京都の四条河原町、ロイヤルホテルの近くに立派な教会があります。
現在の教会が建つ前に、ここにあったものが、これです。
重要文化財、聖ザビエル天主堂。
中に入るとフランス、イタリア、スペイン・・・・・・ヨーロッパの古い教会そのまま。
歴史の重厚さを感じる壮麗なものです。
市街地の四条河原町にあるときには勿論無かったこの石段。風光明媚な環境。
この教会にとって、ここが本来あるべき場所だったのではないかとすら思えます。
おまけに、ここでは教会も「現役」。
明治村には、結婚するカップルのために、ここを始め園内の三つの教会で挙式、
帝国ホテルや、三重県庁庁舎の一室で披露宴ができるウェディングプランがあるそうです。三重県庁庁舎。
なんと、鹿鳴館を模して造られた豪華な宴会場があるのだそうです。
それにしても・・・。
三重県の県庁が、現在どんな庁舎を使っているのかは知りませんが、
全国津々浦々の「お役所」のほとんどに、
いるだけで気が滅入ってくるような醜悪な建物が使用されていることを考えると
「どうしてこうなった」と嘆かずにはいられません。
明治村ウェディング、いいなあ・・・。
もしもう一度結婚式をすることがあったら、ここでしてみたい・・・・・
・・・というのは悪質な冗談ですが、
それにしても、この「建物の移設技術」って、どうなっているんだろう。
よくぞこんなものを前と寸分たがわず同じに持ってこれるものだと、これは明治村の全ての
建築物に対して感慨を持ちました。
移設にあたって、きっと耐震設備も施されているんでしょうね。
一番向こうに見えているのが、千代田区にあった内閣文庫。
現在の国立公文書館ができるまで、そこにありました。川崎銀行本店。
東京日本橋の本店が昭和六一年取り壊しになった際、外壁部分の一部が移築されました。
こういう歴史的、そしてなにより趣のあって美しい建物が、
どうして日本には残せないのでしょうか。
アメリカの古都、ボストンでは、外壁に1800年代の建築であることを記した建物を、
壁を塗り替えてジムやネイルサロンに使っている、なんていうのは普通です。
(アメリカでは住人が変わるたびに壁のペンキを塗り替えます)
ニューベリーの目抜き通りは100年以上経ったアパートメントが立ち並び、そこに住むのは
ボストニアンのちょっとしたステイタスでもあるのですが、内装はいくらきれいにできても、
裏側の配管やらなんやらは、もう大変なことになっていて、
地下室では鼠が人間より先住者として大きな顔をしている、という代物だそうです。
にもかかわらず、彼らは決してそれを取り壊そうとしません。
勿論、都心のオフィスビルなどは、最新の設備を備えたインテリジェントビルですが、
オフィス街はともかく、街の景観そのものを変えてしまうことに対して、
彼らは日本人から見ると異様なくらい否定的です。
先日小牧というローカルな場所で、日本の地方都市の醜さについて少し書きましたが、
たとえ都心部でも、街の景観という点では、醜悪さにおいて大差ないと言えます。
以前、目黒通り沿いに、まるでお城の城壁のような外壁を持つ、立派な日本家屋がありました。
「どんな人が住んでいるんだろう」
などと、通るたびに妄想をたくましくしていたのですが、なんと、去年暮れに取り壊され、
跡地には集合住宅が建てられることになってしまっていました。
嗚呼、またしても・・・。
古いお屋敷が、相続税などの関係で支えきれなくなり、
分割して売られたり、マンション建設地になったりして、元の街並みがどんどんと
陳腐に変わって行く流れは、もうどうしようもないことのようです。
うちの近所も、空いた土地を三分割して、おもちゃのような、ピカピカ光る外壁の、
「建売住宅」(しかも三軒がみな同じ形)になってしまったところがあり、
その、工事開始からあっというまに立ち並んでしまった、みっともない家を眺めながら、
「こんなものに何千万も出す人がいるのね・・・」
と慨嘆したばかりです。
江戸時代の街並みを、航空写真のように高いところから撮影した写真を見たことがありますが、
整然として実に清々しい、美しいとしか言いようのないものでした。
その頃の日本人に「街の景観」を考慮するような意識は、全く無かったに違いないのですが、
それでも、もしかしたら犬養道子さんの言うように、
「日本人の美的感覚(景観に対する)は、どこでおかしくなってしまったのか」
といぶからずにはいられない現在の「変節ぶり」です。
日本で「しっかりした建物を建てて大事に使い、それを何代にもわたって守って行く」
という概念が根付かないことの原因の一つに、地震をはじめとする天災の多さがあるでしょう。
一瞬にして倒壊し、いったん火がつけば燃え広がって一角が全て焼けてしまう日本家屋。
文化や文明は、干ばつ地帯や砂漠、あるいは永久凍土の地に決して発達しません。
自然の脅威から生命を守ることが優先されて文化どころではないからです。
そういう意味では、自然災害の多い日本という国は最初からハンディが多すぎるのです。
この、決して住みやすいとも言えない国土で、それでも、
これだけの文明を発展させ維持して、独特の文化を花開かせてきた日本人。
ハンディに打ち勝ってきたことは賞賛されるべきなのでしょうが、いかんせん、
地震と戦っていくのが先決問題で、建築物の半永久保存や、ましてや街全体単位で考えた
景観の美的価値などあまり考慮されてこなかったということかもしれません。
明治村で一番新しい建築展示物、西宮市にあった柴川又右衛門邸。
阪神大震災で右のように損壊し、これを機会に明治村に移設されました。
明治に建てられた歴史的建築物を保存しようにも、こうなってしまっては住み続けるわけに
いかず、ここへの移転となったのです。
ふすまを開けたら収納式の暖炉。
ふと眼をとめると、豆球の差し口がハート型・・・。
ここは、普段ガラスを被せて、人の目に触れない場所だったはず。
見えないところにこの遊び心。なんて粋なんでしょう。
これはしかし、幸福な一例で、うちの実家の周辺にあり「お屋敷」と呼ばれていた日本家屋が、
震災の後取り壊されて安っぽいマンションになったように、たくさんの価値ある建物が、
あの地震で永遠にこの世から消えてしまったのです。
先日、陸軍士官学校卒の建築家の方の話をしましたが、この方が長をしているプロジェクト
は、建築家や歴史家が、あの大震災で失われた歴史的建造物の記録をまとめ、
修復できるものをよみがえらせる、というものでした。
余計なもの、夾雑物の全く無い町並みというものが、いかに美しいものか。
明治村に来ると、それがよくわかります。
ヨーロッパやアメリカの古い町が、頑迷で偏執的にすら思えるくらい、
昔からの街並みを保守するのはなぜか。
ここ明治村で、時の経過に耐えた建築物が整然と並ぶこの街角に佇み、
理屈抜きにその美から安らぎと落ち着きを感じるとき、
「それが文化というものだから」
という答えが、自然と出てくるのです。
「山本五十六」もここで撮影されました。
町並みは勿論、山本家のご飯シーンも、この中の建物を使って撮影されたようですね。
ところで、今回、園内では繰り返し繰り返し、久石譲氏作曲の、NHKドラマ
「坂の上の雲」のテーマソング、歌バージョンが放送されていました。
確かに、最初に耳にしたとき「この曲は、この街並みに確かにぴったり」などと思ったのですが、
何回も何回も何回も何回も聴いていると、まるで、拷問。
特にわたしは、どんな曲でも3回以上繰り返されると、もうダメです。
昔訪れたとき、こういうBGMが流れていたかどうかは記憶にないのですが、
またまた犬養道子さんの言葉を借りると
「電車の中、街中、エレベータ、デパート、スーパー、日本人は音に対して無神経すぎる。
街に音が氾濫しすぎているのにこれでもかと押しつける・・・」
煙草の煙を吸わないですむ権利のように「音を聴かずにすむ権利を守ってほしい」
いくら「坂の上の雲」がいい曲でも、一日中エンドレスで流すのはいかがなものでしょうか。
客はそれでも一日我慢すればすみますが、おそらく従業員は苦痛すら感じていると思いますよ。
明治時代を再現するここ明治村で、電気再生音は全く無用。
当時の静けさこそを再現して、訪れる者に空想の余地を与えてくれることを心から望みます。