母の脳梗塞について、ショックでなかなか書く気になれなかった。
入居している園から、母の様子がおかしいと連絡があり、13日に病院で検査をしていただいた。
その結果、おそらくは11日の夜に脳梗塞を起こしていたことがわかった。
なぜ発見が遅れたかについては、園に対して腹立たしいことや、
私自身後悔していることがいろいろあって、まだ書けない。
診察していただいた時には、発症から2日もたっていて、
母は、車いすから立ち上がることも、
自分で体を前へ倒すこともできない状態でだった。
寝たきりになるのではないかと、まさに絶望感でに打ちひしがれたという思いだった。
体の症状の割には、母の口調は比較的しっかりしていたけれど、
受け答えの内容は怪しい。
両手が何とか動くのが、不幸中の幸いだった。
即日入院となって、その夜から治療が始まった。
高気圧酸素療法という治療法だそうだ。
表情を無くした母は、「じゃ、また明日ね」と言う私に、向こうを向いたまま頷いただけだった。
その夜は、これからどうなるのか、夜も真っ暗なら私自身の心もも真っ暗で、眠れないままで、朝を迎えた。
翌日、面会時間を待って行ってみると、驚いたことに、母が車椅子に座っておうどんを食べていた。
点滴に繋がれた両手でどんぶりを持ち上げてお汁も飲んでいる。
プラスチックの軽いどんぶりとはいえ、昨日と比べたら、凄い進歩だ。
「どう?」と声をかけたら首を回して振り向いて、「ああ、来たの」と答えた。
昨日は頭を持ち上げるのもやっとというように見えたのに。
食事を見守ってくださっていた若い女性の療法士の先生に、発病する前の生活の様子など
お話していたら、涙が出てきて止まらなくなってしまった。
わが子よりも更に若い先生は、いい年をしたおばさんの涙に困られたことだろう。
「よくなってもらえるように、私たちも頑張ります」と、力強く言って下さった。
その言葉がほんとうに嬉しい。
「よろしくお願いします」と、心から頭を下げた。
すがるような思いとはこういうことを言うのだろう。
食べ終えるとすぐにリハビリだということで、私が帰ろうとすると、
「気を付けてね」と、母が私を見あげて言う。
昨日とは、表情が違う。
娘を気遣う気持ちが戻ってきているのだ。
希望が見えてきたようで、帰りの私の気分も昨日よりずっと明るい。
それからほぼ毎日様子を見に通っていると、
治療とリハビリの効果で少しずつ回復しているのがわかる。
1週間たって、一人で歩けるようになった。
以前と同じというわけにはいかないけれど、手すりや壁を伝って何とか歩く。
車いすで足も持ち上げられなかった姿とは大違いだ。
日常生活では、10メートル歩ければ何とかなる。
トイレには行っているけれど、時々失敗があるので、紙おむつのお世話になっている。
いいかっこしいの母は、普通だったら絶対に嫌がるだろうけれど、特に気にしている様子はない。
早く気にするようになって欲しいけれど、86歳という年齢なら仕方がないとも思う。
たとえ、紙おむつと縁が切れなくても、自分で処理できるように回復して欲しい。
そうなるには、やはり精神面が重要なのだけれど、
前頭葉の判断を司る部分が、梗塞でかなり失われてしまったので、やはり問題が残っている。
口調がしっかりしているので、すぐにはわからないが、話しているとやはりおかしい。
痴呆症の症状が表れている。
「タバコ吸いたいんだけど」
「ここは病院だから駄目だよ」
「わかった。タバコ吸いたい」
「だから、駄目だって」
「わかった、だから・・・」
そんな会話を毎日交わす。
禁煙してもらうつもりなので、母は二度とタバコを吸えない。
可哀想だけれど、防火という意味で当然のことだ。
脳の失われた部分が回復することはないそうだから、
その会話をこれからもずっと交わすことになりそうだ。
入院中に、タバコのことは忘れてくれればいいのだけれど、そう簡単にはいかないだろう。
最悪ではないけれど、やはり前途は多難だ。