グルジア国立バレエ日本公演、地方公演に行ってきました。
『ロミオとジュリエット』
※偶然の産物ですが、主役のニーナ・アナニアシヴィリはグルジア人、ロミオ役のアンドレイ・ウヴァーロフはロシア人。この公演の話が本格化した頃、両国の関係がやや悪くなったけど、その後それ以上きな臭い報道も無く、無事予定キャストで公演が行われて、何となくほっとしています。
公演は、遅刻して2幕から見た。
【音楽・演出】まず、セルゲイ・プロコフィエフの音楽をオケで聴くと、改めて本当に素晴らしい。恋の疾走感、運命の陰影など、音楽で全て語りつくし、かつ軽妙な遊びのパートもかなりある。ラブロフスキー版は叙事的とされるが、このバレエ団での上演では、舞台は二人の恋が中心で、やや叙情的。コールドが弱く、主役の印象が強いからかもしれない。またダンスより演劇的な面が目だった。
【主役】主演のニーナとウヴァーロフは、『珠玉』。
【コールド】しかし、「グルジアバレエ」は、素朴。2幕冒頭、町の広場での皆の踊り、フォークダンスなどは、凄くうまいわけではないが、カラフルな民族衣装の若い男女がタンバリンなど振って踊ってるのが、かわいいというか、微笑ましくて許せてしまう。(ただ、『ラブロフスキー版』を理解したいなら、格調高く群集劇的なボリショイバレエの全幕映像で補完したほうが良いと思う、随分印象が違う。)
◆舞台は、中世からルネッサンスへの移行期。
ソ連時代の作品なので、以前から『シェイクスピア原作に、思想的な要素を加え作品の価値を高めた」と聞いていた。「二人の愛と死。尊い犠牲によって、いがみ合う二つの家の対立が終わる」という、教育委員会推奨系の内容。
今回もっと面白い話が明らかに。『モンタギュー家』はルネッサンスの自由な考え方の家柄、『キャピュレット家』は、古い中世的な考え方の家柄であり、二つの家の対立の背景には、新旧の時代の思想的対立がある、ということ。
(たぶん、これも演出家で演劇学者のセルゲイ・ラドロフやピオトロスキーか誰かの付け加えが読みこみで、元々のシェイクスピア原作は、そこまで考え抜かれてないんじゃないかと??思うが。)
ラブロフスキー版1幕、キャピュレット家の舞踏会冒頭で踊られる、「クッションを持った貴族たちの踊り」(「のだめカンタービレ」で竹中直人が登場する所で使われてる、暗めで大仰な曲のパート。)について、私は以前は、「昔の人はあれがいいと思って振付けたのかもしれないけど、今見ると古臭い、滑稽」と思ってた。
けど、そこはそう思って良い所らしい。クッションダンスは、キャピュレット家の儀礼的な踊り。古めかしく、いかめしい家風を表してる。
ジュリエットの家の人間関係は、いかめしい系の家なので、家族、友人も距離感がある。ロミオと友人たちが、ちょっと悪がき風でいつも一緒。多少はめを外して遊ぶのも、自由な気風の家の息子であると表してる、らしい。そんな彼らは心が通ってる。1幕でマスク付け、舞踏家へ忍び込んだ3人組。ロミオがジュリエット見とれて目立つので、お忍びで来てるのに廻りに素性がばれやしないかと案じたマキューシオが、ロミオを目立たなくする為に踊りはじめるのが、最初のマキューシオの見せ場の踊り。(残念ながら、今回はロミオに比べてベンボーリオ、マキューショが弱く、悪がき3人組の面白さまでは伝わらないと思うけど、原設定はこんな感じ。)
つまりジュリエットの親にとって、ジュリエットがロミオを好きになるのは、ますます許せないことなのね。
「ジュリエットの親」は、「権威」「社会的規範」その他の象徴として、ジュリエットに対し厳格に演じられる方が本来的だと私は思うけど、以前見たワシリエフ版で、この親の役をやった人が、「本当はジュリエットを想ってる」と、親心の暖かさで演じてた、変り種。
ここの、ニーナの版は、正しく「ジュリエットの恋」に敵対的な親。
◆鬼門
ティボルト役の人が、ぜんっぜん、殺人しそうな感じが無く、肩すかしティボルト。お顔も柔和だし。
いっそ「人の命の重さを分かってない、今風の若者」「だからマキューショを殺しても、対して表情が変わらない」(素直に「大根」「芝居できない」と言えない自分。)と設定すれば、かえって面白いのでは?と思ったけど。
2幕殺人シーンは、ウヴァーロフが、演技と段取り、大変そうでした。(笑)あのティボルトじゃ怒れない、芝居やりにくいだろ~な~と。
いっそパリス役と交換してみるとか?パリス役の人の方が、意のままにならぬジュリエットに対し、最後は強引な感じだったから。
(ぜんぜん説明になってないな。)
とりあえず主役の二人は、この日は、まともな容姿でした。
(前代未聞の厳しい公演スケジュール。東京公演ではボロボロだったら、ごめん。)
ニーナはウヴァーロフがいると少女になれるのね。見かけだけじゃなく意識も。バレエ団の母たるニーナが、唯一頼りに出来る相手だから。そんなことが見えた今公演でした。
◆ニーナは、ママになったので、もっと母性的なとか、ママっぽさのあるジュリエットになるかと思ったら。そうでなく。
白眉は3幕寝室のアダージョ。ニーナがトゥで立ち、それをウヴァーロフが軽く片手で支えてポーズとるだけで、息をのむような美しい瞬間がある。
ついでにウヴァーロフはこの場の衣装だけ、良く似合って、ここだけは容姿はロミオそのもの。(2幕は「あら、ジークフリート王子が今日はロミオ役のバイト?」とひやかしたくなるよ~な、昔のマリインスキーの王子の衣装みたいな上着。雰囲気も落ち着きすぎてるし。)
ニーナの衣装ヘアスタイルはジュリエットらしくてよかった。ちょっと胸の空きが大きいような気はするけど。毒薬のビンをいちいち胸元に入れるので、目立つんですけど。
で、3幕寝室のアダージョ。ロミオが「もう行かなくては」、とマントを羽織ると、ジュリエットが、「嫌!行かないで!」というようにさっとそのマントを外す。(ニーナは全幕の中で、この芝居が一番良かった。)そしてジュリエットがこの状況を悲しんで、しくしくと泣く。ロミオが「どうかそんなに泣かないで。大丈夫だから。」とでもいうように、ジュリエットを優しく抱き寄せて慰める感じ。
といった様子で。実際にはニーナが年上だけど、芝居は年上のお姉さん風では全然なく、ロミオの方がジュリエットを守る感じ。
そして最終場のラスト、ロミオの死体が転がってる上に、ジュリエットがロミオとクロスして二人の死体で十字形になるように折り重なって死んで終わるのだけど。最後に鎮魂の音楽の中、「二人の死体」を眺めていたら、ロミオとジュリエットの死が悲しいというより、ニーナがウヴァーロフの大きな体に抱かれて、安心して身を委ねているみたいに見えてしまって。(ニーナは、ザハロワと違って、体温の温かさを感じると思った。)
それでふっと。ニーナはいつも明るく気丈に振舞っているけど、このバレエ団を抱えて、一人で頑張ってる。国情もあるし、育てるといい人材はよそに出ちゃうとか、あるのじゃないかと。ニーナが全部面倒を見なきゃいけないバレエ団の人々に対して、助っ人のウヴァーロフ。バレエ団に対し指導的なこともできるし、指揮者との打ち合わせその他、公演を成功に導く力量がある。ニーナはバレエ団の母だけど、彼女が「大変頼りになる」と言ったウヴァーロフに対しては、ニーナは、「頼る」意識を持つことができるので、芝居でも少女的な意識を持てやすいのではないかと。
これがグルジアのロミオ役だと、たぶん「実際にはリードしてるのはニーナ、お芝居とは真逆の関係性」というのが、観客に見えちゃう気がする。
今回、一番感動したのは、ニーナのウヴァーロフへの、一種の「愛」だったかも。
逆に前回来日公演で、ウヴァーロフがニーナに一生懸命愛を注いで踊ってたのを見てたから、それが、今返ったんだと思うと感慨。それは、男女愛、恋愛感情ではないけど、ダンスールノーブルの、プリマへの愛だった。舞台の物語の愛は作りごとのお芝居でも、ウヴァーロフには、厳しく過酷な仕事に生き、舞台を成功に導くバレリーナたちに対する尊敬心があると思った。それは真実であり、一種の愛だから。
前回公演で、ニーナのオディールのバランスの見せ場で、トゥで立ち、きれいなアチチュードをして静止するニーナ。その高く上げた両手のうち片手を、そっと持って、ニーナが完全にバランス取りきるまで、ウヴァーロフはその手をなかなか離そうとせず、じっと優しい目でニーナを見降ろしてた。(それが王子の表情に見えちゃうから、この人は得な人だ。)手を離すとニーナはバランスを取れず脚を落とし、それを恥じた。でも私には、プリマがきれいなポーズを取り、王子がずっとその手を離さず見つめてる図それ自体が、美しい一服の絵であり、これは、ダンスールノーブルのプリマへの愛の表現みたいだと思ったものだ。
そんな調子でゲストながら公演を良く支えたウヴァーロフに、公演終わった後、ニーナが随分感謝してるみたいだった、そういういきさつで、二人の関係性が、今回はまた微妙に変わっていて、主役二人の信頼関係が、演技に微妙に影響していて、それはちょっと面白かった。
◆一方のロミオ。ウヴァーロフは13年前に日本でロミオを踊っていて、それを見てなければ、「とても良かった」って言えた。でも。この日のロミオより、13年前のウヴァーロフのロミオはもっとずっと素晴らしかった。最高のロミオをあの日、私は見たのだと、悟った。
だから、全く納得できない。周りが芝居できないハンデは理解するけど、あのロミオじゃ私は納得できない。例えば昨年5月「カルメン」の演技、横浜初日のホセは、もっとずっと純粋な人だった。5月のジークフリート王子は、喜びに舞い上がって、あの時の演技の方が、もっと感性が若かった。
ニーナは頼れるウヴァがいるから少女になれる。ウヴァーロフは、あの手間のかかるバレエ団の面々がいるから、少年になれないのね。(ため息)
新国立バレエ団では、ウヴァが弾けられるのは、グルジアより脇役コールドが手堅く、ウヴァーロフの無茶振り芝居にも対応できるまでに成長した、ってこともあると認識。でも、新国立だって、'98年にウヴァーロフが初めて客演した時は、脇役棒立ちで、全然芝居できなかった。だから、グルジアバレエだって変わるわよね、と言っておこう、ニーナちゃんのために。
東京公演でのリベンジを期待してます。ウヴァさん。
ニーナは昔,ABTの「マノン」で見たときは、演劇物はダメだと思ったけど、随分変わった。場面ごとに細かく解釈してるし。
ウヴァのロミオはニーナのジュリエットを「崇めてる」感じ。対等というより、女神か天使のように。
『ロミオとジュリエット』
※偶然の産物ですが、主役のニーナ・アナニアシヴィリはグルジア人、ロミオ役のアンドレイ・ウヴァーロフはロシア人。この公演の話が本格化した頃、両国の関係がやや悪くなったけど、その後それ以上きな臭い報道も無く、無事予定キャストで公演が行われて、何となくほっとしています。
公演は、遅刻して2幕から見た。
【音楽・演出】まず、セルゲイ・プロコフィエフの音楽をオケで聴くと、改めて本当に素晴らしい。恋の疾走感、運命の陰影など、音楽で全て語りつくし、かつ軽妙な遊びのパートもかなりある。ラブロフスキー版は叙事的とされるが、このバレエ団での上演では、舞台は二人の恋が中心で、やや叙情的。コールドが弱く、主役の印象が強いからかもしれない。またダンスより演劇的な面が目だった。
【主役】主演のニーナとウヴァーロフは、『珠玉』。
【コールド】しかし、「グルジアバレエ」は、素朴。2幕冒頭、町の広場での皆の踊り、フォークダンスなどは、凄くうまいわけではないが、カラフルな民族衣装の若い男女がタンバリンなど振って踊ってるのが、かわいいというか、微笑ましくて許せてしまう。(ただ、『ラブロフスキー版』を理解したいなら、格調高く群集劇的なボリショイバレエの全幕映像で補完したほうが良いと思う、随分印象が違う。)
◆舞台は、中世からルネッサンスへの移行期。
ソ連時代の作品なので、以前から『シェイクスピア原作に、思想的な要素を加え作品の価値を高めた」と聞いていた。「二人の愛と死。尊い犠牲によって、いがみ合う二つの家の対立が終わる」という、教育委員会推奨系の内容。
今回もっと面白い話が明らかに。『モンタギュー家』はルネッサンスの自由な考え方の家柄、『キャピュレット家』は、古い中世的な考え方の家柄であり、二つの家の対立の背景には、新旧の時代の思想的対立がある、ということ。
(たぶん、これも演出家で演劇学者のセルゲイ・ラドロフやピオトロスキーか誰かの付け加えが読みこみで、元々のシェイクスピア原作は、そこまで考え抜かれてないんじゃないかと??思うが。)
ラブロフスキー版1幕、キャピュレット家の舞踏会冒頭で踊られる、「クッションを持った貴族たちの踊り」(「のだめカンタービレ」で竹中直人が登場する所で使われてる、暗めで大仰な曲のパート。)について、私は以前は、「昔の人はあれがいいと思って振付けたのかもしれないけど、今見ると古臭い、滑稽」と思ってた。
けど、そこはそう思って良い所らしい。クッションダンスは、キャピュレット家の儀礼的な踊り。古めかしく、いかめしい家風を表してる。
ジュリエットの家の人間関係は、いかめしい系の家なので、家族、友人も距離感がある。ロミオと友人たちが、ちょっと悪がき風でいつも一緒。多少はめを外して遊ぶのも、自由な気風の家の息子であると表してる、らしい。そんな彼らは心が通ってる。1幕でマスク付け、舞踏家へ忍び込んだ3人組。ロミオがジュリエット見とれて目立つので、お忍びで来てるのに廻りに素性がばれやしないかと案じたマキューシオが、ロミオを目立たなくする為に踊りはじめるのが、最初のマキューシオの見せ場の踊り。(残念ながら、今回はロミオに比べてベンボーリオ、マキューショが弱く、悪がき3人組の面白さまでは伝わらないと思うけど、原設定はこんな感じ。)
つまりジュリエットの親にとって、ジュリエットがロミオを好きになるのは、ますます許せないことなのね。
「ジュリエットの親」は、「権威」「社会的規範」その他の象徴として、ジュリエットに対し厳格に演じられる方が本来的だと私は思うけど、以前見たワシリエフ版で、この親の役をやった人が、「本当はジュリエットを想ってる」と、親心の暖かさで演じてた、変り種。
ここの、ニーナの版は、正しく「ジュリエットの恋」に敵対的な親。
◆鬼門
ティボルト役の人が、ぜんっぜん、殺人しそうな感じが無く、肩すかしティボルト。お顔も柔和だし。
いっそ「人の命の重さを分かってない、今風の若者」「だからマキューショを殺しても、対して表情が変わらない」(素直に「大根」「芝居できない」と言えない自分。)と設定すれば、かえって面白いのでは?と思ったけど。
2幕殺人シーンは、ウヴァーロフが、演技と段取り、大変そうでした。(笑)あのティボルトじゃ怒れない、芝居やりにくいだろ~な~と。
いっそパリス役と交換してみるとか?パリス役の人の方が、意のままにならぬジュリエットに対し、最後は強引な感じだったから。
(ぜんぜん説明になってないな。)
とりあえず主役の二人は、この日は、まともな容姿でした。
(前代未聞の厳しい公演スケジュール。東京公演ではボロボロだったら、ごめん。)
ニーナはウヴァーロフがいると少女になれるのね。見かけだけじゃなく意識も。バレエ団の母たるニーナが、唯一頼りに出来る相手だから。そんなことが見えた今公演でした。
◆ニーナは、ママになったので、もっと母性的なとか、ママっぽさのあるジュリエットになるかと思ったら。そうでなく。
白眉は3幕寝室のアダージョ。ニーナがトゥで立ち、それをウヴァーロフが軽く片手で支えてポーズとるだけで、息をのむような美しい瞬間がある。
ついでにウヴァーロフはこの場の衣装だけ、良く似合って、ここだけは容姿はロミオそのもの。(2幕は「あら、ジークフリート王子が今日はロミオ役のバイト?」とひやかしたくなるよ~な、昔のマリインスキーの王子の衣装みたいな上着。雰囲気も落ち着きすぎてるし。)
ニーナの衣装ヘアスタイルはジュリエットらしくてよかった。ちょっと胸の空きが大きいような気はするけど。毒薬のビンをいちいち胸元に入れるので、目立つんですけど。
で、3幕寝室のアダージョ。ロミオが「もう行かなくては」、とマントを羽織ると、ジュリエットが、「嫌!行かないで!」というようにさっとそのマントを外す。(ニーナは全幕の中で、この芝居が一番良かった。)そしてジュリエットがこの状況を悲しんで、しくしくと泣く。ロミオが「どうかそんなに泣かないで。大丈夫だから。」とでもいうように、ジュリエットを優しく抱き寄せて慰める感じ。
といった様子で。実際にはニーナが年上だけど、芝居は年上のお姉さん風では全然なく、ロミオの方がジュリエットを守る感じ。
そして最終場のラスト、ロミオの死体が転がってる上に、ジュリエットがロミオとクロスして二人の死体で十字形になるように折り重なって死んで終わるのだけど。最後に鎮魂の音楽の中、「二人の死体」を眺めていたら、ロミオとジュリエットの死が悲しいというより、ニーナがウヴァーロフの大きな体に抱かれて、安心して身を委ねているみたいに見えてしまって。(ニーナは、ザハロワと違って、体温の温かさを感じると思った。)
それでふっと。ニーナはいつも明るく気丈に振舞っているけど、このバレエ団を抱えて、一人で頑張ってる。国情もあるし、育てるといい人材はよそに出ちゃうとか、あるのじゃないかと。ニーナが全部面倒を見なきゃいけないバレエ団の人々に対して、助っ人のウヴァーロフ。バレエ団に対し指導的なこともできるし、指揮者との打ち合わせその他、公演を成功に導く力量がある。ニーナはバレエ団の母だけど、彼女が「大変頼りになる」と言ったウヴァーロフに対しては、ニーナは、「頼る」意識を持つことができるので、芝居でも少女的な意識を持てやすいのではないかと。
これがグルジアのロミオ役だと、たぶん「実際にはリードしてるのはニーナ、お芝居とは真逆の関係性」というのが、観客に見えちゃう気がする。
今回、一番感動したのは、ニーナのウヴァーロフへの、一種の「愛」だったかも。
逆に前回来日公演で、ウヴァーロフがニーナに一生懸命愛を注いで踊ってたのを見てたから、それが、今返ったんだと思うと感慨。それは、男女愛、恋愛感情ではないけど、ダンスールノーブルの、プリマへの愛だった。舞台の物語の愛は作りごとのお芝居でも、ウヴァーロフには、厳しく過酷な仕事に生き、舞台を成功に導くバレリーナたちに対する尊敬心があると思った。それは真実であり、一種の愛だから。
前回公演で、ニーナのオディールのバランスの見せ場で、トゥで立ち、きれいなアチチュードをして静止するニーナ。その高く上げた両手のうち片手を、そっと持って、ニーナが完全にバランス取りきるまで、ウヴァーロフはその手をなかなか離そうとせず、じっと優しい目でニーナを見降ろしてた。(それが王子の表情に見えちゃうから、この人は得な人だ。)手を離すとニーナはバランスを取れず脚を落とし、それを恥じた。でも私には、プリマがきれいなポーズを取り、王子がずっとその手を離さず見つめてる図それ自体が、美しい一服の絵であり、これは、ダンスールノーブルのプリマへの愛の表現みたいだと思ったものだ。
そんな調子でゲストながら公演を良く支えたウヴァーロフに、公演終わった後、ニーナが随分感謝してるみたいだった、そういういきさつで、二人の関係性が、今回はまた微妙に変わっていて、主役二人の信頼関係が、演技に微妙に影響していて、それはちょっと面白かった。
◆一方のロミオ。ウヴァーロフは13年前に日本でロミオを踊っていて、それを見てなければ、「とても良かった」って言えた。でも。この日のロミオより、13年前のウヴァーロフのロミオはもっとずっと素晴らしかった。最高のロミオをあの日、私は見たのだと、悟った。
だから、全く納得できない。周りが芝居できないハンデは理解するけど、あのロミオじゃ私は納得できない。例えば昨年5月「カルメン」の演技、横浜初日のホセは、もっとずっと純粋な人だった。5月のジークフリート王子は、喜びに舞い上がって、あの時の演技の方が、もっと感性が若かった。
ニーナは頼れるウヴァがいるから少女になれる。ウヴァーロフは、あの手間のかかるバレエ団の面々がいるから、少年になれないのね。(ため息)
新国立バレエ団では、ウヴァが弾けられるのは、グルジアより脇役コールドが手堅く、ウヴァーロフの無茶振り芝居にも対応できるまでに成長した、ってこともあると認識。でも、新国立だって、'98年にウヴァーロフが初めて客演した時は、脇役棒立ちで、全然芝居できなかった。だから、グルジアバレエだって変わるわよね、と言っておこう、ニーナちゃんのために。
東京公演でのリベンジを期待してます。ウヴァさん。
ニーナは昔,ABTの「マノン」で見たときは、演劇物はダメだと思ったけど、随分変わった。場面ごとに細かく解釈してるし。
ウヴァのロミオはニーナのジュリエットを「崇めてる」感じ。対等というより、女神か天使のように。