また、バレエ小話を少々。
*アレッサンドラ・フェリのプティ版「カルメン」と、パートナーたち
実験精神と芸術性に富んだバレエ、アロンソ版「カルメン」に対し、お洒落で小粋が得意のフランスの振付家、ローラン・プティが振付けたバレエ「カルメン」も、様々なスターダンサーによって踊りつがれてきた名作。
プティの愛妻、ジジ・ジャンメール以降、多くのダンサーが踊り、必ずしもその中でアレッサンドラ・フェリがこの版の代名詞というほど、単純ではない気がするが、フェリの踊りは、資料画像が手に入りやすい。フェリは、プティ好みの脚ではなかったし、身体の柔軟さも、もっと上のダンサーはいる。
しかし、それにしても生来の資質「娼婦性」で、この役を100%自分ものにしている、フェリのカルメン。
ガラコンサートの部分の抜粋の踊りを、私も何度か生で見ていて、フェリのカルメンは、何人かの違う相手役で見ている。生舞台でなく、画像も含めるとさらに。誰がフェリのカルメンにとっての一番良いホセ役だったのかは、分からないが。
画像で見られるもので確認すると、先日のザハロワのカルメンに比べて、まず、フェリの「自信」に圧倒される。
ダンサーとしての自信と言う意味だけでなく、なんていうのか、女としての自信。相手の男性ダンサーにとって、自分が絶対にいい女である事を、信じて疑わないような、揺ぎ無い自信。(イタリア人女性の特権?orスターの特権?)
カルメンは、自分に自信のある女なので、役には合ってる。いいとも悪いとも、なんともいえない。当のご本人も、もてる人だったのでしょうけど。
フェリは身体条件に恵まれたバレリーナではなく、振付の踊り方も、平易。だけど、難しくなさそうな振りを、一つ、一つ、確実に決めていく。振りのニュアンスも、踊りの意味も、きっちり、観客に伝えていく力を持っている。
例えばアダージョでホセに抱かれた体勢で、伸びやかに右に左に片脚をゆっくり曲げのばす動きとかでの、脚、パ、身体の見せ方、その輪郭が印象づけられる。
プティ版の白眉は、カルメンとホセの愛のパドドゥ。プティらしく、お洒落な中にも、フランス人らしいというのか、直接セックスを明示する振り。
ここで、途中から、下に仰向けになったホセ役の上に、フェリが脚をかけて乗るのだけど、その時のフェリの自信。男が自分を受け入れて当たり前みたいに見える。(見てると男性が痛そうというか、女性が重そうだけど。プリマはそんな事考えてないですね)
二人のアダージョとして踊られるのは、弟3幕の間奏曲、長調の曲。(アロンソ版では、前半のホセのソロの所の音楽。)ロマンティックで叙情的な曲の中、二人のからみの踊りは、時に腰を押し付ける振りが入るなど、濃厚なもの。
最後は二人が抱き合った体勢で床に寝て、男性が下、女性が上で、男性に女性が抱きついた体勢のまま、女性がえびそりみたいに長い両脚だけ反らせて床と垂直に上に上げてポーズ。フィニッシュでエクスタシー、果てた事を示し、男性はその後、カルメンの顔を片腕で抱き、胸に愛おしそうにおしつける、おまけ段取りつき。
とってもわかりやすいシーン。分かりやすい振付。色んなダンサーがこの同じ段取りで踊るので、それぞれの男女のダンサーの持ち味や、その時々の関係性が、若干の違いとして、つど反映されているかもしれない。
フェリは、私が名前を知らない男性ダンサーと踊ってる時は、一挙手一頭足が、揺るがぬ自信に満ちてた。喝采を浴び続けたスターの様子。この二人の地の関係性は良好そうだった。そしてスターのボッレとの画像は、彼女にしてはいまいち。その時は、現実の二人の関係性に、距離がある間柄だったのかもしれない。
マニュエル・ルグリとのダンスは、・・とっても現実的。
性関係にある男女の、圧倒的なまでの完成度のアダージョ。
も~何をかいわんや、な二人の世界だった。愛と官能性。
ちょっと考えてしまうのは、この二人は、現実に大人のお付き合い関係で、男女関係だったこと。そういうふうでないと、やっぱりこれほどの真に迫ったパートナーリングは、できないものなのか?
前後してボリショイのアレクサンドロワ、クレフツォフの「カルメン」(アロンソ版)画像を見たけど、とてもフェリたちには到底適わない印象。でも、この二人は恋人同志のペアじゃ、ないから・・。無理からぬ事か。クレツフォフは、大人の男の余裕でよくやってる。スターオーラが、フェリ、ルグリの方が強いと言う事もある、のかな。
フェリの「いい女としての、自信に満ちたパの数々」には,圧倒されてしまうが、安定していて、「想定外」の聖なる1回性のサプライズは少ない。
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*パリ・オペラ座バレエ団、ル・リッシュ&クレール・マリ・オスタの「カルメン」
一方で、そこまでのカリスマスタープリマでなくても、パリ・オペラ座の上演したプティ版「カルメン」全幕は、近年TV放映されたものは、素人目にはほぼ完璧に作品を表現してるように見えて、とても良かった。
カルメンをクレール・マリ・オスタ。ドン・ホセを、彼女の私生活上のパートナーの、ニコラ・ル・リッシュが踊った。
どっちかというと、オスタが淡白目に順当にカルメンを踊り、目だったのはニコラの方。この人はギエムとのパートナーリングもとても良いけど、やっぱり、それでも、奥さん(今でもそうなのかどうか知らないけど)と踊ると、いい意味で、もっと地の個性が出て、その意味でよかった。
上記のアダージョより、さらにホセとカルメンが関係した後の朝、男がタバコ吸うときのけだるい感じ、みたいなものの繊細な表現が、私的には物凄く良かった。
こういうニュアンスの表現は、日本人の私から見ると、フランス人らしい良さに思える。振付のプティもまた、野生よりフランスのエスプリが身上の作家だと思うので、プティ版カルメンは、元々こういう作品なのだろうと思いながら見た。
昔、バリシニコフとカルメンを踊ったジャンメールが、やっぱりベッドの上でフルーツをかじってるシーンがあったし。
ただ、このパリ・オペラ座バレエ上演の「カルメン」は凄く良かったのだけど、意外と、同時にプティ版の限界も感じた。
バレエ団の踊りは、申し分なく思えた。
ホセはカルメンの魅力の虜になり、結局黒衣のマントつけてナイフ持って、慣れない強盗稼業したりと、やばい橋を渡るようになり、落ちていく。
ホセの心情、強盗稼業にはらはらしてる不安感は、ル・リッシュの踊りから良く伝わる、けど。
ダンサーが悪いのではなく、なんかそれだけって感じで。振付、演出の問題と思う。
ストーリーをなぞって終わった感は否めなかった。だからどうなの?と言うのが見えてこなかった。
音楽の使い方も、アロンソ版のようなアカデミックな香りはなく、踊りやストーリーのBGMな感じ。これはこれでいいのかもしれないが。
プティ版で良かったのは、古い画像で見た、デニィ・ガニオ(マチュー・ガニオの父)のアダージョだった。白眉のアダージョでの、破滅型の至福感が、ストーリーをなぞる以上の、突き抜けたものを感じさせた。
エクスタシーをみせるアダージョも、カルメンの至福感の中で、もう他になんにもいらないみたいな感じや、この先どうなっても、という感じがして。男と至福を分かつ中で、カルメンの優しさのようなものを感じたのが、異色だった。
ほんとは、プティ版と言ったら、ドミニク・カルフーニとか、ルシア・ラカッラとか、プティ好みのひざ下のしなるバレエ的美脚の持ち主が、踊るべき演目でしょうけど。でも、案外定番じゃないダンサーの踊りも、新鮮で良い時がある。
*アレッサンドラ・フェリのプティ版「カルメン」と、パートナーたち
実験精神と芸術性に富んだバレエ、アロンソ版「カルメン」に対し、お洒落で小粋が得意のフランスの振付家、ローラン・プティが振付けたバレエ「カルメン」も、様々なスターダンサーによって踊りつがれてきた名作。
プティの愛妻、ジジ・ジャンメール以降、多くのダンサーが踊り、必ずしもその中でアレッサンドラ・フェリがこの版の代名詞というほど、単純ではない気がするが、フェリの踊りは、資料画像が手に入りやすい。フェリは、プティ好みの脚ではなかったし、身体の柔軟さも、もっと上のダンサーはいる。
しかし、それにしても生来の資質「娼婦性」で、この役を100%自分ものにしている、フェリのカルメン。
ガラコンサートの部分の抜粋の踊りを、私も何度か生で見ていて、フェリのカルメンは、何人かの違う相手役で見ている。生舞台でなく、画像も含めるとさらに。誰がフェリのカルメンにとっての一番良いホセ役だったのかは、分からないが。
画像で見られるもので確認すると、先日のザハロワのカルメンに比べて、まず、フェリの「自信」に圧倒される。
ダンサーとしての自信と言う意味だけでなく、なんていうのか、女としての自信。相手の男性ダンサーにとって、自分が絶対にいい女である事を、信じて疑わないような、揺ぎ無い自信。(イタリア人女性の特権?orスターの特権?)
カルメンは、自分に自信のある女なので、役には合ってる。いいとも悪いとも、なんともいえない。当のご本人も、もてる人だったのでしょうけど。
フェリは身体条件に恵まれたバレリーナではなく、振付の踊り方も、平易。だけど、難しくなさそうな振りを、一つ、一つ、確実に決めていく。振りのニュアンスも、踊りの意味も、きっちり、観客に伝えていく力を持っている。
例えばアダージョでホセに抱かれた体勢で、伸びやかに右に左に片脚をゆっくり曲げのばす動きとかでの、脚、パ、身体の見せ方、その輪郭が印象づけられる。
プティ版の白眉は、カルメンとホセの愛のパドドゥ。プティらしく、お洒落な中にも、フランス人らしいというのか、直接セックスを明示する振り。
ここで、途中から、下に仰向けになったホセ役の上に、フェリが脚をかけて乗るのだけど、その時のフェリの自信。男が自分を受け入れて当たり前みたいに見える。(見てると男性が痛そうというか、女性が重そうだけど。プリマはそんな事考えてないですね)
二人のアダージョとして踊られるのは、弟3幕の間奏曲、長調の曲。(アロンソ版では、前半のホセのソロの所の音楽。)ロマンティックで叙情的な曲の中、二人のからみの踊りは、時に腰を押し付ける振りが入るなど、濃厚なもの。
最後は二人が抱き合った体勢で床に寝て、男性が下、女性が上で、男性に女性が抱きついた体勢のまま、女性がえびそりみたいに長い両脚だけ反らせて床と垂直に上に上げてポーズ。フィニッシュでエクスタシー、果てた事を示し、男性はその後、カルメンの顔を片腕で抱き、胸に愛おしそうにおしつける、おまけ段取りつき。
とってもわかりやすいシーン。分かりやすい振付。色んなダンサーがこの同じ段取りで踊るので、それぞれの男女のダンサーの持ち味や、その時々の関係性が、若干の違いとして、つど反映されているかもしれない。
フェリは、私が名前を知らない男性ダンサーと踊ってる時は、一挙手一頭足が、揺るがぬ自信に満ちてた。喝采を浴び続けたスターの様子。この二人の地の関係性は良好そうだった。そしてスターのボッレとの画像は、彼女にしてはいまいち。その時は、現実の二人の関係性に、距離がある間柄だったのかもしれない。
マニュエル・ルグリとのダンスは、・・とっても現実的。
性関係にある男女の、圧倒的なまでの完成度のアダージョ。
も~何をかいわんや、な二人の世界だった。愛と官能性。
ちょっと考えてしまうのは、この二人は、現実に大人のお付き合い関係で、男女関係だったこと。そういうふうでないと、やっぱりこれほどの真に迫ったパートナーリングは、できないものなのか?
前後してボリショイのアレクサンドロワ、クレフツォフの「カルメン」(アロンソ版)画像を見たけど、とてもフェリたちには到底適わない印象。でも、この二人は恋人同志のペアじゃ、ないから・・。無理からぬ事か。クレツフォフは、大人の男の余裕でよくやってる。スターオーラが、フェリ、ルグリの方が強いと言う事もある、のかな。
フェリの「いい女としての、自信に満ちたパの数々」には,圧倒されてしまうが、安定していて、「想定外」の聖なる1回性のサプライズは少ない。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
*パリ・オペラ座バレエ団、ル・リッシュ&クレール・マリ・オスタの「カルメン」
一方で、そこまでのカリスマスタープリマでなくても、パリ・オペラ座の上演したプティ版「カルメン」全幕は、近年TV放映されたものは、素人目にはほぼ完璧に作品を表現してるように見えて、とても良かった。
カルメンをクレール・マリ・オスタ。ドン・ホセを、彼女の私生活上のパートナーの、ニコラ・ル・リッシュが踊った。
どっちかというと、オスタが淡白目に順当にカルメンを踊り、目だったのはニコラの方。この人はギエムとのパートナーリングもとても良いけど、やっぱり、それでも、奥さん(今でもそうなのかどうか知らないけど)と踊ると、いい意味で、もっと地の個性が出て、その意味でよかった。
上記のアダージョより、さらにホセとカルメンが関係した後の朝、男がタバコ吸うときのけだるい感じ、みたいなものの繊細な表現が、私的には物凄く良かった。
こういうニュアンスの表現は、日本人の私から見ると、フランス人らしい良さに思える。振付のプティもまた、野生よりフランスのエスプリが身上の作家だと思うので、プティ版カルメンは、元々こういう作品なのだろうと思いながら見た。
昔、バリシニコフとカルメンを踊ったジャンメールが、やっぱりベッドの上でフルーツをかじってるシーンがあったし。
ただ、このパリ・オペラ座バレエ上演の「カルメン」は凄く良かったのだけど、意外と、同時にプティ版の限界も感じた。
バレエ団の踊りは、申し分なく思えた。
ホセはカルメンの魅力の虜になり、結局黒衣のマントつけてナイフ持って、慣れない強盗稼業したりと、やばい橋を渡るようになり、落ちていく。
ホセの心情、強盗稼業にはらはらしてる不安感は、ル・リッシュの踊りから良く伝わる、けど。
ダンサーが悪いのではなく、なんかそれだけって感じで。振付、演出の問題と思う。
ストーリーをなぞって終わった感は否めなかった。だからどうなの?と言うのが見えてこなかった。
音楽の使い方も、アロンソ版のようなアカデミックな香りはなく、踊りやストーリーのBGMな感じ。これはこれでいいのかもしれないが。
プティ版で良かったのは、古い画像で見た、デニィ・ガニオ(マチュー・ガニオの父)のアダージョだった。白眉のアダージョでの、破滅型の至福感が、ストーリーをなぞる以上の、突き抜けたものを感じさせた。
エクスタシーをみせるアダージョも、カルメンの至福感の中で、もう他になんにもいらないみたいな感じや、この先どうなっても、という感じがして。男と至福を分かつ中で、カルメンの優しさのようなものを感じたのが、異色だった。
ほんとは、プティ版と言ったら、ドミニク・カルフーニとか、ルシア・ラカッラとか、プティ好みのひざ下のしなるバレエ的美脚の持ち主が、踊るべき演目でしょうけど。でも、案外定番じゃないダンサーの踊りも、新鮮で良い時がある。