公立学校教師の卒業式における君が代不起立不斉唱問題。
学校の先生、という職業がいかに特殊であるかがわかる事例です。
彼らは国の組織である公立学校の教師でありながら、組合活動を学校に持ち込み、ビラを配り、
特定政党への支持活動を行い、国歌国旗を拒否する。
隙あらば思想信条を教育という形で生徒たちに刷り込み、誰からも糾弾されず
「それおかしい」と言われないのをいいことに、
自分たち以外の如何なる意見にも決して耳を傾けない。
学校を卒業して学校に就職し、学校しか知らない先生たち。
世間とは全く切りはなされ閉ざされた空間の中で、教条主義たる組織の思想にどっぷりつかり、
しかし「お山の大将」として生きていくうちにエゴが肥大して、そういう己の姿を全く客観的に、
あるいは別の視点で顧みることもない・・・・。
「学校の先生が日本を滅ぼす」という本を書いた、元校長先生がいます。
5年間にわたって「君が代」問題で組合の教職員と戦い続け、全く筋の通らない「お子様理論」
を振りかざし、ひたすら君が代日の丸に対するルサンチマンとも思える反発を繰り返す彼らに、
見事なくらいの冷静さと論理的な説得をもって「わかってほしい」と訴え続けた人です。
このブログで折に触れて言っているように、戦後の自虐史観は、全て戦勝国によって日本の
「牙を抜く」ためにプログラムされた「規定事項」です。
二度と大国アメリカに逆らえないように、物質的享楽の飴と共に日本人に加えられたのが、
この「ウォー・ギルト・プログラム」と呼ばれる洗脳システムだったのです。
連合国の占領政策のもとで、戦後の教育は「昨日までの日本」を否定することから始まりました。
「戦争を始めたのは日本だ。戦地で残虐に人を殺したのも日本人だけだ。日本は悪だ」
こういう教育を受けた人たちが大人になり、教師になって、愛国心を恥じなければならないような、
そして国を愛することが悪いことであるかのような教育を連鎖的に繰り返してきたのです。
たとえ学校でどっぷりとそういう教育を受けたとしても、社会に出て、世界を見れば、
そう言った考え方こそが異常であることに、大抵の心ある日本人なら気づきます。
しかし、先生たちは、学校という「お山」の「大将」で、現実の社会を知らないわけですから、
終戦後から連綿と繋がる戦後レジームを抽出したような空間に、むしろ安住しつつ、
「より濃縮された反日」のお先棒を担ぎ続けているわけです。
先の「学校の先生が日本を滅ぼす」の著者、一止羊大氏(もちろん仮名)は、組合の教師に
集団的な圧迫を受けた結果自殺したり、ストレスのため亡くなったりした校長たちのように、
自身もノイローゼから体を壊し、自殺も考えるような過酷な教師生活を送りました。
印象的なエピソードを一つご紹介します。
(国旗、国歌は戦争につながると主張する女教師に)
「戦争が嫌だという気持ちは私も人一倍持っています。
私の兄は海軍の予科練に入りわずか17歳で戦死しましたから」
そう言って、いつも肌身離さず持っている軍服姿の亡兄の写真を出して見せると、
彼女は信じられないことを言ったのでした。
「先生のお兄さんも侵略者だった・・・・・」
あまりにも貧しい知識に、わたしは愕然としました。
こんな話を読むと、現場での校長たちの苦難が心から思いやられるとともに、また、今回、
国歌斉唱のときには起立して歌うように、と、当たり前のことをお達しを出さねばならなかった
橋下徹市長の勇気と決断には、感嘆するしかありません。
ご存じのように、日教組は現政権である民主党の支持団体です。
「日教組に政治的中立はない」と言明した輿石氏が日教組出身であることは周知の事実。
「国旗国歌に背を向け、愛国心を持たせない教育」が日教組の目的であることは明白ですから、
政府民主党もまた、反国旗国歌、ひいては「反日」が党是になっていると判じるのが自然です。
そして、その現政権からの機密費と、これも反日国韓国の国家ブランド委員会からの
(韓流ごり押しに対する)キックバックでいまや糊口をしのぐ感のあるマスメディアもまた、
スポーツ大会の表彰式をカットするなどのあの手この手で「反国旗国歌」に貢献してきました。
あるいは、戦争ものを製作すれば何かと盛り込んでくる「日本が悪かった」的な自虐。
(先日などは全く戦争と関係のなさそうな『カーネーション』でさえ、息子が戦死した登場人物に
『テレビでいうてたけど、息子も(戦地で)酷いことしてたんやなあ』
なんて言わせているのには、呆れて口がふさがりませんでした。
息子を亡くした母が、いくら自虐洗脳テレビを見たとしても、こんなことを言うでしょうか)
そして、案の定というか、やっぱりというか、この「不起立先生」を報じるメディアの論調も
中立ぶってはいるけど、あきらかに彼ら寄りで、しかも庇っている風なのですね。
まず、反日反国旗国歌の雄、朝日新聞。
「国歌斉唱時に起立を強制したとしても、個人の歴史感や世界観を否定するものではなく、
特定の思想の強制や禁止、告白の強要とは言えない」
という、1月に出された不起立問題における最高裁判決を、
「個人の歴史観で見解が分かれる君が代をめぐり、最高裁は、職務命令で起立斉唱を
強制することに慎重な考慮を求めた」
と報じました。
ちょっとちょっと、どうしてこんなことになるの?
全く意味が裏返ってしまってるんですけど。
国語の読解力テストに出された答えだったら、ペケですよ。
読解力テストは朝日新聞の社説からよく出されるって威張ってるくせに、これ、まずくない?
これは、あれですか?朝日新聞の社是、ってやつがあって、それを強く信じ込んでいるもので、
どんな判決も自分たちの都合のいい主張に聞こえてしまって、間違えたってやつですか?
それとも、単なるミス・リードかな~?
お次は、これも安定の反日報道バラエティ、報道ステーション。
例の「歌っているかどうか口許チェック」を、規定のものになったような印象操作をしたうえで
お飾りの女子アナ(笑)が、小賢しくも
「私がこの日の卒業生だったらいやな気分になっただろうなと思うんですよね。(略)
高校生活を締めくくる人生の門出の日を抜き打ちチェックの日にしてほしくないし、
口許のほかに見るものがあるんじゃないかと思いますけれどもね」
口許チェックのため目をギョロギョロさせているような映像を流され、
言わば橋下独裁の印象操作に使われた校長は、この発言に強い不快感を表しています。
わたしがこの日の卒業生だったら、いやな気分になっただろうなと思うんですよね。(怒)
高校生活を締めくくる人生の門出の日を、先生の思想信条発露の日にしてほしくないし、
君が代を歌わないことで思想開陳なんてことよりまずやることがあると思いますけれどもね。
そして、〆は本日画像。
「ルールを守らせるということはこういうことですよ」
橋下市長は監視を絶賛した。
弁護士の資格を持つ校長は学生時代からの友人だそうだ。
もし「口が動いていなかった」と校長室に呼ばれた人が「腹話術だった」と主張したら認められるか。
弁護士さんに相談したい。
(北海道新聞)
・・・・・・・・・。
これ、新聞の社説ですよ。ブログとか学級新聞じゃないのよ?
どうやら、不起立そのものに対して庇う要素があまりなく、世間の風も
「いやなら公立の教員やめろ」「卒業式を思想信条の闘争の場にするな」
などと、不起立先生に厳しいので、「口許チェック」という、格好の「重箱の隅」を見つけて、
舞い上がってしまったようですね。
記者氏には、弁護士ではありませんが、それほどの問題でもないんで、わたしが相談に乗りましょう。
仮定1
「ああ、慈安奴先生、国歌斉唱のとき、歌いました?」
「歌っていました。腹話術で歌っていました」
「まだあなたうまくなくて聞こえません。口をあけて歌ってください」
「はい」→解決
仮定2
「ああ、樽久先生、国歌斉唱のとき口空いていませんでしたが」
「歌っていました。腹話術で歌っていました。聞こえなかったんですか」
「聞こえていましたが、不思議なので尋ねただけです。そうでしたか」→解決
仮定3
「ああ、佐沃先生、国歌歌ってませんでしたね」
「歌っていました。腹話術で。隣にいたのは実はわたしの人形です」
「卒業式は隠し芸の発表の場ではない」→解決
仮定4
「ああ、赤井先生、国歌斉唱のとき、歌ってませんでしたね」
「歌っていました。実はわたし副業で腹話術師もしてるんです」
「先生の副業禁止」→解決
このいずれかのパターンで終わると思います。
メディアがどんなにこの件で「不起立のジャンヌダルク」なんていう不気味なアイドルを
捏造してイメージアップを図ってみたところで、世間一般の彼等に対する意見の大半は、
橋下市長がツィッターで言ったという
「バカ教員の思想良心の自由よりも、子供たちの祝福が重要だろ!」
この一言で終わっていると思いますよ。ええ。
教育は国家百年の事業。
こんな教育者がいる国が、独立国としてこれから先も存続していくとはとても思えません。
民主党は公務員の新規採用7割カットするらしいし、なりたい人はいくらでもいると思うから、
不起立不斉唱先生は、全員クビでいいよね。
国歌を一生歌わなくてもいい職場はいくらでもあるから、転職すれば八方丸く納まるし。
まあ、こういう先生たちが有能だとはとても思えないし、
企業が雇ってくれる可能性は、いろんな意味で限りなく低いでしょうけど。