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スナイプス(喫水下で航行する男たち)〜USS「エドソン」

2024-01-25 | 軍艦

USS「エドソン」の艦内ツァーも最終日となりました。


ボイラー室には消火用の二酸化炭素のボンベがあります。
二酸化炭素は危険物なので中身は空にしてあることを明示しています。


全体的に赤く塗られているのは消火設備ではないかと思ったのですが、
#2エンジンルームの予備コンデンサーと排気装置だそうです。

艦船用タービンジェネレーター
Ship's Service Turbine Generator(SSTG)

蒸気で動くタービンは、主発電機の巻線を回す別のシャフトに接続された
シャフトに取り付けられ、艦上で様々な目的のための電気を生産しました。


蒸留プラント
2段フラッシュ式蒸留プラント

右側の丸いタンクの蓋?には
「海水ヒーター」とあり、各パイプには供給先が書かれています。

メイン蒸気システムは蒸留プラントに過熱蒸気を供給し、
海水を瞬時に過熱して蒸気にし(フラッシュプロセス)、
凝縮させて再びフラッシュさせます。

2 回目のフラッシュプロセスの後、得られた凝縮液が収集されます。
これらは、以下の目的で使用されました。

蒸気を生成するためのメインボイラープラント用
飲料用や化学薬品(臭素や塩素など)が添加された淡水タンク用

■ スナイプス Snipesとは?

冒頭写真は、ボイラールームのおどろおどろしい地縛霊よろしく、
「釜の中で絶叫する男」・・実に趣味の悪い「エドソン」の展示です。
おそらく、ハロウィーン前になると出回る、庭先の幽霊飾りでしょう。

余談ですが、アメリカではここ何年か、この手のハロウィーンのおふざけが
だんだん悪趣味になってきて、わざわざ家の前に井戸を置いて、
そこから手が出てきているとか、蜘蛛の巣を家全体に張り巡らすとか、
悪ノリする家庭が目立つような気がするのですが、
この「ゾンビ」もその一連の装飾品として売られていたものでしょう。
(そして、そういったろくでもない飾りのほとんどは驚くほど安い)

なぜそのようなものがここにあるかと言うことを考える前に、
ここボイラー室で働いていた海軍機関士たち・・・

スナイプス”Snipes”について説明します。


「スナイプス」

SNIPES OF THE US NAVY:
アメリカ海軍のスナイプス:
艦底で生きる水兵たち:


彼らはこのように呼ばれます。

その誇り高き歴史と伝統とは。
彼らは誰なのか、何をする人たちなのか。

説明になるかどうかわかりませんが次をお読みください。

海軍エンジニア

これを読んでいるあなたは入隊ほやほやの新人だろうか?
DC資格を取ろうとしている?
水上戦のピンを取得しようとしているところだろうか。

そんなあなたは、艦の底深くでフネを動かしている乗組員を訪ねて
甲板の下を冒険したことがあるだろうか。

彼らはどこから来て、いったい何をしているのだろう?
一度でもそんなことを考えたことがあるだろうか。

スナイプとはいったい何なのか?

「スナイプ(Snipe)」という言葉はもともと、
機関部の船員に向けられた侮辱と考えられていた。

他の一般的な呼び名は「ビルジ・ラット」や「ブラック・ハット」で、
「ビルジ」や高温で汚れた機関室で働く乗組員を指していた。

カバーオールを着用する前の時代、船員は季節の制服として
の白とブルーの「アンドレス」(脱衣服)をよく着ていた。

カバーオールは「ディキシー・カップ」「ホワイト・ハット」と呼ばれた。

しかし、スナイプスは、彼らの職場環境があまりにも汚かったため、
ダンガリーシャツに移行した最初の乗組員だった。

第二次世界大戦の頃、乗組員たちは「白い帽子」を紺や黒に染め始めた。

これは、船上での日常生活につきものの油汚れを隠すために、
新しいデニムのズボンで帽子を洗ったせいで、

紺になったのだ(つまり染めたのではない)と考えられている。

そもそも陸上勤務やトップサイドの仕事に就ける幸運な乗組員たちには
こうした問題は起こりようもないので、機関兵を
「ビルジ・ラット(ねずみ)」程度にしか見下さないことも多かった。


【ソルティードッグ・オールドスクール
SNIPEの歴史】


艦船機関部の歴史は、木造帆船の時代まで遡ることができます。

艦船を動かす帆を作るのが文字通り仕事であった帆職人や、
船を浮かべて水密を保つ大工とメイトもそれに含まれます。

以下は、現代のSNIPE格付けの例。

艦体整備技師
ダメージ・コントロールマン
機械工
機関手
電気技師
ガスタービン システム技師


世界の海軍が蒸気動力に転換するにつれて、
艦艇の燃料庫から石炭を回収し、艦の炉室に輸送する責任を負う、
「コール ヒーバー」が登場しました。

動力が蒸気ボイラーからガスタービンエンジン、原子炉へと移行していくと、
その100年ほどの間にさまざまな肩書きが生まれては消えていきました。

第二次世界大戦では、米海軍がCBRN防衛/ダメージコントロールのために
化学戦スペシャリストを創設したこともあります。

ここで語るのは、現代の鉄鋼船の金属工や配管工と一緒に働く
シップ・フィッターのことです。

現在は巡洋艦、潜水艦、航空母艦で働く原子力訓練を受けた者と、
それ以外を浮揚させ、動かす者という棲み分けがされていますが、

今日、これらの男女は、エンジンの稼動維持から消火活動、
ダメージ・コントロール、そして通信システムの管理という重要な任務まで、
それこそあらゆることを担っているのです。


さて、USS「エドソン」のスナイプたちが生息していたこの場所に、
次のような「嘆きの歌」が貼ってありました。


”スナイプの嘆き”

今、私たちの誰もがおりにふれ海を眺める際、
そこに、この国の自由を守るために出航していく
強力な軍艦を眺めたことがあるだろう。

この国の自由を守るために任務に出て帰港してくる
力強い軍艦を眺めたことがあるだろう。

そして私たちは、誰もが一度は魅力的な海の男たちの物語を

本で読んだり、人から聞いたりしたことがあるだろう。

雷、風、雹の中を雄々しく航海する男たち。

しかし、彼らを語る勇壮でロマンチックな海の上の伝説では、

滅多に語られることのない「場所」がある。

それは喫水線の下にあり、そこでは生きた犠牲が払われている。
- 水夫たちが "穴 "と呼ぶ 熱い金属の生き地獄だ。

そこには蒸気で動くエンジンがあり、シャフトを回転させている。
火と騒音と熱気で魂を打ちのめされる場所だ。
地獄の心臓のようなボイラー、憤怒の蒸気の血、
そこでは怒れる神々が造形され、夢の中で悪魔となる。

轟く炎からの脅威は、まるで生きている疑問符のようだ。
それは今にもそこから飛び出し、あなたを舐め尽くすだろう。

タービンは地獄で孤独と喪失に苛まれる魂のように悲鳴を上げる。
どこか遠くの上空からそうするように命じられたタービンは、
あらゆる鐘の音に応えて、動く。

ただひたすら火を灯し、エンジンを動かす男たち、
彼らは光を知らない。


そこに人間や神のための時間はなく、恐怖に対する寛容さもない、
その様相は、生きとし生けるものに涙の貢ぎ物も払わない。
人間ができることで、この男たちがやったことのないことは、
そうそうないからだ。

甲板の下、穴の奥深く、エンジンを動かすために。

そして毎日毎時、彼らは地獄で見張りを続けている。
もし火が消えれば、艦は役立たずの砲弾となる。


怒れる海には船が集結し、戦争をする。
下にいる男たちは、自分たちの運命がどうなるのか、
ただ険しい笑みを浮かべて待つだけだ。

彼らは、戦いの叫びを聞くこともなく、
運命に翻弄される者のようにただ下に閉じこもっている。

戦いの叫びも聞こえない「下にいる男たち」は、
弾が命中すればただ死んでいく。

いや、それでなくとも毎日が戦争のようなものだ。
1200ポンドの熱せられた蒸気はときとして彼らを殺す。

だから、もし君が彼らの歌を作ったり、
彼らの物語を語ろうとしたりしたら、
その言葉そのものが君の耳に響くだろう。

その言葉は、焼かれた炉の慟哭を聞かせるだろう。

そして人々はほとんどこの鋼鉄の男たちのことを耳にすることはない。
船乗りたちが "穴 "と呼ぶこの場所についても、
ほとんど知られていない。

しかし、私はこの場所について歌い、
あなたに知ってもらおうとしている。
なぜなら、そのうちの一人が私だからだ。

汗に塗れたヒーローたちが、
超高温の空気の中で戦うのを私は見てきた。
しかし誰も彼らの存在を知らない。

こうして彼らは、軍艦が出航しなくなるその日まで、
ずっと戦い続ける。
ボイラーの強大な熱とタービンの地獄のような轟音の中で。

だから、戦うべき敵を迎え撃つために撤退する艦を見かけたとき、
できることなら、かすかにこう思い出してほしい。

できることならかすかに思い出してほしい。

"The Men Who Sail Below "を。 



さて、ここで長らく語ってきたUSS「エドソン」の物語も終了です。

機関室の「喫水下の男たち」に想いを馳せたあと、
通路に沿って進むと、明るい五大湖沿いの夏の光景が広がりました。

目の前の桟橋は、岸壁から「エドソン」までを繋いで、
ここに訪れる人々を迎え入れる唯一の通路です。


USS「エドソン」の博物館としての管理と運営は、
わたしが少しお話をした、「この町で唯一の日本人」である女性とその夫、
ベトナム戦争のベテランを始め、地元の人々のボランティアで成り立ちます。

この日、彼らは集まって青い屋根の建物の下で会合をしていました。


海兵隊員の名前を命名された海軍の艦艇一覧です。
「エドソン」もこのなかにあります。

右側に「KIA」とあるのは、キル・イン・アクション、戦死した人です。

この中で唯一「エドソン」だけが、Diedとなってますが、
その理由は、メリット・エドソン将軍は戦死ではなかったからです。

他の海兵隊戦死者のほとんどが1942年か43年、おそらく
南太平洋での日本軍との戦いで戦死したと思われるのに対し、
エドソン将軍だけが没年が1955年となっています。

これは「エドソン」の建造計画が立ち上がったちょうどその時、
海兵隊の戦功者であったエドソン将軍が逝去したことから、
急遽他の第二次世界大戦戦死海兵隊員のリストに「割り込む」形で
「エドソン」が誕生したのだと考えられます。



かつては波乱の海の戦いを見守った甲板からは、
いまでは永遠に平穏なサギノー川の流れがただ見渡せるだけです。

そのときに揚がったのと同じ星条旗を掲げながら。


「エドソン」の甲板から、一羽の美しいサギが飛翔しているのが見えました。
サギノー川の上にサギか・・・・


と日本人のわたしだけは思ってしまうのだった。



それでは「エドソン」の甲板に別れを告げることにしましょう。


最後に今までの旅を振り返ります。


車に戻り、もう一度全体写真に挑戦しましたが・・・またしても失敗。


思い余って?土手を駆け上り、もう一度・・。
これでも少し艦尾が切れてしまいました。
(実は眩しすぎて対象をはっきり捉えることが難しかった)



悔しいのでさらに土手を一番上まで駆け上がりました。
これでやっと「エドソン」の姿を収めることができたというわけです。

そしてこれが最初で最後の完全な艦体写真となりました。


わたしたちはこの後、オハイオ州クリーブランドに向かいました。


「エドソン」シリーズ終わり



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4 Comments

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「船の科学館」解体 (お節介船屋)
2024-01-27 11:11:58
本題とは無関係ですがエリス中尉悲しいお知らせです。
下に添付したように「船の科学館」本館は2011年閉館後、再開されることなく2月から解体されることとなりました。
https://news.yahoo.co.jp/articles/df0ee8c67b50574eb9dc8c85a5956e9d818aa9ca

船を科学的に理解できる施設であり、貴重な資料も多く、一部は別館で展示されていました。
「宗谷」はリニューアルで維持されるようですがこのような施設を維持できない日本は本当に不甲斐ないです。
貴重な多くの資料等はどうなるのでしょうか?
返信する
ガタルカナル戦 (お節介船屋)
2024-01-26 13:00:11
1942年8月7日の戦死者名が多いですがこの日第1海兵師団1万人余り主力でガタルカナル島に上陸し、占領を開始したのですが日本軍は設営隊1,200名あまりが主力で戦闘部隊はわずかであり、撤退、ルンガ川で防衛することとされ、この日は夜までほぼ戦闘がおこってません。
その後ガタルカナル飛行場の攻防戦で激戦となり、多くの死者が出ますが、わが軍は約2万人の戦没者で戦死者としては5~7千人他は餓死やアメーバー赤痢等の戦病死でした。米軍は7千名を超える戦死者を出しています。
8月7日の9名の戦死者の名前が命名されていますが米軍としてもこの反攻が大きな節目との考えかなと想像します。
返信する
機関科 (お節介船屋)
2024-01-26 10:17:20
日本海軍でも軍令承行令があり、最高指揮官戦死後次席が代わるのですが指揮権継承順位は兵科将校だけで機関科幹部は将校相当官とされ将校には含まれませんでした。
大正4年の改定により、招集中の予備役後備役の将校等の将校も居なくなった場合機関科幹部が承行すると規定されました。
昭和17年、昭和19年の2度の改定により兵科、機関科の呼称、階級、身分の区別が消滅し、機関科出身でも将校とされ指揮権移行もされるようになりましたが末期であり、実質はどうだったのでしょうか。
人事の硬直化や身分上下を示す例として批判されていました。
参照海人社「世界の艦船」No784

沈没に際してもボイラーの蒸気爆発等の火傷、浸水や脱出通路閉鎖で不能での戦死も多い役目や配置でした。
返信する
持ちつ持たれつ (Unknown)
2024-01-25 19:56:09
甲板要員(砲雷科及び船務科、航海科)だと、武器を扱ったり、艦橋やCICに詰めて、戦闘に関わるので、船がどういう状況なのかわかりやすいですが、機関科だと、機械に向き合っているだけで、状況は全くわかりません。なので、言うこと「機関士」の時には、出来るだけ、機関科員に船の状況を伝えていました。そうしないと、攻撃された時には、何もわからないうちに人生が終わってしまいます。

「Snipes」の通り、船底の機械室で勤務するので、うるさくて、きたないですが、甲板要員と違って、冬に寒い思いをすることはありません。最近の船は造水量が大きいので、真水管制(毎日、シャワーには入れない)もありませんが、水が厳しい頃でも、常に暑い思いをする機関科員には、毎日、シャワーが許されていました。

武器を始め、あらゆる装備は電気で動きますが、機関科が動かないと電気は供給されません。一々「400Hz(武器用の電源)送れ」とか「高圧空気(魚雷発射用)送れ」とお願いしないと、武器は動きません。持ちつ持たれつです。
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