……」
「え、何だって、放棄するって!ああ、そりゃ駄目ですよ……だって、だって……」
「意味が分からないなら、最後まで私の話を聞きなさい……。私が相続放棄をした時点で、遺産はあなたのところに行くのです、息子よ……」
「ほ、ほんとに!」
「ああ心配はご無用、あなたを騙すつもりはありません。私が望むことと言えば、リア・ダルジュレの名前が人々の口に上らないことだけ……。必要な書類はあなたに渡してあげます。私の結婚契約書、それにあなたの出生証明の写しを」
今やウィルキー氏の喉を詰まらせているのは喜びであった。
「そ、それで、い、いつそれらの書類が貰えるんです?」 と彼はどもりながら尋ねた。
「あなたが帰る前に渡してあげましょう……でもその前に、あなたに話しておくことがあります……」1.15

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2-XIII-14

2025-01-11 08:36:43 | 地獄の生活
 「引っ越しではありません」
 「おっと、そんな手は僕には通じませんよ……中庭に並んでる馬車は、それじゃ一体何なんです?」
 「このドルーオ通りの邸に備え付けてあった家具をすべて競売場へと運ばせるためです……」
 ウィルキー氏の顔に一瞬仰天の表情が浮かんだ。
 「何だって、家財道具の投げ売りかよ!一切合切売るつもりですか?」
 「そうです」
 「そりゃ驚いたなぁ!……でもその後は?」
 「パリを出て行きます……」
 「え、そんな! で、どこへ行くつもりなんです?」
 彼女は痛ましく無頓着な風を装い、ゆっくりと答えた。
 「分からない……誰も私を知らない土地に行きます。自分の恥を隠せるかもしれないところに」
 この話題を押していくのは上手くないと考え、ウィルキー氏はそれ以上追求しなかった。
「待てよ」と彼は思っていた。「このままだと彼女はまた俺に説教を始めるぞ。そんなもんは真っ平だ!」
しかし一方では大きな不安が彼の心を騒がせていた。『こんな風にすべてを売り払って出て行く、というのはまるで夜逃げじゃないか。それにこの氷のような応対。非難の嵐に遭うと思っていたのに。ということは、これはマダム・ダルジュレの揺るがぬ決意を表しているのではないだろうか。あくまでも俺の要求を拒否するという……』
「とんでもないことだ!」と彼は再び口を開いた。「そいつは笑えませんね。貴女がいなくなったら、僕はどうなるんです? どうやってド・シャルース伯爵の遺産を請求できるんです? 遺産ですよ、僕が欲しいのは。それは僕が受け取るべきものだ。譲れませんよ。前もそう言った筈だ。僕が一旦こうと決めたら……」
彼は言葉を切った。マダム・ダルジュレの相手を圧し潰すような視線にそれ以上耐えられなかったからだ。
「安心なさい」と彼女は苦々しげな口調で言った。「私の両親の財産を相続できるよう要求する権利を、あなたに残しておいてあげます……」
「ああ!それなら……」
「私の意図とは全く逆だけれど、あなたの脅しを受けて私は決心しました。あなたはいかなる恥辱、悪評を受けようと退くことのない人間だということがよく分かりました……」1.11
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