ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

映画「機動部隊」~カミカゼ と終戦

2015-05-10 | 映画



映画「タスク・フォース」、機動部隊最終回です。
冒頭に貼ったYouTubeは、本映画の主人公スコット少将が乗り組んでいたという設定の
空母「フランクリン」が、一機の日本軍機の投弾によって炎上大破するも、
乗組員たちの決死の活動によってなんとかニューヨークまで航行し工廠に入るまでの姿を
ドキュメントフィルムだけで構成された映像で紹介しています。

本映画に使用されている米海軍アーカイブからの映像というのはこれのことで、
当エントリ本文の写真と大量に重なっていますが、ご了解ください。


さて、ここで、航空指揮所から双眼鏡を覗いていたスコット大佐が、

「右舷真横に敵機」

と叫びます。

 

砲弾が雨あられと打ち込まれる中を、優雅と言っていいほどゆっくりと、
一機の零戦が真っ直ぐ向かってくる、あの映像です。

わたしはこの映像を見ると、まずこの零戦を操縦していた特攻隊員の、
自分の確実な死がそこにあるのにもかかわらず、確実に体当たりを遂げることだけが目標の、
スポーツの試合で全神経を一投、あるいは一跳躍、一打に注ぎ込むのに似た
ひたむきな、悲しい集中を思わずにいられません。

そしてうまくいく、これで本懐を遂げられると確信した瞬間、
充実感と達成感が体を満たして、えもしれぬ心地よさを感じるというのは、
同じような瞬間を経験した、何人かの搭乗員が戦後語っていることでもあり、
おそらくこの零戦の搭乗員は、突入の成功を信じて、この瞬間、
法悦すら感じていたのではないかと思うと、それだけで落涙を止めることができません。

そして、この激突までの瞬間、最初から最後までファインダーを覗き続けた
従軍カメラマンの勇気にもわたしは感嘆します。



特攻を犬死に呼ばわりするのは論外として、戦術としても効果はあまりなかったと、
戦後これを過小評価する者が日本人の中にいました。(もちろん今も)
しかし、実質アメリカ海軍が沖縄で被った被害は、この戦争で最大のものとなりました。
死傷者は1万名余、撃沈された艦船は3隻、369隻がなんらかの損傷を受けています。

なにより特攻がアメリカ軍に与えた極度の緊張と恐怖は、実際の被害以上に問題でした。
これによって多くの兵士が精神的に崩壊するほどのダメージを受けたのです。

それを重く見た太平洋艦隊司令官ニミッツは、

「もうこれ以上は持ちこたえられない」

とワシントンに打電しています。
これが物質的なものではなく精神的な敗北であったことは明らかでしょう。

特攻を賛美するとかいう以前に、発案者言うところの「統率の外道」が、
結果としてこれだけアメリカを苦しめたことは、紛れもない事実だったのです。


 


僚艦から撮られたこの時の映像。
「フランクリン」がモデルになっているとはいえ、実際には「フランクリン」は、
特攻の激突と爆弾の投下をどちらも受けており、後者が致命傷だったという史実を、
ここでは特攻によるものであったということにして描いています。

このことからも、実名ではなく「クリッパー」という架空の空母名をつけたのでしょう。

 

激突された瞬間、衝撃に耐えて皆が手近なものにつかまります。

 

ふと気づけば同期で、スコットの親友でもあったディクシーが死亡していました。



フェンスを掴みかけて熱くなっているので慌てて手を離す中佐。



「この状態では仕方がないから、サンタ・フェとミラーに移乗しよう」

リーブス提督は提案しますが、スコットは

「沈まない限りわたしは船を棄てません!」

と頑強に言い張り、消火活動を継続します。
「フランクリン」艦長が、船を捨てて避難した乗員たちを強く非難し(洒落)
訴えるという騒ぎにまでなったことは以前お話ししたかと思います。

特攻とまではいかなかったものの、アメリカ海軍にもそれと似た
軍人精神至上主義のドグマがこのような形となって現れることがあったということですね。

 

「クリッパー」艦載機が帰還してきましたが、艦は火災の黒煙に包まれ、
無線も応答しません。
みんなそれどころじゃなかったんですねわかります。



そして、なんとか火を消し止め、満身創痍で帰国の途中、艦上では海軍葬が行なわれました。

 

冒頭に貼ったYouTubeでも見られる、「フランクリン」NY帰還の図。
「フランクリン」は神戸沖からウルシーまで「ピッツバーグ」に牽引され
そこで応急手当を受けて時速26キロの速度でなんとか帰国を果たしました。
映画にはありませんが、ユーチューブではこの時の盛大な出迎えを見ることができます。

このあとブルックリンの海軍造船所で修理を受け、「フランクリン」は回復しましたが、
そのときには戦争は終わっており、記念艦の意味もあってモスボール処理されていました。
それからは朝鮮戦争にもベトナムにも行くことはないまま、1966年に廃艦となっています。

 

伝令の持って来た終戦の知らせを見て息を飲むスコット艦長。
艦長が「終戦のお知らせ」をアナウンスする間、映像は破壊の後も凄まじい
「フランクリン」艦内の各場所を映し出します。
鉄の塊と化したハンガーデッキの柱、内部が全て真っ黒に焼け焦げた船室・・。

実際に「フランクリン」の乗員がボロボロのままの艦に乗ったまま終戦を迎える、
というようなことはなかったわけですが、そこは映画ですので。



そして終戦から4年が経ちました。
「フランクリン」を永遠に降り、バージで陸に上がるスコット大佐、いや少将。




船を降りてくるスコット少将を待つのは夫人とリーブス提督だけ。
もう少し華やかに、というか友達はおらんのか少将。

「ハイ、白頭鷲」
「ハイ、クリッパー」
「オーバーアンドアウト」
「ラジャー、オール」

とそれらしい会話を交わして最後を惜しみます。

 

4機のF9Fパンサー(なんとこの撮影の1年前に就役したばかり!)が
少将の退役を記念してフォーメーションを行います。
しかも、最初は4機なのに、何航過もするうちだんだん数が増え、
最終的には12機による大編隊に・・・・・・。

いくらなんでも地上で二人しか迎えがない少将の退役のために12機の戦闘機を
出してくるものだろうか。

えーと、これはやっぱり海軍が新型機を宣伝したかった、でおK? 




ワーナーブラザーズの多大なる海軍の協力への感謝の辞で映画は終わります。

この協力に関しては、たとえば少将が乗ってきたバージや、撮影に使用した「アンティタム」、
施設の使用に対しWBは、
米海軍に1日につき2万4千ドル(当時の250万円)払ったということです。




しかしこの映画撮影では主に海軍側の手落ちと思われる事故が連続して起こりました。


まず、ストックのフィルムとラッシュ(素材フイルム)を運搬していたトラックが火災を起こします。

これもなにやら「フランクリン」の災難を思わせる事故です。
もしかして
映画関係者は、よく日本の怪談ものを撮るスタッフが事前にお参りに行くように、
お祓い祈願でもするべきだったのでは?と嫌な予感がするのですが、それだけではありません。

続いて、クーパーが退役するシーンで乗っていた海軍のバージが霧で座礁しました。
船に浸水がしてきたため、無事に救出されたものの、その後彼は高熱で倒れたそうです。
撮影したのが12月だったというのがまた不運でしたね。


砲撃シーンの練習の時、撮影が行われていた「USSアンティータム」に無人機が突っ込み、
俳優とスタッフの頭をギリギリかすめて海に落ちるという「あわや大惨事」もありました。



日本での公開時、そのような制作時の事故については全く伝えられなかったようですが、

当時の日本人が知ったら、因果めいたものを感じて、納得したのではないでしょうか。



まあ偶然でしょうけどね。


終わり。