6月1日は、阪神基地隊が開隊して67周年目を祝う行事が行われました。
ご招待いただきまして、参加してまいりましたのでご報告です。
おっとその前に、週末は記念行事が各地の自衛隊で行われたらしく、
Kさんは北海道は東千歳の第7機甲師団の創隊64周年記念行事に参加され、
毎年夏の総火演も顔負けの演習を見てこられたそうです。
そのポスター、戦車文字で書かれた「令和」を見よ。
「令」に比べて「和」が小さいですが、気にしない気にしない。(by一休)
前日が雨だったのか、埃が立たないように水を撒いたのかはわかりませんが、
空自からF15戦闘機も飛来して観客大興奮の記念行事となったようです。
おお、かっこいい!
戦車のバック駆動も、ぬかるんだ地面の土が跳ね上がり、写真映えします。
Kさんはわざわざ関東から飛行機で行かれたのだと思いますが、
これほどのものが見られたならば行った甲斐が会ったというものでしょう。
わたしは陸自のこういった式に参加したことがないので、
ずらりと並んだ制服が白でも黒でもないこの光景、実に新鮮。
新制服が制定されてずいぶんになる陸自ですが、ご予算の関係で
いまだに全く全隊員への普及が行き届いていないというのがこれを見るとわかります。
この写真は第7師団の偉い人たちが順番に挨拶しているシーンで、
Kさんによると、装備部長が制服の新旧不統一を謝られ、会場は
大爆笑になったという・・・・。
そういえば、今回高松でお会いした某地本部長は、ついに新制服が調達されたらしく、
何か言って欲しそうだったので、
「良かったですね!お似合いですよ」
と申し上げると、
「そうですか。で、新しい制服の写真を撮らなくていいんですか」
それは俺を撮ってその写真を送れ、って意味ですかね。
もはや新制服の調達遅れがネタとなり、コミニュケーションツールと化している
感のある陸上自衛隊の現場ですが、その現状はというと、制定後、
入隊した新入隊員は全員最初から新制服が与えられ、将官級の偉い人ほど
真っ先に変更を済ませたため、階級的には上と下からじわじわと調達され、
制服の色が変わっていきつつあるというものです。
そしてこの写真を見る限り、北海道の駐屯地の変更はまだまだ、つまり、
駐屯地に配備されている戦車の数と新制服の配備数は反比例する
=戦車がたくさん配備されているところ(日本の両端)ほど制服の到着は遅れている
という法則が成り立っているものと思われます。
北海道や九州の駐屯地勤務の部隊長クラスに制服がいきわたる、
それは一体なん年後のことになるのでしょうか。
とりあえずの目標は平成のうちに、ということだったと思いますが、
それが果たせなかった今となっては、令和が終わるまでにはなんとか、とか?
さて、海上自衛隊阪神基地隊の開隊記念行事の話です。
海自が民間人にその装備をアピールする際、最も効果的なのは体験航海です。
がしかし、戦車が縦横無尽に走り回ってもどこからも文句が出ない北海道の原野と違い、
公海に船を出すには色々と手続きやらなんやら大変なことが多すぎるので、
開隊行事といっても、特に阪神基地隊では所属の掃海艇を公開するのが精一杯。
この日、岸壁で一般公開されていたのは掃海艇「なおしま」でした。
しかし、何度か行事に参加させていただいたところによると、この
規模の小さな基地隊は、その点、せっかく来てくれる自衛隊支援者のために
「来て良かった」と思ってもらえるような工夫を凝らしているようです。
それについてはまたおいおいお話しします。
なんども見学させていただいているので、今日は岸壁から
機雷掃討具PAP−104を撮影するに留めました。
PAP-104 は、現行の国産掃海具S-10が導入される前、「すがしま」型に
装備されたフランス製の掃海具です。
今掃海艇の主流となっている掃海具S-10はS(掃海のS)シリーズの10番目の型です。
S-1から始まって、今まで10タイプが研究開発されてきました。
もちろんその全部が制式となったわけではなく、10のうち採用されたのは
2、4、8、10の4タイプだけで、そのうち長期利用に至ったのは
2、8、10の三つだけとなります。
こちらの「つのしま」は近づこうとしたら乗員が寄ってきて
「今日は公開しておりません」
先週高松で行われた掃海隊殉職者追悼式に伴う広報行事では
高松港で体験航海を行ったばかりなので、今日はお休みです。
「なおしま」上では乗員が見学者に手振りを加え熱く解説中。
乗艇記念の浮き輪から顔を出して写真を撮っている人もいました。
この、妙に力の入ったポーズをしている男性は行事出席の政治家、
横は令夫人と思われます。
HPの「活動記録」に載せるための写真かな。
阪神基地隊の行事は、建物の二階にある体育館で行われますが、
(一階には50mプールがある)、入り口が狭い階段なので、
開場してしばらくはそこで待たされることになります。
そこで掃海艇の岸壁を一周してきて、今度こそ入場することにしました。
駐車場で発見した大きな海上自衛隊マークをフロントグリルにつけた車。
というか、こんな海自マーク、どこで売ってるの?
会場に通じる階段を上ったところから眺める基地岸壁。
いつもは左側に縦列に係留してある掃海艇ですが、今日は
公開しない「つのしま」を奥に泊めるという変則形です。
こうして見ると阪神基地隊のサイズが小さいのがよくわかりますね。
記念行事の冠を見てもお分かりのように、今年で阪基は開隊して67年。
最初は1952年8月1日、創設されたばかりの保安庁警備隊隷下の
海上保安庁第五管区海上保安本部「航路啓開部」
として発足しています。
つまり機雷掃海のための掃海隊、「大阪航路啓開隊」が創隊してから
一年後の1953年9月16日、
「海上自衛隊大阪基地隊」
が開隊し、今年はそれから67年目ということになります。
この9月16日とは行事が今回行われた6月1日とは全くカスリもしないのですが、
これは自衛隊の各種記念行事にありがちな決まりで、本来の創隊日が
9月の台風シーズンなどに当たっている場合、出動に備えることを優先させ、
記念行事を台風の起こりにくい季節にずらした結果なのです。
ちなみに航路啓開のために海保の基地として置かれたあと、
ここが今の名称「阪神基地隊」として再編されたのは1968年の3月30日でした。
ここをベースとしていた掃海隊は、創隊以来、神戸港の浚渫の際、
発見される機雷を掃討することを主な使命としてきましたし、
また、阪神大震災の折には、自らが被災しながらも、現地の海自基地として
被災地での救援、復興、支援業務に携わりました。
会場前の廊下には祝電が張り出してあります。
上の、
「陸上自衛隊関西補給処長
かねて宇治駐屯地司令 陸将補」
というのはわかりますが、下の
「自衛隊阪神病院長 兼ねて川西駐屯地司令」
とは?
小さな基地駐屯地の場合兼任というのは珍しいことではないのかもしれませんが、
病院長兼駐屯地司令って・・・?
検索してみたところ、川西駐屯地というのは伊丹の千僧駐屯地の近くで、
自衛隊地区病院である阪神病院が敷地のほとんどを占め、
ついでに自動車教習所があるようなところだそうです。
それで病院長が駐屯地司令を務めることになっているんですね。
防衛医大を出て駐屯地司令を務めるという例は他にもあるのでしょうか。
ところで、この阪神病院のHPにおける院長の顔写真が実に斬新です。
政治家からの各種電報の中で目を引いた指差しポーズ。
体育館入り口で基地隊司令夫妻や先任伍長、関西水交会会長に挨拶しながら
入場したあとは、どこのテーブルに行ってもいいのですが、
壇上の様子を写真に撮るため、右前方向でスタンバイすることにしました。
。
関西のレセプションならではの光景で、テーブルの料理には
ことごとく覆いが掛けられております。
これらは、来賓の挨拶が終わり、乾杯の用意ができる頃に、
素早く取り去られておりました
本日の記念行事は、この3月に全国的に決まったルールで、会費を
(3000円)徴収することになり、基地司令の挨拶でも、
わざわざそのことを申し訳なく思う、というような説明がありました。
会費といえば、後になって、
「この日の参加者がいつもより少なかったのは、他の記念行事
(空自幹部候補生学校)とバッティングしたことと会費制にしたせい」
という話を中の人から聞きました。
飲み食いが目的などと思っていないわたしとしては、会費制なら、
つまりぶっちゃけタダで飲み食いできないんならやめときますわ、
という考えの人が世の中に少なからずいるらしいことに驚きました。
いつも豪華で美味しいことで有名な海上自衛隊の料理、これを食べるのは
税金を払っている国民の当然の権利、と思っているわけではないにしても、
それら全てが自衛隊の持ち出しで当たり前、となぜ思えるのか、って話です。
まあただ、そのおかげでこの日の会場内の混み具合は、多すぎも少なすぎもせず、
適正だった上、「そういう人たち」が来なかったせいで料理も行き渡ったようで、
結果としてはよかったんじゃないかという気がします。
さて、開式の時間となり、まずは阪神基地隊司令、深谷克郎一佐が壇上に。
いきなり英語でスピーチを始められましたが、それはスピーチの内容にもあったように、
本日出席の領事など、外国からの招待客への気遣いをされたのでしょう。
阪神基地隊にさらなる支援協力をお願いしたい、という定型句以外には
きょうの料理は隊員たちが早朝から心を込めて作ったものであること、そして
今回特に「そうりゅう」「じんりゅう」がカレーを特別提供していることなど、
料理についての説明をまじえながら挨拶を終えられました。
これといった派手めのイベントは行わない基地だけに、料理やその他演出に
特に工夫を凝らしておもてなししている、という表明だとわたしは解釈しました。
確かに料理も舟盛りがドーンと並ぶ他の基地隊とは違い、海自にしては地味でしたが、
ただし、(これは全くお世辞抜きで)美味しかったです。
特に、ほとんど期待せずに口に入れたサンドウィッチが、
こういうところにありがちなパッサパサだよ!(aa略)というものでなく、
まるで作りたてのようなふんわりしっとりで感心しました。
ギリギリまでかかっていたラップの効果という説もありますが。
続いては関西水交会長。
ご挨拶の中で、今月末に大阪で行われるG20について触れられましたが、
二日間だけとはいえ、世界中から要人が集まる外交行事なので、
阪神基地隊としてもおそらく一連の警備の一環を担うのでしょう。
阪神基地隊のWikipedia記事にもこのようにあります。
「大阪湾や播磨灘などの警備、監視を行っている。」
さて、ここからがリボンを胸につけた来賓の挨拶ですが、最初に
わたしがかつて今まで聞いたことのない肩書きの方が壇上に上がりました。
(よりによってどういう期待の持たせ方だ)
続く。