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アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

OSHOバグワンのソーマ・ヨーガの見方-2

2025-01-29 07:22:20 | 冥想いろいろ

◎問題はソーマではなく、本人の準備ができているかどうか。

 

悟り薬、それは一回服用すればニルヴァーナに到達できる薬であって、まるで一かけらを鉛に投入したけで全体が黄金に変成する賢者の石のような薬。それが実際にあれば、ニルヴァーナに入りっぱなしで、ラーマクリシュナのように横になったきりで何日も過ごすような人が続々と出るのではないか。そのようにニルヴァーナの至福感は強烈なのだろう。

ただしニルヴァーナに入りっぱなしというのは、よさげに聞こえるが、ダンテス・ダイジは、そのような状態には否定的だった。実際ラーマクリシュナ(バクティ・ヨーガの覚者)は、数日その姿勢のままなので侍者が口に水を含ませたりなど世話が必要だったようだ。

以下の文では、ドラッグの効果は、現実(ニルヴァーナという意味)に到達できず、幻覚に過ぎないとし、薬物の効果は必ず切れるので、その時冥想しなさいと示している。薬を服用しただけでは悟れないのだ。

そうした非常に科学的な方法で、インドでは過去何万年、ヒンドゥー教のすべての流派がドラッグを使用し続けてきたのだろう。

インドの街頭にコブラ使いがいるのは、リグヴェーダ以来のソーマ・ヨーガの伝統だったわけだ。

まずは、本人の成熟、そしてドン・ファン・マトゥスのような正師との出会いが必要。

これは、旧満州のアヘン窟やアメリカ大都市のフェンタニル依存者あふれる様子とは大分違う。

 

OSHOバグワンがソーマ使用に反対している意見の続き。

『(OSHOバグワンのThe Last Testament, Vol 4 Chapter #6の一部を仮訳)

そして私自身の理解としては、これらの人々も瞑想を試みたのは、ドラッグがある時点で無効になるからだ。免疫がつくのだ。最初は途方もない体験をもたらすが、やがてそれはほとんど体の化学反応の一部となる。それを摂取しないと困難に陥る。体の全てがそれを求めるようになる。摂取しても何も得られない。服用量を増やし続けるだけだ。

インドでは、ドラッグの実験が最も古いものであるはずで、なぜなら世界最古の聖典はリグ・ヴェーダであり、ヒンドゥー教徒の宗教的な源であるからだ。リグ・ヴェーダはソムラスと呼ばれる特定の薬物について言及している。このソムラスのため、オルダス・ハクスリーは、LSDが精製され、 副作用がない究極の薬物が現れた時、それを「ソーマ」と呼ぶだろうと述べた。

名前はリグ・ヴェーダに由来している。 リグ・ヴェーダはヒンドゥー教徒によれば九万年前のものであり、これが間違いだと証明できた人はいない。その古さを証明する議論はほとんど反駁不可能だからだ。それらは論理的ではなく、そうでなければ簡単だろうが、天文学的なのだ。

リグ・ヴェーダには現代の天文学者によれば九万年前に起こった星の特定の組み合わせの記述がある。リグ・ヴェーダを書いていた人々がそれを詳細に記述できる方法は、それを見たことがない限り、ない。 これはどうすることもできない証拠だ。その組み合わせは九万年間再び天空に現れていないという天文学者たちの発言。このため、その当時それを完全に理解していた人々によって書かれたのだろう。 九万年間、ヒンドゥー教徒は薬物を宗教儀式の一部としてほぼ受け入れてきた。

イギリスの統治下で初めて、ドラッグが問題を引き起こしたが、これは宗教的儀式の一部であり、世界で最も古い宗教であったため、イギリス政府も干渉することを恐れた。それでも続いた。

私が子供の頃でも、ドラッグは市場で手に入れることができた。違法性の問題もなかった。ヒンドゥー教のすべての流派がドラッグを使用していたが、それを非常に科学的な方法で使用していた。

特定の量のドラッグを投与し、人に特定の体験をさせ、それからその体験が終わった後に「これはただの錯覚でした。それはドラッグの影響、つまり化学反応によるものです」と説明するのだ。

現実の中で体験してみたいですか? もし幻覚がこんなに素晴らしいのなら、現実がどれだけすごいか考えてみてください。ドラッグによって作られた体験は数時間しか続かず、再び同じ古い腐った世界に戻ってきます。

でも、もしその体験が本物なら、それは永遠にあなたのものです。決して失うことはありません。それはあなたに起こったものではなく、もともとあなたの中にあったものです。それを発見したのです。

だから私は、この方法でドラッグを使用することが間違っているとは思いません。実際、これが現代の人々にとって世界中で取り入れるべきアプローチだと思います。

(中略)

適切な指導--医学的、瞑想的--の下で、薬は大いに役立つことがあります。 薬物が中毒性を持つと、自己への旅において最も破壊的なものになるため、私は薬物に反対しています。その結果、幻覚に魅了されます。そして、それは手間がかからないので、人々は大きな用量をますます取るだけで済むため、安易に進みます。

インドでは、ある時点に達しました.... 今日でも、寺院では毒蛇を飼っています。というのも、人々があらゆる種類の薬物に中毒し、それらの薬物が彼らには全く効果がなかったからです。どんな用量を取っても、彼らは正常の状態を保っています。唯一少しの体験を得るためには、コブラの舌に噛まれることです。それは誰にとっても致命的ですが、彼らにとっては美しい薬物体験です。』

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