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映画「海軍」昭和38年版〜海軍兵学校

2017-04-24 | 映画

戦中に発表された岩田豊雄原作の映画「海軍」について、
二日に渡ってご紹介してきました。
今日は昭和38年東映映画の同名映画についてお話しします。

タイトル画は、前回の構成で人物だけを入れ替えました。
この俳優陣をみて、有名スターが勢揃いしているのに驚かれるでしょうか。

この映画の貴重なところは、こののちアクション俳優として有名になった
千葉真一の「それ以前」の姿が見られることです。

当時千葉真一は俳優になって2年目ながら、器械体操で鍛えたバネのある体と
この映画でもわかるキュートなフェイスでメキメキ売り出し中で、
「海軍」の主人公、谷真人役に最初に抜擢されていました。

ところが牟田口隆夫役の北大路欣也が、千葉と主役の交換を要求。

北大路は子役としてすでに俳優歴は長かったのですが、「髷物」ではない
映画の初主演をこの「海軍」で果たしたかったのだと見られています。

大スターで東映の役員も兼務していた市川右太衛門の御曹司とあっては
逆らうこともできず、 
東映は要望を聞き入れたという経緯がありました。


千葉が内心面白くなかったであろうことは想像に難くないのですが、
しかし実際の映画の出来を見ると、眉が太く濃い顔の北大路が谷真人役、
甘いマスクで線の細さももつ千葉が牟田口隆夫役というのは、
結果的にこちらの方がはまっていたような気がします。

北大路って「そういうやつ」だったのかー、という失望感は否めませんが、
まあ本人だけの意向ではなかったかもしれませんし。 

さて、このころの映画ですが白黒です。
タイトルには昭和35年に引き上げられ、第一術科学校に展示された
特殊潜航艇がバックに映し出されます。

音楽は音楽関係者なら誰でも知っている林光。
リリカルな合唱曲などで有名な作曲家ですが、タイトルからは
意外なくらいロマンチックな
テーマ曲がこの画面に流れます。

なぜか。

戦時中に制作された「海軍」はまごうことなき戦意高揚のための
海軍省後援の「海軍宣伝映画」でしたが、戦後18年、同じ小説を
東映はヤングスターを使った恋愛要映画にリメイクしたのです。

映画は、実際のニュース映像で世界状況の解説を織り込みながら進められます。
主人公の誕生とその名付けから始まり、彼が8歳になったある日・・・。

主人公谷真人の父が亡くなりました。

谷真人のモデルとなった真珠湾の九軍神のひとり、横山正治の父も
彼が8歳の時に他界しています。

真人の親友、牟田口の妹、エダ役は三田佳子。
昭和18年版では、エダが憎まれ口を叩いたままなんのフォローもなく
真人は出撃してしまいましたが、
本作では後があるので(笑)その辺は控えめです。

むしろ、積極的なエダに対し、照れから戸惑う真人といった感じ。

海軍オタの牟田口(千葉真一)はグラフの「長門」を見ながら
「この艦長になりたい」などと熱く語ります。  

「鹿児島は日本の海軍を生んだ土地なんだよ。
お前も海兵にいかんか?」

真人の母親、ワカ役は伝説の杉村春子。
真人の兄である長男の大陸出征を複雑な表情で見送ります。 

真人らは夏休みに江田島の海軍兵学校見学にやってきました。

赤煉瓦の生徒間の前で整列する生徒たち・・・なんですが、
ここでびっくり、なんと生徒館正面に掲げられているのは菊の御紋です。

昭和38年、もうすでにここは海上自衛隊第一術科学校となっていたはず。
CGによる修正技術は夢物語やSFの中にしかないころですから、
この紋章は
映画のためにわざわざ付け替えられたのだと思われます。 

赤煉瓦から颯爽と出てきた白い二種軍装の当直教官に案内してもらい、
江田島構内を歩く一同。

カッターのダビッドも、今とほぼ変わりありません。 

教室となっていた鉄筋の校舎が大きく映されます。
このころはまだ窓枠が茶色い木製であるのが確認できます。 

おそらく建て替えられた学生課のある建物の内側だと思われますがどうでしょう。

作ったばかりらしい池があるので少し驚きました。 

生徒の自習室を見せてもらっています。
見るからに新しい机と椅子が並び、黒板の上には「五省」が掲げられていますが、
これは幹部候補生学校としてスタートするために改装した部屋でしょう。 

一同は赤煉瓦の廊下を二列で歩いていきます。
下にちらっと「同期の桜」が見えますが、当時の同期の桜の横には
今のような無粋なプレハブではなく、赤煉瓦の倉庫があったようです。 

おお、これは先日わたしが卒業式で控え室に用意していただいた部屋そのもの。
幹部候補生学校になってからも、ここが寝室だったようで、表札には

「第4分隊寝室」

とあります。 

きっちりと畳まれたシーツ、チェストは海軍時代そのまま。
昔の幹部候補生は海兵生徒のように赤煉瓦で寝起きしていたんですね。 

これは術科学校の方だと思います。

当直の教官は江原真二郎ではないですか。
若々しい声で兵学校の沿革などを語っています。

「ここでは一個の人間としての教養にもっとも力を入れております。
ここを巣立っていく人は将来斧日本の運命を背負う人となるからです」

何事かを心に決める真人。

って、当然海軍にいくことなんですけどね。

「お母さん、僕、兵学校に行こうと思うんだが」

「そうか・・・海軍いくか」

息子の言葉に思わず微笑みが凍りつく母。

早速真人は牟田口らと「軍人組」で特化した勉強を始めます。

「両舷、前進ビソーク!」

浜辺で掛け声ごっこをしていると、牟田口隆夫が・・・

「月が三つや四つに見える・・・」

どう見ても乱視ですありがとうございま(略)

いきなり真人の家にやって来たエダは喧嘩腰で

「兄がお会いしたいのでちょっときてくださいな!」

一定の距離を取って歩く真人。

エダが立ち止まって振り向けば、真人も立ち止まり、
決して近寄ってこようとしません。

「わたしが怖いの?弱虫!」

だからその態度が怖いんだよ。分かれよ。

「俺、眼医者に行った・・・海軍はダメだ!」

絶望して号泣する牟田口。
千葉ちゃんが可哀想やー!

さて、真人の海兵の試験が始まりました。



学科試験は英語から。最初は机全部が埋まっていたのに・・・、

歴史。
合格点に達しない生徒は試験がすむごとに切ってしまうんですね。 

兵学校に受かった人というのはそれだけですごい倍率を
潜り抜けた俊才であったことがわかります。

真人はそして無事、

「カイヘイニ ゴウカク イインテウ」

の電報を受け取りました。

「ドッドドッドドッミド ソッドドッミド
ミッミミッミソッミソッミ ドッミソッソドー」(移動ド)

兵学校の朝は起床ラッパで始まります。
「起きろよ起きろよそら起きろ 起きないと班長さんに叱られるー」

次の瞬間飛び起きてばね仕掛けのようにアクション。
現在でも全く変わることなく自衛隊で毎朝見られる光景です。 

ここからは兵学校生活が活写されます。
まず相撲。 そして柔道。

先日卒業式で女王殿下がお立ちになった浮桟橋に櫓を置いて飛び込み。

同じく浮桟橋から飛び込んで遠泳。
これで見る限りポンツーンは木製でボロボロです。
戦前からのものに違いありません。

現在も幹部候補生学校の必須、遠泳。
泳いでいるのは当時の幹部候補生たちだったりするのでしょうか。
兵学校生徒は全員坊主頭が義務付けられていましたが、よく見ると
この中には長髪の人たちが混じっています。 

これは絶対に本職がやっていると思われるカッター操作。

カッターに二人ずつ乗ったまま海面に下ろしていきます。
幹部候補生に昔の事業服を着せて撮影したのだと思われます。

兵学校名物、棒倒し。
防衛大学校では今でもこの伝統を受け継いで棒倒しが行われます。 

一応参加している北大路欣也。棒の根元で抑える役。
これは大変ハードな配置で、この生徒が圧死したこともあります。 

食事の前にはお祈り・・・じゃなくて軍人勅諭の斉唱。

ここに食堂があるということですが、はて、これは一体どこ?
門から入って左側の売店のあるところかな? 

そして夏休み。
兵学校生徒にとっては最初の「故郷に錦を飾る」瞬間です。
ただいま、と米屋の戸口にたつ兵学校の生徒姿の真人。

海軍式敬礼もすっかり板について。 

頭から爪先までを凝視し、無言で目を潤ませる母。

牟田口家に海兵の制服のまま出かけて晴れ姿をエダにみせつける真人。
もうエダ、ドキドキが止まりませーん。 

休暇をエンジョイしていると、陸士を目指していた旧友と西郷さんの像の前でばったり。
しかし、真人は彼の口から、隆夫がどうしても海軍に入りたいと受験した
海軍経理学校も、肺炎の痕が残っていて不合格だったことを聞かされます。 

失意の隆夫は訪ねてきた真人に会わず、追い返してしまいます。
見かねた隆夫の父(加藤嘉)は彼を諌め、ついでに東京に行くことを勧めます。

「東京に行ってお父さんの知り合いの画家に絵を習うといい」 

ここで

「お前の若さと勇気をお父さん信頼している」

などと言い出すあたりがいかにも戦後って感じ。 

おお!これは田園調布の駅舎ではありませぬか。
なんと貴重な映像でしょう。

この駅舎は大正年間から1990年まで駅舎として現役でしたが、
一度解体されて現在はシンボルとして復元されています。

その画家ってのは田園調布に住んでいるってことね。 

なんと前作で鹿児島二中の先生をしていた黄門様こと東野英治郎、
今作では「花と女の裸ばかり描いている画家」を演じています。 

「僕は軍艦を描きたいんです!」

かたや兵学校にいる真人の元に、兄が中国で戦死したという知らせが届きます。
兵学校を見下ろす古鷹山の頂上から兄の名を呼ぶ真人。 

そして谷真人ら兵学校67期の卒業式の日がやってきました。
ここでわたしが目を奪われたのが、今まで見てきた兵学校の卒業シーンでも
おそらく唯一、玉座の前に天皇陛下らしき人物を配していることです。

つまり、現在では正面で行われる校長の卒業証書授与は壇の右側で。
恩賜の短剣を右の壇で受け取ったクラスヘッドは・・・・、 

陛下の御前に進み出、その後短剣を捧げ持って一礼し、
その後もう一度右側に戻って後ろ足に壇を降りていたことが判明しました。

67期のクラスヘッドは中村梯次生徒。のちに海上幕僚長になりました。 

真人のモデルとなった横山正治は、兵学校の卒業時、
ハンモックナンバーは
ちょうど100番でした。

横山が潜水艦乗りになることをいつ志したのかはわかりません。
「五十鈴」「長鯨」乗り組みの後、わずか数ヶ月の「千代田」
( 特潜母艦)での訓練、すなわち三机での特訓を経て、
彼は真珠湾へと出撃して行くのです。

 

続く。