エミール・ガボリオ ライブラリ

名探偵ルコックを生んだ19世紀フランスの作家ガボリオの(主に)未邦訳作品をフランス語から翻訳。

2-IX-2

2023-08-28 08:59:08 | 地獄の生活
いろんな感情が激しく入り乱れ、いつもは無表情な彼の顔彼の態度があまりに奇妙だったので、ドードラン夫人は好奇心に駆られ、口をぽかんと開け、目を一杯に見開いて耳をそばだて、フォルチュナ氏の前にじっと立ち尽くしていた。それに気づいた彼は怒りの口調で言った。
「そこで何をしている? おかしな真似をするな! じっと見ていたんだな! さっさと戻って台所の監督でもしていろ……」
彼女は震えあがって逃げていった。フォルチュナ氏自身も書斎に入った。じっくり考えてみると喜びが沸々と湧き上がって来て、やがて来るべき復讐への期待に頬が弛み、悪意のこもった微笑が浮かんだ。
「あの娘はなかなか良い勘をしている」と彼は呟いた。「それにツキにも恵まれている……。俺が彼女の味方をしよう、そしてあの恋人、極悪人どもに名誉を傷つけられるがままになったあの頓馬な恋人の名誉を回復させてやろう、と決心したまさにその日、俺に調査の依頼を持ち掛けてきたんだからな。こっちから彼女を探しに行こうと思っていたのに、向こうからやって来るとは! 俺が手紙を書こうとしていたのに、向こうから手紙が来た! 天の配剤なんてないなんて誰が言える?」
多くの人と同じように、フォルチュナ氏も天の配剤というものを信じていた。物事が自分に都合の良いように運んだときには。そうでないときには否定していた。
「もしあの娘が肝っ玉の据わった人間だったら」と彼は考えを推し進めた。「どうやら、俺の見るところ、それは十分に備わっているようだが、それにもし彼女の恋人が押しの強い男だったら、ヴァロルセイとコラルトは遅くとも今月末には破産に迫られるだろう。これには強制和議はないからな!彼らを破滅させるために一万フラン必要で、マルグリット嬢にもフェライユール氏にもその金がない場合は、よし! 俺が立て替えてやろう……五パーセン……いや、無利子でだ。俺のポケットマネーから出してやる、もし必要ならば! ふふん、君たち、復讐が待ち遠しいだろうが、果報は寝て待てだ。一週間待つんだ。そしたら最後に笑う者が誰か分かるというもんだ!」
ここで彼は考えを中断した。ヴィクトール・シュパンが、馬車代を払うため後に残っていたのだったが、今書斎に入って来たのだった。
「二十フラン預かりましたんで」と彼はフォルチュナ氏に言った。「御者には四フラン二十五サンチーム払いました。これがお釣りです……」
 「釣りは取っておけ、ヴィクトール」とフォルチュナ氏は言った。8.28

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2-IX-1

2023-08-23 16:57:59 | 地獄の生活
IX

 アキレスの腱にまつわる神話はいつの時代にも通じる真実を語っている。身分が低かろうが高かろうが、身体が強壮であろうがなかろうが、どこかに弱点を抱えない人間はいない。そこだけが極めて脆く、傷つけらればその痛みは耐え難い。イジドール・フォルチュナ氏のアキレス腱は、彼のふところにあった。彼のその部分が攻撃されることは、彼の生命の源そのものがやられるも同然であった。そこは彼の感受性が最も鋭敏なところであり、彼の心臓が鼓動しているのは胸の中などではなく彼の幸福な財布の中だった。彼が喜んだり苦しんだりするのはその中身によってであり、素晴らしい才覚によって仕事が上首尾に終り、財布が膨らんでいるときには幸せになり、不手際がもとで失敗して空っぽになったときは絶望感に襲われるのだった。
 さて、かの呪われた日曜日、意気盛んなウィルキー氏ににべもなく追い払われ、部下のヴィクトール・シュパンと共に家路を辿るフォルチュナ氏の打ちひしがれた心境はかくのごときものであった。それはまた、ド・ヴァロルセイ侯爵とド・コラルト子爵に対する恨みつらみがどれほど深いものであったかをも物語っている。侯爵の方は現ナマの金貨で四万フランもの金を、一撃のもとに彼からかっさらっていった。そしてもう一方の子爵は、彼を出し抜き、ド・シャルースの遺産という素晴らしいお宝を彼から奪っていったのだ。もう手に入ったも同然と考えていたお宝を。
ただ単に盗まれ、奪われ、騙し取られたのではなく---彼の言葉を借りると---いいように利用され、カモにされ、一杯食わされ、バカにされたのだ。それも誰によってかと言えば……賢く機敏に行動することを生業とし、非の打ちどころのない実務家である彼とは違い、何も知らぬ『素人』にしてやられたのだ! まだ癒えていない傷口に硫酸塩を注ぎ込まれたごとく、自尊心を傷つけられた苦しみは彼の金銭欲を血の滲むほど刺激した。このような場合、彼のような男の脅威は驚くほどの射程距離を持つものだ……。
金というものは非情だと言われるが、堅いものでもある。そしてまさにその性質のために、フォルチュナ氏の復讐心は手の付けられぬものとなった。彼がド・ヴァロルセイ侯爵とド・コラルト子爵によってもたらされた損失に対しぞっとするような冒涜の言葉を吐き散らしたちょうどその時、彼の家政婦ドードラン夫人がマルグリット嬢からの手紙を彼に手渡したのだった。
彼は大いに驚いてその手紙を読んだのだったが、目をこすりながら三度読み返し、自分がちゃんと目覚めていることを確認する必要があったかのように、声に出して読んだ。
『火曜日、明後日……お宅に参ります……三時から四時の間に……貴方様に御相談したいことがございます!』8.23
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2-VIII-19

2023-08-17 09:00:55 | 地獄の生活
「レースでね、もちろん!」とマルグリット嬢は思った。そしてその夜はずっと、良く言えば独創的とは言える節約の仕方についての話題に終始するのを聞いていなければならなかった。真夜中頃になって自室に戻った彼女は腹立ちを抑えることができなかった。そしてもう十回は頭の中で繰り返したであろう言葉を独り言ちた。
「一体私のことを何だと思っているの、あの人たちは! 私が完全な馬鹿だと思っているのね。私の目の前で私の父から盗んだお金で手に入れたものを並べ立てるなんて! 私から盗んだお金でもあるじゃないの! 下賤なペテン師たちには自制心がないから、騙し取った金品を使わずにいられなくて夢中になって使いまくる図、というのは分からないでもないけれど、あの人たちは! あの人たちは頭がおかしいんだわ」
マダム・レオンはしばらく前に就寝していた。マルグリット嬢は彼女が眠っていることを確かめ、治安判事宛ての手紙を再び取り出して次のような追伸を書き加えた。
『追伸 あるちょっとした疑いがあるのですが、隠さず申し上げます……。私の計算するところ、フォンデージ夫妻は今日二万フラン以上を無駄な買い物に費やしました。この破廉恥さは取りも直さず、盗みの証拠が存在しない、だから罪に問われることはない、と彼らが確信を持っているということではないでしょうか? にも拘わらず、彼らは息子であるギュスターヴ・ド・フォンデージ中尉を明日にも私に会わせる、とまだ言い張っています……。明日三時から四時、私はイジドール・フォルチュナ氏の元を訪れます。この男がパスカルの居場所を探してくれる筈なのです。私が家からそっと抜け出すのは簡単な筈だと思っています。というのはこの時間帯、マダム・レオンはド・ヴァロルセイ侯爵を訪れることになっているからです---M』8.17
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2-VIII-18

2023-08-14 12:33:15 | 地獄の生活
あまり、どころではなく、全然問題にならなくなった、のかもしれなかった。
『将軍』はその後すぐ、友人の一人を伴って帰宅した。彼を晩餐に招待したのである。その晩餐の席でマルグリット嬢はフォンデージ氏が夫人に負けず劣らずその日を有効に過ごしたことを知った。彼もまたくたびれた様子だったが、確かにその理由はふんだんにあったようだ。
まずフォンデージ氏は投資で大損をしたという紳士から馬を数頭買い取ったのだが、それらの見事な姿を見れば、代金が五千フランとは破格の安値であった……。その後一時間も経たないうちに、ある有名な馬の目利きであるブリュール・ファヴァレイ氏から、殆ど二倍の値で買いたいという申し出があったのを断ったのだった……。このことで彼はすっかり気を良くし、立派な鞍付きの馬の周囲をうろついた挙句、それが百ルイで手に入ると聞くと、誘惑に勝てなくなってしまった……。これはしかし愚かな散財などでは断じてない、というのはその気になればいつでも少なくとも千フラン高く転売することができるからだ……。
「というわけですからね」と友人は言った。「毎日馬を一頭ずつ買っていれば、一年に三十六万五千フランの収入があるというわけですよ……」
これは単なる冷やかしなのだろうか? 自分が賢い買い物をしたと自慢する癖のある人間に対してよくやるような。それとも、この言葉にはもっと深い、感情を害するような意味が込められているのか? マルグリット嬢には判別の付きかねることであった。
はっきりしているのは、『将軍』がこの感想を機嫌よく聞いていたことであり、更に同じぐらい陽気な調子でこの日何をしたかを話し続けたということである。
馬を手に入れたので、次は馬をつなぐ車体が必要であったが、彼は全く新品同様のものを見つけた。それはロシアの貴族が注文しただけで引き取らなかったため、車体製造業者が損を承知で彼に売ってくれたというのである……。この業者に報いるため、彼は更に二人乗り用箱馬車も購入したのであった。ついでに、目と鼻の先のピガール通りに厩舎と車置き場を借りることにし、翌日には御者と馬丁が到着するのを待つばかりだという。
「そういったこと一切合切ひっくるめても」とフォンデージ夫人が重々しい口調で言った。「私たちが利用していたあの馬鹿馬鹿しい年契約の貸し馬車よりも安くつくんですわね!……あら、本当のことですのよ。わたくしちゃんと計算をしましたから……毎月、やれ酒代だの、割増だのって言って千フラン近くも払ってきたんです。馬が三頭に御者一人ならそれほどにはなりませんわ。それに何という違いでしょう! これでやっと家柄にふさわしく振る舞えますわ。下賤な輩に馬鹿にされることもなくなるし。もう貸し馬車屋が寄こしてくる草臥れ果てた駄馬を恥ずかしく思うことも、あの横柄な態度の御者たちに我慢することもなくなるかと思うと……。最初のお買い物のことをお聞きしたときにはちょっと引きましたけれど……してしまったことは仕方がありません……私は満足しております。他のことで埋め合わせれば良いことですものね」8.14
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2-VIII-17

2023-08-11 15:01:09 | 地獄の生活
幸いにも味方と頼れる人が一人いた。あの老治安判事である……。彼に相談しようかと考えたことは今までもあった。彼女のこれまでの行動はそのときどきの状況に応じてなんとか切り抜けてきたものだった。が、事態の進展の速さを考えると、状況を制御するには自分よりもっと人生経験を積んだ人が必要だと感じていた。
今彼女は一人なので、スパイされる恐れはない。この時間を利用しないのは愚かなことだ。彼女は旅行鞄から筆記用具を取り出し、不意に誰かが入って来ることのないようドアにバリケードをし、治安判事に宛てて手紙を書き始めた。最後に会ったときから起きた出来事の数々を、稀に見る正確さで、細部に亘り省略することなく、すべてを彼女は記した。そしてド・ヴァロルセイ侯爵からの手紙の中味を再現し、何か不測の事態が生じたときには写真家のカラジャット氏のもとに行き、証拠を受け取れるよう詳しい場所も書き添えた……。
手紙は書き終わったが、彼女はまだ封をしなかった。
「もしこの手紙を投函する前に私に何かあったら」と彼女は考えた。「それに備えて、付け加えておかなければ」
その間彼女は可能な限り急いでいた。今にもフォンデージ夫人とマダム・レオンが帰ってくる物音が聞こえるのではないかとびくびくしながら……。
しかし実際は、それは杞憂だった。二人の『掘り出し物漁り』の女性たちが、自分たちの言うところの大仕事を終え、疲れながらも喜びに顔を輝かせて戻ってきたのは六時に近い頃だった。例の衣装を整えるのに必要な物はすべて買い揃え、『将軍夫人』はそれ以外にも滅多にないほどの美しいレースを『お買い得品』の中に見つけ、あろうことか、それを四千フランで買ったというのである。
「こんな機会を逃す手はないわ」と彼女は買った品物を陳列しながら言った。「それに、レースというのはダイヤモンドみたいなものなのよ。出来るだけたくさん買っておくのが賢いの……価値がなくなることがないんだから。こういうのは出費じゃなくて、投資なのよ」
巧みな理屈である。このようにして高い支払いをさせられる夫は一人ではない。
マダム・レオンの方は『大事なお嬢様』に一着の素晴らしい既製服を誇らしげに見せた。フォンデージ夫人からのプレゼントだというのだ!
「おやおや」とマルグリット嬢は思った。「この家ではお金はもう問題じゃないというわけね!」8.11
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