バレエ興行上は、もう世界フェスモードかな。(自分は今週末から行きそう。)
一方、私は、やけに肩入れした、「ベイサイドバレエ」。
よく考えてみたら、私のバレエ鑑賞歴上も、海を臨むロケーションの野外バレエなんて画期的な企画は、今まで無かった!(鑑賞歴25年超あっても、今まで無かったの。)
行ってみたら思ったとおり、すばらしい公演地で。私の下手な文より、写真で紹介できれば、ベストだったけど。ごたぶんに漏れず、舞台撮影禁止。
いつも思う。禁止はいいけど、公演の様子の写真、どこかに残して欲しいもの。
さて、公演感想、全部書ききる自信なくて、まずはお目当ての「カルメン」から。
***********************
7月21日(土)赤レンガオープンステージ
第二部「カルメン」
振付:アルベルト・アロンソ
音楽:ジョルジュ・ビゼー/ 編曲:ロディオン・シチェドリン
カルメン:斎藤友佳理
ホセ(竜騎兵):首藤康之
エスカミリオ(闘牛士):高岸直樹
ツニガ(隊長。ホセの上官):後藤晴雄
運命(牛):奈良春夏
女性ソリスト:吉川留衣 川島麻実子、
ほか、東京バレエ団
オープンステージは、海の前に舞台を作り、その両サイドに櫓を組み、その横の枠の前に板をはめ、第一部では、その板に黒い布を被せてた。そこから、ダンサーが出はけ。第二部では、この布を取り、むき出しの木の板を、そのまま「カルメン」の舞台装置として使ってた。
第1部「ギリシャ」では、ダンサーの踊る後ろに、夜の海が少し見えた。(席による。)
第2部アロンソ版「カルメン」は、舞台を闘牛場に模し、「人生は闘いだ」というのもテーマ。だから舞台周囲を、ぐるりと木の板が囲む。
(この為、第2部では、ダンサーの踊る背景側も、木の板で覆われてしまい、「あ~、海が見えない」と思った。)
舞台全体を囲いが覆い、その上に、背の高い椅子が複数置かれてる。細長い背もたれが、やや奇矯で不気味。ここから、カルメンたちを「体制の象徴」のツニガらが、見下ろして見たりする。
アロンソ版をプリセツカヤが踊った時点では、この装置は、カルメンが、体制に監視される存在であるとの暗喩があった。(今は時代が違うので、演じる側の裁量で解釈が別れてもいいのか?も)
カルメンは自由な存在、との幻想があるが、アロンソ版のカルメンは、他者の目から監視される不自由さもある存在なのだった。というより、自由の意味とは、こういうもんかも。社会の規範とか、もろもろの縛りからの解放を望んだ時から、自由が見えてくる、とか・・・?今の時代には、それぞれが考えればいいのかな。
で、今回東京バレエ団の再演にあたっては、装置も誠実に再現されていた。
(天井が無い野外ステージの為、上の牛の絵を除いて)
本来的な「閉塞感」が特に感じられるでもなかったが、これはこれで見れた。
【序奏~カルメン登場】
過去に見たアロンソ版では、カルメン登場の音楽が、まず強烈。
が、今回は、そこより、序奏の、終幕と同じ曲が、胸に沁みた。
舞台を囲む周囲の海面は、終始ゆらゆらと揺れていることだろう。
(自分には見えてなかったが、第1部で見て、私の脳裏を刺激中。)
みなとみらい上空の空気も、せわしない東京と違う。
そのせいか、序奏を、いつもよりゆっくり味わって感じた。
海を渡る風に乗り、鐘の鳴るような音楽が辺りに響いた。
・斎藤カルメンが舞台中央に登場。黒いレースの衣装。着慣れた感じ。
「カルメン登場」は、スターが舞台中央に立った自分を、観客に見せ、観客の視線を自分にぐっと引きつけて、音楽高鳴って、そして最初のアチチュードのポーズに繋ぐ、はず。本来スターのインパクトを示すシーンだが、斎藤カルメンの登場は、もっと肩肘はらずに自然体。最初のポーズと次のパを、ことさらに強調せず。踊りなれた様子。
【斎藤カルメン】
私の知ってる踊り方と、斎藤さんのそれは違う。例えば、最初のソロで片足ポアントで静止する所も、静止無く流れるようにゆったり踊る。練り上げた踊りで動じない安定感があり、私的には、これはこれでいいと納得。この人のカルメンは、きっとこうなのだろう。私は昔、古い画像でプリセツカヤのカルメンを見て以来、何人かのプリマでこの舞台を見て、かなり思い入れのある作品。それでもそう思えるのは、踊りが彼女のものになっているから。(自分は楽しんで見た。好みは分れるかもしれない。なお、原作のメリメの小説のカルメンとは、かなり異質。)
【首藤ホセ登場】
ホセが向かって左側から登場。小柄に見え、少年のよう。竜騎兵の帽子。規定どおりだからこれでいいのだけど、首藤さんは後半の、帽子なしのワイルドヘアでボリュームを出した方が、ずっと舞台栄えする。前半のグレーの軍服も地味で、後半の白シャツで見違えた。実年齢よりずっと若く、世間ずれしてないピュアな少年のよう。(こちらも原作の、どんくさいホセとは別物。)
【ホセとカルメン】
二人の出会い。ペアダンス。この二人のコンビだと、・・・、
な~~んも知らない少年に、かなり年齢上の女性が、「おね~さんが教えてあ・げ・る」みたいな踊り?に見えてしまった。
斎藤さんは、さほど悪女性が強調されず、ひたすら「練れた熟女」風。ホセは、一見、無垢で素直・・・。(でも首藤さんて、実は芯はしっかりありそう。)
首藤さんは、登場は思ったほどインパクトはなく。注意してみてると、周囲に不思議な空気感を纏ってた。世俗の垢にまみれない独特の空気。
【ツニガ】
このイベントに私が興奮気味で冷静でなく、見落としたかもしれないが、隊長ツニガと群舞とが踊るシーン、省略した?短縮版かも。隊長役が目立つ前半の踊りがあったと思うけど、記憶無し。(見落としだったらゴメンです。)後藤さん、イメージ合ってると思うけど、私の視界に入りにくかったのは、ダンサーの責任ではないので。(席によって見える所、見えない所あるし、首藤さんに注目してたから、見こぼし。)
なお、中盤の、カルメンがエスカミリオと絡むアダージョでは、怪しい音楽が高まるのに合わせて、ツニガが囲いの上にゆっくり姿を見せる、はず。
が、ザハロワ・ガラの「カルメン」では、登場のタイミングが昔のより遅れてて凄く不満だった。
今回、同じシーンで、最初私にはツニガが見えず、「どこ?」と目で探してしまった。やや遅れて、視界に入ってきて、端の席だったし、私に見えなかっただけ?かとほっとした。
カルメンと男たちが絡むのを、この版は上から見ている人たちがいて、作品としてはそれも大事で、ただの恋愛劇だけでもないので、私的には落とさないでほしいシーン。
【コールド】
私は過去の観劇で、この作品のコールドに恵まれてなく、今まで見た中では、もしかして一番良かった?かも。決まりどおり音通りに、ピシピシ動いてくれて、感激~!
この版は「カルメン」にしては、プティ版よりも硬質だし、群舞の動きがヌルいと弛緩する。で、テンポ、リズムを崩さず踊ってくれ、作品が引き締まって凄く嬉しかった。手拍子シーンも。その二人の女性も。(彼女たちは欲を言えば、衣装がキエフのみたいにセクシーだったら尚良し、みたいな。)
【高岸エスカミリオ】中盤、「闘牛士の歌」の曲で、颯爽と登場。白地に黒の縫いとりの闘牛士姿が長身に栄える。直線的ラインで男性の魅力を見せるソロダンス。最初は首藤さんより目立ってたかも。
わりと硬質な踊りが、私が今までに見たこの役の中では合ってた。
(この版はロシアンダンサーが多く踊ってて、彼らはノーブル系が多く、体が軟らかい分、変な腰振り踊りになる時があり、自分はそれが嫌いだけど、その意味で高岸さんは良かった。)
ただ、欲を言えば、女の子たちがきゃーきゃー言う雰囲気があれば、なお良い。って贅沢なんだけど。(残念ながら、今までそんなエスカミリオは見たこと無いけど。)
(除:プリセツカヤの古い映像に出てたセルゲイ・ラドチェンコ。)
カルメンとの関係性は薄めに見えたが、そういう解釈もあり、の役。
ホセとは対照的に、女性は皆、自分を好きになる、と思ってる男。ゴーマンが匂う俺様キャラにせめて出てきて欲しいのに、案外そういうダンサーでも見たことない。
【白いシャツの似合う人】
場面変わって、後半。カルメンと共謀し投獄され脱獄し、軍服でないホセ。カルメンと約束の店に来て、エスカミリオとカルメンの浮気中(?)の所に飛び込んで来る。
ここの、首藤ホセの白シャツに少し驚いた。このシーンのホセの上衣は、自分的には赤のイメージだから。それに、首藤さん、白シャツ似合い過ぎ。
小説のホセは、私には、女の扱いの下手な四角い男にしか見えないが(おまけに、けちなプライドもある)、首藤ホセは間違ってもそういうキャラではない。正統派二枚目のピュアな青年像。多少当惑したが、この人のキャラに従って見る事にした。
首藤さんは、ソロの舞踊も柔和な曲線系に見えた。ポールド・ブラも軟らかい曲線。
そこが本来のホセ向きの舞踊資質とは違うように思ったが、そのわりには違和感無く。空間を支配するより、ふんわりその場の空間と共生する踊り。優しく自然な質感。
この人って、独特のバリアがあるというか。世俗の垢にまみれないような防御壁。
それと、カルメンとの愛の高揚・「花の歌」のアダージョの後、暗転が野外劇場ゆえ、真っ暗にならないが、こういう時、首藤さんて、すっと、てらいなく自然に劇世界に入れるような所があるので、向いてた。
その、花の歌のアダージョも、他も、首藤ホセは前半の服の時より、かっこよさをまとって正統派二枚目風に。斎藤さんのリフトも(最近こういう舞台に出てないせいか、バレエダンサーじゃなく一般男性みたいな、ひょいっとちょい投げ上げ見たいな箇所もあったけど、総じてそつなくこなす。
斎藤カルメンは、超然としては無く、二人の男性の間で惑う感じ、かな。
首藤さんには、「踊る詩人」みたいな印象を受けた。
【カルメンのメーク】斎藤さん、前に見た清純な役の時と、印象かなり違った。
目がかなり大きく見えて、素顔と違う。かなりアイライン入れて役作りか?。
彼女の踊りを見て感じたのは、彼女の心の世界では、この作品を共に作り上げた、先生たちへの愛着がある、と言うこと。
メイクや表情も、リアリスティックと言うより、アメリカあたりのポップアートの戯画化した顔を、個人的には思わせた。或いは、「バタ臭い」という古い形容があるけど、そんな言葉も思い出した。
日本人の考えたスペイン。異国情緒。
斎藤さんと、彼女の指導者たち(それがアルベルト・アロンソか、故マクシーモワ先生か、誰かは分らないが)、双方でこの役に向き合い、彼らなりのイメージがあって、それが彼女のメーク・表情も含め、役作りに反映されているのだろうと思った。何か、具体的なイメージがあるのだろう。私自身のこの役への感覚より、それを尊重する気持ちで見た。
斎藤さんに、この日、私が一番心を動かされた部分は、踊りの端々に感じる、彼女の,師匠たちへの愛情だった。たぶん、踊りの細かい点で、「ここはこう踊る」「ここはこう」と、指導され、斎藤さんがそれを尊重し、その中で醸成されたカルメンに見えた。だから、私のこの踊りのスタンダードの感覚とは違うけど、それを楽しんでみる気になった。
対照的なのは、ホセ、首藤さん。
この方は、独特の「壊れない自分」がある感じがした。
ホセ役がどうだろうと、世間がどういおうと、それより前に、揺ぎ無い自分の感覚がある人のように見えた。
舞台に立つ上で、この人には役者の、踊り手の生理、ステージアーティストの生理のようなものが、はっきりあって、ここはこうする、と自分に命令する内なる自分がある人、
のような気がした。
東京バレエ団に詳しくないので、当たってないかもしれませんが。
何があっても、何をやっても、泥臭さや見苦しさの無い、クリーンでクリアな、正統派二枚目の演舞。(この人は良くも悪くも、主役カラーで、座の中心キャラになってしまう人のような気がした。脇役を想像できない。)
斎藤さんとは手馴れたアダージョ。演技だけじゃなく、実生活上も恋人同士に見えるようなタイプのペアではないが、前半より首藤さんが男性的に見える時も。
斎藤さんは、やはりさほど「悪女」っぽくない。二人の悲劇はそんなにどろどろじゃないけど、自然に見れた。野外劇場は周囲も舞台装置。海が見えぬ分、見交わし踊る二人の上を通過する夜の飛行機の赤いライトまで、恋人たちを照らすよう。
最後に、ホセがカルメンを刺した後のシーンは、時間を短く感じた。
(ちなみに、一番長く感じたのは、ザハロワ&ウヴァーロフ組。ホセに抱かれたカルメンの細長い肢体が、ゆっくりとホセの長身の上を滑り降りていった。)
どちらかといえば、カルメンとホセの物語を、ホセの内面性をビシビシ感じながら観たというより、情景として感じた、といえるかもしれない。踊る詩人の舞台。
首藤さんは、こういう舞台から離れているのか、あきらかに前半より後半の方が存在感も舞台カンも上がってるように見えた。時々、こういう舞台も、これからもやった方がいいような気がした。(必ずしも、東京バレエ団の「カルメン」に特定するわけでは、ないけど。)舞台に立ち続けることで、纏うものが増幅する。首藤さん、舞台向きの個性の人ですね。
【牛(運命)】
この頃キャスト表を見ないで舞台見ることが多く、失敗も多い。奈良さんだと先に分ってたら気をつけて見たと思うが、ごっそり見落としで、後悔。
むしろ、東京バレエ団ブログに、この役は体力的にも難しい役のようなことが書いてあって、そっちが勉強になった。分ってなかった。
この役は、プリセツカヤの脇役のカサトキナが優れており、何人も見たが、生舞台でそれに勝る演技・踊りを見たことがない。ホセはこれにそそのかされてカルメンを刺すのだけど、首藤ホセは、そういう「愚かな男」みたいな感じがあんまりしない。
今回公演は、3演目全て優れ、唯一の物語バレエを間に挟んだ上演順も手堅い。
アロンソ版はさほど上演頻度が多いわけでもない。改めて振付・演出の優れた作品を的確に上演してくれたことを嬉しく思った。
一方、私は、やけに肩入れした、「ベイサイドバレエ」。
よく考えてみたら、私のバレエ鑑賞歴上も、海を臨むロケーションの野外バレエなんて画期的な企画は、今まで無かった!(鑑賞歴25年超あっても、今まで無かったの。)
行ってみたら思ったとおり、すばらしい公演地で。私の下手な文より、写真で紹介できれば、ベストだったけど。ごたぶんに漏れず、舞台撮影禁止。
いつも思う。禁止はいいけど、公演の様子の写真、どこかに残して欲しいもの。
さて、公演感想、全部書ききる自信なくて、まずはお目当ての「カルメン」から。
***********************
7月21日(土)赤レンガオープンステージ
第二部「カルメン」
振付:アルベルト・アロンソ
音楽:ジョルジュ・ビゼー/ 編曲:ロディオン・シチェドリン
カルメン:斎藤友佳理
ホセ(竜騎兵):首藤康之
エスカミリオ(闘牛士):高岸直樹
ツニガ(隊長。ホセの上官):後藤晴雄
運命(牛):奈良春夏
女性ソリスト:吉川留衣 川島麻実子、
ほか、東京バレエ団
オープンステージは、海の前に舞台を作り、その両サイドに櫓を組み、その横の枠の前に板をはめ、第一部では、その板に黒い布を被せてた。そこから、ダンサーが出はけ。第二部では、この布を取り、むき出しの木の板を、そのまま「カルメン」の舞台装置として使ってた。
第1部「ギリシャ」では、ダンサーの踊る後ろに、夜の海が少し見えた。(席による。)
第2部アロンソ版「カルメン」は、舞台を闘牛場に模し、「人生は闘いだ」というのもテーマ。だから舞台周囲を、ぐるりと木の板が囲む。
(この為、第2部では、ダンサーの踊る背景側も、木の板で覆われてしまい、「あ~、海が見えない」と思った。)
舞台全体を囲いが覆い、その上に、背の高い椅子が複数置かれてる。細長い背もたれが、やや奇矯で不気味。ここから、カルメンたちを「体制の象徴」のツニガらが、見下ろして見たりする。
アロンソ版をプリセツカヤが踊った時点では、この装置は、カルメンが、体制に監視される存在であるとの暗喩があった。(今は時代が違うので、演じる側の裁量で解釈が別れてもいいのか?も)
カルメンは自由な存在、との幻想があるが、アロンソ版のカルメンは、他者の目から監視される不自由さもある存在なのだった。というより、自由の意味とは、こういうもんかも。社会の規範とか、もろもろの縛りからの解放を望んだ時から、自由が見えてくる、とか・・・?今の時代には、それぞれが考えればいいのかな。
で、今回東京バレエ団の再演にあたっては、装置も誠実に再現されていた。
(天井が無い野外ステージの為、上の牛の絵を除いて)
本来的な「閉塞感」が特に感じられるでもなかったが、これはこれで見れた。
【序奏~カルメン登場】
過去に見たアロンソ版では、カルメン登場の音楽が、まず強烈。
が、今回は、そこより、序奏の、終幕と同じ曲が、胸に沁みた。
舞台を囲む周囲の海面は、終始ゆらゆらと揺れていることだろう。
(自分には見えてなかったが、第1部で見て、私の脳裏を刺激中。)
みなとみらい上空の空気も、せわしない東京と違う。
そのせいか、序奏を、いつもよりゆっくり味わって感じた。
海を渡る風に乗り、鐘の鳴るような音楽が辺りに響いた。
・斎藤カルメンが舞台中央に登場。黒いレースの衣装。着慣れた感じ。
「カルメン登場」は、スターが舞台中央に立った自分を、観客に見せ、観客の視線を自分にぐっと引きつけて、音楽高鳴って、そして最初のアチチュードのポーズに繋ぐ、はず。本来スターのインパクトを示すシーンだが、斎藤カルメンの登場は、もっと肩肘はらずに自然体。最初のポーズと次のパを、ことさらに強調せず。踊りなれた様子。
【斎藤カルメン】
私の知ってる踊り方と、斎藤さんのそれは違う。例えば、最初のソロで片足ポアントで静止する所も、静止無く流れるようにゆったり踊る。練り上げた踊りで動じない安定感があり、私的には、これはこれでいいと納得。この人のカルメンは、きっとこうなのだろう。私は昔、古い画像でプリセツカヤのカルメンを見て以来、何人かのプリマでこの舞台を見て、かなり思い入れのある作品。それでもそう思えるのは、踊りが彼女のものになっているから。(自分は楽しんで見た。好みは分れるかもしれない。なお、原作のメリメの小説のカルメンとは、かなり異質。)
【首藤ホセ登場】
ホセが向かって左側から登場。小柄に見え、少年のよう。竜騎兵の帽子。規定どおりだからこれでいいのだけど、首藤さんは後半の、帽子なしのワイルドヘアでボリュームを出した方が、ずっと舞台栄えする。前半のグレーの軍服も地味で、後半の白シャツで見違えた。実年齢よりずっと若く、世間ずれしてないピュアな少年のよう。(こちらも原作の、どんくさいホセとは別物。)
【ホセとカルメン】
二人の出会い。ペアダンス。この二人のコンビだと、・・・、
な~~んも知らない少年に、かなり年齢上の女性が、「おね~さんが教えてあ・げ・る」みたいな踊り?に見えてしまった。
斎藤さんは、さほど悪女性が強調されず、ひたすら「練れた熟女」風。ホセは、一見、無垢で素直・・・。(でも首藤さんて、実は芯はしっかりありそう。)
首藤さんは、登場は思ったほどインパクトはなく。注意してみてると、周囲に不思議な空気感を纏ってた。世俗の垢にまみれない独特の空気。
【ツニガ】
このイベントに私が興奮気味で冷静でなく、見落としたかもしれないが、隊長ツニガと群舞とが踊るシーン、省略した?短縮版かも。隊長役が目立つ前半の踊りがあったと思うけど、記憶無し。(見落としだったらゴメンです。)後藤さん、イメージ合ってると思うけど、私の視界に入りにくかったのは、ダンサーの責任ではないので。(席によって見える所、見えない所あるし、首藤さんに注目してたから、見こぼし。)
なお、中盤の、カルメンがエスカミリオと絡むアダージョでは、怪しい音楽が高まるのに合わせて、ツニガが囲いの上にゆっくり姿を見せる、はず。
が、ザハロワ・ガラの「カルメン」では、登場のタイミングが昔のより遅れてて凄く不満だった。
今回、同じシーンで、最初私にはツニガが見えず、「どこ?」と目で探してしまった。やや遅れて、視界に入ってきて、端の席だったし、私に見えなかっただけ?かとほっとした。
カルメンと男たちが絡むのを、この版は上から見ている人たちがいて、作品としてはそれも大事で、ただの恋愛劇だけでもないので、私的には落とさないでほしいシーン。
【コールド】
私は過去の観劇で、この作品のコールドに恵まれてなく、今まで見た中では、もしかして一番良かった?かも。決まりどおり音通りに、ピシピシ動いてくれて、感激~!
この版は「カルメン」にしては、プティ版よりも硬質だし、群舞の動きがヌルいと弛緩する。で、テンポ、リズムを崩さず踊ってくれ、作品が引き締まって凄く嬉しかった。手拍子シーンも。その二人の女性も。(彼女たちは欲を言えば、衣装がキエフのみたいにセクシーだったら尚良し、みたいな。)
【高岸エスカミリオ】中盤、「闘牛士の歌」の曲で、颯爽と登場。白地に黒の縫いとりの闘牛士姿が長身に栄える。直線的ラインで男性の魅力を見せるソロダンス。最初は首藤さんより目立ってたかも。
わりと硬質な踊りが、私が今までに見たこの役の中では合ってた。
(この版はロシアンダンサーが多く踊ってて、彼らはノーブル系が多く、体が軟らかい分、変な腰振り踊りになる時があり、自分はそれが嫌いだけど、その意味で高岸さんは良かった。)
ただ、欲を言えば、女の子たちがきゃーきゃー言う雰囲気があれば、なお良い。って贅沢なんだけど。(残念ながら、今までそんなエスカミリオは見たこと無いけど。)
(除:プリセツカヤの古い映像に出てたセルゲイ・ラドチェンコ。)
カルメンとの関係性は薄めに見えたが、そういう解釈もあり、の役。
ホセとは対照的に、女性は皆、自分を好きになる、と思ってる男。ゴーマンが匂う俺様キャラにせめて出てきて欲しいのに、案外そういうダンサーでも見たことない。
【白いシャツの似合う人】
場面変わって、後半。カルメンと共謀し投獄され脱獄し、軍服でないホセ。カルメンと約束の店に来て、エスカミリオとカルメンの浮気中(?)の所に飛び込んで来る。
ここの、首藤ホセの白シャツに少し驚いた。このシーンのホセの上衣は、自分的には赤のイメージだから。それに、首藤さん、白シャツ似合い過ぎ。
小説のホセは、私には、女の扱いの下手な四角い男にしか見えないが(おまけに、けちなプライドもある)、首藤ホセは間違ってもそういうキャラではない。正統派二枚目のピュアな青年像。多少当惑したが、この人のキャラに従って見る事にした。
首藤さんは、ソロの舞踊も柔和な曲線系に見えた。ポールド・ブラも軟らかい曲線。
そこが本来のホセ向きの舞踊資質とは違うように思ったが、そのわりには違和感無く。空間を支配するより、ふんわりその場の空間と共生する踊り。優しく自然な質感。
この人って、独特のバリアがあるというか。世俗の垢にまみれないような防御壁。
それと、カルメンとの愛の高揚・「花の歌」のアダージョの後、暗転が野外劇場ゆえ、真っ暗にならないが、こういう時、首藤さんて、すっと、てらいなく自然に劇世界に入れるような所があるので、向いてた。
その、花の歌のアダージョも、他も、首藤ホセは前半の服の時より、かっこよさをまとって正統派二枚目風に。斎藤さんのリフトも(最近こういう舞台に出てないせいか、バレエダンサーじゃなく一般男性みたいな、ひょいっとちょい投げ上げ見たいな箇所もあったけど、総じてそつなくこなす。
斎藤カルメンは、超然としては無く、二人の男性の間で惑う感じ、かな。
首藤さんには、「踊る詩人」みたいな印象を受けた。
【カルメンのメーク】斎藤さん、前に見た清純な役の時と、印象かなり違った。
目がかなり大きく見えて、素顔と違う。かなりアイライン入れて役作りか?。
彼女の踊りを見て感じたのは、彼女の心の世界では、この作品を共に作り上げた、先生たちへの愛着がある、と言うこと。
メイクや表情も、リアリスティックと言うより、アメリカあたりのポップアートの戯画化した顔を、個人的には思わせた。或いは、「バタ臭い」という古い形容があるけど、そんな言葉も思い出した。
日本人の考えたスペイン。異国情緒。
斎藤さんと、彼女の指導者たち(それがアルベルト・アロンソか、故マクシーモワ先生か、誰かは分らないが)、双方でこの役に向き合い、彼らなりのイメージがあって、それが彼女のメーク・表情も含め、役作りに反映されているのだろうと思った。何か、具体的なイメージがあるのだろう。私自身のこの役への感覚より、それを尊重する気持ちで見た。
斎藤さんに、この日、私が一番心を動かされた部分は、踊りの端々に感じる、彼女の,師匠たちへの愛情だった。たぶん、踊りの細かい点で、「ここはこう踊る」「ここはこう」と、指導され、斎藤さんがそれを尊重し、その中で醸成されたカルメンに見えた。だから、私のこの踊りのスタンダードの感覚とは違うけど、それを楽しんでみる気になった。
対照的なのは、ホセ、首藤さん。
この方は、独特の「壊れない自分」がある感じがした。
ホセ役がどうだろうと、世間がどういおうと、それより前に、揺ぎ無い自分の感覚がある人のように見えた。
舞台に立つ上で、この人には役者の、踊り手の生理、ステージアーティストの生理のようなものが、はっきりあって、ここはこうする、と自分に命令する内なる自分がある人、
のような気がした。
東京バレエ団に詳しくないので、当たってないかもしれませんが。
何があっても、何をやっても、泥臭さや見苦しさの無い、クリーンでクリアな、正統派二枚目の演舞。(この人は良くも悪くも、主役カラーで、座の中心キャラになってしまう人のような気がした。脇役を想像できない。)
斎藤さんとは手馴れたアダージョ。演技だけじゃなく、実生活上も恋人同士に見えるようなタイプのペアではないが、前半より首藤さんが男性的に見える時も。
斎藤さんは、やはりさほど「悪女」っぽくない。二人の悲劇はそんなにどろどろじゃないけど、自然に見れた。野外劇場は周囲も舞台装置。海が見えぬ分、見交わし踊る二人の上を通過する夜の飛行機の赤いライトまで、恋人たちを照らすよう。
最後に、ホセがカルメンを刺した後のシーンは、時間を短く感じた。
(ちなみに、一番長く感じたのは、ザハロワ&ウヴァーロフ組。ホセに抱かれたカルメンの細長い肢体が、ゆっくりとホセの長身の上を滑り降りていった。)
どちらかといえば、カルメンとホセの物語を、ホセの内面性をビシビシ感じながら観たというより、情景として感じた、といえるかもしれない。踊る詩人の舞台。
首藤さんは、こういう舞台から離れているのか、あきらかに前半より後半の方が存在感も舞台カンも上がってるように見えた。時々、こういう舞台も、これからもやった方がいいような気がした。(必ずしも、東京バレエ団の「カルメン」に特定するわけでは、ないけど。)舞台に立ち続けることで、纏うものが増幅する。首藤さん、舞台向きの個性の人ですね。
【牛(運命)】
この頃キャスト表を見ないで舞台見ることが多く、失敗も多い。奈良さんだと先に分ってたら気をつけて見たと思うが、ごっそり見落としで、後悔。
むしろ、東京バレエ団ブログに、この役は体力的にも難しい役のようなことが書いてあって、そっちが勉強になった。分ってなかった。
この役は、プリセツカヤの脇役のカサトキナが優れており、何人も見たが、生舞台でそれに勝る演技・踊りを見たことがない。ホセはこれにそそのかされてカルメンを刺すのだけど、首藤ホセは、そういう「愚かな男」みたいな感じがあんまりしない。
今回公演は、3演目全て優れ、唯一の物語バレエを間に挟んだ上演順も手堅い。
アロンソ版はさほど上演頻度が多いわけでもない。改めて振付・演出の優れた作品を的確に上演してくれたことを嬉しく思った。