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最後のスカイホーク製造番号2960のペイントの謎〜フライングレザーネック航空博物館

2022-01-28 | 航空機

なぜかスカイホークだけが3機もあるここフライングレザーネックですが、
前回ご紹介した練習機、TA-4Fは、この横の航空基地で
訓練飛行の際に事故を起こし、修復が不可能とわかったので
そのまま運んできて展示するという特殊な経緯だったことがわかりました。

そして3機目のスカイホークですが、これも博物館にとって好都合なことに、
前者2機とバージョンが違い、塗装もご覧の通り全く別物です。

■スカイホークA-4M II


A-4MIIは、スカイホークシリーズの最後のバージョンとして製造されました。
つまり最終形というわけです。
名機と言われたスカイホークの最終形だけあって、
A-4MスカイホークIIは、明らかに最も高性能な機体となりました。

もともとスカイホークは、あのジェット機時代には、
アメリカ海軍の輸出機として最も人気のある機種であることは証明済みでした。

サイズが小さかったので、第二次世界大戦時代に就役した
古くて小型の空母でも、取り回しが可能だったからです。


その結果、1979年までの27年間の長きにわたり、
2960機もがあらゆるバージョンで生産されることになりました。

そのミッションはこのようなものです。

「攻撃的な航空支援、武装偵察、防空を
海兵隊遠征軍のために提供する」

A-4Mは近接航空支援プラットフォームの要件を満たすため、
アメリカ海兵隊に特別に製造された最後の機体と言ってもいいでしょう。

元々近接航空支援そのものは、空軍力の任務としては古典的であるがゆえに
航空優勢の獲得が航空戦の第一議となってくると重要性は低下していました。

しかし、アメリカ海兵隊の海兵隊航空団は、伝統的に
近接航空支援任務を重視しており、研究を重ねていたのです。

というのも、海兵隊の主任務の一つが地上部隊の支援であったからですが、
この結果として開発された攻撃法の1つが、急降下爆撃だったというくらいです。


さて、その要件を満たす機体に搭載された
推力11,200ポンドのプラット&ホイットニーJ52-P408エンジンは、
従来のものよりも20%は強力なものとなりました。

また、視認性を向上させた大型のフロントガラスとキャノピー
視覚的な爆撃精度を上げるためのアングルレート・ボミングシステム
(ARBS、角度速度爆撃システム)
を搭載しています。

このARBSは元々海兵隊の攻撃機のために特に設計されたシステムで、
無誘導武器を使用して近距離支援活動を行う際に、
昼夜を問わず爆撃の精度を向上させることが目的でした。
これは通常外部か機首に取り付けられています。

また、共通の光学システムを使用した自動レーザー追尾システム
パイロット制御の追尾テレビも搭載されているので、
パイロットはARBSを使ってテレビの画面で地上目標を確認し、追尾装置をロック。

するとトラッカーがレーザーで照射されたターゲットに自動的にロックオンします。
パイロットはその後表示される指示に従うだけ、という簡単機能。

もうここまできたら、あとはコンピュータがダイブの角度と、
トラッカーの角度の許容範囲内の組み合わせを検出し、
勝手に爆弾を発射して攻撃までしてくれるというわけです。
It's so easy!


展示機のノーズチップをご覧ください。
このブルーに見えるクリアカバーの後ろにマウントされているのがARBSです。

この世界ではずいぶんと早くからAI(といっていいのかどうかわかりませんが)が
人間の代わりを務めてきたようですね。

これによって、戦闘機パイロットには昔のような「射撃の腕」というものは
全く必要なくなってしまったということになります。

もちろんそれとは別の能力が要求されるようになるので、
パイロットになるのが簡単になったというわけではないと思いますが。

また、この写真でノーズセンサーの両側に、
猫のウィスカーパッド(ヒゲ袋)みたいな形のがありますが、ここには
ALR-45レーダー警告システムのアンテナが設置されています。

1969年、より強力なSAMとAAAが登場したため、
米海軍は、海軍攻撃機用の次世代警告システムAN/ALR-45を開発しました。
AN/ALR-45は、ハイブリッドマイクロサーキットを搭載した
世界初のデジタルシステムです。

1970年から1974年にかけて、AN/ALR-45は導入されました。

機首の下には、ALQ-126デセプションジャマー送受信システム
のアンテナがあります。


また、艦上での着陸距離を短縮するためにドローグパラシュートが搭載されました。
これも当時の先端技術だったようです。

Solo Turk F-16 Drogue parachute landing and he lost a part of it RIAT 2018 AirShow

着陸後に小さなパラシュートが開くのはエアショーでお馴染みですが
なかなか可愛らしい光景でなごみます。
ドラッグシュート(Dragchute)という言い方もあります。

その他改良されたものは、

無煙バーナー缶
角型の垂直尾翼の上に配置された敵味方識別(IFF)アンテナ



ヘッドアップディスプレイ(HUD)などが変更されました。

最初のスカイホークの項で説明しましたが、
もともとA-4は核兵器の軽量運搬プラットフォームとして設計されました。

【運用】

Mighty Mikes「マイティ・マイクス」は
Mud Marines「マッド・マリーンズ」を守るための
究極の近接航空支援兵器として改良されました。

マッド・マリーンズは先日紹介した映画「フライング・レザーネックス」で
説明した通り、海兵隊歩兵を表すのですが、マイティ・マイクスって何?

マイティ・マイクスというとこれしか考えられないんですが。
30 minutes of Mighty Mike 🐶⏲️ // Compilation #8 - Mighty Mike


海兵隊でのA-4の愛称だったんでしょうか。
推測するに、マイティ・マイクスはA-4機体の愛称なんじゃないかしら。


さて、先ほど説明したARBS= Angle Rate Bombing Systemの搭載で、
A-4Mは、間違いなく世界最高の近接航空支援ジェット機となったわけですが、
皮肉なことに、A-4MはA4Aを除くスカイホークの中で
唯一、戦闘に参加していないバージョンとなってしまいました。

なぜなら、A-4Mが初めて就役したのは、ベトナム戦争が収束に向かっていた
1971年であり、湾岸戦争に先立つ1990年2月には第一線を退いていたからです。

というわけで、海兵隊のA-4Mは、その現役期間中、

日本に前方展開して、実現しなかった戦争に備えていた

のでした。(-人-)
まあ、配備されるだけで終わる戦闘機は別にこれだけというわけではないからね。
それをいうなら自衛隊になってからの日本の戦闘機はどうなる。

ちなみに、A-4を運用していた他国軍にイスラエル軍がありますが、
ここは中東のいくつかの紛争があったのでMiG-17を敵として出撃しています。

ただし、中東で実戦に投入されたA-4は、ほとんどがドッグファイトなどより
対空砲(AAA)や地対空ミサイル(SAM)に撃墜されていたようです。

数少ない例の一つとして、エズラ・ドタン大佐が、
A-4のポッド式空対地ロケット弾でMiG-17を1機、
同じくA-4の30ミリ砲で翼を落としてもう1機、計2機を撃墜しています。

しかもEzra Dotanはイスラエル空軍のエース(勝利数5)として、
乗機はミラージュネシェルのエースにカウントされており、
たまたまA-4に乗っていた時に撃墜しただけと認識されているようです。

A-4Mは合計160機が製造されました(うち2機は改良型のA-4F)。

【A-4の終焉】

1979年2月27日、アメリカ海軍がマクドネル・ダグラス社の
A-4M Bureau Number (BuNo) 160264
を受領したことにより、25年間にわたるスカイホークの生産が終了しました。

この間、2,960機のスカイホークがラインから出荷されました。
最後の『スクーター』(A-4の愛称の一つ)を最初に飛ばした飛行隊は
VMA-331バンブルビーでした。


1990年、VMA-211が最後のA-4Mから
AVー8BハリアーIIに移行させていきました。
そして最後にサービスを終えたのは1994年のことでした。

HPによると、ここにあるのはその最後の機体160264なのだそうです。
さらに、最後に生産された2960機の、さらに一番最後の機体です。

その証拠、2960の数字が書かれている

最後に受領したのはNASレムーアのVA-23ブラックナイトで、1967年でした。
パッチに書かれているATKRONは前にも説明したことがありますが、
Attack Squadronからできた造語で「攻撃飛行中隊」を表します。



メリーランド州のNAS Patuxent Riverにある海軍航空試験センター(NATC)
カリフォルニア州のNAWCチャイナレイクにある
VX-5ヴァンパイアズにも所属して、ミサイルテストに参加していましたが、
その後海兵隊に返還され、海軍と海兵隊を行き来し、
NASメンフィスにあるVMA-124ウィストリング・デス Whistling Death
での所属を最後に引退しました。


ところで、HPには、間違いなくこの機体と同じ写真と共に、

「このジェット機は現在、MCASミラマーのVMA-124の
最後のカラーを身にまとっています」


と書かれているのですが、VMA-124の塗装はこれなんです。


「ブルーエンジェルス」としっかり書いてある現地の機体を
さすがのわたしも見間違えようがないのですが、ただしこのペイント、
記憶にあるブルーエンジェルスのそれとは全く違います。

なのにどうしてこう既視感があるんだろう、と考えてみたら、
これ、ブルー・インパルスに似てませんか?


機体には国旗が。
右からトルコ、ニュージーランド、クェート、アメリカ、イスラエル、
オーストラリア、青と白のはたぶんアルゼンチン。

この国旗の配列と、「ネイビー/マリーンズ」というペイント、
ブルーエンジェルスのマークを見てわたしははたと合点がいきました。

おそらく、この塗装はアメリカ軍の「どこにもない」オリジナルで、
FLAMが考えたところのA-4の歴史をあらわしているのでは
と。
その結果たまたまブルーインパルス に似てしまったのではないでしょうか。

国旗はA-4を採用した国全てを表し、
使用したのは海軍と海兵隊、ブルーエンジェルスの機体にも使われたことがある。

そういうことなんじゃないかな。
みなさまどうお思いになります?

しかし、それならそうとどこかに一言説明しておいてくれないと、って気がします。


今気がついたのですが、ここの入り口の看板には
このスカイホークが同じペイントのまま描かれていました。
オリジナルの塗装を施し、実際に飛ばすこともあったようです。



スカイホークの生産が1979年に終了した当時、
27年間にわたる生産期間はアメリカの戦術機の中で最長でした。


続く。