◎神代文字を消滅させるほど、当時の日本は爛熟していたのだろうか
ウガヤフキアエズ尊は、死の床で統治関係文書をわが子である15歳の神武天皇に譲ったと、秀真伝に記述がある。
先代旧事本紀大成経では、神武天皇の御代に彼の腹心の天種子命に対し、この粘土板を焼いた文書は神魂と称する大切なもの(おそらく皇統などの古記録であって、神代文字で書かれた文書)だから、忌部、卜部両家が永久に保存せよと命じられたものであった。
昔は、皇位継承に際しては、文書と鏡と剣を引き継ぐものであって、鏡は右の臣、剣は左の臣が奉持した。文書は、神魂と称する大切なものである。
ところが、聖徳太子は、小野妹子と秦河勝に命じて、この土器文書すべてを保管元の忌部、卜部両家から差し出させて、聖徳太子自ら蓋を回して土器文書を見たという。
この土器文書は神代文字文書と思われるが、日本は漢字が入るまでは無文字社会だったというのが現代の定説だが、おそらく真相は神代文字社会であろう。聖徳太子と蘇我氏が、日本を漢字と仏教社会にするため、この土器文書を含め、神代文字を焚書坑儒して撲滅したと思われる。
こういう原日本文化の伝統の粋を破却する荒業をやった反作用か、聖徳太子は一族すべて滅亡。かたや聖徳太子の聖性を評価する後世の聖人はいる。
(以上参照:人類文明の秘宝『日本』 世界破局救済の「使命」その根因を探る 馬野周二/徳間書店P248-252)
古事記は予言の書と言われる。古事記上つ巻は、ウガヤフキアエズの段で終わっている。出口王仁三郎は、終わりの時代に、上つ巻の内容はすべて現実化すると予言している。
上記土器文書の中で、ほぼ神武天皇が譲り受けた時点までの記録こそが、ウガヤフキアエズの段で終わっている古事記上つ巻。
この時代には、中つ巻以降は現実化しないから、焚書かつ神代文字も破却してよいと聖徳太子は考えたのかどうか。
古事記原文の、漢字をほとんど音に当てただけのような妙な文を見るつどそんなことを思う。
出口王仁三郎は、古事記はわやにされたとも言っている。