ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

車上から撮るサンフランシスコ

2016-02-01 | アメリカ

というわけで、サンフランシスコからなんとかかんとか帰ってまいりました。


住んでいた時期も含めて毎年月単位で過ごしている町なので、すっかり

第二の故郷のようになってしまっているこの土地ですが、
同じアメリカでも随分特異な土地柄であると思われているようで、
いつ行っても、とくにベイエリアはアメリカ人観光客だらけです。

今日は、移動する車のフロントガラスを通じて見たサンフランシスコ、
という限られたテーマでお送りします。



ゴールデンゲートブリッジを後方に臨むハーバー横の車道。
この右側前方には芝生の緩衝地帯が広がっており、ここでよく
テレビや映画の撮影が行われています。
たくさんのヨットのマストが林立していますが、坂の途中に住み、
ハーバーに自分がオーナーであるヨットを持つのが、サンフランシスカンの
一つのステイタスでもあります。

自転車のほとんどは観光客向けのレンタサイクルのようです。



ご存知チャイナタウン。
昨今サンフランシスコも中国人の観光客が増えておりますが、なぜか
中国語が通じるチャイナタウンに押し掛けたりするようです。

サンフランシスコのジャパンタウンというのは、単にモールの名称ですが、
チャイナタウンは名実ともにそこに中国が展開している居留地です。
チャイナタウンはGGBのようにサンフランシスコの名所?ではあります。

桑港のチャイナタウンって言う渡辺はま子の歌もありましたし。



でも、いまも、そして多分昔もチャイナタウンってこんな歌の中身みたいな
ロマンチックなところじゃないのよね。

建物は西洋風なのに生活様式が中国な人たちが街並みを作り上げ、

歩道は得体の知れない油で黒ずんでベタベタしているし、変な匂いはするし、
町を歩けばレストランの客引きがよってきてうざいし、下手すると
バッグに後ろから手を突っ込まれそうで、(偏見じゃありません)
わたしたちは住んでいる間、そして日本に帰ってからを通じて2度しか来ていません。

そのうちの一度、店の漢字の看板でわかったのですが、どうもここでは
中国元が堂々と流通している模様(笑)



カリフォルニアストリート、というのはサンフランシスコの坂で最も有名な、
「ケーブルカーが空へと登っていく」という歌でも歌われた坂がありますが、
このフェアモントホテルは、その坂の頂点にあります。
今回、この道向かいにあるインターコンチネンタルが安かったのですが、
女性一人でダウンタウンに泊まるのは何かと危険があるため、あえて空港近くにしました。

結果、今回のホテルは空港近くのオフィス街(隣がウォルマートの支社)で、
夜中の三時でも飛行機の爆音がする以外は大変良い環境。
朝の5時に火災警報で叩き起こされた(本当に火事だったらわたしはたぶん
肺炎か何かになって死んでいたと思う)以外は何の問題もないそこそこのステイでした。



フェアモントホテルを過ぎると、ここから急激な坂が始まります。
真ん中にケーブルカーの線路がありますが、雨の日にこの上を走るのは
スリップしそうで無茶苦茶怖いです。

 

左手に見えるとんがったビルが、SFのランドマークともなっている
トランスアメリカ・ピラミッド。

駐車している車の前輪が皆右側に向いていることにご注目。
坂道に止める時、サンフランシスコでは必ずハンドルを路側帯に向けて切り、
万が一車が動き出すことがあっても敷石で止まるようにしておかなくてはなりません。

これは東から西に移住する時に受けなおした自動車免許(アメリカの免許は州ごとに
別の交通法規があるので受け直さなくてはならず、それが州民のIDにもなる)の
取得試験で出される問題になるくらい有名な、SF市の法律になっています。

わたしもこれは合理的だと思うので、坂道に止めるときにはいまでも実行しています。 





道の左手にはチャイナタウンのゲートでもある建物が見えます。
茶色い建物の一階に確か東洋人経営のコインランドリーがあって、

家探しの旅行中利用しましたが、ひでえところでした(笑)

断じて思いますが、アメリカ人の持っている「東洋人は綺麗好き」

「だからクリーニング屋」というイメージは、全て戦前の
日系アメリカ人1世が額に汗して作り上げた実績を中韓系が戦後
横取りしているだけで、彼らの衛生観念なんて、居住地を見れば一発でわかります。



いきなりゴールデンゲートブリッジの写真。
橋を渡り、パーキングから橋とサンフランシスコの街を眺め、(夏でもたいてい寒い)
降りたところでUターンしてもう一度渡って帰ってくる。
観光客のほとんどはこのコースで GGBを観光します。



この日は(上とは別の日)、霧が濃く、ブリッジの上半分が全く見えませんでした。



もう一度ダウンタウン。
左にチラッと見えるのが通称バンカメ、バンクオブアメリカンビル、
向こう側はちょうどケーブルカーのターンテーブルの前のビルで、
格式高く見えますが実はショッピングモール。1階はGAPだったりします。




この手のお店についての事情は全くわかりませんが、なぜか
「マッサーヂ」という日本語があるので、経営者は間違いなく
日系ではない(中華系かコリアン系)であると思われます。

ホームページによると、

美しくて素晴らしいプロフェッショナルのアジアンガール(コリアン、
タイ、ベトナム、チャイニーズ、ラテン)があなたをお待ちしています。
ここから(ログイン)女の子を指名できます。

ってことなので、本当にマッサーヂなのかまた別の話なのかは
さっぱり見当がつきませんが、とにかく日本人がいないのはわかった。



基本的にアメリカの大都市のダウンタウンは皆こんな感じ。
100年越えの古いビルを中だけリノベーションして使い続けたり、
そうかと思ったら超近代的なオフィスビルがその横に屹立していたりします。

地震のある地域ですが、日本のようにビルをしょっちゅう壊すことはせず、
建築にも厳しい規制があって、景観を重視しています。



今回病気を押して出かけた時の「車上ショット」。
道向こうの建物の一角が、昔住んでいたことのあるタウンハウス。

外国人で現地の慣習や近所付き合いについての作法も知らない身には、
そういった住人の多い賃貸式のタウンハウス(その町全部が同じ業者の賃貸で、
町の中には公園やグロッサリー、住人なら無料のジムやパーティルームがあり、
一軒家か高層住宅かも好みで選べる)はありがたかったです。



夏の間サンフランシスコ市内で息子をキャンプに行かせていた頃は、
この中の業者刈り上げコンドを月単位で借りていたものですが、
ちょうど今映っているところにも一夏住んだことがあります。

懐かしいなあ・・・。

このタウンハウス、向かいに今でもゴルフ場があるのですが
(わたしもTOもゴルフと無縁なので意味なかったのですが、もしやるならば
値段的にも毎朝ジム感覚で通えるくらい安かったらしい)
昔この部分もゴルフコースだったのを、1940年住宅地にしたということです。

全米で2番目に大きな一所有者のもつ賃貸地域のコミュニティということです。

Parkmaced, San Francisco

ここも、サンフランシスコへの移転が決まって家探しに来た時、
わたしが車を走らせていてふと直感が働いて決めた住居でした。
ちなみに今住んでいる家も、わたしの直感で決めたものです。
自慢ではありませんが、わたしのこういう住地を決める際の直感はわりとあたります。



サンフランシスコには南に向かうフリーウェイ、108と280が二本並行して走っており、
これが通勤や輸送、移動の動脈となっています。
こちらは280で、海岸寄りの山中を走る道。
こちらの方が空いていることが多いので、シリコンバレーから空港に向かう時には
急がば回れで確実なこちらを使います



今回のサンフランシスコ滞在は雨季のため雨が続いたのですが、
帰る日にはとてもいい天気になりました。
いわし雲と夏雲が一挙に出てくるという妙な気候です。

こちらは101ですが、反対車線は大事故が起こっていて、
片付けが済むまで大変な渋滞だったようなので、このときも
空港へは280で向かいました。


今回の滞在についてはまた別項でご報告させてください。