ちょっとした、思い付き譚。
舞台の演出上のアイデアや、舞台の作り方で、似たようなものがあって、見る側としては、昔見た何かに似てる、と思う時がたまにある。
・滝沢歌舞伎の、腹筋太鼓ってシーン、全然関係ないかもしれないけど、
やっぱり半裸の男性たちが、円陣作って、汗だくのパフォーマンスして、真ん中の円形の小舞台っぽい所で、主役がパフォーマンス、の構図、
とても単純な意味でだけど、自分らから見ると、ちょっと、ベジャールのバレエ「ボレロ」の舞台に、ちょこっとだけ、構図と雰囲気が似てる面があるかな、と思った、のと。
・さらに、遠い記憶で、演劇実験室『天井桟敷』が、晴海その他で上演した『奴婢訓』の一部。
男二人が、機械状の長い装置の両サイドにいて、これが片方が上になったり、回転して逆にもう一人が上側になったり、を繰り返して、上になった方がセリフを言うんだったか、(昔の話なので、ディテール違ってたらゴメン)、そんなシーンがあって。
腹筋太鼓の、滝沢と三宅健が、舞台の真ん中の人で、彼らが乗ってる装置が、ぐるぐる回る、どっちか一方が上になった時、片方が下、この形で、位置を移動しながら太鼓叩くパフォーマンスするのが、ほんのちょっと似てて。
・ついでに言えば、タキツバとかの昔の衣装、肩に近い位置に羽がボリュームある形でついてたり、羽使ってるのが色々出てた頃の衣装って、昔の日本のステージ文化、宝塚とか、古くはSKDとか、そういうのに、ちょっと似てる意匠のような気がした人は、私に限った話ではないと思うし。
昔のジャニーズの歌のステージで、山下智久が、超・若い頃ので、真ん中が歌ってる時に、まわりの群舞の人たちが、赤い布振ってたようなのがあって、これは、ショーダンスにもあるのかもしれないアイデアだけど、「一方、白鳥の湖」の3幕のスペインの踊りで、こんな感じの演出の版は、あったし。
この話に限らないけど、舞台、スペクタクルのアイデアって、洋の東西を問わず、似たようなものって、探せば、考えれば色々出てくるかもしれない。
舞台装置や演出のプランって、自分の才能一つでやってる人もいるかもしれないけど、演出家によっては、たくさんの色んな舞台や過去の文化から、何かヒントを得たりしてたりも、あるのかな?自分で思いついても、学習型でも、どちらでもいいのかもしれないけど。
(ところで、ジャーニーズコンサートや舞台は、吊りものが多用されてるし、舞台の意表をつく転換が多い割に、怪我や事故の話をあまり聞かないのは、正直、ほんとうに感心する。
昔、本田美奈子だったか、商業の舞台で、舞台の事故で亡くなったタレントがいたような気がしたし。バレエの舞台でも、この手のアクシデントで、ダンサー生命を失った人はいたので。ジャーニーズの方は、危険度の高い事をやっても、事故らない現場の緊張感、高いプロ意識があるからなのか?)
舞台の演出上のアイデアや、舞台上の雰囲気で、似たようなものがある、という事は、古くは、BBCだかが制作した、『ボリショイの苦闘』とかいう、ドキュメンタリーで興味深いコラージュ映像から思い知らされた。
ソ連崩壊後だったかの、ボリショイバレエ団のアメリカ公演。ベガスだったかな?
内容とは別に、このBBC制作のボリショイ公演を扱ったTV番組の中で、興味深い映像部分があって。
クラシックバレエ「白鳥の湖」や、男性バレエの『スパルタクス』の一部のシーンの映像に、アメリカの文化、ラスベガスとか、風俗とか、アメリカのダンス(セクシー系の、ボールダンスみたいのも入ってたかも。)や、或いは、奇術か何かのショーで、人の首が無くなるシーン、キッチュな見世物の場面が出て、その前後に、スパルタクスが討たれる場面を入れて、両者が妙に似て見える事を示したり、
等々の映像を、幾つか、畳みかけるように交互に入れた映像が、洋の東西で異なる文化でも、見ようによっては共通点があることを、感じさせていた。
聖と俗のコントラスト。
高尚なはずの、ロシアのバレエ芸術と、アメリカのキッチュだったり、ポップな文化とが、意外と類似点があることを暗示して、
こう文で書くと、あれだけど、これ、映像でみると、なかなか見ごたえがあった。
舞台等のアイデア、プランニングって、最初誰かが思いつくけど、全然違う国で似たようなことを思いつく人がいるのかもしれないし。
舞台、スペクタクルの演出って、洋の東西とかを問わず、インタレストを追及すると、共通項はあるのかも。
そういえば、アニメ『巨人の星』の監督だった、長浜忠夫氏も、作品作りにあたって、テーマだけでなく、まずビジュアルに凝る話をしていたっけ、と思い出した。
毎度、散漫失敬。
舞台の演出上のアイデアや、舞台の作り方で、似たようなものがあって、見る側としては、昔見た何かに似てる、と思う時がたまにある。
・滝沢歌舞伎の、腹筋太鼓ってシーン、全然関係ないかもしれないけど、
やっぱり半裸の男性たちが、円陣作って、汗だくのパフォーマンスして、真ん中の円形の小舞台っぽい所で、主役がパフォーマンス、の構図、
とても単純な意味でだけど、自分らから見ると、ちょっと、ベジャールのバレエ「ボレロ」の舞台に、ちょこっとだけ、構図と雰囲気が似てる面があるかな、と思った、のと。
・さらに、遠い記憶で、演劇実験室『天井桟敷』が、晴海その他で上演した『奴婢訓』の一部。
男二人が、機械状の長い装置の両サイドにいて、これが片方が上になったり、回転して逆にもう一人が上側になったり、を繰り返して、上になった方がセリフを言うんだったか、(昔の話なので、ディテール違ってたらゴメン)、そんなシーンがあって。
腹筋太鼓の、滝沢と三宅健が、舞台の真ん中の人で、彼らが乗ってる装置が、ぐるぐる回る、どっちか一方が上になった時、片方が下、この形で、位置を移動しながら太鼓叩くパフォーマンスするのが、ほんのちょっと似てて。
・ついでに言えば、タキツバとかの昔の衣装、肩に近い位置に羽がボリュームある形でついてたり、羽使ってるのが色々出てた頃の衣装って、昔の日本のステージ文化、宝塚とか、古くはSKDとか、そういうのに、ちょっと似てる意匠のような気がした人は、私に限った話ではないと思うし。
昔のジャニーズの歌のステージで、山下智久が、超・若い頃ので、真ん中が歌ってる時に、まわりの群舞の人たちが、赤い布振ってたようなのがあって、これは、ショーダンスにもあるのかもしれないアイデアだけど、「一方、白鳥の湖」の3幕のスペインの踊りで、こんな感じの演出の版は、あったし。
この話に限らないけど、舞台、スペクタクルのアイデアって、洋の東西を問わず、似たようなものって、探せば、考えれば色々出てくるかもしれない。
舞台装置や演出のプランって、自分の才能一つでやってる人もいるかもしれないけど、演出家によっては、たくさんの色んな舞台や過去の文化から、何かヒントを得たりしてたりも、あるのかな?自分で思いついても、学習型でも、どちらでもいいのかもしれないけど。
(ところで、ジャーニーズコンサートや舞台は、吊りものが多用されてるし、舞台の意表をつく転換が多い割に、怪我や事故の話をあまり聞かないのは、正直、ほんとうに感心する。
昔、本田美奈子だったか、商業の舞台で、舞台の事故で亡くなったタレントがいたような気がしたし。バレエの舞台でも、この手のアクシデントで、ダンサー生命を失った人はいたので。ジャーニーズの方は、危険度の高い事をやっても、事故らない現場の緊張感、高いプロ意識があるからなのか?)
舞台の演出上のアイデアや、舞台上の雰囲気で、似たようなものがある、という事は、古くは、BBCだかが制作した、『ボリショイの苦闘』とかいう、ドキュメンタリーで興味深いコラージュ映像から思い知らされた。
ソ連崩壊後だったかの、ボリショイバレエ団のアメリカ公演。ベガスだったかな?
内容とは別に、このBBC制作のボリショイ公演を扱ったTV番組の中で、興味深い映像部分があって。
クラシックバレエ「白鳥の湖」や、男性バレエの『スパルタクス』の一部のシーンの映像に、アメリカの文化、ラスベガスとか、風俗とか、アメリカのダンス(セクシー系の、ボールダンスみたいのも入ってたかも。)や、或いは、奇術か何かのショーで、人の首が無くなるシーン、キッチュな見世物の場面が出て、その前後に、スパルタクスが討たれる場面を入れて、両者が妙に似て見える事を示したり、
等々の映像を、幾つか、畳みかけるように交互に入れた映像が、洋の東西で異なる文化でも、見ようによっては共通点があることを、感じさせていた。
聖と俗のコントラスト。
高尚なはずの、ロシアのバレエ芸術と、アメリカのキッチュだったり、ポップな文化とが、意外と類似点があることを暗示して、
こう文で書くと、あれだけど、これ、映像でみると、なかなか見ごたえがあった。
舞台等のアイデア、プランニングって、最初誰かが思いつくけど、全然違う国で似たようなことを思いつく人がいるのかもしれないし。
舞台、スペクタクルの演出って、洋の東西とかを問わず、インタレストを追及すると、共通項はあるのかも。
そういえば、アニメ『巨人の星』の監督だった、長浜忠夫氏も、作品作りにあたって、テーマだけでなく、まずビジュアルに凝る話をしていたっけ、と思い出した。
毎度、散漫失敬。