住職の独り言

~ご縁に触れて~

月を差す指

2009年07月06日 | Weblog
最愛の人を失って寂しく辛くても生きて行かなくてはならない。
お釈迦さまは「人生は苦である」と言われたが本当だよね。

その別れの事実をどう受け留めていけばいいのだろうか?

残された人は、あの時こうしてあげれば良かった…
何故亡くなったのか…あれがいけなかったか…
色々考えてしまうものであります。

亡くなった事柄ばかりに ”うちひしがれ ”て
嘆き悲しみに暮れていては光りは差さない。

経典に「毒矢のたとえ」が説かれる。
毒矢にいられた。医者はすぐ治療すればいいのに、
一体この毒矢を射た者は誰なのか、身分は、名前は、身長は、
毒の種類は、矢の材質は…と治療もしないで思慮しているのと同じであります。

嘆き悲しみを受け留め、故人を縁として
お念仏に遇わさせて頂くことであります。

まさに「月を差す指」とは、月を差す指ばかりに執(とら)われるのではなく、
その指の差す月を見ることであります。

お経でも経文の字句に執(とら)われるのではなく、
このお経は私に何を伝えようとして下さるかの聞思することでありあます。


コメント
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