前回、「メア・アイランドシリーズはこれで最後だ」と言いつつ、
締めをしてしまったのですが、掲載していなかったログが発見されました。
今度こそ、メア・アイランド工廠跡見学の最後、というわけで、
ここで建造された艦船についてお話ししていきます。
とかなんとか言いながら、
USS「インディペンデンス」
が建造されたのはボストンのネイビーヤードなんですけどね。
1814年の就役以来、ロシア、南アメリカへの遠征を始め米西戦争に参加、
その後はヨーロッパにも行ったという彼女ですが、1857年、
ここメア・アイランドに錨を下ろし、1912年に除籍になるまでここにいました。
そんな長い間、彼女はここで何をしていたのでしょうか。
左が現役時代の「インディペンデンス」の帆を張って進む勇姿、
右が晩年の彼女の最終形です。
55年間の長きにわたり、彼女は「ハルク」になっていました。
ハルクとは、水上に浮かぶ機能はあっても洋上航走はできない船です。
老朽船となった「インディペンデンス」からは艤装や内部の装備が撤去され、
ただ水上に浮かぶだけの何かになってしまいました。
もっとも、ハルク化されたのは彼女に限ったことではなく、
帆走の時代には、多数の船体が船として用いられるよりも
ハルクとして長期にわたり従事したものでした。
木造船は、船体構造が老朽化すると悪天候下の洋上航走時には
容易に浸水してしまうようになるので、そうなると、
新兵を収容するための「新兵ハルク」、あるいは脱獄しにくいことから
囚人を収容する「監獄ハルク」、さらに経年劣化してくると、いよいよ
「石炭ハルク」「火薬庫ハルク」となって
「汚れて乱雑で、魅力のない余生」(現地の説明による)
を終えるのが木造船のよくある一生だったようです。
これはかつて「インディペンデンス」のフィギュアヘッドだったもの。
フィギュアヘッドは女性を象ったものが多いですが、これは
ローマ風?装飾を施した白いフィギュアヘッドです。
足元にある銅板には在りし日の彼女の功績が綴られていますが、
彼女が解体された1912年に製作されたものなので、古びて真っ黒です。
これも「インディペンデンス」の参加した戦争を記した石碑。
解体された後、残されたフィギュアヘッドの前に置かれていたようです。
「インディペンデント」が最初の「ガバメント・ヴェッセル」(政府の船)
としてメア・アイランドに引き渡されたことが書かれています。
キール・レイドとは起工の儀式で、1812年に行われました。
「クラッター・ホーン」(Clatter Horn )
「インディペンデンス」で使われていたもので、この取っ手を持って
振り回せば、船中に音が聞こえ「ウェイクアップコール」になるというもの。
晩年の「インディペンデンス」がどのようにハルク化されていたかというと、
これです。
うーん・・・フリゲート艦としてブイブイ言わせていた彼女が・・・。
しかし「新兵艦」や、ましてや「監獄艦」になることがなかったのは
特別扱いされていた方だったのかもしれません。
1904年撮られた「インディペンデンス」の内部は、全く応接室仕様。
新兵用でも囚人用でもなく、これは貴賓室として使われていたんですね。
それとも誰か偉い人が住んでいたんでしょうか。
花瓶には花、地球儀、ピアノの上には練習中の曲の楽譜まで見えます。
別の角度から撮られた同じ部屋。
天井のランプのソケットから卓上ランプの電源を取っていますね。
すでに船としての機能は全くなかったことがよくわかります。
「インディペンデンス」は1915年に地元の業者に売却され、
メタルの部分と、もっとも価値のあるオルロップデッキの木材を
全て取り除かれて廃棄処分となりました。
戦艦「ミズーリ」の模型。
こちらも履歴をざっと調べてもこの戦艦とメア・アイランドの関係はないようだけど?
と思って現地の説明を見たら、
「ミズーリとメア・アイランド工廠には特別に関わりがないが」
ってわざわざ書いてあるではないの。
しかも、
「その時期メア・アイランドが手がけたのは戦艦『カリフォルニア』だった」
日本がその甲板で降伏調印を行なった、という象徴的な艦として、
我々は多くの艦船を生み出し、補修することによってこの結果に
大いに寄与したのであーる、ということが言いたかったようです。
一つ前の写真は有名なので見たことがありますが、これは初めてです。
角度から察するにこれを撮ったのは「ミズーリ」の乗員でしょう。
まさか、抱き合っているのはマッカーサーとニミッツ・・・?((((;゚Д゚)))))))
だとすれば別の意味でとんでもなく貴重な瞬間ですが、帽子が違うので、
ニミッツはサイン中か左で立っている人物だと思われます。
さて、メア・アイランド海軍工廠の「ファーストシップ」、
最初に建造されたのが蒸気船「サギノー」です。
1860年「サギノー」は太平洋艦隊の隷下に入り、南北戦争、
アラスカでのロシアとの紛争に参入したりしていましたが、
1870年、ミッドウェイで港予定地を浚渫する作業をしたあと、
Kure環礁で座礁してしまいます。
救出を求めるため、タルボット中尉と水兵ウィリアム・ハルフォード含む
志願者4名がボートに乗り込み、カウアイ島に向かいます。
なんと31日に渡る航海の末、ようやく岸に近づきましたが、そこで
不運にもボートは転覆し、全員が海に投げ出されてしまいました。
その中でハルフォードはただ一人、岸に泳ぎ着いて助けを求め、
その結果座礁した「サギノー」の乗員は救出されました。
右側は同じハルフォードの海軍士官姿です。
荒海を泳いで「サギノー」の救出を呼ぶことに成功した彼は、
名誉勲章を受け、1971年、つまり事故の翌年にいきなり准尉に任官、
と、いったい何段跳びかわからないくらい昇進しました。
そして第一次世界大戦が始まった時、海軍はハルフォードのような
経験豊かな軍人を必要としたため、退役していた彼を呼び戻し、
中尉に昇進させるという措置をとりました。
彼は死後、ネイビーヤード墓地に中尉の階級で葬られ、その名は
USS「ハルフォード」DD-480に残されました。
1916年、メア・アイランド起工されたUSS「ショー」DD-68の
キールレイイングに使われた金槌。
これ、なんだと思います?
わたしも初めて見たのですが、「ショー」の「ハーフ・ハル」、
つまり船殻の半分模型なんですって。
造船する際、シップフィッター(Shipfitter)という部門では、
設計者の図面に基づき全ての船に対してこのようなハーフ・ハルを製造しました。
これは2代目。
USS「ショー」DD373、駆逐艦です。
2代目「ショー」はフィラデルフィア海軍工廠生まれですが、オーバーホール以外に
メア・アイランドは歴史的に意味のある彼女の修復を請け負っています。
「ショー」は、真珠湾攻撃のとき乾ドックに入渠中でした。
日本軍による攻撃で「ショー」は前方機銃座に2発、艦橋左舷に1発の計3発、
爆弾を受け、火災を発生しました。
(爆発する『ショー』。誰が上手いこと言えと)
消火活動が続けられましたが、消火剤を使い果たしたため、
総員退艦の命令が発せられます。
そして前方弾薬庫が爆発しました。
しかし沈没は免れたので、彼女は真珠湾で応急措置を受けた後、
メア・アイランドに運ばれて竜骨を取り替える工事を受けました。
この一言で説明をまとめると、米西戦争によってメア・アイランド造船所の技術は
飛躍的に成長した、ということです。
手漕ぎでなく蒸気を動力としたボートの発明、蒸気エンジンのパワーアップ、
エア・コンプレッサーの導入によって武装も一段と強力になりました。
米西戦争に参加したメア・アイランド生まれの艦船たち。
左上から時計回りに:
防護巡洋艦「オリンピア」C-6
防護巡洋艦「ラレイ」C-8
防護巡洋艦「ボストン」
ガンボート「コンコード」PG-3
防護巡洋艦「ボルチモア」C-3
ガンボート「ペトラル」PG-2
その一隻である「オリンピア」です。
なぜか一緒にあった「ファイアエンジン」。
ファイアエンジンって消火自動車ですよね?
ちなみにこの模型は、「RCワーシップコンバット」用のものです。
「RC model warship combat」ってなんだと思います?
「見る模型ファン」のわたしとしては気になる記事がありました。
RCって多分ですけど、レシオ(比率)のことですよね?
それでいうと1:144の船の模型にBB弾(ベアリング)で武装させ、
池で戦闘を行うという趣味のことです。
去年の7月、阪神基地隊のプールでで潜水艦模型を操作しているグループがいましたが、
これはさらにガチンコで海戦を行い、戦わせてしまうという・・・。
日本潜水艦クラブは、お池で操作することすら「模型を失くすかも」という
心配と戦っておられたようですが、こちらは本当に沈没覚悟です。
What is RC Warship Combat
この説明によると、アメリカ、カナダ、オーストラリアで盛んだそうです。
日本では多分BB弾使用というのがネックになってるんだろうな。
それにしてもこんな池で沈没してしまった船、どうやって回収するの?
と思ったら、半裸で池に入っていって船をサルベージし、すぐさま戦線に復帰させています。
「ブルーバード」A.M.S.121 bluebird
AMSというのは掃海艇です。
同じく掃海艇「コルモラント」 AMS-122。
コルモラントとは「鵜」のことです。
アメリカの掃海艇は鳥の名前をつけていたのですね。
彼女は1960年ごろまで、日本近海での掃海を行なったそうです。
日本近海の掃海にアメリカ軍が出動していたことを
わたしは今初めて知ったわけですが、全く日本側に資料がありません。
「ブルーバード級」は世界各国に貸与されましたが、我が国の掃海艇
MSC-651 「やしま」
MSC-652 「はしま」
MSC-653 「つしま」
MSC-654 「としま」
もアメリカから貸与されたものです。
「マウミー」(モーミーかも)は燃料補給船として1914年に起工されました。
オハイオ州のモーミー川から命名されています。
海軍に配備された初めてのディーゼルエンジンの船ですが、
歴史的に注目すべきは、最初のCTO(チーフテクニカルオフィサー)
に任命されたのは、チェスター・W・ニミッツ中尉だったことでしょう。
「モーミー」の艤装中、ニミッツ中尉はドイツにあるディーゼルエンジン工場に
エンジンの研究をするために派遣されています。
ドイツ系だったニミッツは実はドイツ語ができたのでした。
(彼の宿敵マッカーサーが、ニミッツと口にする時、わざわざ『ニイーーミッツ』
と発音して、ドイツ系であることを暗に揶揄していたという話があります)
第一次世界大戦が始まり、アメリカが1917年4月に参戦を表明した時、
ニミッツは「モーミー」の技術士官であり、米海軍駆逐艦の第1艦隊が
大西洋を横断するのに同行した「モーミー」は燃料補給船として機能しました。
彼の監督下で、「モーミー」は初めての補給を実施したということです。
メア・アイランド工廠シリーズ 本当に終わり