3/20に、京都府与謝郡与謝野町にある加悦SL広場で展示中の旧加悦鉄道のキハ08形を撮りました。
1枚目は、鑛山驛のホームに停車中の状況で展示中のキハ08-3です。
2枚目は、加悦SL広場に隣接する野田川親水公園に通じる踏切側のキハ08-3です。
3枚目は、キハ08-3の前面右側に並んだ日本国有鉄道と鋼体化改造 盛岡工場 昭和30年の銘板です。
4枚目は、キハ08-3の前面左側の苗穂工場 昭和37年の銘板です。
キハ08形は、1960(昭和35)~1962(昭和37)年にローカル線用の客車オハ62形が両運転台に改造されて3両登場しました。
当時はキハ40形でしたが、1966年にキハ08形に改称されています。
同時期には、オハフ62形を片運転台に改造したキハ45形が5両、オハフ61形から改造された機関を持たない片運転台の制御車キクハ45形が3両、オハ62形から改造された機関も運転台も持たない付随車キサハ45形が3両登場しています。
当時は気動車が不足する一方、客車は余剰車の発生が予想されていたのでディーゼルエンジンを搭載して気動車改造することが企画されたようです。
しかし、軽量ではない客車にエンジンを搭載したことで車体重量は重くなって走行性能は良くなく、運用上の制約があり、改造コストも高価だったことから後続の改造は行われず、1971(昭和46)年までに全車が引退しました。
キハ08-3は、木造大型客ナハ22-459から1955(昭和30)年に当時の国鉄 盛岡工場で鋼体化改造されたオハ60-130が元の車両です。
北海道向けとして鋼体化改造の際に、窓幅1mの広窓の二重窓で巻上式カーテンが装備されていました。
1962(昭和37)年には、当時の国鉄 苗穂工場で気動車に改造されています。
旧国鉄での廃車後、1974(昭和49)年に加悦鉄道に譲渡され、1985(昭和60)年の廃線まで現役でした。
自分が学生の頃、一度だけ加悦鉄道に乗ったことがあり、当時もキハ10-18が主力でしたが、たまたま検査か何かでキハ08-3が運用されていて乗車したことを思い出し、非常に懐かしかったです。
1枚目は、鑛山驛のホームに停車中の状況で展示中のキハ08-3です。
2枚目は、加悦SL広場に隣接する野田川親水公園に通じる踏切側のキハ08-3です。
3枚目は、キハ08-3の前面右側に並んだ日本国有鉄道と鋼体化改造 盛岡工場 昭和30年の銘板です。
4枚目は、キハ08-3の前面左側の苗穂工場 昭和37年の銘板です。
キハ08形は、1960(昭和35)~1962(昭和37)年にローカル線用の客車オハ62形が両運転台に改造されて3両登場しました。
当時はキハ40形でしたが、1966年にキハ08形に改称されています。
同時期には、オハフ62形を片運転台に改造したキハ45形が5両、オハフ61形から改造された機関を持たない片運転台の制御車キクハ45形が3両、オハ62形から改造された機関も運転台も持たない付随車キサハ45形が3両登場しています。
当時は気動車が不足する一方、客車は余剰車の発生が予想されていたのでディーゼルエンジンを搭載して気動車改造することが企画されたようです。
しかし、軽量ではない客車にエンジンを搭載したことで車体重量は重くなって走行性能は良くなく、運用上の制約があり、改造コストも高価だったことから後続の改造は行われず、1971(昭和46)年までに全車が引退しました。
キハ08-3は、木造大型客ナハ22-459から1955(昭和30)年に当時の国鉄 盛岡工場で鋼体化改造されたオハ60-130が元の車両です。
北海道向けとして鋼体化改造の際に、窓幅1mの広窓の二重窓で巻上式カーテンが装備されていました。
1962(昭和37)年には、当時の国鉄 苗穂工場で気動車に改造されています。
旧国鉄での廃車後、1974(昭和49)年に加悦鉄道に譲渡され、1985(昭和60)年の廃線まで現役でした。
自分が学生の頃、一度だけ加悦鉄道に乗ったことがあり、当時もキハ10-18が主力でしたが、たまたま検査か何かでキハ08-3が運用されていて乗車したことを思い出し、非常に懐かしかったです。