エミール・ガボリオ ライブラリ

名探偵ルコックを生んだ19世紀フランスの作家ガボリオの(主に)未邦訳作品をフランス語から翻訳。

1-XIV-7

2021-09-30 10:55:20 | 地獄の生活

「ほらね! ……言ったとおりでしょ!」彼は叫んでいた。「いつもこうしたもんなんですよ! 私の引き出しの中にこれとよく似た手紙を十通は持っていますよ。これよりもっと感動的なやつを……。食事が終わったら、わたしんちに来て下さい。お見せします。大いに笑えますよ!」

「その手紙をおしまいまで読んで貰えませんか」

「いいですとも」 彼は先を続けた。

「『私一人でしたら躊躇したりなどしないでしょう……私の状態はとても悲惨なものなので死は避難場所に思えるほどです。でもそうなれば、私の子供はどうなるでしょう?
……この子を殺してそれから私も後追いするべきでしょうか? そのようにも考えましたが、勇気が出ませんでした。私は貴方のお慈悲に訴えかけていますけれど、貴方には義務があるのです。私は貴方の邸に行き、ただこう言えばよかったのです。『私は要求します!』と。ああ、でも当時の私はそのことを知りませんでした。自分は誓いに縛られていると思っていましたし、貴方はとても抵抗できないような恐怖で私を押しつぶしていました……。しかし、それでも私の子供は生きていかねばなりません……。私にはどうすることも出来ません……私は酷く卑しいところまで身を落としてしまったので、自分の息子からも距離を置かなければならなくなりました……息子は自分の出自を恥ずかしく思うことがあってはなりません……それで息子は私の存在さえ知らないのです……』」

フォルチュナ氏は凍り付いたように動かなかった。伯爵の過去を知り、あの家具付き安宿のお喋りなおかみさんのヴァントラッソン夫人の打ち明け話を聞いた後では、もう疑いの余地はなかった。

「その手紙というのはエルミーネ・ド・シャルース嬢からのものに違いない」と彼は思っていた。

カジミール氏は先を読み進めていた。

「『私の陥ったこの煉獄の中から今再び貴方に向かって言うことはただ一つ、助けてください、ということです。私は精も根も尽き果てました。私にあるのは、死ぬ前に息子の将来を安泰なものにしなくてはならないという思いです。ただ単に富を手にするということではなく、生きていくための術を身に着けるということです。それを貴方におすがりしたいのです……』」

ここでまたカジミール氏は読みやめた。

「ここですよ!」と彼は言った。「生きていくための術……貴方におすがりしたい……素晴らしいじゃありませんか! 女てぇもんは全くもって素晴らしい……貴方におすがりしたい、とは!結びの部分を聞いてください」

そして彼は続けた。9.30

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1-XIV-6

2021-09-29 12:23:49 | 地獄の生活

「まあね」と彼は答えた。「最初はちんぷんかんぷんでしたよ……。はっきりしてるのは、書き手が女だということです」

「ほほう!」

「そう、まぁ昔の愛人てとこでしょうな……で、子供のために必要だと言って金の無心……女ってもんはそういうところ抜け目のないもんでしてね……ここだけの話ですが、私なんぞ十回はそんな目に遭ってますよ……ですが、あたしゃそんな手には引っかからない」

それから彼は自惚れにはち切れそうになりながら、三度か四度の自称『恋物語』を語り始めた。が、それはどう見ても彼の卑劣さの印象しか与えないものだった。フォルチュナ氏はまるで真っ赤に焼けた鉄板の椅子にでも座っているかのようにじりじりしていた。相手のグラスになみなみと何度も酒を注いた後、ちょっとやり過ぎたことに気づき、これ以上引き延ばす必要はないと判断した。

「で、その手紙というのは?」ついに彼は尋ねた。

「え?」

「その手紙を私に見せてくださると言われたではないですか」

「ああ、そうだった……そうでしたね……でもその前に、コーヒーを一杯飲みたいもので。コーヒーを注文してはどうでしょう?」

コーヒーが出され、食堂の主人がドアを閉めるとすぐカジミール氏はポケットから手紙を取り出し、広げながらこう言った。

「ちょっと待ってくださいよ……私が読み上げますから」

それはフォルチュナ氏の流儀ではなかったので、彼は自分で読みたかったのだが、酔っ払い相手に逆らっても無駄であった。カジミール氏はますますもつれ気味になる舌で読み上げ始めた。

「『186*年十月十四日、パリ』 てぇことは、この御婦人パリにお住まいですな……まぁ大体そんなもんでしょうて……だがその後、『拝啓』も『親愛なる誰それ』も『伯爵様』も何もなしで、いきなり文面が始まってますよ。

『もう何年も前になりますが、一度貴方にお願いをしたことがございます。無慈悲にも貴方はお返事すら下さいませんでした。その当時私は苦境の淵に喘ぎ、貴方にも申し上げましたが、逆上し、眩暈に襲われました……誰からも見捨てられ、私はパリに流れ着きました。住むところもパンもなく、私の子供は飢えていました!』

カジミール氏はここで読みやめると笑い声を上げた。9.29

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1-XIV-5

2021-09-28 10:25:58 | 地獄の生活

「少なくとも奇妙だとは言えるな」と彼は思った。「もしその娘が本当に盗んだとしたら、侯爵はそのことをマダム・レオンから聞いただろうし、その盗みから利益を引き出そうと考えたのではないか? そうなれば俺の金が戻ってくる可能性もある……これは成り行きを注目だ……」

エスカルゴと白ワインの後、鶉とポマール・ワイン(ブルゴーニュの高級ワイン)が続き、カジミール氏の舌は益々滑らかになり、声域は益々上昇していった……。ただそれと同時に、馬鹿げた悪口と中傷の脇道に入り込み、うんざりするような酔態を呈し始めたが、いきなりあの奇妙な手紙に話題が飛んだ。伯爵の発作の原因になった手紙だと彼は言うのであった。それを聞いた途端、フォルチュナ氏は身体が震えた。

「まさかそんな!」と彼は信じられないという態度で応じた。「手紙一通の所為でそんなことになるなんて信じられません……」

「そりゃまぁそうなんですがね……実際そうだったことは確かなんで」

彼は自分の言葉に信頼性を持たせるために状況を説明し始めた。伯爵が手紙を読みもせず引き裂いてしまった様子、その後どんなに後悔したか、せめて差出人の住所を読み取ろうといかに破片を探し回ったかを……。

「その証拠に」と彼は付け加えて言った。「亡くなられた旦那様はその手紙の主の住所を突き止めて貰うよう依頼するため、貴方のもとを訪ねる筈でした」

「それは確かなことですか?」

「このポマール・ワインと同じくらい確かなことでさぁ!」とカジミール氏はグラスを飲み干して叫んだ。

フォルチュナ氏がこのような感情で喉を締め付けられる思いをするのは稀なことである。この手紙が謎を解く鍵であり、彼に富をもたらし得るものであることに疑いはなかった。彼の嗅覚がそのことを彼に告げていた。

「その手紙は見つかったのですか?」と彼は尋ねた。

「えっへっへ……実は持ってるんですよ!」カジミール氏は勝ち誇って叫んだ。「あたしのポケットの中にね。しかも完全な形で」

ショックがあまりに大きかったのでフォルチュナ氏は青ざめた……喜びで。

「それはそれは!」と彼は応じた。「さぞかし興味を惹かれる内容でしょうね!」

相手は横柄に下唇を突き出した。9.28

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1-XIV-4

2021-09-25 10:49:21 | 地獄の生活

後にド・ヴァロルセイ侯爵の結婚の話が持ち上がったとき、フォルチュナ氏は侯爵の一方的な主張の裏付けを取るのに、ド・シャルース伯爵の下男をスパイとして使うのは良い考えだと思うようになった。このようにして二人の関係は続いた。その口実を作るのは簡単だった。カジミール氏は投機家であり、証券取引所で取引していたからだ。フォルチュナ氏は情報を得たいと思うときには、カジミール氏を昼食に誘った。良いワインが良いタイミングで出されるときの効果を知り抜いているので、自分はコーヒーをちびちび飲みながら、さりげなく目的の情報を手に入れるのだ……。ということはつまり、言葉の使い方一つで勝負が決まる今日のような日は、フォルチュナ氏がメニューに気を配るのは当然のことであった。

モリエールの芝居に出てくるアンフィトリオンばりに食事を振る舞う接待役を前にして、純白のテーブルに着いたカジミール氏の目は輝いていた。腹に一物持つフォルチュナ氏が宴を開こうとした場所は、大通りに面した窓から明かりが射し込んでくる小さな『サロン』であった。フォルチュナ氏自身が選び指定した部屋である。他の個室より広くてより快適であるというだけでなく、他の部屋から離れているという利点を持っていた。これらの小部屋は屋根の下地に用いる樅の野地板で仕切られているだけで、紙ほど薄いので中の話が筒抜けになる、信用のならないものだということを知っている者にとってはかなりの利点である。

彼はほどなく、自分の先見の明に自己満足することになった。昼食はまずエスカルゴで始まったが、カジミール氏はふんだんにシャブリを飲み、エスカルゴ十二個を食べ終えないうちに、友の為とあらば胸襟を開いて話せないことなどあろうか、と宣言したのであった。

今朝の出来事が既に彼の頭をすっかり混乱させていた上に、豪勢なご馳走で虚栄心をくすぐられ、彼はとどまるところを知らぬ饒舌ぶりを発揮していた。節度などかなぐり捨て、自由奔放に喋りまくっていたので、その話を聞けば彼がド・シャルース伯爵やド・ヴァロルセイ侯爵、特に彼の敵であるマルグリット嬢のことをどう思っていたかが明らかになった。

「あの女ですよ!」と彼はナイフでテーブルを叩きながら叫んだ。「あの消えた何百万だかを盗んだのはあの女しかあり得ません。どうやったかって? それは誰にも分からない。あの女はこういうことには実に悪知恵の働く女ですからね。しかし、あの女がやったと私は断言します。裁判でこうやって手を持ち上げてね。今朝だって治安判事があんな風じゃなけりゃ証明できたのに。判事はあの女の肩を持ったんですよ、あの女が綺麗なもんだから……あの腹黒女、ひどく綺麗ときてるもんだから……」

フォルチュナ氏は一言差し挟もうとしたが、出来なかった。相手が一方的に会話を独占していたからである。しかし彼の方に不満はなかった。その方が自分の考えにゆっくり浸れるからで、彼の頭にはいろんな奇妙な考えが浮かんでいた。カジミール氏が断言したこととド・ヴァロルセイ侯爵の主張とを較べてみると、それらが一致することに彼は驚いた。9.25

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1-XIV-3

2021-09-24 09:48:01 | 地獄の生活

レストランというよりはワインを提供するのを旨とするこの店は見栄えはぱっとしないが、食事も出来、とりわけ昼食は非常に良いということをカジミール氏は経験で知っていた。

「誰か私を訪ねてきた人がいるかい?」と彼は店に入るや否や尋ねた。

「いいえ、誰も」

彼は時計を取り出し、驚いた素振りを見せた。

「まだ正午にもなってないのか……早かったな……ということなら、アブサンをグラスで、それと新聞を頼む」

店のサービスは迅速で、ド・シャルース伯爵が彼からこのような対応を受けたことは一度もないほどだった。それから彼はまるで投資資金をふんだんに持っている男のような様子で、証券市場の動向をじっくり読みふけった。アブサンのグラスが空になったのでお代わりを注文したとき、誰かに肩を叩かれた。彼が飛び上がるように立ち上がると、目の前にイジドール・フォルチュナ氏がいた。

いつものように、相続人追跡者たるフォルチュナ氏のいでたちは高度に洗練され、靴も手袋も非の打ちどころがなかった。が、口元に漂う微笑はいつもより思慮深くかつ相手を励ますようなものだった。

「御覧のように」カジミール氏は叫んだ。「お待ちしていましたよ!」

「確かに! 私は遅れてしまいました」とフォルチュナ氏は答えた。「しかしその分はすぐ取り返せますよ。と言いますのは、お昼をご一緒して頂きたいと思っておりまして。よろしいですね?」

「それは、その、お言葉に甘えて良いものかどうか……」

「ああ、もちろん、そうして頂きたいものですね。個室を使わせてくれるでしょうから。いろいろお話したいことがありますのでね……」

フォルチュナ氏がカジミール氏と友好関係を結び、しょっちゅう食事を共にしていたのは、友情のためではなかった。誇り高いフォルチュナ氏はカジミール氏のことをいささか見下していた。しかしこのところの出来事で、そうもしていられなくなり、更には彼の商才が彼の背中を押し、嫌悪感をぐっと呑み込むことにしたのであった。

カジミール氏を知ったのはド・シャルース伯爵を通してであった。相続人を見つけ出すという仕事で雇われ、まぁまぁ信用できるということを見せておいたので、伯爵は様々なちょっとした問題を解決する仕事を彼に与えるようになった。そしてその度に伝令となったのは下男のカジミール氏であった。当然ながらカジミール氏は調子に乗って喋りまくり、相手は聞き役となり、そこから表面的な関係が出来上がった。9.24

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