茶々日和~まったりしましょ~

愛犬茶々(Mダックス・メス)とのまったりした暮らしと、趣味の観劇記です。よろしくお願いします。

あたしがいなきゃ、ね!

2013-08-28 10:51:04 | 茶々
茶々子ちゃんだよ!
昨日は茶々子の出番がなくて、がっかりだったよね。
だから、今日はちやんと、ご挨拶。

さて、季節感が薄れてきたっていうけど、地面に近い茶々
子ちゃんに言わせたら、それないわ。
たとえば、近頃は、散歩にいくと、朝露でぐっちょりになるようになりました。
朝のお散歩は、一枚羽織るものが欲しい。

茶々子は、足の裏で季節を感じ取ってます!
(茶々子)
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これでおしまいにします~「二都物語」

2013-08-28 07:54:25 | 舞台・コンサート
いろいろ考えていました。
「二都物語」に対する温度差って、なんでだろうと。
前回はすみれさん一人に責任を押し付けちゃうみたいになっちゃったけど、それだけじゃないと思う。
もともと、すみれさんの動員能力ってそんなになかったと思うし(フォローになってない?)、本質的な問題は、違うところにあるんだと思う。

千秋楽の挨拶で、バーサッド役の福井貴一さんがこんなことをいってました。
「私たち(役者)が舞台の上で生きられるのは、みなさん(観客)の想像力があるからです。」と。
ちゃんと覚えてないので、まちがっていたらごめんなさい。
でも、この福井さんの言葉で、ああ、と思ったのです。

私たちは、「この舞台わかんない。おもしろくない。」と、簡単に言ってしまうけれど、それはフェアじゃない。
寺山修司さんは、「舞台の半分は観客が作るもの」と言っています。
観客が想像力を放棄して、すべてを与えてもらおうとするのは、まちがっている。
それに、「説明不足」というけれど、説明の多い舞台ほどつまらないものはない。
「あかい壁の家」のおもしろさも、わけのわからなさだったように思う。
もちろん、箸にも棒にもかからないお話だってあるけど、「さあ、感動させてください」と、受身で臨むものではないのです。

もちろん、帝国劇場みたいな大きな劇場でやる演目は、ある程度きちんと説明して、娯楽性がなくちゃいけないんだと思います。
だから、鵜山さんのアプローチの仕方は、帝国劇場に来るお客様のニーズにはあってなかったのかと思いました。
その結果、「こんなに高いチケット代に見合わない!」と思った人が、多かったのかなと思う。
でも、失敗作なんかじゃないと思うのです。

「ダーニ―がどうしてやさぐれていたのか、わからない」
そりゃそうでしょ。
説明してないから。
でも、「父親に愛されてなかった」というセリフや「あなたが私の父親だったらよかった」という、それらしいやり取りはちゃんとありました。
それに、弁護士であるからこそ、人間の悲しみや醜さに直面することも多いし、法でさえ正義を守れないことを知りすぎている。
酒場のシーンや法廷の雰囲気で、時代の空気は十分説明されていたと思います。
それで十分じゃないですか。
それ以上、説明が必要?

「処刑の場面で終るより、その後のルーシ―やダーニ―の姿を見せて欲しい」
まったくのナンセンス!
「MA!」のウイーン版の最後が、あの後味の悪さを和らげるために、祈りに改編されたそうですが、私は改悪だと思っています。
後味が悪いのは嫌だけど、その不快感とか違和感があって初めて伝わるものもあるからです。

ロビーで耳にした会話に、反論してみました。

最後に、芭蕉の言葉。

「言ひおほせて何かある」(去来抄)
「五、六分の句は、いつまでもききあかず」(去来抄)

説明はしません。

わかりやすさばかり求めていると、結局、舞台がつまらなくなるだけ。
そんな気がしたのでした。
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チケットとれました

2013-08-28 07:26:52 | 舞台・コンサート
「CHESS」のチケット、うれしいことに、頼んだ分は全部とれていました。
抽選になった日や席種もあったというので、とりあえずよかった。
明日から仕事を再開するのですが、目標が出来ました。
さ、頑張ろう

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