映画「雷撃隊出動」は、1944年敗戦色濃くなった11月頃に上映されました。
戦意を高揚させるというよりは、いよいよ国民に戦って死すべしの覚悟を説く調子になっており、
ユーモアを感じさせる部分はほとんどありません。
三人の兵学校同期の士官たちが冗談で笑いあうのも、取ってつけたようだし、
ネガティブな気持ちを振り払うように熱血漢の村上が
「おかしくもないことを涙まで流して泣く」といった調子です。
しかし「どんな状況下でも笑いを忘れていなかった」
と坂井三郎氏が述懐するような、搭乗員気質が垣間見えるのが本日画像の場面。
この南方の戦地がどこであるのかはっきりしないのですが、
ここでは「飛行機が無い」ことが今や最大にして最後の問題になりつつあります。
冒頭、雷撃の神様とあだ名された「三カミ」の一人、川上が
「オレ一流の弁舌で東京に行って飛行機を取ってきてやる」と勇んで帰国するもうまくいかず、
若い二飛曹(歌手の灰田勝彦が演じている)が
「飛行機乗りが飛行機に乗れないほど辛いことは無い」
と嘆き、しかし、その物資の不足を跳ね返すには
「雷撃精神=一死必殺の自爆精神」ならなんとか戦争に勝てるのだ、と三上は言います。
そんな中、ある日の出撃。
搭乗員がみんなでスクラムを組むように円陣を組んでいます。
これは、草を引いてくじを作り、搭乗する者を決めているのですが、
円陣を組むのに出遅れて人垣によじ登って割り込もうとしていた一人の搭乗員、
これは駄目だと判断するや、若い士官のところに駆けていきます。
敬礼と同時に
「僚機お願いします!」
飛行機の争奪戦にあぶれたと見るや、士官の列機に加えてくれと直訴。
中尉と思しき士官は最初いやいや、と手を振るのですが、あきらめず
「いや・・・・うち・・・僚機お願いします!お願いします!」
士官が「よし来い!」
それを聞くやいなや、お調子者の彼は
「おーい!」人垣の外側の飛行機にあぶれた同僚を叩き、自分を指さし
「行くぞ!」
「♪たららったららった~♪たららったららった~」
(本当にこう言う)と踊ってみせる。
仲間は笑い、ひとりは確かに「あほや」っていってる・・・。
しかし、すぐに「集まれー!」がかかり、あわてて踊りをやめて走っていく。
実はこの場面がこの映画でたった一つ微笑ましい場面でした。
敵機来襲で飛行機に乗ればそれだけ危険も増え自分の命の保証もないわけですが、
戦線において誰ひとりとしてそんなことを考えるものはなく、そして使命とか、義務とか、
そんなことでもなく、ただ飛行機乗りだから飛ぶのだ、というのが搭乗員気質なのです。
もっとも天山乗りの肥田真幸大尉に言わせると
「地上で爆撃におびえ防空壕に駆けこむよりも機上の方がよっぽど気が楽だった」
と言う理由から搭乗員は争って飛行機に乗りたがったのだということですが。
肥田真幸大尉の「青春天山雷撃隊」には、この搭乗員気質のよく表れた、
命の瀬戸際でもそれを笑って見せる一流のユーモアが多々見られます。
グアムに着陸寸前、島の上空に五、六十機の機影が見えました。
編隊を指揮する岡本晴年少佐は
「はるか彼方をながむれば、ウンカのごときわが味方、わが軍健在なり」
浪花節口調で「紀伊国屋文左衛門」の文句。
この期に及んで浪花節とは、と肥田大尉、恐れ入るのもつかの間。
その2・0の視力はそれがすべてグラマンであることに気がつきます。
魚雷を捨て低速で逃げ切り、空戦を零戦に任せて島に着陸した大尉は、
偵察員、電信員とともに転げるように指揮所に逃げ込みました。
とたんに、ガチャンと頭上で瓶の割れる音がしたと思ったら酒とビールを頭からかぶった。
指揮所に持ち込んであったものに機銃弾が当たったらしい。
全身に酒を浴びて、三人は互いに顔を見合わせて、にやりとする。
「これで死んだら本望ですね」
「まったくだ」
そのとき敵を味方と間違えて浪花節をうなった岡本少佐の零戦が着陸し、
少佐は小屋に避難しようとするのですが、指揮官機と見たグラマンは狙いを少佐に定め突っ込んできます。
辛うじて椰子の木の陰にたどり着いた少佐を2機のグラマンが機銃掃射で狙うので、
少佐は椰子の木をぐるぐる回りながら弾から避難し、なんとか無事でした。
肥田大尉は上官でも容赦なく(これも海軍ならでは)
「先輩、あのとき椰子の木の周りを周っておられたへっぴり腰はざまあなかったですね」
とからかいます。
ところで、どうやら陽気で悪戯好きな肥田大尉、
「海軍伝統の悪戯」もちゃんと経験しておられた模様。
大尉は霞ヶ浦航空隊の飛行教官任務にあった同期(六七期)三人と「悪童四人男」と自称しており、
その仲間でよくレスに繰り出しました。
そのうちの一人、入谷少尉は貴族的な風貌をしているので彼を「偽華族様」、
つまり殿下に仕立て上げたというのです。
この
「偽殿下をレスにお連れする」
という悪戯とも待遇をよくしてもらうための方便ともつかぬ行為も海軍ならではで、
この手の話はしばしば他でも目にします。
上品な貴族風のクラスメートがいると、必ずこういうことをたくらむ海軍士官がいたようです。
しかし、この入谷殿下はかんばせこそ高貴でいらしたものの、
酔うといきなり「お下劣な歌」を歌い始めるので、
「殿下詐称は実はばれていたのではないか」とは肥田大尉の述懐です。
六八期の松永市郎氏は、こちらは「物資不足のおり待遇改善のための作戦として」
若様になりすまし、車まで手配して「おなり」になったそうです。
海千山千の女将に「若様なんて嘘でしょう、九州なまりがあるなんて」と見破られた松永氏、
「育ててくれた婆やが佐賀の人で、特別扱いを受けたくないときはその真似をします」
と咄嗟に返し、「へへえ~無礼をば~!」状態のさらなる接待を受けました。
ユーモアの有無は、こうしてみると「瞬発力」のあるなし、という気がします。
しかし、その後一向に衰えぬレスでの「伝説の若様フィーバー」に、お供の級友が僻んで、
「若様は戦死したよ」
と言ったことから、問題が起こります。
松永氏の父上は当時現役の司令官でした。
ある日件のレスに立ち寄ったところ、
「お客様そっくりで佐賀弁をしゃべる若様が、この将官用の部屋で遊ばれましたが、
皆さんの話によると戦死なさったそうです」
と女中から聞かされます。
さすが父親、息子が若様偽装をしたのだとすぐに察したのですが、
女中から聞かされた「戦死」、それは父親にとって激しいショックでした。
その死を、戦死公報のあるまで妻にも内緒にしておこうと、一人で苦しみ続けたそうです。
戦死公報は(死んでいないわけですから)待てど暮らせど来ず、半年後終戦となりました。
生きて帰ってきた息子を見た父親の喜びはいかばかりであったか・・・・
・・・・・・・・・。
ユーモアもことによっては罪深いことになるという見本のような逸話といえましょう。
戦地で肥田大尉は「偽殿下」入谷大尉の戦死の報に接します。
肥田大尉の六七期の戦死率は非常に高く、248名中生存者83名。死亡率は66・6パーセント。
因みに、同期の陸士出身者の戦死率は30パーセント弱だそうです。
肥田大尉は何人かのクラスメートに戦地で会うたびに
「生きていたか」
と無事を喜び合うのですが、別れた直後にその友は戦死してしまう、ということが何度か繰り返されます。
次は今談笑しているこのクラスメートかもしれない。
いや、自分かもしれない。
しかし、
「貴様は死神に見放されたか」
「お互い様だ。貴様などが行ったら地獄の風紀が乱れるからな」
こうやって彼らは死すら笑いのめしてしまうのでした。