11月6日に京都へ行った折、たまたま見た京都新聞に寄ると
坂東曲という言葉は西本願寺の史料に初めて登場する。
本願寺が東西に分かれて9年後、
江戸初期に営まれた親鸞聖人350回忌のことを書いた西本願寺の僧侶、
西光寺祐俊の日記「高祖聖人三百五十年忌日次之記」(1611年)に
親鸞の命日の法要の項に「御式相ノ念仏坂東節也」とある。
また、同じ祐俊の「本山年中行事」には「式間御念仏ハンドウブシ也」とある。
西本願寺では、江戸中期
14世寂如の時代に儀式のありようが大きく変わり、
1689(元禄2)年に坂東節が行われなくなった。
…以上