◎無際限の富を得て酒食乱倫に使う
梁野人、名は戴、長沙の人である。彼の父兄は共に儒学を治めたけれど、彼のみは独り仙道を学び、日夜研鑽して鉛汞修煉の術を得た。
三清殿の後苑に一の銅像があって、ある日、彼はその下に憩って居ると、頻りに唾気が催して堪えられぬので、ふとウトウトとすると夢に長さ一丈あまりの金人が現れ、右の手に一個の金貨を持って、それを彼に与え、あなたがもし銭が欲しいと思う時は左の手を袖の中へ突込み劇(はげ)しく手を振動かせば銭はいくらでも欲しいと思うまで出て来るであろう。但しこの事は決して他人に漏らしてはならぬぞと言う かと思うと、その姿はたちまち消え失せて了った。
梁戴は、夢が醒めてからもなお精神恍惚として居たが、しばらくたって我に
返って見ると、左の手が少し痛みを感ずるので、おそるおそる掌を見ると、うすぼんやりと銭の形がその上に現れて居た。
そこで試に左の手を袖の中へ突込んで、二、三度はげしくゆすぶって見ると忽ち銭が袖の中に一杯になったので彼は大いに喜び、その日は何喰わぬ顔をして家へ帰って来た。
而してその後、彼は益々放蕩に身を崩し、到るところの酒樓に流連して居たので、彼の母はそれを見て大いに心配し、兄の顔は、幼少の頃から学問して進士の試験にも及第し、今は位高き身となって居るのに、お前のみは益々放蕩に身を持ち崩すとは何たる浅間しいことであるぞと言って、時々彼を戒めて居たが、彼は母の言葉などは少しも意に介さなかった。而してその後久しく経つと、彼はにわかに家を飛び出して諸方を遊び廻り、前後十二年計りの間は何の音沙汰もなかった。
どんな人でも人生のうちに少なくとも1回は、袖の中に大金がわくようなことはあるものではないだろうか。
だが、どんなに徳を積んでも3回も王に生まれ変われば、過去世で積んだ徳を使いきってしまうという。
梁戴は、真摯な冥想修行者だったが、欲しいだけ銭が湧く袖を手に入れて放蕩して、元の黙阿弥になったのか、最後に残った現世的欲望を叶え、すべてを捨てる準備としたのか。ニルヴァーナに向けて回り道をしたのか。