浄土真宗は「聞」の宗教だと言われる。
何を聞くの…?
「お念仏(南無阿弥陀)の救いを疑うことなく信じ念仏申せばお浄土へ参る」という。
たったそれだけのことで無上涅槃へ至る?
…信じられます?
なかなか信じられませんよね。
親鸞聖人も、一代諸教の中で、お念仏のみ教えを信じる事は「難の中の難」であると言われる。
「邪見驕慢の悪衆生」は信を獲ること難しと言われる。
私たちは、自分という「我」で凝り固まっています。
念仏の救いは、私の常識を超えた救いだからでしょうね。
でも、仏さまの目線からすると、私を救うにはこの方法しかなかったようであります。
そんな私の邪見驕慢心で凝り固まった「我」を揉み解ぐす。
それを聴聞という。
それを聴聞という。
