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陸自ヘリ放水に思う

2012-07-08 | 日本のこと


海外赴任中の読者、新さんのコメントです。
まずはこれからお読みください。

昨年3.11の直後の3.18に、駐在員が集まる定例食事会がありました。
参加者の中に、独立行政法人に天下った、元原子力安全保安院の人が居まして
彼が その晩、非公式に現状報告をしたんです。
彼は六ヶ所村原発廃棄物処理場を自ら設計したエンジニアでした。
1時間ほどの独壇場でしたが、拝聴していた全員 が、完全に食欲を失いました。

それほど、大変危険な状態だったんです。
日本人には知らされておりませんでしたが・・・。

福島原発は、第一世代の旧型設備 (30年前?)で、設備内容を熟知している現役は、
保安院にも東電にも一人もいなかったそうです。

震災直後から東京に対し
「今は、水で冷やすしかない。それが出来る特攻隊長が居ない。
私が行くから」と保安院に申し出たそうですが、断られたそうです。
そして、13日には、水素爆発してしまいました。
彼は、涙を こらえながら、悔しがっておりました。
駐在員の大半は、家族を日本に残してきているので、食欲が無くなるのも当然です。

(中略)

五木寛之氏が言っておりました。
「敗戦後日本に引き揚げて来て、国破れて山河あり、と感じたが、今回は、山河破れて国あり」だそうです。

では、失礼致します。 (`´)ゞ


あのときの気持ちがまざまざと蘇ってきました。
「今何が起こっているのか全く分からない」
この状況で、関東圏に留まっていて大丈夫なのか。
取りあえず関西に避難し、ホテルに宿泊しながらも、
我々は情報が何一つ明らかにされないことに、心底不安でした。

あの日、我々は取りあえず関西に避難するために、最寄りの駅で切符を買いました。
そのときにはまだ空席があったのですが、わずか30分後、新幹線乗り場についたときには
コンコースを埋め尽くすほどの切符窓口に並ぶ行列ができていて、驚きました。

さらに驚いたのが通路にも人が立つほどの、満員の新幹線車内。
一つの車両の4分の1ほどの乗客が、外国人駐在員と思しき男性とその家族だったのです。

「日本人には知らされていないけど、海外では自国民にすでに避難勧告を出しているのか。
決定的なことを何も言わないのは、ただ集団パニックを起こさないためで、
実はもうすでに恐ろしいことが起こっているのでは」
という想像は、後から考えると実は当たっていたのです。

新さんのコメントによると、日本人には知らされていないことを、外国では、
そして外国に住む駐在員であれば知ることができたとのことです。

夫君がイギリス人で、親戚が海外に住んでいる知人は、すぐさま海外に逃げていましたし、
横須賀の米軍基地勤務のアメリカ人知人が、
「もし、本当に危険になったら国は自国民に必ず避難勧告をするから、そうなれば必ず教える」
と約束してくれていたため、我々はそれをあてにしていました。

もし海外にいるとき同じようなことがあったら、日本は自国民にこのような対応をするだろうか。

明らかに被害は甚大なのに、それを全く秘匿し続け、
「ただちに健康に影響は無い」と繰り返す政府に、不信感といら立ちが高まる一方、
アメリカ人である彼がこのときは無性に羨ましく思えたものです。


さらに驚いたのが二週間後でした。
ホテルから親せき宅に避難場所を移すことになり、そのために最低必要な荷物を取りに
一瞬自宅に帰ったときですが、駅からタクシーに乗って車窓から見る景色は、全く平常。
公園や学校の校庭では子供が遊んですらいて、不思議なくらい危機感の無い様子。
運転手に「全く普通なんですね」と話しかけると、運転手は
「はあ・・・」
何を言っているのか、と言った語調でした。


最悪の場合を考えて、関西の学校を見学したり、住居について調べたりしてもいたわたしは、
普通に生活しているように見える関東圏の人々の姿に、半ば唖然とすると同時に
「政府が何も言わなければ、皆大丈夫だと信じるしかないし、またそう信じたいのだろうな」
と、暗澹たる気分になったものです。


避難して、大阪のホテルにいるとき、3月17日のことですが、
陸上自衛隊の、あのヘリ放水をテレビで見ました。
息を飲むようにして見つめる映像では、7トンもの水がまったく霧のように散るだけで、
誰の目にも何の効果もなさそうなのは明らかでした。

政府や東電の無策が情けなく、もどかしく、反面、こんなことをさせられている自衛隊員が哀れで、
わたしは、ただただ彼らのために涙を流しながらこの映像を見ていました。

この作戦に参加した陸自の第一ヘリ団のヘリコプターは二機。
機体に放射線を防ぐタングステンのシートと鉛の板を敷き詰め、
隊員は防護服の上に鉛の板が入ったチョッキの着用しました。
そして、隊員は全員ヨウ素を服用のうえ任務にあたったとのことです。

これだけ防護したとしても、水素爆発した炉の真上が危険でないはずはありません。
全ての日本人がこの様子を見たとき「特攻」という言葉を脳裏に過らせたのではないでしょうか。

政府の無力のために、絶体絶命に陥った国を、若い武人がただ使命感に燃え、
自分の命の危険を顧みずに任務を遂行する。
しかしその行為は、その危険と引き換えにするには、あまりにも僅少な効果しかもたらさなかった。

そのままあの戦争における特別攻撃隊の構図ではないでしょうか。

頂いたコメントの中にある
「特攻を申し出たが断られた」
というのは、元保安院の「原子炉の事情を知る人間」だった、ということですね。

このように申し出る関係者、少なくとも原子炉を熟知しているはずの関係者が、
取りあえず駆けつけ、現場に投入されるというような特殊措置がもし行われていたら、
水素爆発は起こらなかったかもしれません。
もちろん、後からはなんとでも言えることですが。

この日本で、あまりにも日本的な社会を熟知するなら予想できたように、
規則や縦割りや縄張りや慣例などでがんじがらめの現場は、するべきときに的確な、
しかし異例の決断など、下せなかったでしょう。


原子炉を廃炉したくないがゆえに、米軍の援助を当初断ったのも、
「そこまでの最悪の事態」を皆がどこかで「想定したくないから想定しなかった」のでしょう。
キスカ島撤退を説明した時にもちらっと話した、あの「心理バイアス」が、
政府、東電関係者にもれなくかかっていたといえるかもしれません。

そして、次々とチャンスは失われ、遂に水素爆発はおきました。
どうしようもなくなってから、このような「特攻作戦」が行われたのです。

これを決定したのは、直接的には自衛隊の制服組と防衛大臣だということになっていますが、
実際のところはどうだったのでしょうか。
一説では、この発案は菅総理で、しかし北沢防衛大臣はそれを決定することができず、
結局、自衛隊幹部に最終的な決定をおしつけた、いう話も当時どこかで見ました。

絵柄的に「日本はまだあきらめていない」ということをアピールするつもりだったのが、
見るからに効果のない様子が放映されたとたん「菅発案説」はなりを潜め、
そのかわり新聞は
「効果は期していなかった。日本の本気をアメリカに見せるためだった」
などと言いだしました。

現に、ヘリ放水の22分後、日米首脳電話会談が行われています。
まるで首脳会談で「日本はとにかくやっています」と
アメリカに報告するために大急ぎで間に合わせたようなタイミングでした。

そして、その通り、この、誰が見ても効果の無いヘリ放水は、
日本のアリバイを証明するために行われ、アメリカは取りあえずそれに納得し、
その意味だけでは一定の「効果」があった、ということにされています。
この直後、東電の株価も上がりました(笑)

どちらにしても、そんなことのために

「あまり思い出したくないくらいの緊張感だった」(前原敬徳機長・37歳)
「放射能という目に見えないものへの不安はあったが、
与えられた任務をこなすことだけを考えた」(加藤輝紀機長・41歳)

というような思いで自衛隊員は危険な任務に就いたのです。

一日の考慮の猶予を与えられ、断る自由があったにもかかわらず、
隊員たちは誰一人任務を拒否しませんでした。
当然のように、使命感に燃えて、淡々と命令を実行したのです。



「特攻には、私が行く」

しかし、そういう声をくみ上げるシステムも臨機応変さも、この国にはおそらくありません。

そして、予算を削り、コケにするが如き扱いをし、遂には「暴力装置」呼ばわりまでした自衛隊に
どうしようもなくなってから、自分たちの無策のつじつま合わせのために、
危険な命令を下して恥じることもないのが、当時の菅内閣だったのです。


特攻を申し出たのは、おそらく新さんがお話を聞いたその方だけではなかったのではないか。
わたしは今にして思います。
国が危険にさらされたときに、危険を顧みず名乗りを上げる。

わたしは、そういう人々が必ず出てくるのが日本であると思います。
たとえ山河破れても、そこに住むのが日本人である限り、国は何度でも立ち上がると。