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特殊潜航艇は攻撃に成功したのか

2011-12-19 | 海軍

 
先日江田島の旧海軍兵学校跡見学のときに撮った、潜航艇の写真です。

8の字の形の魚雷発射口が大きな特徴です。
昭和30年、アメリカ海兵隊によって真珠湾口の海底で発見され日本に送られました。
それにしても、この、まるで中学の技術の時間に生徒がでつくったかのような歪なハッチ。
いくら大戦中のものとはいえ、この技術大国日本の武器とは思えない、
やっつけで作りました感満載のでこぼこの壁面を見ると、その拙い作りの小さな、
「棺桶のごとき」潜航艇に身を委ねて往った若者たちの、命と引き換えに託された思いと、
失われた彼らの未来から、何か重い責めを与えられるようで、思わず胸が苦しくなります。

ここのところ、「義を見てせざるは勇無きなり」という一心で、
感動歴史捏造ドラマ「真珠湾からの帰還 捕虜第一号」を糾弾しています。
勿論、ただ糾弾するのではなく、あまり世間に膾炙していない、酒巻少尉自身の言葉、
「捕虜第一号」を紹介することによって、ドラマで興味を持ち、
インターネットで情報を得ようとする人たちの一助になればという思いでもあります。

今日は、ある意味一番の論点とも言える、
「真珠湾攻撃において特殊潜航艇の戦果はあったのか否か」ということについて、
最近の情報と、酒巻少尉自身の見解をご紹介します。


今回、お涙ちょうだいドラマを製作したそのNHKは、過去放映したNHKスペシャル
「真珠湾の謎~悲劇の特殊潜航艇」によると、(『悲劇』って・・・)

「特殊潜航艇の戦果は全くなし。つまり無駄死にであった。
開戦のための戦意高揚プロパガンダに利用された九軍神+酒巻少尉乙」

・・・とまあ、簡単に言うとそう結論づけています。

ドラマのエンドロールでも、真珠湾に沈座している横山少尉艇とされる潜航艇の映像の上に
「特殊潜航艇による戦果はなかったw(←エリス中尉の悪意のこもった解釈による)」
とテロップを付けて、彼らの「無駄死にぶり」を強調していました。

彼らが開戦にあたり戦意高揚のための軍神になることで利用された、という構図は、
おそらく状況から鑑み、そのとおりであったでしょう。
淵田美津雄少佐が軍令部から「アリゾナの戦果を潜航艇に『欲しい』」と言われた、
という話もあります。

問題は、反戦論への「彩り」のように、この結果を利用するNHKの製作姿勢です。
「特攻は無駄死にだった」とあえて死んでいった若者の遺志をも蔑むのに似ています。

戦争の悲劇、ひいては日本を糾弾する為には傷口に塩を塗ることも死者を鞭打つことも、
そして戦死した人々を冒涜することもなんのそののNHK。
あえてその死は無益なものだった、と強く印象付けるための「オチ」のようなその扱いに、
何度も言いますが不快感を覚えます。

彼らにそんな思想や深遠な意図があったと勘ぐるのはある意味買いかぶりすぎで、
実際はよくある戦争もののお手盛り的構成にすぎず、
全てが終わった後『戦果は無かった』と一言付け加えてむなしさ倍増、といういわば
「お約束のドラマツルギー」のパターンに軽く乗っただけだったのかもしれません。

ところがどっこい。
今年の12月7日、アメリカの研究チームが

「一隻の特殊潜航艇が、真珠湾の侵入に成功し、
米戦艦ウェストバージニアと、オクラホマに二発の魚雷を発射、
(魚雷は一隻につき二発搭載)、
うちオクラホマへの一発が命中、この被害が転覆の原因になったと結論付けた」


と発表してしまったんですねー。製作者の皆さん、当然知ってますよね?
全くざまあみろでございますわ。

このドラマ放映のときにはもう訂正はできなかったんですね。
もっとも、間に合ったとしてもこの「(余計な)一言」が言いたくて仕方が無い風のNHK、
おそらく「気づかないふり」をしたことは予想に難くありません。

それでは攻撃した当人である酒巻少尉は、このときの戦果をどう見ているのでしょうか。
「捕虜第一号」の書かれた昭和24年当時の本人の見解を見てみましょう。

酒巻少尉艇が出撃後、ジャイロコンパスなしの艇走をするうち監視艇に発見され、
爆雷を受け座礁を繰り返しながらも湾内に侵入したことを、
二日にわたって書いてきました。

酒巻少尉はこのことについて、
「監視艇の駆逐艦が終始追い回していたのは、
爆発音や戦闘の様子がその他に無い様子だったことから考えて、酒巻艇一艇のみ」であり、
これは期せずして酒巻艇がおとりのようになって監視艇を引き付け、
その隙に他の潜航艇は湾内に侵入したと考えています。
それはほぼ正確な認識であったことが後日証明されています。

座礁、拿捕された酒巻艇以外の4艇は撃沈され、岩佐直治大尉の艇は引き上げられ、
乗員の遺体は米軍によって手厚く葬られました。
墓標に添えられた襟章から唯一の大尉であった岩佐大尉であると確定されたのです。

アリゾナを沈没させたのが実際は航空部隊であるにもかかわらず、
軍部発表では潜航艇の戦果であるとされたことが今日証明されていますが、
酒巻少尉は、昭和24年当時では明らかにされていなかったこの点について、

然しちょうどその時刻頃、或る特潜から襲撃成功の無電を母艦が確取してゐるから、
少なくとも四艇のうち一艇はその使命を全うして居り、
それがアリゾナを襲撃したものと確信するのである。


と記述しています。
さらに当時、残り二艇の行方は分かっていませんでした。
酒巻少尉は
「自分の艇に起こった様な不具合が、他の艇にもあった」
と考えるのが自然であるとの見地から
「一艇は発進時に沈んだのかもしれないと考える」と推測しています。
(そのうち一つが冒頭写真の潜航艇であると思われます)

先日発表された研究チームの発表によると、
酒巻氏がアリゾナだと信じていたのが実際は「オクラホマ」で、
オクラホマへの攻撃終了後、その特潜は自沈したことも明らかにになっているそうです。

勿論、酒巻艇は攻撃に失敗したわけですが、戦後、本人はこう語っています。

私の艇は発進前からジャイロが動かず盲目航走となったので、
湾内突入と輝かしい魚雷発射の成功を得られなかった。

酒巻少尉が、潜航艇で戦果をあげることを、終戦後もどのように捉えていたかが、
「輝かしい」というこの一言に込められているような気がします。
そしてさらに、艇の整備が良好で、ジャイロコンパスさえ故障していなければ、
魚雷命中の成功まではさまで困難ではなかった、とまで言い切っているのです。


戦後、アリゾナ沈没の戦果は軍令部による「虚飾」で、潜航艇の戦果は無であった、と
「それみたことか」調に糾弾する「研究結果」を、
氏はどのような思いで見ていたのでしょうか。
酒巻氏が「捕虜第一号」以降、真珠湾について黙して語らずひっそりと世を去ったことに、
この自分と仲間が命をかけた攻撃を「あだ花よばわり」する戦後日本社会に対する、
絶望とあきらめのような拒絶を見るような気がするというのは穿ち過ぎでしょうか。


断言してもいいですが、NHK始め日本のメディアは、
おそらく今回のこのアメリカの研究結果を素直に受け入れないでしょう。
現に、これを報じる新聞媒体でも「結果」と表記しながら
「最終結論ではない」「他の学者は疑問を投げかけている」と結んでいます。

艇さえ故障していなければ成功していた。
氏は、それに続けて、このようにこの章を結んでいます。

それは私自身の経験に依つて立証できると思ふからである。
そしてこの事は、私達特潜の攻撃そのものが不成功に終つた後の、
涙ぐましい結論であり、慰めである。

あの日、潜航艇は真珠湾攻撃に成功していた。
今回の研究結果が事実であったとするなら、
オクラホマに魚雷を命中させ、「輝かしい」戦果をあげた潜航艇の二人は、
攻撃終了後自らの艇を自沈させ、拳銃の引き金を引くその瞬間、
おそらく作戦成功の達成感と喜悦のうちに、心から満足して死んでいったと思われます。

わたしは彼らのその至福の瞬間を心から祝福し、その魂のために喜びたいと思います。
酒巻氏が生きていてそのことを知ったら、やはりそう思っただろうことも確信するのですが、
この考えは間違っているでしょうか。