鹿児島なう。
などと、自分の所在をツィッターで呟くような趣味はないので、全て事後報告になりますが、
またまた旅してきました。
旅と言いながら我が家の場合用事を兼ねていることが多いのですが、
これまで用事ついでに北は北海道から南は沖縄まで、結構いろんなところに行ってきました。
しかし、鹿児島は初めてです。
鹿児島と言えば西郷隆盛、芋焼酎に桜島。
そして、温泉!いやっほー!今回は砂蒸しだ!
夜鹿児島空港に到着。
宿泊するのは指宿の白水館という老舗旅館です。
訳あってToとは別便なので、空港には息子と二人で降り立ちましたが、バスに乗るのが面倒で
レンタカーを借りてしまいました。
それからToのいるところにナビで向かったのですが、それを聞いたToの周りの方から
「ええっ!鹿児島が初めてで夜、しかも雨が降っているのに車を?
スカイウェイといっても、山道で大変ですよ!分かりにくいですよ!」
と豪快&無謀奥の烙印を押されてしまっていたそうです。
ボストンから国境超えして、モントリオールまでの雪道を、スノータイヤなしのぼろいカムリで、
しかもナビ無しで往復したこともあるエリス中尉をナメていただいては困る。
というわけで難なく旅館に到着。いきなりロビーのポスターでびっくり。
何となれば、この桑名正博さんですが、(ご存じ?)わたくし実はこの方の亡くなられた
お父様を存じ上げておりまして、なぜかカニ缶をもらったことのある仲。
お宅の庭には離れがあり、「あそこで娘が○○○を・・・」というバイヤなナシハを聞いたことも。
そういったことなどを、この旅行の前日に思い出すともなく思い出していたからです。
そのときついでに「そう言えば桑名さんって、今仕事どうしてるのかしら」などと考えたのですが、
なぜか次の日、ホテルのロビーでその答えがわかったという・・・・・。 この地方ではお雛様はひな祭りを過ぎても飾るようです。
旅館の最新館に泊めていただきました。
普通の旅館のようですが、客室がなんと自動ドア。
消火器は和紙状のものでくるんで、和の雰囲気を壊さないようにしてあるのですが、
「これ・・・・火事になってからこれを破いたり剥いたりしてる間に延焼するのでは・・・」
などと真剣に心配してしまいました。
部屋は半分が洋室、半分が和室。
息子は着くなりテレビにipod touchが繋げないかをチェックしています。
建物は近代的ですが、wi-fiはさすがにありませんでした。
辛うじてテレビの横に有線ラン用のジャックを発見。
でも、ゲームをやりたい息子と違ってわたしは温泉ではむしろネット無しで過ごしたいので
全く問題はありません。
この旅館はひとことで旅館と言っても広大な敷地内に薩摩陶器を展示する美術館もある、
文化の担い手をも自負する地元の超有名どころです。
ブッシュ元大統領も小泉会談のときには宿泊したそうです。
次の日朝食を食べていると、支配人のH氏が来られ、挨拶を交わしたのですが、
なんと、ご厚意でこの日観光案内にH氏の運転で連れて行っていただくことになりました。
どこかお分かりですか?
そう、知覧特攻平和祈念館です。
ここで観たこと、考えたこと、書きたいことが山ほどあるので、稿を別にします。
H氏はここを「皆が行く観光コースとして取りあえずお連れする」というつもりだったようで、
まさか最初のコースで我々がたっぷり2時間見学に没頭するとは思わなかったでしょう。
この記念館に続く灯篭の道脇には桜がちらほらと咲いていました。
知覧から4月6日に出撃した隊員が、遺書に
「桜の季節に往くことができるのが嬉しい」
というようなことを書いていたのを思い出し、胸に迫るものがありました。
昼食を食べに行く途中に、富屋食堂がありました。
映画でも有名になった「特攻の母」鳥濱トメさんの食堂が復元されています。
写真パネルと特攻隊員たちの遺して行ったもの、映像で往時を偲ぶ資料館です。
ここにトメさんを慕って足を運んだ特攻隊員たちのことは蛍になった宮川少尉を始め、
有名になった話はそちこちで目にしますが、こんな話をここで知りました。
「ある隊員は猫が怖くて、トメさんの娘が飼っている猫を抱いていると遠くに逃げてしまう。
『飛行機に乗っているくせに猫が怖いの?』
娘さんは面白がって猫を抱いたまま近づくと、「ひえええ」と後ずさった折りに
彼は階段から落ちて怪我をし、娘さんは『特攻隊員に怪我をさせた」とえらく叱られた。
その隊員はその次の日出撃していった」
悲しいのだけど、なんだか可笑しい話です。
お昼を食べたのは、ここ。
ケースの中に飾ってあるのは、映画「君のためにこそ死にに行く」の小道具のようです。
おそらくこの食堂が飾るために買い取ったのでしょう。
知覧特攻平和祈念館の敷地内にありましたが、富屋食堂の雰囲気を出しています。
しかし、この「特攻おばさん」という言い方。どう思います?
「特攻の母」じゃなくて。
細かいことですが、こういうネーミングはご本人にとってどうなんでしょう。
特攻記念館という本来慰霊のための施設を「観光の目玉」にすることの問題が
こういうところに現れてはいませんでしょうか。
これが「特攻まんじゅう」「特攻せんべい」、特攻と書いたTシャツの一歩手前、って気が
するのはわたしだけでしょうか。
でも、ご飯は美味しかったです。
これは息子の頼んだ「炊き立てご飯&ラーメン&とんかつセット」。
鹿児島はそれにしても何を食べても美味しゅうございました。
ほとんどが茶畑のこのあたりですが、ここに昔飛行場があって、ここから飛行機は
最後の離陸後、まず海聞岳を目指して進路を取り、沖縄への特攻に飛び立っていきました。
左右対称の美しい山で、薩摩富士という別称があるそうです。
彼らはこの威容を湛える山に向かって日本への、そして愛する人々への
最後の別れを告げたと言われています。
カルデラ湖である池田湖は、たった一度の恐竜の目撃情報以来、それを
「イッシー」と名付けてこれも一時は「観光の目玉」になっていたようです。
本場のネッシーもどうやら存在しないことが明らかになったようですが、
こちらイッシーくんも見間違いだったようだ、とトーンダウンしており、当然ながら
観光客もほとんどいませんでした。
さて、ここでいきなり国立公園に突入。
なんと、「日本一小さな国立公園」です。
つまり、この井戸だけが国立公園。
神代の昔、豊玉姫が毎日使っていたもので、日本最古の井戸だと言われています。
お次の観光地はJR西大山駅。
単線で無人の小さな駅ですが、日本で最南端に位置する駅とされています。
電車の来るのは一時間に一本弱。
最南端と黄色の関係が判らないのですが、
「幸せの黄色いポスト」があります。
ここから手紙を出せば幸せがくるようです。
実は返却するDVDをここで投函したのですが、いつもより到着に時間がかかりました。
DVDの返却には使用しない方がいいかもしれません。
この小さなの人々は、苗字を皆「鰻」というそうです。
街には地下から温泉がわき、そちこちに井戸のようなものがあります。
卵を左端に見えている麻袋に入れて湯気の出るところに置いておくと、温泉玉子ができます。
これも小さな公衆浴場があり、の収入になっているようでした。
支配人とご一緒したので、車の中でホテルの歴史や経営のこと、いろいろと
面白い話を教えていただきましたが、かつてこのあたりが新婚旅行のメッカであった頃、
この山を「ダイヤモンド・ヘッド」として、「東洋のハワイ」を謳っていたそうです。
確かに少し似ている・・・かもしれない。
宿泊客には浴衣ならぬムームーやアロハを着せていたこともあったそうですが、
ハワイが「憧れの航路」で無くなり、安いものになって「かっこわるい」とやめてしまったとか。
明るいうちに帰ってきたのは、この指宿温泉の名物「砂蒸し温泉」に入るためです。
さて、日頃たまった毒気をさっぱりと抜きますか。
・・・・・・抜けるかな?