3/29に、広島電鉄 江波車庫に留置中の旧西鉄北九州線の600形を撮りました。
600形は、1948年に西鉄北九州線500形として登場していました。
北九州線は車体長12m級の車両が中心でしたが、戦後の混雑緩和のため3扉を持つ車体長13.6mの大型車体として登場しています。
しかし、大型車体の中扉を埋めて両端2扉改造されたことが影響したためか、ワンマン化されずに運用されていました。
1976~77年には北九州線から引退しましたが、1977年に3両が広電に譲渡され600形(2代目)として登場しました。
1975年の千田車庫火災で3両が被災したため、車両の補充が目的だったようです。
広電では後部扉を中扉に変更し、ワンマン化されて運用されていましたが、1983年には1両が事故に遭い引退しました。
さらに、2001年には不調の1両も引退して、現役は602の1両のみとなりました。
602は江波車庫所属で平日朝ラッシュ時に運用されるそうですが、稼働率は低いらしいです。
この日は千田車庫が管轄する系統を中心に記録していたので、江波車庫が管轄する系統は余り記録できませんでした。
そのため、602を見掛けることができなかったので江波車庫に行ってみたところ、運良く建屋外に留置されていて敷地外から撮ることが可能でした。
1枚目は、江波車庫内に留置されている602です。
2枚目は、602の反対側です。
今回の広島訪問では、平日の朝ラッシュ時に運用されるレアな車両を多く記録することができました。
路面電車フアンの自分としては、とても満足できました。
600形は、1948年に西鉄北九州線500形として登場していました。
北九州線は車体長12m級の車両が中心でしたが、戦後の混雑緩和のため3扉を持つ車体長13.6mの大型車体として登場しています。
しかし、大型車体の中扉を埋めて両端2扉改造されたことが影響したためか、ワンマン化されずに運用されていました。
1976~77年には北九州線から引退しましたが、1977年に3両が広電に譲渡され600形(2代目)として登場しました。
1975年の千田車庫火災で3両が被災したため、車両の補充が目的だったようです。
広電では後部扉を中扉に変更し、ワンマン化されて運用されていましたが、1983年には1両が事故に遭い引退しました。
さらに、2001年には不調の1両も引退して、現役は602の1両のみとなりました。
602は江波車庫所属で平日朝ラッシュ時に運用されるそうですが、稼働率は低いらしいです。
この日は千田車庫が管轄する系統を中心に記録していたので、江波車庫が管轄する系統は余り記録できませんでした。
そのため、602を見掛けることができなかったので江波車庫に行ってみたところ、運良く建屋外に留置されていて敷地外から撮ることが可能でした。
1枚目は、江波車庫内に留置されている602です。
2枚目は、602の反対側です。
今回の広島訪問では、平日の朝ラッシュ時に運用されるレアな車両を多く記録することができました。
路面電車フアンの自分としては、とても満足できました。