テレビドラマって、ながら族で見ることが半分あるけれど、このドラマは、部分を片手間に見たのと、後で録画したのを全部見たのでは印象が違った。
俳優木村拓也を見るドラマ仕立てになってはいるけれど、むしろキムタクのネームバリューを借りて成立した制作費それなりにかかってそうなこのドラマ、全体が好意的に見れば面白い。
キムタクがらみの場面、祖父に似てるだの(伏線あるけど)の証明の鯉だの絵だののエピソードが稚拙に見えることは脳内消去し、持ち上げられるわりに彼が企業社会でそれなりの地位を築いてる気鋭のやり手にみえにくいことは捨象して、好意的な目で全体を見直すと、台本の一部はよく出来ていると思う。
私的に、金融の仕事をしていたので、「昔日の金融界」そしてバブル崩壊、金融再再々編の動きなども見てきてはいたので、いささか苦い想いも含め、経済発展、経済の変動と、世の人々の意識の変化について妙に感慨を持ってしまった。
モデルとなった企業はこのあたりだなと想定しながら、かつての日本の基幹産業の重さなど想像できるだけに面白かった。その話を知らない人たちには、また別の視点で楽しめるようにできているのだろう。
敗戦後の復興から、一部の企業家がものづくりに燃えた時代、日本人が希望を持って生きた時代のこと。神話や幻想がいろいろ生きていた時代だと思う。日本に成長神話があった時代。今後の長期経済見通しでは、少子化その他の影響で深刻な労働人口不足になることから、このままいくと他のアジア諸国に追い抜かれるんだかなんだか、正月ごろの番組で有難くない話をやっていた。そんなときにこういう話を見せられると、う~ん、と考えてしまう。これから社会人になる層だって、純情さは鳴りを潜め、計算高さや現実的な面が目立つ。
若者が悪いということでなく、社会性の反映を強く感じる。
それにしても「ゆとり教育」やった過去の文部科学省のトップとか、引責ってないのかと思う。
ドラマを見ながら、自分で勝手に、ただの回顧でなく、今の時代の複雑さを知る視点から、かつての熱い時代を照射すると感慨深かった。
キムタクは、もはや芝居がうまいとかまずいとか言う立場のひとではないと感じた。重役には見えないが、彼のスター性によってこのドラマの企画が統括される。
いわゆる「演技力」などより、そのほうが今のご時勢では大事なのだろう。
彼だけでなく、周囲もまた、キムタクのブランドイメージを手放す必要などないのだと悟った。役者志向なら気の毒な立場の人だということになるが、なまじな「巧い役者」より上の立場を持ってる人だから、彼はこれでいいのかもしれない。
狭く彼自身の「演技」などより、彼によって、大きな企画も成り立つのだから。
芝居で言うなら、「その場に居る」リアクションのレベルは中の上クラス、重役らしさはあまりないと思うんだけど。銀行に巨額融資を頼むのに、(台本も悪いけど)ああいう交渉の仕方はしないと思うけど。ま、いっかという感じ。
それにしても昔の銀行本店の朝のシーンには、苦く懐かしいものを感じた。
業界を問わず、「業界再編」、コスト削減の方向性の中、人は減り、昔日の権威は今は何かに取って代わられているからだ。効率化の波の中、トップが皆を睥睨するような、始業前の重々しい雰囲気などは、今はないと思う。
「愛人」にも時代の差を感じた。山崎豊子原作がヒットしたころは、頭取や政治家はともかく、一般人の「愛人を持つ男」にたいする嫌悪感はとても強かったのだと思う。主人公の妻役の語る「愛人への嫌悪感」が、今の時代はもっと薄れた気がする。