懐かしのバレエ

バレエ、パフォーミングアーツ等の感想、及び、日々雑感。バレエは、少し以前の回顧も。他、政治、社会、競馬、少女マンガ。

それでも私は劇場へ行く

2011-04-15 14:04:56 | バレエ
桜吹雪の舞う中、上野の文化会館へ。入口のパンダの写真だけ見て、(パンダを見に行く時間は無かった)大ホールへ向かった。今日は大きな余震は感じなかった。無事上演されてほっとした。

東京バレエ団「ラ・バヤデール」4月14日。
(良かったので、(余震が心配だけど)まだ、土日公演があるので、バレエ好きは、気が向いたら、どうぞお運びください。)
個人的には小出さんのニキヤが素敵だった。コールドにも前半、いちいち感動した。
ゲストのゼレンスキー、17日には、もっと調子を上げてくるのでは?と。
もしかして、無理目の日程を押して来てくれた?のかもしれない。
初日のゴールディングのような、若さの魅力はないけれど、今の若手に無い、元大バレエ団の大物スターの貫録を持ったダンサー。ゼレンスキーの,ソロのジャンプや回転技は、ただ体力だけの、技術だけの踊りと違い、バレエ芸術の底力を感じさせてくれるもの。
急な代役で、本領発揮には至らずとも、17日には、シムキンを筆頭とする今の若手にはない、昔のスターの威力を見せてくれるかも。(17日に行く人、まちがってたらごめんなさい)

小出・ゼレンスキー ペアは、パートナーシップはまあまあ。腰回す時、いまいち。
コールドは、2幕影の王国、上手だけど、音楽とアームスの使う間合いの合わせ方、踊り方を少し変えた方が、観客のインプレッションをもっと良く出来ると、惜しまれた。
田中さんも検討。花のある奈良さんの降板が惜しまれた。

ニキヤ:小出領子
ソロル:イーゴリ・ゼレンスキー
ガムザッティ:田中結子
ハイ・ブラーミン:柄本武尊
ラジャ:木村和夫
マグダヴェーヤ:松下裕次
ブロンズ像:井上良太

ジャンベの踊り:西村真由美/乾友子
第1ヴァリエーション:岸本夏未
第2ヴァリエーション:佐伯知香
第3ヴァリエーション:乾友子

指揮:ワレリー・オブジャニコフ
管弦楽:東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団
(以下は、長い与太話。読みたい人だけつきあってください)

小出領子の清冽なニキヤに、感動した。

1幕、例えば火の傍で、長い腕を煽るように振る動き一つとっても美しく、かつ動きの中に思いが滲む。大げさな演技は無いが、(実生活ではすでに結婚しているせいか)、アダージョでの愛の喜びも、全身から自然に滲む。

以前観た時は、「天性の舞い手」と思った。観る者の脳にアルファ派を起こすような、舞踊の音楽性から踊る喜びを伝えられる踊り手、と思った。
だが、今回は、舞踊の音楽性以上に、動きからも演技からも、ニキヤの思いや人となりが伝わってくる、内面性のある演技と、「出」の素晴らしさ、3幕でゼレンスキーと同じ高さ・滞空時間のあるジャンプを複数跳ぶなど、技術の高さと、手抜きの無いディテールまで丁寧な踊りに、感服した。

1幕2場の悲しみのソロでは、涙した。私は小出さんに釘づけで、ゼレンスキーらを全く見られなかった。(オブジャニコフ指揮の、すすりなくような演奏が、劇的効果をあげたせいもある。)

最終幕での婚礼シーンに現れた、白いハーレムパンツ姿の、幻影のニキヤ。180度開脚の高く美しいグランジュテ。跳びながら、顔は一瞬、ソロルの方を振り返る。そのジャンプ姿と一瞥が、脳裏に焼きついた時、また涙が出た。

客席側からは、よく踊りこんで、役作りも万全に見えた。
色んなニキヤがあるけれど、小出さんのニキヤは、かなり巫女っぽい。1幕では、心清らかで、ずっと聖なる火を守る、俗世から離れた暮らしをしている女性に見えた。
そして3幕の最後のジュテでは、ソロルの心の中の世界では、妖精のような、小鳥のようなニキヤなのでは、と思った。穢れを知らない無垢さが、心に残った。

もっと女女したニキヤもいるし、恋愛劇としてもっと濃いのも良いけれど。色々なニキヤがあって面白い。

それと、小出さんは、登場の時の、空気の纏い方がとてもいい。
3幕で、婚礼の儀式に突如幻影として現れた時、はっとなった。役者、舞台アーティストにとって「出」ってのは、すごく大事なんだけど。そういう事が出来る人。

ただし、美人系じゃなく、フェニーフェイス系なので、顔が美人なプリマが好きな人むきじゃないかもだし、まだキャリア半ばで、スターのカリスマ性が凄くあるわけじゃないから。プリマの好みは好き好きなので、違う意見もあると思う。
主役として場数増えれば、さらに存在感が増すと思う。そうなる道筋で、怪我だけは注意して、貴重な才能を地道に飛躍させてほしいと思った。

また、直前に英国ロイヤルバレエ「バヤデール」で、同演目を観た為、前半は、東京バレエ団のソリスト・コールドの、クラシックバレエの水準が、ロイヤルより高いので、(意外に思う人もいると思うけど。実際に舞台見ると、どう見ても東京バレエ団の方が、技術的な水準は上だった。
てか、もう、体見れば分るって感じ。ロイヤルのコールドの人の体型って、胴が太いとか、脚の筋肉の付き方やラインとか、体つきが、さほどバレリーナっぽく見えない。ロイヤルは、純クラ専門のバレエ団でもないし、色々やるから、あれはあれでいいのではないかと。)

ロイヤルを見た後なせいか、まず、1幕2場の群舞の若手男性たちのイキのいいジャンプの高さが良く見えた。昔の某外来バレエなら、あの位跳んでも、驚かないんだけど。
女性たちも、脚上げキープの位置も高いし、基本的な所が、ロイヤルよりしっかりしてる。
(純クラとしては、東京バレエ団がレベル高いとかどうとかいうより、ロイヤルのコールドの水準が低いのだろうけど。私が日本の他バレエ団をくまなく見てるわけじゃないから、日本国内で見たらどうなのかは分らない。)

1幕2場、ガムザッティの田中さんは、バランスを見せてくれたし。
ロイヤルのマリアネラ・ヌュネスは、これはやってなかった。別にやらなくてもいいのかも?しれないけど。

東京バレエ団のコールドは、2幕影の王国の白いバレエの見せ場よりも、チュチュ以外のシーン、例えば3幕婚礼を祝うキャンドルダンスの前後とか、ハーレムパンツとかの衣装などでおこなう整列その他の何でもないような集団の動き、踊りに、ハッとするような所がある。
集団全体で何かを表してるような表現に向いてると思う。これは、ロイヤルにも、他のバレエ団でも、古典系バレエ団ではさほど感じない(ボリショイのスパルタクスとかロミジュリとかを除けば)特性で、やっぱ、ベジャールバレエとかをやってる影響かしら?と思った。
ちょっと興味持った。

公演全体は、途中までは良かったけど、小出・ゼレンスキーペアは急造で、或いはゼレ氏が時差でも残ってたのか、資質か、二人のデュエットに(仕方ない事だが)交流が無かった事、セレ氏の表現に愛が薄かった事、そして公演全体の勘所をちょっと外したかなと思う箇所があって、(影の王国の踊り方、曲と踊りのテンポとか)内容が良い割に、欲を言えば損してる所もあったと思う。

それでも、この余震の残る中、この舞台の上演に立ち会う事が出来て、良かった。その意味で満足の行く公演でした。

ブロンズ像の人、ジャンプ高く、ポーズがきれい。後半の回転でやや軸がずれたのは御愛嬌。
ガム役田中さん、居丈高すぎない、日本人女性らしいガムザッティで、1幕では、ニキヤとガムザッティの両方に、それなりに共感できた。衣装系について。3幕の婚礼時の金の被りものは、もっと見栄えの良いものに変えてあげた方がいいと思う。
田中さんは、3幕の表情がトーンダウンで、ソロルと二人、結婚式の頃にはもう冷めてるカップルみたいだった。2夜連続出演でよくがんばってた反面、仕方ない事だけど、降板した奈良さんは、特に3幕は、ここが彼女なら、もっと華が出せたと思い降板が惜しまれた。田中さんは1幕は良かったと思う。

ゼレンスキー。
1幕と3幕で、年齢が5歳は違って見えた。この人に関しては、14日より17日に観れば良かったと思う。くやしい。

この方は、インタビューで、前の仕事のすぐ後で、オファー受けるかどうか迷ったというから、スケジュール的に完調でなかったとか、そんな所かな?と思う。
1幕の印象:老けた。猫背。見かけも内面性も、青年に見えない。てか、「素」が見えすぎ。
この舞台に立ってて楽しくないのかな?と邪推したくなるような表情。踊りも抜いてる感じ。
(プロとして、体は大事だし、公演は成功だから、むしろこれでいいのだと思う。上演中にだんだんウォームアップして、調子を上げていった感じ。)気になったのは、サポートが・・えらく雑に見えた事。やっぱりコンディションの反映か?リフトでおろす時、1幕ではかなりNGだったけど、3幕では普通にちゃんとおろしてた。リフトそのものは、体に負担かからないように上げすぎずすぐおろす。
組んで踊るバレリーナは二人とも踊りにくそうに見えた。ゼレ氏の不調か、実力か。

ゼレンスキーの本領は、ソロらしい。かなり省エネな踊りだったけど。
中盤、後半、だんだん調子を上げてきて、ちょっと1つジャンプ跳んだだけでも、空間を支配するその存在感で、すぐに観客に自分を印象付けることができる。
振付と違うことやる(振りを抜く)踊り方が常態化してるダンサーだけど、その少ない踊りの、ピンポイントの技術だけで、大きく空間を支配する、その伸びやかな飛翔により、振付通り踊らなくても観客をわくわくさせたり、興奮させたりできる、得な人。

それと、振付通りでないなりに、ゼレンスキーなりのサービス?なのか、なんなのか、テクニックのヴァリエーションがいくつかある模様で、全3幕の中で、同じ技術でなく、違う技術を見せてくれた。同じジャンプでも、ディテール変えてたりとか。それなりに面白かった。
例えば影の王国のGPPD後半で、クベ・ジュテ・アントールナンをやってたし。逆に普通のマネージュは、低く跳んで、足は180度開脚で、長く宙に浮くとか。コーダの最後にニキヤの後を走りジャンプして消える時のジャンプは、後ろ足の角度のつけ方が、前と違うとか。
年齢考慮のピンポイント見せ踊りで、若い頃のようには踊れそうにないけど。

小出さんが好みじゃない人でも、ゼレンスキーの個人芸は、お金払う価値は、多分あると思う。
ただ、「プリマ食い」の資質のある人のようで、上手くないサポートで足を引っ張り、プリマと交互に行うグラン・パドドウのソロで、自分だけ次元の違う空間支配力のあるジャンプや回転技を見せつけるので、バレリーナにとっては、この人はどうかなあ…。
以前見た時、相手役が好きなバレリーナだったらしく、全くパートナーリングが違った為、ゼレンスキーにソロの個人芸以上の舞台を求めたいなら、彼の好みのきれいなバレリーナでないと、真のパートナーシップは見られない、とか?、と思った。

それとも、彼にとっての初日で、まだエンジン立ちあがってなかったかしら。

ソロルの表面的な演技内容を言えば、シンプル。そんなにガムザッティに心を動かされてないみたいで、あんまり3角関係っぽくない役作り。でも、1幕の田中さんの「憧れ~」の目線とか、小出さんとか、演技はゼレンスキーをみてるより、彼女たちを見てる方が面白かった。アップで表情観るより、踊りの爽快感を楽しみたいダンサー。ジャンプの着地であまり音しないのキープ。

あと、ゼレ氏はマリインスキーの出身だけに、完調でないなりに、さっとアームスを振り上げた時とか、田中さんより腕の動きがきれいで優雅で感心した。田中さんだって悪くないんだけど。((小出さんは、このゼレ氏にまけじと、影の王国のコーダで高速シェネで、切れ出してた。
競い合いっぽいパドドゥだった。これはこれで面白かった。)

ゼレンスキー持込みの、3幕の白い衣装は、良く似合っていて好印象。元々のこの版のソロルの衣装は、ゼレンスキーに似あいそうになかったから、持込みで良かった。





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東バ「ラ・バヤデール」キャスト変更、、、

2011-04-06 14:57:06 | バレエ
13日からの公演、東京バレエ団「ラ・バヤデール」。
3月の一部公演中止に比べれば、公演ができる事自体まし?。

ソロル役の外国人ゲスト2名が、キャスト変更だそうで。

が~ん。(キャスト変更で、いちいちキャーとか言うのは、見苦しいんだけど。)
【レオニード・サラファーノフ降板。】
楽しみにしてた、サラファーノフと小出領子のバヤデールが・・あああ。

今回の話で降板以上に、私が心配してるのは、そのサラファーノフ。リハ中の膝の怪我が、降板理由。昨年見た限りでは、日本で見られる外国人ダンサーのうち、今一番充実した踊りが見せられそうな時期の人の一人だった。

マリインスキーから、ミハイロフスキーに移籍したことで、何かの影響でこうなったんじゃないか?、偶然じゃなくて必然的な事だったら、嫌だな、というのが、とっさの感想。
同じダンサーでも、環境が変われば、急速に衰えることすらあるのが、ダンサーだから。
私の杞憂であれば、と・・・。出来れば無理せず、ちゃんと直してから、出て欲しいけど。無理しそうで、こわい。ひざに故障抱えながら踊る人は多いみたいだから。

代役はなんとびっくり、ゼレンスキー。今何歳だっけ?
最近全然観てないから、その後どうなったのか、見当もつかない。
ゼレンスキーなら行きたい人も、いるかもしれないけど、自分は元キャストで選んでたから、複雑。暇ならもちろん、喜んで行くけど、無理して行く日程なので。小出さん目当ての私としては、迷う所。(忘れてたけどゼレンスキーこそ、昔、故障の話題が結構あった人だったっけ。)

【震災・原発問題とフォーゲル降板】
しょ~がないよね、ううう。日本が震災・原発問題で敬遠されるのは、さ。
ドイツは特にそういうお国柄だと、改めて知った。

初日のフォーゲル ⇒ マシュー・ゴールディングに。

「東日本大震災の影響によるドイツ政府の渡航自粛勧告を憂慮したシュツットガルト・バレエ団より許可が下りず、今回の来日を断念」だそうで。

私、ゴールディングさんって知りません。マカロワの推薦、26歳っていうから、結構良いダンサーさんなんじゃないでしょうかね。

自分的には一番心配なのは、サラファの怪我だけど。2番目の心配は、公演チケットどうしよう、ということ。そして。
フォーゲルの話を見て(フォーゲルが悪いんじゃないです、もちろん)でも、相手の立場に立って考えると、日本の放射能漏れ事故とかで、来ないダンサーさんは、来なくて良かった気も、半分する。逆に、ゼレンスキーさん、今の日本に来て、大丈夫かしら?なんて思ったりも。
風評被害とか、あるし。帰国したら、故国の人に、あなた、放射能ついてるんじゃないの?なんて言われそうで、・・。

ゼレンスキーは、今は名門バレエ団の人でもなく、ノヴォシの芸術監督で逞しいから、そんな事気にして生きてないかな。

来てくれる事に感謝すべきでも、本音は、うちの国も、もう少しまともになって、外国人ダンサーを安心して呼べる環境になっていかないと、来てくれる人に悪いかも、って思っちゃう。ハラハラ。
原発問題は、誰しも頭を抱える状況が続いていて、それ所ではない感じ。
天を仰いで、名残桜を見る。

今年の夏は過酷そうだ。道楽できるうちに道楽しておこう。

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ラ・バヤデール

2011-04-04 17:54:17 | バレエ
※先日書いた、バレエ「ラ・バヤデール」のこと。補記。
やっぱり、あのマカロワ版の舞台は、マカロワの設定もあるけど、主役二人や周りの演技・作品の解釈で、ほにゃららな話に見えたのかも。

2幕1場で、コールド達が、振られて失意のニキヤに、やけに同情的なのも、話の水準を下げた気がする。本来ニキヤは、この場では、この集団から疎外された存在のはず。
めでたいはずの祝宴に、凶兆を運んでくる、周りから見れば、まがまがしい存在。
だからこそ、孤独なニキヤの悲劇が、いっそう観客の胸に迫るのだけど。

新国立劇場版{ラ。バヤデール」の美術:カザレット氏が、2幕の装置について、「あの伽藍は、ニキヤを閉じ込める檻ともなる」と言い、この場面の本質を言い当てている。

今回のTv放送の舞台は、そういう、ドラマの構造への理解が、欠けていると感じた。
2幕1場の最後のソロルのアップは、映さない方がましだった位。

元カノが、毒蛇にかまれて瀕死なのに、優柔不断に困った顔をしながら、気の強そうなガムザッティに引っ張られていってしまう。ニキヤへの思いがどの程度だろうと、死にそうなのに見捨てていくか?・・・と思うと萎えた。

ロホもアコスタも「お芝居を演じる」事に、悪い意味で慣れすぎているから、こういう平板な演技、発見の無い演技になってるのだと思う。全部が作り事っぽい。
口当たりのいい、予定調和的な「お芝居」としてみれば見れるんだけど、片手間でなくもう1回見ると、ソロルがますます、どうでもいい優柔不断男に見えてくるのでした。

ロホのニキヤは、1幕から、巫女の神聖さより、普通の女性を感じさせる。
うわべの演技の巧拙でなく、ニキヤが悲しんでいる事は伝わっても、ニキヤが何をどう思っているのかは、伝わりにくい。たぶん役の解釈、ほり下げが弱いのだと思う。

ニキヤが、ソロルは裏切ったと思ってるのか、ソロルを愛してると思ってるのか。
そういう事一つ一つの積み上げが、演技としては雑に感じた。

例えば、ザハロワのニキヤは、ソロルへの恨みが感じられなかった。意識的な演技ではないかもしれないが、観てて自分は面白かった。ソロルへの愛だけの、きれいな心のニキヤで、個人的には、そういう傾向は好きで、逆に男に恨みがましい系の女性像は、あまり好みでない。

グラチョーワのニキヤは、よく見てると、他者を糾弾する心が見えて、正直、リアルで考えると、こういう女性はちょっと怖いと思う時もある。

花かごに潜む蛇とは、誰かの悪意の表象だ。でも、恋して、聖なる乙女から人間の女性の心に戻ってるニキヤの心の世界にも、きっと蛇は居るのだ。グラチョーワのニキヤの心にも。
(グラチョーワ自身の意識的なニキヤ解釈とは違うかもしれないが、私はそう思ってる。)
彼女のニキヤは、ガムザッティを毅然と糾弾する。「私を殺そうとしたのは、あなたね!」と指をさす。ロホのニキヤは普通の女性だが、グラチョーワのニキヤは誇り高き神聖な乙女。

色々と、好みはともかく、バヤデールという作品が分りやすい演じ方をするプリマだった。
ロホは、グラチョーワのより、もう少し優しそうな情のあるニキヤなのだけど、なんっか、・・・。
別に、ソロルを許すなとは言わないが、なんか、舞台で起こってる事が、リアルに感じられない。胸に刺さるものがない。
全部がお芝居っぽい。所詮は、今だけのお芝居だから、男に乗り換えられても、怒らないんじゃないか、あっさり許せるんじゃないか、なんて思ってしまう。真剣な恋は、そうではない。

1幕から3幕へ向かって、ヒロインもソロルも、心の世界が成長するのだ、なんて高級な事は、及びもつかない。
2006年に見た、ボリショイの「バヤデルカ」では、ちょっと頼りなさげな心情と逞しい体躯を持ったネポロジニーのソロルは、ふらふらと金持ちの娘と結婚し、元カノを捨ててしまうが、その後後悔し、3幕で、きっちり「改心」したシーンが見えた。

そういう、心の変容や成長が語られたから、当時のボリショイの来日公演の舞台は、観てて面白かった。娯楽だけど内容が深い。
そんなネポロジニーのソロルに対し、グラチョーワのニキヤもまた、2幕では、愛を失った失意を全身で踊り、3幕の最初はしおれたお花のようだったけど、ソロルの心に、ニキヤへの愛が戻るのに呼応するように、しおれた花を花瓶にさすと、また水を吸って蘇るように、だんだんその輝きを取り戻していった。

あの、名舞台と言われた2006年の彼らの「バヤデルカ」は、その意味で、愛の喪失と再生のドラマとなっていた。
同じグラチョーワでも、ビデオになった若い時の舞台は、相手が別のダンサーで、そういう趣とは、また異なっていた。

(一方、ロイヤルは、お衣装も見所が多い。王役の人の王冠やエメラルドの指輪とか、芸が細かい。
黄金の仏像役の人は、この役にしてはハンサムで、金粉塗たくりの皮膚呼吸が困難になる踊りを、かんばって踊ってた。

どのバレエ団で誰が演じても、きもい「大僧正」。生臭坊主役。
今回、1幕で、ロホが肉体性、地上性がまさってるタイプなせいか、ニキヤに大僧正が横恋慕して、「私は神に仕える巫女です」と断ってるのに、その直後、愛人のソロルとの道ならぬ恋の逢瀬を見て、大僧正が激怒するのは、当然に見えた。ロホは、こういう所の演技の一つ一つの積み上げが、今一つなのだと思う。つまり、ニキヤにあまり共感できない。普通は、神聖な巫女の面を見せ、次に初々しい乙女の恋を、巫女の意外な一面をみせなければいけないのに。
なんとなく、ソロルとのアダージョが、肉体的な関係を匂わせすぎるせいもあるかもしれない。この作品の、このシーンで初めて、大僧正役に同情した。キモいのは不変。)

今回の舞台、2009年のコヴェントガーデン公演の方は、最後に、あんなにも優柔不断なアコスタのソロルが、結局許されて、天国で、ニキヤとめでたしめでたし(?)みたいな結末に、何か釈然としないものを感じるのは、アコスタだけの問題でもなく、ロホのニキヤの作品解釈の問題も、含まれてるように思う、って。ファンの人に怒られそうだけど、私が最初、マカロワ版の問題、と思った点は、ダンサーと振付家、両方の責任分担なのかもしれない、と思いなおした。


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